第2話 入学式
入学式は体育館で行われた。
生徒の人数は56人と田舎の山中の学校としてはかなり多めで、アルファベットでA組とB組の二つのクラスに分けて配属された。校門のそばの掲示板にプリントが貼りつけられていて、クラス分けの結果はそこで確認ができた。
黒河司という名前はB組の生徒一覧の中にあった。A組の染無とは体育館の入り口で別れ、司はB組の列に並んだ。列の順序は名前順になっていて、司は中央より少し前方の位置に並んだ。
まだ時間が早いからか、その列はまばらだった。A組の列の中には染無以外に同じ中学だった生徒を一人見つけた。だが、どうやらB組の列の中に顔なじみは誰もいないようだ。
そうして列を眺めていると、先頭に立つ背が高く長めの茶髪が目立つ男子生徒がこちらのほうへ振り返った。
端正な顔立ちで肌も綺麗、眉もよく手入れされている。背丈もあり、まるでモデルのようだ。
彼は司と目が合うと人懐っこい笑みを浮かべながら、手を振ってきた。
笑うと端正な顔立ちが崩れて可愛らしい愛嬌がある。感じもいいし、絵に描いたようなイケメンだな――と、司は感心しながら微笑み返した。するとイケメン茶髪男は、おどけた感じでウィンクをした。
それに気づいた女子列の一番前の生徒――茶髪イケメンと談笑していたショートカットの女子――もこちらに振り向き、にこっと笑いながら顔の横で小さくピースをした。
その様子がおかしくて、司はくすっと吹き出してしまった。
それに対して女子生徒は何が嬉しかったのかぐっとガッツポーズをする。隣で見ていた茶髪イケメンもつられてくっくっと笑った。その笑い方はやはり邪気がなく、人柄のよさがうかがえた。
最前列の二人はまたすぐに談笑に戻ってしまったが、司は嬉しさと安心感で胸の奥がじんわりと暖かくなるのを感じた。
このクラスなら上手くやっていけそうな気がする。彼らのような気のいいやつらと一緒なら、これからの高校生活もきっといいものになるに違いない。
この時の司は、そう信じて疑わなかった。
入学式は速やかに終わり――長話が定番の校長先生の言葉はよく要点がまとめられながら冗談も交えた軽快な喋りだった――司たちは各教室に移動して軽い説明を受ける。
それも午後を回る前には終了して、配布物が届くまでの間、しばらく教室で待機することになった。
自由な時間ができると早速生徒たちの間で顔合わせが始まり、すでに席の近い者同士でいくつかのグループになって談笑を始めていた。
こういう時、コミュニケーション能力の高い人やその周囲の席に座っている生徒にとってはとても楽しくて有意義な時間となる。
あまり自分から話しかけるタイプでない司も、小中学生の時は毎回近くの席に気のいいお喋りなやつが一人はいて、入学式やクラス替えの時も退屈せずに済んだ。そして、そのうちの何人かは今でも交流があるような友人になっていた。
だが一方、自分から話しかけるのが苦手な目立たないタイプで、かつ周囲に絡んでくる人がいなかった場合は、少し気まずい時間になったりもするらしい。
そういう思いをするのは、できるだけ少ない方がいい。ならば、待っているよりも話しかける側になった方がいいというものではないだろうか。
司はなんとなくそんなことを決心しながら席を立った。隣の席には眼鏡をかけた温厚そうな男子生徒が一人、手持ち無沙汰に配布されたプリントを眺めていた。
名前は確か――。
「
出席の時に香山と呼ばれていた男子に声をかけてみる。彼の使う筆箱――プラスチック製のしっかりした作りのペンケース――にも名前が書かれているから、間違いはないだろう。
香山は声をかけられたことに驚いた様子で、はっと慌てて振り返って司と目を合わせた。
「あ、うん。え、えっと君は……」
「黒河だよ。黒河司」
名乗りつつ、当たり障りのない会話を続ける。
「席、隣だな。これからよろしく頼むよ」
司がそう続けると、香山の表情も少し明るくなった。
