第12話 災いの記録


 山奥にある神社。

 その境内けいだいに住んでいるという白山は、社務所――ここでは住居も兼ねているらしい――に入るなり、司に対して深く頭を下げた。

 それも立礼ではなく座礼。床に膝をついて正座した状態から行うお辞儀だった。


「そんなかしこまらなくても……俺たち同級生なんだしさ」

「……この神社を訪れた客人には、このようにもてなすよう教えられているので」


「どうぞお上がりください」ちょこんと座礼をしていた小柄な少女が、司を社務所の奥へといざなう。

 その真面目すぎる仕草に、司は思わず苦笑した。


「それじゃ、お邪魔します」


 促されるままに屋敷の奥へ進むと、十畳ほどの広さの客間にたどり着いた。

 中央には座卓が置かれ、部屋の端にはタンス、押入れ、掛け軸がある。

 機能性を優先したシンプルな内装。年頃の少女の住まいらしい生活感は、あまり感じられなかった。


「お茶を用意して来ますので、黒河くんはここで休んでいてください」


 どうぞと座布団を差し出すと、白山は屋敷の奥へといそいそと下がっていく。そんな彼女の様子を、司はぽかんとしながら見送った。

 その際に傷だらけの背中とボロボロの制服が目に入ってしまい、胸が痛んだ。


 ――他人のことを気遣っている場合ではないはずなのに。

 気を使わなくていいと言ってやりたかったが、少女はすでに部屋の外へと出て姿が見えなかったため、とりあえず差し出された座布団に腰を下ろした。


 少し間を置いた後、どこか緊張した面持ちの白山が、湯呑を持って部屋に戻ってきた。湯呑にはお茶がすでに注がれてあるようだ。

 その湯呑は一つだけで、急須もない。

 彼女は飲まないのだろうかと首をかしげていると、湯呑を持った少女は丁寧な動作でふすまを閉め、司の前にちょこんと正座をした。


「……あなたのような、同年代の殿方が訪れるのは久方ぶりなので……お口に合うかはわかりませんが」


 白山は湯呑を正座した膝の前に置き、出袱紗だしふくさと呼ばれる湯呑の下に敷いた敷物を制服の胸元にしまった。

 その際、自分の服装に気づいたようで、ハッと少し赤くなって口元を抑えた。


「こ、こんな失礼な格好ですみません……」


 確かに今の彼女の上品なふるまいに対し、土で汚れ、破れた制服は似つかわしくないかもしれない。

 だが、失礼なことなどあるものだろうか。それはクラスメイトを危険から守るためについた傷なのだから。

 司がそう答えると、白山ははにかんだ笑みを浮かべて自分の膝へと視線を落とした。


「そう言っていただけると……少し恥ずかしいけど、嬉しいです……それに……」


 白山は顔を上げ、ちらと司の目を見てから湯呑を手で持った。

 少し緊張の色が伺えるが、普段のような鋭く凛とした表情ではない。


「ちょっとだけ、救われました」


 白山は「どうぞ」と言って司に湯呑を差し出した。

 彼女の表情は穏やかで――なんというか、おとなしそうに見えた。

 これが、本来の彼女――白山彩女という少女の姿なのかもしれない。


 白山は司にお茶を出すと、美しい所作で立ち上がり、部屋の入口近くまで下がって再度礼をした。


「順番が前後してしまいますが、茶菓子は後ほど……。

 まずは傷の治療をするための道具をお持ちします。

 手当がすんだら、お風呂の準備をしますね。

 そうしたら、あなたが入浴されている間に、食事の準備いたします」


 丁寧でゆったりとした、心地よいリズムで白山はこれからの流れを語った。

 まるで旅館に来たみたいだと、司は少し呆れながらため息をついた。


 少女がボロボロの状態で働いている中、自分だけくつろいでいるのはいたたまれない。それに、風呂だって――よくわからないが、女の子が先に入るべきなのではないか。

 それ以前に、二人は同級生なのだ。司は彼女の家にお邪魔させてもらっている友人にすぎない。当然、これほど丁寧にもてなしてもらう必要はない。

 ――だが。この生真面目な少女にとっては、何か特別なことをしているつもりはないのだろう。強いて言えば、彼女の言う通り、屋敷に訪れたのが同年代の男子だということが少し特殊であるかもしれない。


