9話 そして少女は愛を知るⅤ【メルセデスの叫び】

 わたくしはあの女の生き写し。

 ええ、そう、このお父様譲りのこの髪以外は殆どあの女と同じですわ。


 今でも目を瞑ればあの女の憎しみに満ちた目、かつてヴィクトワール家に仕えていた方達のさげすむ目、私に向けられる多くの嘲笑う目、それは眠る度に私の心を少しずつ軋ませて。

 今では悪夢を見る。

 その目を確かに私に愛情を注いでくださる人達が向けて来る夢。

 それ以上に囁かれる噂が私を苦しめる。

 わたくしはお父様の子ではなく、あの男、不倫相手の祖父であるシャルルの子であると。

 お父様はずっとシャーロットさんを愛していた、あの女がお父様の目を盗んで私に暴力を振るう度に言っていた言葉。


『エルネストは、今でもシャーロットを、あの尻の青い小娘を愛している!』


 シャーロットさんへの嫉妬と、自分の物にならないお父様への苛立ち、それを癒す為にあの女はわたくしの子育てを言い訳にシャトノワ領に移住して、祖父と不倫を続けヴィクトワール家の財産を食い潰し、そしてシャトノワ領の品位を地の底へ落とした。

 怖い。


 わたくしだって分かっていますわ。

 所詮、ただの面白半分と腹いせで広められた噂でしか無い事は……。

 でももし、お父様は噂を信じていたら?もしも、あの女の生き写しである私を見る度にあの女の事を思い出して、不快な思いをしていたら?噂の通り、私が生まれた所為でお父様が苦しんでいるなら?


 不安ばかりが募って、それを否定する為に完璧な、誰もが理想とする姿を目指して私は今まで必死になっていた。

 だけど、お父様は愛していたシャーロットさんと結婚してから、表情が明るくなられた。

 シャーロットさんと一緒に居る時のお父様はとても、朗らかで幸せに満ちている。

 何時も辛そうにしていたお父様の明るい表情が、嬉しくて、でも苦しくて。

 何時からか私自身が不純物に思えて来て。


 お父様とシャーロットさんの間に私は不要に思えて来て、それでもシャーロットさんは私に愛情を注いでくださる。

 それが私には怖い。

 もしもその愛情が、あの時、私を蔑んだ目で睨みつけて来たかつての使用人達と同じ、見せかけの愛情かもしれないと、そう思えて、受け入れるのが怖い。

 だけど何より……。


「その愛情をいやらしく疑う、私自身が何よりも嫌いですわ!」

「メルセデスお嬢様……」

「ええ、ええ、ええ!こんなに、こんなに疑って苦しむくらいなら生まれて来なければ良かった。私に愛情を注いでくださるお父様を疑う私が嫌い!憎い女の娘なのに、それでも私を受けれて娘と呼んで愛してくださるシャーロットさんを、お母様と呼べない私が嫌い!」

「……」


 死にたい。

 消え去りたい。


 自分を厳しく律して、あの女のようになるまいと足掻けば足掻く程、私はあの女のように疑い深く、いやらしく、醜い女になって行く気がしますわ。

 今も優しく私を見るマリアさんに私は嫉妬していますわ。

 優しく温かい母親を持ち、愛情に包まれて、それを素直に受け入れられるマリアさんに私は嫉妬している。今は以前よりも癒えて目立たなくなっていても、酷い火傷の跡があっても堂々とするマリアさんの強さに私は嫉妬している。

 私は逃げた。


 基礎学校で向けられた嘲笑う視線に耐えられなくて逃げ出した。

 だから奇異な目を向けれても堂々としているマリアさんが羨ましくて、私は嫉妬していますわ。

 マリアさんの過去を何も知らない癖に、一方的に……。


 ああ、駄目。

 ずっと抑えて来ていたのに、感情が溢れ出して来る。

 お願い止まって、マリアさんに私の醜い感情を見せたくありませんわ。


「私はあの女に生き写しですわ、シャーロットさんからお父様を寝取ったあの醜い女に!私は私が大嫌い、この体にあの女の血が流れていると思うだけで虫唾が走りますわ!今すぐ血を一滴残らず抜き取りたいくらいに!」


 ああ、駄目。

 止まって。

 きっとマリアさんには私が醜く映っていますわ。

 あの女と同じように……。


「やっと、メルセデスお嬢様の心に触れられました」

「何を……」


 言っていますの。

 いえ、何でそんなに優しい目をされていますの?

 何で私の感じる痛みを、自分の事のように受け止める目をされていますの?


「え!マリアさん?」

「大丈夫ですよメルセデスお嬢様。貴女に向けられている愛に嘘偽りはない、全てが本物で旦那様もシャーリーさんも、メルセデスお嬢様がいないと幸せになれない」


 そう言ってマリアさんは私を抱きしめる。

 優しく、力強く、温かく、慈しむように。


「怖かったですよね、大好きな人に嫌われてしまう事が、大好きな人の幸せに自分が必要ないかもしれないって…ずっと怖かったですよね」

「……」


 何でこの方は、何でこの方は、私の痛みをここまで深く理解されているの?