「そうだね。隣だね」
香山は視線を降ろして安堵したようにほっと息を吐くと、改めて司の方に目を向ける。
「僕は
「おう」
香山は微笑みを浮かべた。この学年の男子にしてはやや幼い雰囲気で、どちらかというと可愛いと形容されそうな外見だ。
身につけているものは兎のキーホルダーにアライグマの描かれた筆箱など動物のものが多く、そのふんわりとした外見とよく似合っている気がした。
筆箱に描かれている絵はキャラクター調というよりは若干リアルよりだった。本当に動物が好きなのだろう。
とくに話題があるわけでもないので、司はそこを掘り下げてみることにした。
「香山は動物が好きなのか?」
「うん。中学の時も飼育委員だったから。黒河くんのほうも、お魚とかが好きだったりするの?」
「お。分かる? 俺、アクアのことだったら3時間は語れるぜ」
香山も司の身につけているものから趣味を予想していたようで、司は少し気恥ずかしい気持ちになった。
アクアとはアクアリウム、つまり水槽のことで、ある程度そのあたりの知識があるやつにしか通じない言い回しだった。だがこの香山少年だったら十分に通じる言い回しだろうと、司はこの言葉を選んだ。
そして、その勘は正しかったらしい。香山は楽しそうな表情を浮かべて、司の持ち出した話題に食いついてきてくれた。
「じゃあ黒河くんの家には水槽があるんだね。いいなー。僕の家は水槽もペットもダメだから羨ましいよ」
「よかったら今度うちに来ないか? なんというか……いろいろ見せたいしさ」
「え、いいの? 楽しみだなぁ」
気がつくと、二人とも笑顔で話していた。
今まで友人に
それに香山の穏やかな声色は心地よく、聞いている者を安心させる。
会話はそのまま熱帯魚から釣りの話へと移り、おおかた司が話しているのを香山が聞く形になった。
普段、司はそれほど自分から話す方ではない。だが、今回に限ってはつい勢い込んで語ってしまった。
香山は常に楽しげに微笑みながら相槌を打ち、たまに自分から話を広げてみせたりもする。実に聞き上手だったのだ。
しばらく香山と話し込んでいた司だったが、新たに二人の男子生徒が近づいてきたのに気づいてそちらに顔を向けた。
「よっ。さっき列に並んでいるとき、目があったよな」
一人は入学式で出会った茶髪の男子だった。背が高く、端正な顔立ちに人懐っこい笑みを浮かべている。絵に描いたようなイケメンだった。
「俺は荒木。
荒木と名乗った彼は、もう一人の男子生徒を手品師のような優雅な――というよりオーバーな仕草で示した。彼なりのユーモアなのだろう。
そんな荒木の様子に、もう一人は微妙な顔をする。そこそこの長さの黒髪に、気が強そうでも弱そうでもない普通の顔立ち……なんというか、こういうのは主人公顔というのだろうか。そんな平均的な男子生徒がやれやれと肩をすくめながら応じる。
「
それを見た荒木が、斉藤玲二と名乗った男子と肩を組みながらにっと笑う。
「マブダチ」
「やめろよ気持ち悪い」
人差し指で自分と斉藤のことを交互に指をさす荒木を、斉藤は肘で押し返しながら答える。
だが斉藤もまんざらでもなさそうな表情をしているのが妙におかしくて、司と香山は顔を見合わせて吹き出した。
じゃれあっている荒木と斉藤の二人に対し、司と香山もそれぞれ自己紹介をした。
すると、荒木はうなずいて――
「創一に、司ね。ヨロシク。仲良くしようぜ」
荒木は"しようぜ"の部分をちょっとオーバーにかっこつけた言い方で、親指をぐっと立てながら言った。
おどけているつもりなのだろうが、本人の容姿が良すぎるせいか普通に格好良く見えてしまうのがなんとも言えず、司は苦笑した。
「おいおい、いきなり名前呼びかよ」
「だいじょぶだって。俺のことも大輔でいいからさ」
なにが大丈夫なのか分からないが、司の方も悪い気はしなかった。もともと堅苦しいのは苦手ではあるし、妙な距離感を計らなくていいのは実際のところ助かるというものだ。