「なあ。その前にちょっといいか」

「……はい、どうかなされましたか?」


 司が呼びかけると、白山が――あのとき棺の前で出会った少女が、こちらを見ながら首をかしげる。その顔は優しく、なんとなくおっとりとした表情を浮かべていた。


 白山彩女は、変な子だと思う。きっと、今まで想像していた以上に。

 だが、そのズレているところが逆に、なんとも心地いい――司にとっては、そう感るのだ。

 なんだか、人としては彼女のほうが自然体で、自分のほうが本質的にはのかもしれない。彼女の持つ不思議な雰囲気を前にして、司はそんなことを考えていた。


 だから、この不思議な少女のペースに――世界に、合わせてみたくなった。

 


「この屋敷に招き入れてくれて、嬉しいよ」


 司は彼女に習って頭を下げた。

 それを聞いた彼女は、ぱっと破顔した。


「……は、はい! 私も、精一杯おもてなしを――」

「――ありがとな、


 司は目の前の尊敬するクラスメイトに対する感謝の言葉を口にした。

 自らの危険を省みず、助けようとしてくれたこと。

 迷いながらも、司にだけ秘密を打ち明ける決心をしてくれたこと。

 この屋敷に招き、彼女だって傷だらけで疲れ切っているというのに、誠心誠意のもてなしをしようと無理をしてくれたこと。

 そんな彼女の美しくひたむきな姿勢に、司は敬意を払おうと思った。


「黒河くん……あ、あの、私のこと、彩女って……」

「ああ。せっかく仲良くなれたわけだし、名前で呼び会いたいなって」

「そ、そんな……あぅぅ」


 少女はボッと赤面してうつむいた。

 迷惑だったか、怒っているのだろうか、戸惑っているのかもしれない。今までもそうだったが、こういう時の彼女の感情は読みづらい。


「……ちょっと無遠慮すぎたかな?」

「いいえ。そんなことは……ありません。

 なら、私も――」


 彩女は、薄い胸をふくらませて大きく息を吸い込み――そして、ふぅっと一度吐き出した。

 そうやって何度か深呼吸を繰り返してから、彩女は姿勢を正して司とまっすぐに向き合った。


「では――今後とも、よろしくお願いします。……っ、……」


 彩女は続く言葉を言おうとして口をぱくぱくと動かしているが、声は出ていなかった。


「……つ、っか……」


 顔を真っ赤にした少女は、息苦しそうに言葉を詰まらせている。


「……つ……司、さん」


 ――

 ――なんで?

