13話 新しい日々の幕開けⅢ【落花生、南京豆、ピーナッツ】

 一気に大所帯になりましたヴィクトワール邸。

 まずは何時もと変わらず元淑女の酒宴の面々とヴィクトワール一家、そこにマルクさんを中心とした醸造家さん達とその家族合わせて20数名、物置代わりに使われていた空き部屋はあっと言う間に全てが埋まり大忙しだ。


 まず男性陣は基本的に醸造所とクインス園の管理。

 醸造家さんの奥さん達もクインス園での作業が中心、つまりボク達メイドは彼等のお世話も受け持つ事になり、常に走り回っている。

 とても忙しいけど、良い意味でヴィクトワール邸は活気に満ち溢れていた。


「マリア、昼食の準備は出来たかい?」

「はい、しっかりと出来ています」

「それじゃあ、ベティーと一緒に配達さね」


 厨房にはいくつものバスケットが並べられていて、中身はサンドイッチ。

 醸造所と果樹園で働いている人達のお弁当だ。

 他にもお茶や副菜なども一緒にバスケットの中に入っている。


 人数が多いだけあってバスケットの量も多い、だからボクとお母さんだけで運ぶなら何往復もしないといけないど、その心配はご無用なのだ。

 まだ職人の手仕事が中心で現代日本のように一万円以下とはいかず、まだまだ高級品だけどこの世界に自転車ありました!そしてリヤカーもありました。

 自転車にリヤカーを固定しただけの簡素な作りだけど、厨房に置いてあるバスケットを全て載せられる上に、職人の手仕事だけあって作りは頑丈で、車が出ている時には買い出しの足として重宝している。


「準備できたマリア?」

「はい―――てっ!なんでメルまで?」

「簡単な事ですわ、ヴィクトワール家の令嬢として日々汗を流して働いてくださっている方達を労うのは、わたくしの務め。ですので姉様と一緒に行くのですわ」


 理論的には間違っていないけど、昨日も一緒に行った筈なんだけど…まあ、本人がそうしたいと言うのなら、止める理由はない。

 ボクはそう結論付けて、颯爽と自転車に跨り……はい、無理です。

 足がペダルに届きません。

 ただの見栄っ張りです。

 だって!8歳になったのに身長が殆ど伸びていないのだ!たったの数ミリだよ?何でさ!


 そしてメルは順調に大きなって行っていて、このままだとボクは頭一つ分以上の差をメルにつけられてしまう。その危機感から牛乳を飲む量を増やしたりしてはいるけど……。


「二人共、ちゃんと乗った?」

「はい」

「何時でも良いですわ」

「それじゃあ行くわよ」


 自転車に跨ったお母さんはリヤカーに乗るボクとメルに、ちゃんと乗ったか確認すると勢いよくペダルを踏んで自転車を漕ぎ始める。

 子供二人と大量のバスケット。


 普通なら漕ぐのは一苦労だけど、お母さんは内向魔法も得意としているから、少し長めの坂道も楽々と登って行く。だからと言ってボクは目的地までただ乗っている訳じゃない、舗装された道の多いソルフィア王国だからと言って全ての道が舗装されている訳じゃない。領都の近隣とは言え、この近辺は未舗装の道がまだまだ多い。

 揺れてバスケットがひっくり返らない様に押さえるのもボクとメルの大切な仕事だ、あと途中で急な坂道があるから、そこではさすがのお母さんも漕いで登る事は出来ないからリヤカーから降りて一緒に押して上がる。


 坂道を登り切ると、クインス園を囲う背の高い石垣が視界に入り、近くには醸造所と修繕工事中の宿舎が見えた。

 自転車を石垣の横に止め、大量のバスケットの一部を抱えて石垣の中に入ると、そこには一面のクインスが実る木々、何度も見ているけど本当にクインスは不可思議な果物だ。


 果実はリンゴっぽいのに木はブドウに似ていて、日本のブドウ園でよく見るブドウ棚によく似た光景が目の前に広がっている。頭上にはまだ熟していない、光沢の無い黄色のクインスから、熟して木漏れ日に煌めく黄金色のクインスまでとても幻想的だ。


「おーい!こっちだこっち!」


 バスケットを抱えて歩いていると、手作りの椅子やテーブルを乱雑に置いた簡易の休憩所に人が集まっていて、杜氏のマルクさんがボク達に気付いて手を振る。どうやら醸造所の方も休憩時間みたいだ。


「お待たせしました、今日はマリア…じゃなかったアルベール特製のバケットサンドです」

「この辺りまで入ってくれば、外まで声は届かないよ、気にせず呼んでやんな」


 うっかりボクを外でマリアと呼んでしまったお母さんはしまった!という表情になったけど、マルクさんの奥さんで女性達のリーダーであるシャンタルさんが、お母さんにそう言ってバスケットを受け取る。


「それと今日も来たのかい?熱心な令嬢だね」

「ええ、お父様とお母様が気兼ねなく動けるよう、何事でも補佐するのが令嬢の、淑女の勤めですわ。それにベティーさんと姉様だけでは量が多過ぎます」


 メルはそう言いながら、不慣れな動きでバスケットから紅茶の入った魔法瓶や樹石で出来たティーカップを取り出して並べて行く。


「ほらほら男共!か弱い女の子ばかり働かせるんじゃないよ、残りのバスケットを取って来な」

「おいおいシャンタル、俺達だって疲れてんだぜ?労ってくれよ」

「何言ってるんだい、あたしやアンタが汚した服を誰が毎日洗ってくれてるんだい?手伝える事があるんあら手伝うってのが人情だろ?」

「はいはい、行くぞ」

「はいは一回でいい!」

「はい!…たく、口煩いのにも程があるぜ…」

「何か言ったかい?」


 シャンタルさんにお尻を叩かれながら、マルクさんは残りのバスケットを取りに行く。

 さて、その間に準備を終わらせますか。

 今日ボクが作ったバケットサンドはシンプルにハムやベーコン、レタスとピクルス、それにチーズと言う鉄板の組み合わせだ。ただし、ここから先は以前から挑戦を繰り返してようやく再現したドレッシングが使われている。


「こりゃあ美味い!何だこの不思議なソースは?」

「ソースと言うより、ドレッシングだね。酸味はビネガーと…確かトマトケチャップだったかい?あれと、それ以外は…分からないね」


 そう、再現に成功しましたサウザンドアイランドドレッシング!

