第3話 級友考察
「あー、えっと……」
目の前の女子生徒に問いかけられて、司はたじろいだ。
そう、今朝石碑の前で会ったことがなんとなく気になって話しかけたのはいいが、とりたてて用事があったわけではない。
つまり完全に行き当たりばったりだ。
この先どうやって話題をつないでいくかなど、まったく考えていなかったのだ。
「……」
口ごもっている司に対し、彼女は沈黙したまま姿勢を正してまっすぐ体を向けた。そしてわずかに首をかしげながら、次の言葉を待っているようだ。
その生真面目な様子が妙に可愛らしくて面食らったのだが、司は頭を振ってその思考をはねのけた。
こうして黙っていても仕方がない。とにかく司は、思いつく限り直球で疑問をぶつけてみることにした。
「なあ、あそこで――石碑の前で、なにをしていたんだ?」
「なにをしていた……とは?」
司は背筋が凍るような感覚に襲われた。彼女の声は深い森のように静かだったが、その奥底には冷たくしなやかな、獣のような強い芯が潜んでいた。
少しでも気を抜くと、その独特な雰囲気に飲まれてしまいそうだ。気持ちを落ち着かせるために、司は深く呼吸をする。
すると、その瞬間を見計らっていたかのように、女子生徒が再び口を開いた。
「そちらこそ、なにをしていたのですか?」
息をすべて吐ききった瞬間だった。その見事な間の取り方によって、司はまたも出鼻をくじかれてしまった。まるで剣術の達人に抜き身の刀を突きつけられているような気分だった。
「べ、べつに俺は……」
逃げることも取り繕うことも許さない――彼女の目つきはそう語っている。その張り詰めた空気に耐えきれず、司は思わず降参を示すように両手をあげて息を飲んだ。
そんな様子を
「……あなたはそれを知って、どうするのですか」
「どうするって言われてもなあ……」
彼女の先ほどまでとは一転して穏やかな口調に、司はやっと突きつけられていた刃から解き放たれたような気がした。
空気が緩んだことで固まっていた思考も解放され、少しずつ活動を再開する。
すると、彼女がこれだけ難色を示すからには何かがあるんじゃないかという考えも、ふと思い至った。
だが、今はこれ以上は問い詰めても仕方がない。というより気が持たないだろう。
まだ新学期が始まって初日。これから先もこの調子ではたまらない。
そう思った司は、できるだけ柔らかい口調で言った。
「――やっぱそれはいいや。悪いな急に」
その言葉を聞いた彼女は、眉をひそめた。ここまで来てこれでは拍子抜けするのも当然だ。だが、司はあえて気にせずに続けた。
彼女の相手をする上では、空気を読んでばかりではだめだ。彼女と話していて、司はなんとなくそう感じた。
「俺は黒河司だ。よろしく」
こちらをじっと見つめていた彼女が、一時だけ困惑の表情を見せたのを司は見逃さなかった。だが、それもあえて無視して強引に押し切ることにした。
――なんだか若干恥ずかしい気もするが、それも無視だ。気にしない。
しばしの沈黙。その後、彼女は均等に切りそろえられた前髪にか細い手を当てて、呆れたように首を横に振った。
「…………。
長い黒髪の女子生徒――白山彩女は、名乗るとすぐにすっと席を立ち、司の隣を横切るように歩き出した。
すれ違い様、司が何か言うよりも早く、白山はその滑らかな唇を司の耳元に近づけ囁いた。
「……あまり"それ"には関わらない方がいいですよ」
彼女は細い指先で司の背後の足元を示した。だが、そこには何もない。ただ三点の黒い染みが床に並んでいるだけだった。
それが一瞬顔のようにも見えたが、よくある錯覚だろう。
「いったい、なにを――」
疑問の声を無視して白山彩女は歩き去って行く。司はその背中を呆然と見送ってから、彼女が指さしていた床にもう一度目をやった。
相変わらずそこには何もない。どう見てもただの床だった。
この地域の学校にしては新しくて綺麗なその床には、まだゴミすら落ちていない。そこには染み一つない木目のフローリングが広がっているだけ――。
そこまで確認したとき、司は違和感に気付いた。
「ん、染みが消えている?」
先ほどまでそこには三点の黒い染みがあったはずなのだが、少し目を離した隙に見失ってしまった。
気のせいなのか、それとも物の影か何を染みと見間違えたのだろうか――だが影だったとしても、いったい何の?