「で、こいつも玲二でいいから」
「おい大輔。勝手に決めんなって」
「ええー。いいじゃん」
そんなふうに、二人はまたじゃれ始めた。気心が知れているのだろう。
まだこの学校では知り合いが少ない司としては、羨ましく思うし、できれば自分もそんなふうに香山や荒木たちと仲良くなれたらいいなと、ぼんやりと考えていた。
そうやって司が考えにふけっている時だった。
「どーん!」
今度は女子生徒が、そんな掛け声とともに司の机にバンと両手をついてきた。そしてそのまま、女子生徒はぐぐっと身を乗り出す。
近い。いきなり近い。しかもやたらと可愛い。
「と、突然なに?」
「お、美波ちゃん。どしたの?」
司が突然割り込んできた美少女にたじろいでいる間に、荒木――大輔が彼女に声をかけた。
聞くところによると大輔は、登校初日にしてすでにクラスの半数以上の生徒と絡んできたらしい。凄まじいコミュ力だ。
司は彼女に見覚えがあった。入学式の時、列の先頭で大輔と話していた女子生徒だ。
ショートカットにした亜麻色の髪は活発そうに見えるが、目元は穏やかで柔らかい印象を受ける。
彼女の立ち居振る舞いはどこか小動物的な魅力があった。その容姿の可憐さもあり、これが漫画だったら彼女の周囲にキラキラとしたエフェクトなんかが見えるんだろうな、などと司は思った。
「ね。司くんだよね。それと香山くん」
「あ、ああ……。そうだけど」
なんで自分が名前呼びで香山は苗字なのだろうか。司がそれについて尋ねてみると、
「ふへへー♪」
彼女は唇に指を当ててほんの一瞬考えるそぶりをしたあとに、にんまりと笑った。
――ふへへーという笑い方をする子に会ったのは初めてかもしれない。
「だって、司くんは司くんって感じで、香山くんは香山くんって感じだもん」
いったいどういう基準なのだろうか。隣に目をやると、それを聞いた大輔が楽しそうに目を輝かせていた。
「ね、美波ちゃん。俺とこいつは?」
「えっとね。荒木くんは荒木くんで……こっちはレイジ」
「こっちって。しかもなんで俺だけ呼び捨てなんだよ」
こっち呼ばわりされた斉藤――玲二が憮然と答える。だがどうしたわけか顔が少し赤くなっていた。
案外喜んでいるのではないか、と司は思った。文字に起こしたら、漢字の玲二ではなくカタカナでレイジになりそうだ。
「えー、俺のことは名前で呼んでくれないの?」
「うーん。じゃあ〜、大輔くん!」
「へへ。やりー」
そのやりとりに司は少しドキッとした。玲二と香山も顔を赤くしている。
だが当の荒木は涼しい顔をして会話を続けていた。さすがはイケメンというべきか。
しかしふと気になった司は、美波と呼ばれた女子生徒に疑問を投げかけてみる。
「なあ、俺と香山の名前をどうして知ってたんだ?」
彼女はきょとんとした顔をした。
「なんで? さっき先生が出席とってたでしょ」
「いやそうだけど……まさか、クラスみんなの名前覚えているとか?」
「もちろんだよ。忘れてないよー」
司は目眩を感じて天井を仰いだ。
「……まじかよ」
「うん。ちゃんと覚えてるんだから。えっと、荒木くんでしょ、飯田くんでしょ――」
「いやいや、全員分言わなくてもいいから!」
一回出欠をとったくらいでは、司でも顔と名前が一致するのはいいとこ半分程度だろう。一度話した相手ですら忘れてしまうこともままあるというのに、いったいどれほどの記憶力をしているのだろうか。
「……すごいな。
斉藤も感嘆の声を上げた。
「ね、司くん。あたしね、入学式で司くんと目があってから、なんかビビッと来ちゃって……。
後で絶対に声かけようって決めていたんだ♪」
「あ、あのさ藍原さん……そういう発言は誤解されるからやめたほうが……」
司の方へとぐいっと顔を近づけてくる藍原を、香山が困った表情でたしなめる。