 紆余曲折を経て、何よりボクだけが知っている味と言う訳じゃなかったから、皆の協力もあって、あの濃厚でサラダだけでなく色んな料理に合うドレッシングが完成したのだ!

 材料はマヨネーズ、トマトケチャップ、ボク特製ウスターソース、ビネガー、レモン果汁や塩・胡椒、それとピクルスなどを混ぜ合わせて完成。


「何にしろだ、シャンタルが作る飯より旨いってのは確かだな!」


 さっきまでの穏やかな昼食の空気は、マルクさんの失言で一瞬の内に凍り付いてしまった。ただ一人だけ自分に差し迫る危険に気付かず、マルクさんの笑い声だけがクインス園に響く。

 マルクさん!後ろ!後ろ!


「ああ?何でぇ俺の後ろを……」


 振り向いたマルクさんは後ろで般若のような表情になった、自分の奥さんを見て一気に血の気が引いて行く。気のせいかもしれないけど、ボクの方まで血の気が引いて行く音が聞こえた。


「へえぇ…結婚する時に、毎日でもあたしの料理を食べたいと言っていたのは、嘘だったのかい?ねえ、マルク」

「あ…いや…その…ジュール!助けてくれ!」

「すんません、お代わりもらってもいいっすか?」

「ジュール!」


 助けを求められたジュールさんは即座にお代わりを求めてマルクさんを無視、他の醸造家さん達も触らぬ神に祟りなしと、マルクさんを無視してバケットサンドを口いっぱいに頬張る。


「薄情者!痛っ!?」

「マルク!ちょっとこっちに来な!話し合いだよ!」


 マルクさんの耳を引っ張りながらシャンタルさんはクインス園の奥へと消えていった、前にも同じ様な失言をしてシャンタルさんを怒らせたのに、マルクさんは懲りないな……とボクは呆れるているけど、周りの人達は特に気にする素振りを見せない。

 たぶん以前から何かと失言しては、シャンタルさんを怒らせてどこへ連行されるのが日常なんだと思う。

 

「おやつの時間になりましたら、また来ますのでバスケットはその時に」


 お母さんは醸造家さん達にそう言って自転車の方へと戻って行く。

 ボクはメルが転ばない様に手を繋いで、お母さんの後ろを歩く。


 旦那様とシャーリーさんに自分の本音を打ち明けてから、メルは本当に明るく可愛らしくなった。

 以前の苦悩から眉間にしわの寄っていた頃と違う、今の無邪気な笑顔が、その黄色の濃い金髪が合わさり夏の日差し中で爛々らんらんと咲き誇る向日葵の様な姿が本来のメルなんだと、こうやって手を繋いで歩いているとそう実感する。

 とても愛おしい。


「姉様?何でそんなに嬉しそうにしているんですの?」

「ん?それは秘密」

「変な姉様」

「二人共、早く乗ってね」

「「はい」」

「ちょっと待っとくれ!」


 振り向くとシャンタルさんが何かを抱えて駆け足でこっちに来ていた。


「マルクを締め上げて忘れる所だったよ、ジュールの実家から届いた物のお裾分けだ」


 手渡された物は入念に新聞紙で包んであった、だけど持った感じはそこまで重くなく、何かを束ねて新聞紙で包んだけみたいだ。中身は一体何だろう?

 新聞紙を少し開けて中身を見るとそこには殻に入ったあれが入っていた。


「あらピーナッツ」

「ああ、ジュールの実家は特産のピーナッツを育てる農家でね。乾燥生ピーナッツを何かと送ってくれるんだ、ただ量が量だけにあたしらだけじゃあ食べ切れなくってね」

「ありがとうございますます、シャンタルさん。それじゃあ帰ったら水で戻して塩ゆでかしら?」

「煎るか揚げるかして食べるのも良いね」

「和え物から料理のソース、サラダにも後は…ピーナッツバターですね」


 日本料理とかでもピーナッツ、つまり落花生をよく使う。

 味や食感が良いアクセントになるから、荒く砕いたり細かく磨り潰したり、ペーストにしたりして幅広い料理に使われているのだ、マコロンとか美味しいしね…あれ?何でシャンタルさんは不思議そうな顔でボクを見ているんだろう。


「何だいその…ピーナッツバターて言うのは?ペーストにしたピーナッツをバターにでも混ぜのかい?」

「いえ、ペースト状にしたピーナッツに油や塩、砂糖を混ぜて作る物ですよ」

「……」


 おや?もしかしてこの世界にはまだ、ピーナッツバターが存在していないのかもしれない、ボクの説明を聞いても三人は不思議そうな顔でボクを見ている。

 うん、これは失言をしてしまった。

 間違いなく、ソルフィア王国にはピーナッツバターは存在していない。

 だけど言ってしまったのは仕方が無いから、実際に作って見せるしかない。

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