第5話 階段の踊り場


 結局あの後、白山は気分が優れないからと言って体育の授業を休んで保健室に向かった。

 そのため、体育倉庫での件はあやふやになったままだった。


 まだ準備運動が済んでいなかった司はパートナーがいなくてどうしたものかと思っていたのだが、その心配は不要だった。どうやら健気で心優しい香山少年が、まだ体操の終わっていなかった司のことを待っていてくれたらしい。


 心優しい級友に感謝しつつ、司は体育倉庫での白山とのやり取りを思い出していた。――果たして彼女にも、ペアになってくれるような友人がいるのだろうか。


 白山は誰かと一緒にいるところをあまり見ない、というより授業以外で教室にいることも少ない気がするので、彼女の人間関係について少し気になった。

 彼女は浮世離れしていて、どことなく非現実的な印象すらある。なので、普通に教室でクラスメイトと昼食をとりながら会話に花を咲かせるといった姿はイメージしづらかった。

 だが、それはあくまで司の先入観だ。本当は同じクラスの生徒として、もっと仲良くするべきなのかもしれない。


 昼休みに大輔や玲二と昼食をとりながらそんなことをぐるぐると考えているとき、予想外な出来事が起こった。


「あの……荒木くん。ちょっといいですか?」


 声をかけてきたのは、意外なことに白山彩女その人だった。

 白山に声をかけられた大輔は、ぱあっと明るい顔をして答える。


「白山さんじゃん! どしたのー?」


 口調もいつも以上に弾んでいた。きっと大輔も白山のことを気にかけていたのだろう。

 対して白山の方は微妙に眉根を寄せて大輔をじっと見ている。とはいえ、司と話すときもだいたいこんな顔をしているので、その内面は読み取れない。

 ただ、心なしかいつもより――司と話しているときより穏やかな表情に見えた。それに気づいた司は、嬉しいようなショックなような複雑な気持ちになった。

 して、白山は大輔に何の用事があるのだろうか。興味深く見守る司と玲二は、彼女の次の言葉にまたしても驚くことになる。


「あの……。少し付き合ってもらえませんか?」


 司は飲みかけていたコーラを吹き出しそうになってむせ返った。

 これには司や玲二だけでなく、周囲の生徒も一斉にこちらに注目する。――なお、その中でなぜか乙部だけが不敵な笑みを浮かべながらノートに何かをメモし始めた。

 それもそのはず。普段ならそこまで深読みすることもないが、なにせこのセリフを言ったのが謎の女子の白山彩女である。皆がざわめきながら好奇の目を向けるのも当然と言えよう。


 だが当の大輔本人は特に驚いた様子もなくのほほんとしている。


「え、なになに? 俺でよければ付き合うよ」


 大輔が返事をすると、今度は主に女子からの白山に向けられた視線が鋭くなった。

 こんなんだからチャラチャラしていると思われるのだと、司は頭を抱えた。いや、本人に悪気がないのはわかっているのだが。

 対する白山の方も、周囲の様子には気にも留めずに話を進める。


「では一度廊下に出ましょう。……できるだけ、人気のない場所に」

「え、ここじゃダメなの? まあいいか。司、玲二、また後で!」


 このやりとりに周囲はさらに浮き足立つが、大輔も白山も気にするそぶりもなく並んで廊下に出て行った。

 ――二人だけの世界というやつだろうか。

 とはいえ、二人はそれぞれ違う世界を思い描いているのだろうが。

 