周囲の床を探してもそれらしいものは見つからず、司は首をかしげた。
入学式を終え、通常授業がはじまってから一週間が経過した。
数日も通えばクラスにもそこそこ馴染んできて、司は香山や大輔たちの他に、何人か話せる相手ができていた。――ちなみに香山とは次の休みに釣りにいく約束をしている。
そして、やはりというべきか茶髪のさわやかイケメンの荒木大輔は皆の人気者、クラスの中心的人物になっていた。
一方で同じようにかなり社交的だった美少女の――しかも胸も大きくてスタイルもいい――藍原美波。
彼女は友人である乙部に「あまり男子ばっかりに絡んでいると変な目で見られるよ?」と注意されたらしく、それからはあまり話しかけて来なかった。
それでも美波は司たちの仲間に入りたそうに、よくこちらを見つめていたりはしたのだが、しっかりと言いつけを守って女子同士で絡んでいるようだ。
そういったクラスの近況を、朝の登校時に偶然タイミングが合って一緒に登校することになった、幼馴染のヤンキー女子の染無と二人で話していた。
「……相変わらず、染無は人と仲良くなるのが苦手なんだな」
屋上で一人飯なんていつの時代の高校生だよ、と司はため息をつく。
まあ実に染無らしいし、なんというか――絵にはなるのだが。
「ああ? アタシのことはいいんだよ。
それより司、週末に富戸へ釣りに行くんだろ。アタシも混ぜろ」
「却下」
「ハァ? なんでだよ」
「優しく純真で大人しい、そして小動物のように臆病な香山少年が怖がるからだ」
司が無表情でそう言い放つと、染無は口をへの字に曲げて抗議する。
「お前さぁ、アタシのことなんだと思ってんだ?」
「チンピラだろ?」
「ちがう、不良学生だよ!」
自分で言うか、と司は心の中でツッコミを入れた。
「……しかもそれ微妙にその香山氏にも失礼じゃねぇか?」
「気にするな、聞き流せ、忘れろ」
司の言ってることも大概だが、染無と絡むときは毎度このようなノリなのだ。
昔馴染みということと染無の人柄もあり、ざっくばらんに話せるのがありがたい。
「とにかく、染無はもう少しクラスメイトと仲良くするべきだ」
「いいんだよ。アタシは一人の方が気楽だからな」
染無はそう言ってふんと鼻を鳴らした。こうなってしまった染無には何を言っても仕方がないことを司は知っている。
だが、これから三年間の高校生活、そんな調子で大丈夫だろうか。今までも染無はそのようなスタンスでいて孤立してしまいがちだったため、幼馴染としては少し気がかりだった。
「なんだ司、アタシのこと心配してくれてんのか?」
突然そう言われ、司は考えにふけるのをやめて、むっとした表情を作る。
「なに言って――」
「いいヤツだよな〜。司って」
染無はわざとらしく、にやけながら言った。
先日の司のセリフとかけているのだろう。
見事に一本取られてしまった司は、さらに憮然とした表情になって唸った。
「……アタシとしては、そういう司の方が心配だよ」
染無が小声で呟いたが、司はその言葉が聞き取れずに首をかしげる。
「なんか言ったか染無?」
「いや。……にしてもあれだ。その荒木ってのは気に入らねぇな」
大輔について、染無が苦々しい顔で言う。
「……イケメンだから?」
「あ? ちげぇよ。アタシはそういうチャラチャラしたヤツが嫌いなんだよ」
不良学生がなにを言っているのか……。
司はそう思ったが、染無のよく分からない拘りに突っ込んでも無意味だということも心得ていたので、黙って続きを待つことにした。
「そうやって誰にでもいい顔してさ。どうせ上っ面だけの薄っぺらい男なんじゃねぇの?」
「んー……そうかなぁ」