「何より、大好きな人を疑ってしまう自分が許せなくて…大丈夫ですよメルセデスお嬢様、貴女は二人の幸せに不可欠です」

「マリアさん……」


 駄目、駄目、あふれて来そう。

 今までずっと抑え込んでいた物が、あふれて来そう。


「泣いて良いんです、泣かないと駄目です、溜め込み過ぎるといつか破裂して心を歪ませる。そうなるくらいなら思いっきり泣いてください、大丈夫、ボクがいます」

「う…ひく……」


 嗚咽おえつが聞こえて来て、最初は誰の?と私は疑問に思って、頬をつたって落ちる雫に気付きそこから何か堰が崩れて、視界が潤んで涙が私の意志を反して次々と溢れ出て来る。


 私は泣いていた。

 ああ、泣くなんて久しぶりですわ。

 そう、確か王都で暮らしていた時以来ですわ。

 坂道でこけて膝を擦り剝いて、痛くて泣いて、そんな私に駆け寄ったお父様は心配して私を抱えて診療所まで走ってくださった。

 あの時以来ですわ。

 赤子のように泣きじゃくる私をマリアさんは優しく抱きしめながら、温かい手で頭を撫でてくれる。

 あの時、こんな風にお父様は、優しく私の頭を撫でてくださった。 



♦♦♦♦



醜態しゅうたいを…さらしてしまいましたわ……」

「気にしないでくださいメルセデスお嬢様、泣くようにいったのはボクなんですから」


 最後の方では、私…マリアさんに抱き着いて泣いていましたわ。

 メイド服が私の涙と鼻水でベトベトなのに、マリアさんは今も私の頭を撫でてくださっていますわ。


 本当に!この方は、何でここまでお優しいのでしょう?

 まるで私を妹のように…いえ、マリアさんは私と同い年ですわ。

 生まれるのはマリアさんの方が私より早かったみたいですが…つまり姉の…いいえ!いくらここまで甘えさせてくださった相手だからとはいえ、一方的に姉と慕うなど、何より血は繋がっていませんし……あ、そう言えばシャーロットさんはベアトリーチェさんをお姉様と呼んで慕っていましたわ。


「メルセデスお嬢様」

「ふぁふぁい!」


 こっ声が上ずってしまいましたわ!

 へ、変に思われていないでしょうか?


「心の整理は付きましたか?」

「え…ええ……」


 何と言いますか、心の中に溜まっていた淀みが消えたとは言えませんが、以前よりも少なくなって心が軽く感じますし、息苦しさも、胸を締め付ける痛みも、消えていますわ。

 体がとても軽い。


「良かった。なら次は旦那様とシャーリーさんにメルセデスお嬢様も思いをぶつけましょう」

「へ?えええ!?」


 なななな何を言ってますの!お父様とシャーロットさんに、私の思いをぶつけるなんて…絶対に嫌われてしまいますわ。

 それに何を言ったらいいか…何を言えばいいのか。


「ボクに言った事と同じ事を言えばいいんです。取り繕わず、ありのままを」

「で、ですが、何も伝えなくても…私の胸に秘めて……」

「駄目です。思いは言葉にしないと伝わりません、そして相手の思いも聞かないと分からないんですよ、メルセデスお嬢様」

「ですが、もしも…嫌われたりしたら……」


 拒絶されたら、思っていた通りに私を疎んじていたら……。

 それならいっそ、聞かずにこの思いは私の心の中に閉まっておいた方が良いですわ。


「大丈夫です、お二人はとっても器の大きな人達です。それにシャーリーさんはボクなんかを可愛いと言ってくれました。だからこなにも可愛いメルセデスお嬢様をシャーリーさんが嫌うはずありませんよ」

「かっ!」


 可愛いだなんて!マリアさんの方がずっと可愛らしいですわ。


「ですが…怖いですわ、もしもを考えたら……」

「その時はボクがまたギュッとしてあげます、だから勇気を出してください。前へ進む勇気を」

「マリアさん……」


 勇気。

 そうですわ、私は今まで逃げて来ました。

 逃げて、逃げ続けたなら、次は挑むだけですわ!


「はい、お父様とシャーロットさんが帰って来てたら、必ず私の思いをぶつけて見せますわ!」

「その意気です、メルセデスお嬢様」



♦♦♦♦



 決意を固めて、私は部屋の前に立つ。

 お父様とシャーロットさんが帰宅したのは10時が差し迫った時間、そこで初めて私はお父様とシャーロットさんの焦りを知りましたわ。


「いや、さすがにそれは考えが甘いかもしれない。他社が手を出していないというより、基礎研究より先に行けずに手を出したが撤退したという感じだ、蒸気エンジンを改良する方がが遥かに安上がりだからね」

「だけど、蒸気機関とは違う、画期的なエンジンが開発出来ればそれだけでシャトノワ領は潤うわ」

「いや、そもそも基礎研究の段階でもない、机上の空論だよこれは。石炭よりも熱効率の良い燃料が見つからない限りは無理だ、それに出資するより別の…そう何か既存の物を加工して作る食品の方がずっと現実的だ」


 今も必死に話し合いをされていますわ。

 その表情はとても深刻そうで…それなのに、私の我儘わがままでお二人をわずらわせるなんて…明日にした方が良いかもしれませんわ。

 そうですわ、その方が……。


『その時はボクがまたギュッとしてあげます』


 一瞬、マリアさんの声が聞えて、私は再度決心しましたわ。

 啖呵たんかを切っておきながら逃げるなどとと、淑女にあるまじき行為!ええ、やってみせますわ!

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