 司は心の中でつっこみを入れた。


「――司さん!」


 言い直した。


「司さん!」

「もういいって!」


 聞いているこっちまで恥ずかしくなって来て、司は彩女を静止した。

 意表を突かれて、心臓がバクバクと鳴っている。


「さっきまで黒河だったのに、なんでまた、さん付けになるんだよ?」

「そ、それは……だって……」


 すっと目をそらす彩女。

 山道を駆け回って乱れた髪と制服、朱をさした頬に、少し潤んだ流し目――その仕草が妙に艶っぽくて、司はくらっと目眩がした。


「司さん――その――」


 よせ。その仕草とセットでその呼び方をされたら理性が保てなくなる。

 などと正直に言うわけにもいかず、司は彼女に習って深呼吸をして心を落ち着かせた。


「なんと言えばいいのでしょうか……こういうのには慣れなくて、どうにも気後れしてしまって……。

 あなたのことを信頼していないわけではないのです」

「いやさ、それはいいんだけど」


 呼び捨てにするほどは踏み込めず、それでも今よりも親しくなろうとして彩女が選んだ距離感が、名前に『くん』という敬称の組み合わせなのだろう。

 それはわかる。だが。


「――なんか、その呼び方だと夫婦みたいじゃないか? 若干恥ずかしい」

「……あ」


 彩女の肩がびくっと震え、拍子に胸元からぽろりと出袱紗が落ちた。

 そしてその体勢のまま数秒凍りついたのち、くらりと力が抜けたように倒れかかる。

 放って置くわけにもいかず、司は慌てて彩女の体を受け止めた。


「おっと。大丈夫か、彩女?」

「あ、あうぁ……くろか、司さん」


 彩女は目を回しながら司のことを見上げた。

 司も抱きかかえた彼女へと目を向けた。顔を耳まで赤くした少女の顔が、お互いの息がかかるほど近くにあった。

 夫婦みたいだと言われたことがそれほど恥ずかしかったのだろうか。彩女の呼吸が乱れて、小さな胸がせわしなく上下している。


「し、失礼しました……。

 あの、私、お風呂の用意をしてきます」


 そう言って、彩女はいそいそと客間から出ていった。

 照れ隠しなのだろうが、その台詞で余計に夫婦感が増したような気がする。


 それにしても、と司はため息をついた。

 ――先に怪我の手当てをしてしまいたかったな。

 自分はともかく、せめて彼女の傷だけでも。


「……とりあえず、戻ってくるまで待つか」


 すっかり喉が乾いていた司は、湯呑を口に運んで少し飲んだ。抹茶だ。

 あまりの苦さに、司は吹き出しそうになった。




 彩女が戻ってくるのを待つ間、司は客間で今までの出来事の整理をしていた。

 体育倉庫の開かずの間にいた、人形ひとがたの影たち。その後に現れた無貌の狩人。いなくなった大輔と玲二。

 わからないことだらけだ。

 まだ彩女から詳しい話を聞いていない。落ち着いたらいろいろと聞き出さなくては。

 それに、霊能力があるという彩女自身のことも、もっと知っておきたかった。


 しばらくして、彩女が薬箱を持って客間に戻ってきた。

 時間を置いたことで落ち着きは取り戻したようだ。だが、司と目が合うとすぐに視線をそらされてしまった。


「取り乱してしまい、申し訳ありません。

 ……傷の手当てをします。見せてください」


 彩女はきゅっと唇を引き結びながら言った。視線は相変わらず合わせようとしない。

 司としては本当は彼女の手当てを先にしたかったが、そう言っても彩女は引かないだろうと思ったので、おとなしく従うことにした。


「悪い。助かるよ」

「……っ」


 司が礼を言うが、彩女は司の腕に包帯を巻くことに専念して答えなかった。

 彩女の顔つきは固く、どこか不機嫌そうにも見える。何か怒らせるようなことをしてしまったのかもしれない。

 この神社に来てからの彩女の優しさに甘えて気が緩んでしまったのかと、司は反省した。

 そのまま彩女は慣れた手付きで傷の周り拭いて消毒し、処置をしていった。

 消毒液を塗るときは、さすがに激痛が走った。だが、ガーゼを当てて包帯を巻くと、それだけでもだいぶ痛みが和らぐ。

 ボウガンがかすった腕と足の傷はいずれも大事にはいたらず、出血もすでに止まっていた。

 処置はすぐに終わり、司は彩女の足元にある薬箱を自分の手元に寄せた。


「今度は俺が診るよ。背中なんかは手が届かなくて大変だろ」

「いえ、それは私が自分で……」

「これから世話になるんだし、それくらいはさせてくれ」


 司の提案に、彩女はまた口元を固くして、プルプルと体を震わせる。いったいなんなのだろうか。相変わらず表情が読みづらかった。

 彼女は耳元を赤く染めて、服の裾をめくった。


「司さん……お、お願い、します……」


 彩女の声は若干、上ずっていた。思えば、高潔な彼女にとって異性に肌を晒すのはためらわれるのかもしれない。

 デリカシーが足りなかったと、司はまた反省した。

 だが、やると決めたからにはいまさら撤回するのも失礼だろう。


「あまりこういうの慣れていないから、間違っていたら言ってくれ」