 二人が教室から出て行くのを見送った直後、玲二は司の方に目を向けながら行った。


「……司……分かっているな?」


 玲二の真剣な眼差しに、司は苦笑ながら答えた。


「ああ。行くか玲二」


 司と玲二は、大輔たちを追って教室を後にした。




 二人の後を追って、司と玲二は廊下の端にある階段の前へとやってきた。

 上り階段の踊り場にいる大輔と白山に見つからないよう死角へと陣取りながら、ふたりの話を盗み聞きする。

 後ろを見ると、玲二以外にも何人かクラスメイトがついてきていて、口元に指を当ててお互いを嗜めながらながらこっそりと聞き耳を立てている。


 たしか白山は、人気のない場所で何かを話したかったのではなかっただろうか。

 これでは台無しだ。


「で、話ってなに?」


 大輔が軽い口調で尋ねる声が聞こえた。

 気になってこっそり踊り場の方を覗いてみる。すると、白山がチラッとこちらを見て、とても嫌そうな顔をした。

 ついてきた司やクラスメイトたちのことに、彼女はとっくに気付いているのかもしれない。

 いや、気づかない大輔の方が鈍感すぎるというべきだろう。


「……あまり、私の邪魔ばかりしないで欲しいのです」


 聞き耳を立てているクラスメイトたちのことを気にしているのか、白山の声は低い。

 それにつられて、大輔も小さな声で話をし出した。そのため、司には二人の声が部分的にしか聞き取ることができない。


「え、俺が部活やっている時に……?」

「はい。――は、やめてください。――迷惑です」


 白山は喋りながらも、若干呆れたような顔で踊り場の奥へと移動して、階段の影へと隠れてしまった。

 やはり、バレているようだ。


「いいじゃん。そんなこと言ってないでさ、白山さんもみんなと仲良くしようよ!」


 対する大輔はテンションが上がってきたのだろうか、両手を広げながら少し大きめな声で言った。

 それを聞いた白山は、何かぼそぼそと言っていたような気がするが、周りを気にしているのか、声が小さくて拾うことができなかった。


 白山は大輔に背を向けると、階段を下りながら溜息と一緒に吐き捨てるように言った。


「……放っておいてください」


 二人の様子を探ることに集中していた司は、白山がこちらに近づいてきていることに気付いて慌てて身を引いた。

 周囲を見渡すと、皆すでに撤退したようで周囲にはクラスメイトの姿はなく、玲二もいつの間にかいなくなっていた。


「あ、やべ」


 司は慌てて偶然通りかかったような風を装う。

 かなり無理があるように思えたが、意外なことに白山は司には目もくれずに真剣な表情で廊下を通り過ぎていった。

 まるで周りのことが目に入っていないようだ。


 司が訝しげに白山を見送ると、遅れて大輔が踊り場から戻ってきた。


「司じゃん。なんだよ、聞いていたのか?」


 大輔は照れたように頭を掻いた。

 どうやら、この男はついぞ最後までクラスメイト皆に注目されていたことに気づいていなかったらしい。

 どんだけ鈍感なんだ、と司は肩をすくめた。


「声が小さくてよく聞こえなかったよ。で、何を言われたんだ?」


 すると大輔は「あー」と唸りながら視線を彷徨わせるので、司はずいっともう一歩距離を詰めた。

 健全な高校生として、ここで詳細を聞き出さないまま引き下がるわけにはいかない。

 当然、最初から分かりきっていたことだが、愛の告白なんかをされているようには見えなかった。どちらかというと大輔がナンパしているように見えなくもなかったわけだが。


 やがて大輔は観念したように両手を上げて肩をすくめた。そして困った顔をして口を開いた。


「……白山さんに、体育倉庫に近づくなって言われたよ。

 そんなこと言われても俺バスケ部だし、無理だよなぁ」


 体育倉庫。

 体育の授業の時に感じた妙に生温く湿った風のことを思い出す。

 確かあれは、体育倉庫の奥に用途の不明な扉があって、それに白山が触れて何かをした時に起こったものではなかったか。


 司はごくりと喉を鳴らした。


「大輔。体育倉庫で何かあったのか?」


 まるで胸に何かがつっかえているような違和感を感じたが、司はそれを静めつつ少し声を抑えて尋ねた。

 すると、大輔は一転して楽しそうに笑みを浮かべながら周囲を見回した後、口元に手を当てながら司よりも小さな声でひそひそと話し出す。


「……開かずの間だよ。あるんだってさ。体育倉庫にまつわるこわーい噂が」




 翌日の朝。

