17話 夏休みの始まり、始まりⅠ

 夏休みが始まった。

 一生の中で、子供の時にだけ味わえる特別な日々。

 大人になってから楽しかったと、懐かしむ事の出来る尊くもあり儚くもあるそんな日々……とは言ってもボク自身、大人になる前に死んだから今は絶賛、楽しい思い出作りに勤しんでいる。


「おーいアルベール!すっげー冷たいぞ!」

「うん、だけどボクはここで涼んでるよ!」

「ちょっと男子!遊ぶんなら魚をこっちに追い込んでよ!」

「そういう女子も一緒に川に入れよ!冷たくて気持ちいぜ!」

「って!おい馬鹿そっちすげー深くなってるから行くなよ」


 基礎学校時代のクラスメイトの男子達は釣竿を片手に噂の川の主を釣り上げてやると意気込んだり、普通に魚を釣ろうと川上から川下へ魚を追い立てたり、女子も女子で一緒に追い立てる者や川岸で釣り糸を垂らして静かに待っていたり、皆思い思いに楽しんでいる。

 ボクは川岸で水面に足を浸して涼みながら、昼食と夕食に使う食材を確保しようと静かに魚との真剣勝負に落ち込んでいる最中だ。


 シャトノワ領に戻って二日、ボクはリヨンに程近い石橋の掛かった大きな怪魚が棲むと噂の川で釣りをしている。

 まさに夏休み!という時間を過ごしているのだけれど本当はボクに遊んでいる暇は無かったりする。

 それは旦那様に一週間の王都への出が言い渡されたからだ。


 とても急な事だったけどここは全員歴戦のメイドと執事だから滞りなく準備を整えて、出張にはロバートさんとお母さんが同伴して、昨日旦那様は王都へと向かった。

 だけどもそうなるとただでさえ、ジュラ公爵から依頼されて始めた職業訓練で人員を割かれている中で、お母さんとロバートさんが不在となるとお屋敷の維持管理をする人手が不足して掃除や洗濯が間に合わなくなってしまう。

 だから本当ならボクはお屋敷にいないといけいのだけれど、アグネスさんから『子供は遊ぶのも仕事』と言い渡され、断る予定だった今日の川主捕獲大作戦に参加する事が出来た。

 皆が忙しくしている中で自分だけ遊ぶのは少し罪悪感があるけれど、川の流れに足を浮かべて涼みながらの釣り、とても風情があって何かこう…夜中にこっそりとお菓子をつまみ食いをしている様でちょっと楽しい。


「ねえアルベール君、メルの姿が見えないけど…どうしたの?」

「ええと、メルはシャーリーさんの、奥様のお仕事を手伝いたいってお屋敷に残ってるんだ」

「そう……」


 メルと久しぶりに会えると思っていたレティシアさんはボクの返答を聞くと、とても残念そうな表情を浮かべて釣り竿を握り直して糸を水面に垂らし、遠い目をしながら溜息をついた。

 今メルはシャーリーさんのお手伝いをしている。

 お母さんがいないと言う事はシャーリーさんの専属のメイドがいないと言う事だから、事務処理と言った仕事を専門に手伝える人がいなくて、そこでメルは後学の為と親孝行の為にシャーリーさんのお仕事を手伝っているのだ。

 それと何やら夏休み明けからとても動く予定らしくて、その事前の打ち合わせをシャーリーさんとする必要があるから、でもある。


「アルベール君とメルは…恋人同士とかじゃないんだよね?」

「うん、何度も言っているけれどそういう感情は抱いてない、とても大切な人だけれどそれは兄が妹へ向ける感情と一緒、だからレティシアさんが思う様な関係じゃないよ」


 と、何度も説明しているのだけれどレティシアさんはボクが同性だという事を知らないから、主従とは言え常に行動を共にする男女という世間一般的なボクとメルの関係に疑いの目線を送って来る。

 本当にそういった感情は抱いていないのに……確かにメルは美少女でボクが男のままだったら、と思う事はあるけれどだったらの話で実際にそういった感情は抱いたりしないのだ。

 隣に座って物憂げに釣竿を握るレティシアにそういった感情は抱いていないと何度も説明して来たけど、今も信じてもらえず逆にボクを観察して、どうやったらメルに振り向いてもらえるか研究する有様で……メルの異性に対する好みは旦那様のような人。

 優しく包容力があって、辛い時や苦しい時は必ず傍で寄り添ってくれる、つまりボクを観察するよりも旦那様を観察して参考にした方が良いとも言っているのだけれど、今もレティシアさんはボクをライバルだと思い込んでいる。


 とはいえメルが関係しない限りレティシアさんはボクに対して普通に友人として接してくれる、それはたぶん根っこの部分がとても優しく孤児院の頼れるお姉さんだからなのかもしれない。

 そう結論付けてボクとレティシアさんは木陰で水面に足を付けながら釣りを続ける。


 この辺りはニジマスと信じられない位の大きさを誇る川の主がいるらしい。

 近くにかかる石橋から稀に見えると噂されていて、見たという人は何人もいるけど実際に釣ったという人は誰もいない。良くある見間違いとかそういう類の話だとボクは思うけど男子は基本的に信じていて今日も川の主を捕まえてやると張り切っている。


 ボクは普通に昼食や夕食の食材を手に入れる為に釣りをしているけれど。

 もしも沢山釣れたら何を作ろう?

 甘辛く炊いてニジマスの甘露煮、それともシンプルに香草でムニエル、もしくは塩釜焼と言うのもありかもしれない。

 よし、その為にも張り切って釣らないと!