「はい。わかりました」


 司は彩女の背中に目を向けた。そして、うっと短く声を上げる。


「……ひどいな」


 司がつぶやく。彼女の背は、痣だらけだった。

 いや、背中だけではない。胴全体に、いくつもの痣や傷があった。

 それらの傷を見て、司は悟った。この小さな体の少女は、これまでもずっと危険と隣り合わせにいたのではないかと。


 怪我の多くはすでに手当てされていた。

 だが、今夜のことで無理に動かしたり打ち付けたりしているため、悪化したり開いてしまった傷もあるだろう。

 特に脇腹の怪我がひどかった。まるで壊死したように黒ずんでいて、その上、新たに打ち付けたような打撲の跡があった。


 消毒液をガーゼにつけ、傷に当てた。

 彩女は一瞬ぴくりと反応したが、それからは一切音を上げることなく、平然としている。

 その我慢強さに司が感心していると、これまで無言だった彩女がぽつりと話し始めた。


「無貌の狩人のことですが……あれは、過去にも姿を現したことがあるそうです」


 彩女は一つずつ、確かめながら話すように言葉を紡ぐ。

 無貌の狩人なんて大層な名前がつけられているのだから、そうなのだろう。

 司は手を止めないまま、無言でいることで先を促した。


「現れたのは15年前……恐るべき邪悪なものたちを生み出し、利用し、多くの災いを呼び起こしたと言われています」

「災い……」


 華奢な腰の傷にガーゼを当てながら、司は少女の声に耳を傾けた。

 現実味のない話だった。だが、きっと事実なのだと思う。

 今日だけで何度も現実とは思えないものを目の当たりにした。

 それに、彩女の真摯な口調。そこに宿る切実さが、この話の重大さを物語っていた。


「その時は、どうしたんだ?」


 司はたずねた。それがわかれば、これからどうするべきかの方針が定まると思ったからだ。


「それは……私の――」


 司は彩女の脇腹の怪我に消毒液を塗った。

 その瞬間、彩女は叫び声を上げ、大きく体をのけぞらせた。


「がっ、あ……はぐううぅぅ!」

「お、おい、大丈夫か?」


 どれほどの苦痛だったのか、それまで平然としていた彩女が息を荒げながら悶えてる。

 慌てる司に対し、彩女は「すみません……」と頭を下げて続けるよう促した。


「この傷は、過剰に痛むのです。まるで、かの怨念がまとわりついているよう――」


 少女の瞳は、キッと正面を見据えていた。

 まるで、彼女を襲う苦痛と、その先にいる敵に立ち向かおうとしているように。

 おそらく、これは体育館の壁にいた黒い人影に触れられてついたものだ。

 あれも無貌の狩人と関係があるのだろうか。


 呼吸を整えながら、彩女は続きを語り始めた。


「かつての災厄は、私の母の手で……無貌の狩人に封印を施すことによって収めたと聞いています」

「……彩女の母親が?」

「はい。母は私よりずっと強い……この家の代々の記録の中でも、特に強力な『穢れを祓う力』を持っていました」

「それで、その人は……」


 なんとなく、予想はついていた。

 そんなすごい力を持った大人が身近にいるのなら、彼女が傷つきながら戦う必要なんてない――


「……私を生んですぐ、他界しました。

 自らを封印の依り代としたのです」

「……すまない」

「いいえ。いいのです。

 ……なので、彼女より力の弱い私では到底、太刀打ちできません」


 そこまで聞いて、ふと不安になって司は彩女にたずねた。


「――まさか、自分を犠牲にしてアイツを封印しようなんて考えてないよな?」

「……はい。それが叶うなら、すぐにでもそうするべきなのですが……」


 彩女は当然のようにそう言った。

 自らの命で無貌の狩人を封印できるなら、そうするべきだと――その言葉に、司の胸がズキリと痛んだ。


「……そんなこと、言うなよ」

「ええ。幸か不幸か、私の力ではそれは叶いません……」


 私にもっと力があれば、あなたが危険にあうことも、傷つくこともなかった。彩女がそうつぶやいた。

 水くさいことを、と司は思った。

 だが、なぜか口に出す気になれず、代わりに違うことをたずねた。


「それにしても、そんな強大な力を持っているっていう無貌の狩人って、いったい何者だ……どうしてそんなのが生まれたんだ?」

「はい。本当は、怪異の所以など人の知りうるところにはないものなのですが……。

 無謀の狩人のその力は、ある書物に由来していると言われています」

「書物?」


 彩女はうなずいた。

「そう、書物。もともとかの者は人だったそうです。

 ですが、その書物が――魔導の書が、その者を人ならざる存在に変え、災いと呼べるほどの力を持たせた」

「そんなものが、あるのか――」

「……グラーキの黙示録」


 怪我の手当てが終わると、彩女はめくっていた衣服を整え、再び司の方へと体を向けた。


「それが――その書物の名前です」


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