 司は教室で一人、大輔から聞いた開かずの間の噂を思い出していた。

 体育の時間に見た、体育倉庫の奥にある扉は”開かずの間”と呼ばれているらしい。

 常に鍵がかかっていて、用途も分からなければ中を見たものもいない。担任や顧問の先生もその奥に何があるかは知らないという。


 なにせ体育倉庫という息苦しい空間の、さらに奥にある用途不明の扉である。当然、その”開かずの間”には奇妙な噂が絶えない。


 曰く、奥には旧体育倉庫があり、そこに閉じ込められて死んでしまった女子生徒の幽霊が近寄った生徒を死に追いやる。

 曰く、そこは過去に使われていたボイラー室で、凶悪な殺人鬼が仕留めた生贄――それが山に住む動物のこともあれば、人間のこともある――を燃やすときに開かれる。

 曰く、その扉自体が霊界へと繋がっており、開けると死者たちが溢れ出してくる。


 特に旧体育倉庫の女子生徒の噂は、非常にリアリティがあった。

 とある女子生徒が倉庫の中にいるときに気づかれず外側から鍵をかけられてしまって、閉じ込められて出られなくなってしまったという話だ。

 体育倉庫は内側から鍵を開ける手段がなく、入口を閉じてしまえば完全な密室になってしまう。照明があるとはいえ夜になると薄暗く、跳び箱やマットが寡黙にただずんでいる様子は言い表せない圧迫感があり、そんな中一人で閉じ込められる恐怖や不安感は想像に難くない。

 そしてさらに不運なことに翌日から学校全体が休校になっていて、ごく一部の教師以外は誰も学校に来ない、まして戸締まりをされて誰もいないはずの体育倉庫などを訪れるものは一人もいなかった。

 そうして恐怖と孤独のまま衰弱死してしまった女子生徒の幽霊が現れるようになり、そこに訪れる生徒を同じように倉庫の中に閉じ込め――死に追いやるのだ。

 やがて呪われた体育倉庫は使われなくなり、新しい体育倉庫が作られたという。


 対してもう一つはボイラー室の話で、かつて山の生き物を殺して回る狩人がいて、捕らえた動物をそのボイラー室で焼いていたという話だった。

 最初は狼などの危険な獣を狩る役目だったが、そのうち手当たり次第に生き物を狩るようになり、最後には人間を殺して燃やしていった。

 そして最後には恨みを買った自分自身がボイラー室で焼かれて殺害され、その後、夜な夜な狩人の亡霊が出るようになったという。

 こちらはそれなりにツッコミ所が多くてリアリティに欠けるが、ボイラー室やシリアルキラーなど一つ一つの要素が味があり――本当のことだとしたらずいぶんと不謹慎な話だが、逸話としてこの学校の生徒たちの間で人気があるようだ。


 そして最後の霊界への扉というのはどうも最近のサブカルチャーの影響を受けすぎているように思えるが、なにせ密室として怪談話の対象になりやすい体育倉庫の中にある正体不明の扉だ。

 このような荒唐無稽のものも含めて様々な憶測が飛び交っているらしい。


 一つ目の体育倉庫に閉じ込められた女子生徒の噂についても、呪われた体育倉庫の隣に新しい体育倉庫が作られるのはちょっと無理があるのではないかと司は少し思ったのだが。

 それでも、体育倉庫に閉じ込められて息絶え、幽霊となった女子生徒がまたも鍵をかけられ開かずの間に閉じ込められているというのだから、その悲壮感や罪悪感が怖ろしさが引き立てているのだろう。


 ボイラー室、というのもわざわざ木造の体育館じゃなくてもっといい場所に設置すればいいのではないかとか、なぜ学校の施設をその狩人が使っているのかなど謎が多いが、ミステリーらしい雰囲気が想像力を刺激するので司としても嫌いではなかった。


 そして霊界への扉。本来ならば笑い話になるような噂だが、先日感じた違和感を考えると決して無視できない噂であり――




 司が教室の席で頬杖をつきながら"開かずの間"に関する話について考察していると、隣の席の香山創一が重い足取りで登校してきた。

 その顔色は蒼白で、表情にも覇気がない――どころか、痛々しいほどに物憂げだ。


「おはよう創一。……なんか元気なさそうだけど、どうしたんだ?」

「ああ、司くん……実は……」


 創一は目元に涙を滲ませながら息を吐いた。


「飼育小屋のインコが……いなくなっていたんだ。小屋に血の後が残っていて……。

 昨日まで元気に飛び回っていたのに、どうして……」


 それを聞いた司は、首筋のあたりをチリチリと刺されるような嫌な予感を感じた。

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