大輔と話したときのことを思い浮かべる。
司の印象は染無の言っていることとは違った。あの気のいいイケメンは、人と交流するのが心底好きそうだ、というのが司の印象だった。
「……たぶん、大輔はそういうのじゃないと思う」
司は、ふぅと息を吐いてから答えた。
いつも周囲に気を配り、相手を楽しませられているか、輪からはみ出ている人はいないか――相手を不快にさせていないか、自分は嫌われていないか。そういったことを、大輔は常に気にしているように感じた。
意外にも生真面目で、神経質なのかもしれない。彼はそういうタイプなのではないかと司は思った。
「ほー……」
司の感想を聞いた染無は、驚いたような、感心したような表情をした。
「ま、司がそう言うならそうなのかもな」
そう言って頷く染無を眺めながら司はふと、大輔と染無が同じクラスだったらどうだろうという想像をした。
もし仮にそうなったら、大輔は孤立しがちな染無のことを心配してしつこく絡みに来るのではないだろうか。
もちろん染無は大輔みたいなタイプが苦手だろうし嫌がるだろう。
だがそれでも、なんだかんだ言いながら付き合っていくうちに、いずれ親しくなっていく――そんな気がする。
そこまで考えて、不意にもう一人のクラスメイトのことが頭に浮かんだ。
「……ああ、だから玲二も」
「ん、玲二?」
きっとあのツンケンしている玲二もまた、そんな理由で大輔と仲良くなっていったのかもしれない。
しつこくぐいぐい来る大輔と、嫌そうなそぶりをしながら照れている玲二を想像して、司は口元を緩めた。
「染無、やっぱ週末いっしょに釣りに行くか」
「なんだそれ。さっき来るなって言ったろ」
マイペースすぎるだろという染無の突っ込みに対し、司は神妙な面持ちで頷く。
「仲間外れはよくないなって思って」
「……相変わらず訳わかんねーなお前」
そんなことを真顔で言う司に、染無は肩をすくめた。
その後も染無との漫才のような会話を続けながら登校し、下駄箱あたりで彼女と別れて自分のクラスに向かった。
教室に入ると、すでに登校していた大輔と玲二が声をかけてきた。
「お、司だ。おはよー」
「ああ、おはよう」
無邪気な笑顔を見せる大輔に、司も軽く手を上げて挨拶を返す。
するとスポーツ飲料を飲んでいた玲二も、横目で司を見ながら同じように手のひらを額の前にかざした。
「よっ、司」
「おう。玲二も早いな」
玲二はにやっと童顔に似合わないニヒルな笑みを浮かべた。
「俺と大輔は朝練だよ。バスケ部の」
「朝練って、まだ仮入部だろ?」
司の疑問に、今度は大輔が答える。
「仮入部でも関係ないさ。練習を始めるなら早いほうがいい」
「へぇ。二人とも真面目だな」
「あったりまえだろ」
大輔はふふんと澄ました表情で胸を張った。
おどけたドヤ顔を作ったつもりなのだろう。だが、そもそも顔の作りが良すぎるせいで、テラスで優雅に紅茶なんかを味わっている麗人のようにしか見えない。
「俺と玲二は、バスケのインターハイを本気で目指しているんだ。のんびりなんかしてられないさ」
「……まぁ、そういうことだな」
などとビッグマウスを叩いてみせる大輔と玲二に、司は少し驚いた。二人が見た目より真面目なのは知っていたが、まさかそんなに真剣に部活へと取り組むタイプだったとは。
そして、こんな時期から当然のように朝練に参加しているのだから、その言葉に偽りはないのだろう。
大輔は真面目な話をするのが少し照れるのか、頬を赤らめながらもわざとらしく渋い顔をする。イケメンすぎて顔が崩しきれていないが。
「そう。俺たちはバスケで世界を制するコンビだ。バスケ王に、俺たちはなる!」