 

 と、思っていたのが30分ほど前。

 全然、一匹も仕掛けにかからない。

 場所が悪いのかな?それとも投げ入れる場所かな?

 だけど……隣のレティシアさんは次々と釣り上げているから純粋に腕の差だよねこれ!

 これが経験の差というものなのだろうか?

 レティシアさんは幼い頃から山に入っては山菜を取り、川に行っては魚を捕まえて孤児院を支えて来た、見た目に反して熟練のサバイバーだからコツを熟知しているのかもしれない。


 ならボクは素人のやり方だけど下手の鉄砲数撃てば当たる戦法で、片っ端から魚がいそうな場所を目掛けて投げ入れるだけだ!

 確か奥の方がとても深くなっているらしいから、もしかしたらその辺りに大物がいるかもしれない。

 

 ボクは立ち上がって川の深くなり始めている辺りまで行って餌を付けた釣り針を投げ入れる。

 ポチャンと言う音を立ててゆっくりと釣り針は沈んで行く。

 さあここからが勝負だ。

 機会を伺う忍耐力と好機を逃さない瞬発力が物を言う勝負だ。

 ボクと魚との真剣勝負。


「アルベール君、そこから先は急に深くなるから気を付けてね!」

「うん!ありがとうレティシアさん!」


 投げ入れて数分、手応えは無い。

 それから10分位粘ったけど……駄目だ、まるで反応が無い。

 ここはレティシアさんにコツを教えてもら……ん?

 何だろう、急に竿がしなり始めた。

 流れのはや――――


「ふえ!?」

「アルベール君!?」


 あ、あ、あ、危なかった!

 すぐに強く握り直して腰を低く踏ん張らなかったら、竿を持っていかれる所だった!

 それにこの引きの強さ…ニジマスじゃない!

 それに何か水面に映る影の大きさが普通じゃない、もしかして噂の川の主?

 本当にいたんだ!


「おーい!すげーぞ、アルベールの竿に川の主が掛かったぞ!」

「大丈夫なのかな?皆で手伝った方がいいんじゃない?」


 凄い、この引っ張る強さが尋常じゃない。

 さっきから踏ん張っているのに、川底を強く踏みしめているのに引き摺れる!

 ズルズルとどんどん引っ張られて、何より竿が!!


「やべーぞあれ!皆集まれ!!」

「待っててアルベール君!すぐに行くから!」


 皆の声が聞こえるけど…駄目だ、少しでも集中を乱したら力負けする。

 魔力はもう既に全開。

 全身を強化して腰を低く、後にのけ反りながら耐えているけど……もう腰まで浸かってしまっていて、このままだと一番深い所まで引っ張られる!

 何より竿がさっきからメキメキと嫌な音を立ててる。

 折れる寸前だ!


「アルベール君!竿を離して!そこから先はもう!」

「まだまだ!!」

「駄目だ、夢中になって聞こえてない!皆急げ!!」


 バキ。

 簡潔な音を立てて竿は見事に折れてしまった。

 こうなったらもう……何ていかない!

 ボクは折れた竿の先が水の中に引っ張り込まれるよりも速く、両手に魔力を集中して釣り糸を掴み一本背負いの要領で、カツオの一本釣りのように川の主の一本釣りだ!!


「ふえ」

「「「アルベール!!」」」

 

 と、行けたらカッコよかったのだけど魔力を手に集中した所為で下半身に力が入らずあっさりと力負けして、ボクは水中へと引っ張り込まれてしまった。

 それはもう綺麗に宙を舞ってからのボチャンと大きな水音を立てて、釣り糸を離すのが少し遅かったから川底近くまで引っ張れてしまった、なのに何でこんなに落ち着いているかと言うと普段から、不測の事態が起こってもパニックに陥らないように訓練しているからだ。

 だけど本当に深い。


 どれくらい深いかと言うと目の前にいるボクを一飲みにしそうな、大きな川の主が窮屈そうにせずに悠然と泳げるくらいだ。

 本当に大きい。

 大きさは3メートルを優に超えていて、見た目は…イワナに似ている。

 だけど大きさや見た目よりもずっと、ボクの目を釘付けにするのはその美しさだ。


 とても綺麗なのだ。

 エメラルドを思わせる鮮やかな青がかった緑色の鱗は木漏れ日のように差し込む陽の光を反射して、水の中で煌めき幻想的な光景を作り出している。

 早く呼吸をしに水面に出ないといけないのに、襲われる前に逃げないといけないのに、ボクは目の前の光景から視線を逸らせずにいた。


 川の主もジーっとボクを見るだけで特に何もせず、一分にも満たないだけどとても長く感じられる時間、ボクと川の主は見つめ合いそして川の主はすっと興味を失ったかのように勢いよく泳ぎ去って行った。


 一人取り残されたボクはアクアリウムの中に迷い込んだような余韻を感じている

 どことなく、あの時と同じ気持ちだ。

 アレックスと一緒に上ったラフタ灯台の展望台から見た世界の景色。

 小さな部屋の中の世界、壁の中の世界、この世界に生まれ変わって来てから見て来た世界はこの広い世界のごく一部にすぎないと知ったあの時と似たような、とても不思議な気持ちだ。


 だけどそろそろ限界だ!

 息が!?息が!

 このままだと溺れてしまう!

 それに皆も心配している筈だ、助けようとここまで飛び込んで来たら一大事だ。

 早く水面に上がらないと!!

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