――そう、なにせあまりにも彼女のインパクトは強烈だった。
ノリのいいイケメンの荒木大輔に、おとなしくて動物好きな香山創一、いろんな意味ですごい美少女の藍原美波、そして荒木の親友でツンデレ気質な斉藤玲二。
知り合ったばかりの彼らとの談笑は、その後も大いに盛り上がった。
だが、このクラスにいるとある人物のことが気にかかっていた司は、どこかキリのいいところで会話を切り上げて、その生徒に声をかけてみようと考えていた。
そうやって司がタイミングを見計らっていると、二人の女子生徒が近づいてきて美波に声をかけた。
「ちょっとぉ美波。いつまで喋ってんのよ。ほら約束のあれ、もうできてるよ」
二人のうちの片方は気が強そうで、もうひとりは逆に大人しそうに見える女子生徒だった。声をかけたのは、気の強そうなほうだ。
藍原はきょとんとした顔をした。
「……およ?」
およって……。
司は心の中でツッコミを入れた。
「『およ?』って……。いいけど。アンタ、さっきの約束もう忘れちゃったの?」
「えっと。あー、そっか」
人の名前は完璧に覚えているくせ、なぜ彼女たちとの約束とやらは忘れているのだろうか。
藍原美波という少女の謎は深まるばかりだった。
藍原はえへへと苦笑いしながら二人の女子生徒に頭を下げると、くるりと軽やかにスカートを揺らしながら司の方へと振り返った。
「そーいうわけだから……じゃあ、またね♪」
「ああ。またな、美波」
手を振る藍原に対して、にっと笑いながら司は答えた。荒木に習って名前の方で呼んでみたが、おそらく彼女なら気にすることはないだろう。
――などと思ったのだが、意外にも藍原は目を丸くし、驚いた様子で司のことをまじまじと見ていた。
「ん、どうかした?」
「や、な、なんでもないよ。またね司くんっ!」
慌ててかぶりを振る藍原。気を使わせてしまったのだろうか。やはりいきなり名前呼びはよくなかったか、と司は反省した。
すると、それを見ていた荒木がくくっと喉で笑った。
「しょーがねーなー。あ、リナちゃんとキョウコちゃんも、またね」
荒木が必殺のイケメンスマイルで藍原を迎えに来た二人の女子に手を振ると、彼女たちはうっとりとした表情で顔を見合わせながら手を振り返した。
さすがはイケメンだ。――こう思ったのも本日何度目だろうか。
そうして藍原美波は二人の女子と一緒に自分の席へと戻っていった。
ちょうどいいタイミングなので、司もここでいったん切り上げることにした。
「悪い。俺もちょっと……」
「なんだよー。司もかよー」
荒木はわざとらしく唇を尖らせて不満を口にするが、すぐに笑顔に戻って爽やかに手を振った。
そのまま席を離れようとする司に、香山が声をかけた。
「あの、黒河くん……」
「ん?」
香山は少し口ごもった後に言う。
「えっと。話しかけてくれてありがとね」
「……! おう!」
香山、なんと謙虚でいいやつなんだろうか。
司は少し心打たれながら、先ほどから気になっていたことを確かめるために、とある女子生徒の席の前へと移動した。
彼女の机の前に立つと、口の中が乾いていくのを感じた。
司はごくりと唾を飲んでから、意を決して声をかけた。
「……なあ。あんた」
配布された教科書を目を通していた女子生徒は、司の声に気付いて顔を上げた。その動きに合わせて長い黒髪が揺れる。
司のことを上目遣いに見上げながら、彼女は端正な眉をぐっと寄せて疑問の目を向けてきた。
その視線の強さに司は少し気圧されてしまったが、黙っているわけにもいかず、言葉を続けた。
「なあ、あんた――確か今朝、石碑の前にいたよな?」
司は少し低めの声音で尋ねた。
すると、彼女の目が刃物のようにすっと細くなった。
「……私に、なにかご用でしょうか?」
肯定するでも否定するでもなく、その女子生徒は答えた。
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