「「なんだよバスケ王って」」
司と玲二はほぼ同時に突っ込みを入れた。そして目を合わせて苦笑する。大輔のこういう天真爛漫なところが、人を惹きつけるのだろう。
後から登校してきた他の生徒たちも皆、こちらを見ながらくすくすと笑っていた。
「なんだよ、笑うなよ〜。今にレブロン・ジェームズやティム・ハーダウェイと肩を並べるトッププレイヤーになってみせるからな」
「いや、選手の名前言われても俺には分からない」
バスケの試合を普段見ることのない司は、ぐいぐいと来る荒木に苦笑した。玲二の方は我関せずという態度をとっているが、その顔はどこか得意げだった。
きっとそれが、二人の夢とか目標ってやつなのだろう。
「まあ俺にはバスケのことはよくわからないけど、頑張れよ二人とも」
「ああ。サンキュー司」
大輔が爽やかに答え、玲二はそれに対して「当然だ」と続ける。なんだか玲二のキャラもだんだんと掴めてきた気がした。
大輔は満足そうに頷くと、教室に入ってきた一人の女子生徒に手を振った。
「あ、白山さん。おはよー」
白山彩女――遺跡の前にいた女子生徒。
突然声をかけられた白山はかなり驚いたらしく、びくっと震えながら振り返った。
いや、驚いているというより、むしろ驚愕していると言った方が近いかもしれない。彼女は目を見開いてこちらを見ている。
「……おはようございます」
白山は深く息を吐いた後、強くこちらを睨んだ。その目つきに苦手意識を持っている司はたじろいでしまう。だが大輔はさすがというべきか、そんな白山の様子もお構いなしに歩み寄っていく。
「白山さんも、こっち来て一緒に喋ろうぜ」
「……は?」
大輔の唐突なセリフに対し疑問の声を上げる白山。そんな二人の様子を、司はハラハラしながら見守った。
いつも一人でいる白山に気を使って言っていることもみんな分かっていたし、そんな空気を読めないところもイケメンだと許されてしまうのは確かだ。
だが、こと彼女に対してそれはどうなのだろうかと、司は不安に思いながら経過を待った。
すると残念なことながら案の定、白山は苛立ちを隠そうともせずに、眉をひそめながら答えた。
「なぜ私がそんな……」
「え、いやぁ……なんでってことはないけど……ほら、楽しいじゃん?」
「必要ありません」
棘のある口調に怯む大輔を横目に見ながら、白山は自分の席についた。
すると大輔は、困った顔をして頭をかいた。
「あちゃー。嫌われちゃったかな?」
「……まあ、俺の時もあんな感じだったし、大丈夫じゃないか? ……たぶん」
肩をすくめる司と大輔。
それに対し、玲二が憮然とした表情をして、ぴしゃりと言い放った。
「……ああいうのには、あまり関わらない方がいいぞ」
「どうして?」
「なんか、嫌な感じがする」
玲二は至極真剣な顔で囁いた。
「縛られる魂、人ならざるもの……」
「ぷははっ。玲二、なんだよそれ?」
思わず吹き出す司に対し、大輔はなぜかぎこちない笑みを浮かべている。
玲二のいつもの冗談かと思ったが、少し様子がおかしい。
「え、大輔も玲二も、何その反応……?」
慌てる司に対し、大輔は玲二と視線を合わせて首を横に振った。
「――いや、なんでもないって」
「そうそう」
「いやなんかあるだろ絶対!」
司は入学式の朝に、石碑の前で白山彩女らしき人物と出会ったことを思い出す。彼女には何か秘密があるのだろうか。
だがそんな疑問も級友とじゃれあっているうちに薄れていき、やがて始業のチャイムによってかき消された。
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