第6話再度静に会いに行くのか
良和はまた幻滅するのを余儀なくされた。不良とは聞いていたが、中山とはあんなに話のわからない奴だったとは。しかも初対面の俺にいきなりあんな喧嘩腰で接してくるとは、よっぽどひねくれているに違いない、と。そして自分の無駄な好奇心を叱りつけてやりたい気分になった。わざわざ行ったのに面白くない。本当にあんな奴があの美しい絵を描いたのか?しかし、良和は静のイメージが黒く染まっていく一方で、あの美しい絵への印象には依然曇りのないのを感じた。この相矛盾する2つの感情の対処は一向にわからず、もうしばらく放っておこうと良和は決めた。
5月に入って、良和にも学校の勝手がわかってきた。教室では隅のほうで唯一話のできる曾木と地味に授業の感想を言い合った。曾木はよく読書をしている男であった。坊主頭で、感じの良い細い目を持っていた。体形は少し太めであり、落ち着いた低めの声を発した。派手なグループ「昼飯」のメンバーにはない、慎重で物静かな佇まいに、良和は接しやすさと安心を感じた。かといってグループ「昼飯」の印象が前と変わらなかったわけではない。昼休みには、今まで以上に皆が自分を気遣い、話について行けるような取り計らいがなされているのを感じた。特に田口が、良和に積極的に話をふり、他のメンバーなら説明しなくてもわかるところをかみ砕いて教えてくれた。ある日、田口は良和のあだ名の由来である「ローレンス」の出てくる漫画について教えてくれた。
「『パッションドロップ』っていう漫画はねえ、クオビサという世界で・・・異世界なんだけど、その世界で幸代、優子、君江という3人の女の子が新秩序の構築を目指して冒険の旅をする物語なんだ。『少年メガパンチ』っていう雑誌に連載されててね、俺は主人公の一人の幸代が好きなんだけど、ああ、通称〝チヨ〟ね。漫画自体の通称は『パド』なんだけど、ローちゃんの名前のもとになったローレンスはこの漫画に出てくるんだ」
「そうなんだ。結構面白そうだね」
と良和は心にもないことを言った。胸の中で良心のねじれるのを感じながら。すると田口は
「面白いよ。貸してやろうか?」
と期待を込めたまなざしを注いできた。良和は何の興味もなかったし、読むのも面倒くさくて、更に感想など求められるのも嫌であったので、
「いや、妹が漫画好きだから、妹に聞いてみるよ」
と言って問題を先延ばしにした。妹の良穂にはごく簡単に聞いておいてごまかそうと考えた。そんなことを良和が考えていると、細野が
「こいつマジやべーよ。幸代トーク延々とするし、しかも幸代がいるから彼女はいらないとかいうんだぜ」
とあっさり暴露した。すると、田口はそれを訂正するどころか、
「いやホント、チヨたそがいるから彼女欲しいなんて全く思ってないよ」
と真顔で言った。それには皆噴出した。
「他の3人は彼女いるの?」
「豊島にはいるぜ。なあ?」
と徳田が少し嫌そうに確認した。豊島は赤面して答えた。
「そうそう。俺だけ彼女いるの。2組の大塚由美って子と付き合ってんだ」
「ホントムカつくよ。こいつだけリア充でよう。なんでこいつだけ……」
もてたいと願っているらしい徳田が可笑しくて、良和は朗らかに笑った。
麗らかな初夏の気候は良和を快くさせた。毎日安定して暖かく、時折暑くすらなる屋外の空気は早くも夏の到来を予感させた。夏の好きな良和は毎日その感覚を楽しんでいた。日々の授業は、速度も内容の量も中学校の頃とは比べ物にならないくらい厳しく、生徒たちは苦しんだが、良和はわからないところを作らないことを目標に、毎晩その日の授業の復習をし、それでも解決しないところは職員室までその都度聞きに行った。昼休みの昼食後の時間を自習に当てられなくなったことは少し負担を多くしたが、グループ「昼飯」の、特に田口の好意を無駄にできなかったし、話をしてみると、良和にとって悪い時間ではなかった。ただし、「パッションドロップ」のことを妹に聞いてみるという宿題をいつまでも残しておくわけにもいかなくなってきた。
5月も半ばに入ったある日の夜、良和はリビングで、ソファーに寝転んでスマートフォンをいじっている妹の良穂に話しかけた。
「なあ、お前漫画とか好きだろ?『パッションドロップ』って知ってる? 」
良穂は顔を挙げてバカにした顔でこう言った。
「兄貴『パド』も知んないの?常識だよ。やっぱガリ勉は違うなあ」
「いや俺はガリ勉じゃないけど、それより『パッションドロップ』について教えろよ」
「『パド』はビリー出てくんだよ。超かわいい」
と言ってニヤける良穂に、良和は戸惑いながらこう返した。
「ビリー?主人公は女の子3人とかだったんじゃ……」
「主人公はね。でもあんなかわいくない女ども、僕は興味ない。つーか嫌い」
「お前の興味は知らないけど……ちゃんと教えてくれよ。どんな話なんだ」
「幸代と優子と君江っていうのが革命目指してなんか歩き回る話だよ。ビリーは敵だけど超イケメンで超紳士なんだぜ」
前半はどうでもよさそうに言っていたが、「ビリー」という単語が出てから良穂の口調は一変して明るくなった。
「……例えばローレンスってどんなキャラなの?」
「ローレンスはまあまあいいと思うけど、やっぱビリーが最高。兄貴も読めばわかるよ。貸してやるから読めばいいじゃん」
読まなくても済むようにこうして聞いているのに、全く要領を得ない。全くなんでこいつはこんなにバカなんだろうか。中学生とはこんなものなのか?と良和は不満に思った。しかしそんなことを言えば喧嘩になるので、話の方向を変えようとした。
「ローレンスって奴は眼鏡をかけてるのか?」
「かけてるねえ。ファンはそこがいいとか言うんじゃね? でもやっぱビリーが」
「ビリーってどんな奴なんだよ」
こう聞かれると良穂はソファーに座りなおして、かしこまって語り始めた。
「ビリーは愛称。本名はウィルソン・クラム。国家警察の第3隊長。真面目で国家に忠誠を誓っていて、上層部からの信頼も厚い。秩序を乱す運動家らに対しては冷酷で厳しい態度をとる。敵には決して容赦しない。でも……舞踏会で知り合った君江とはお互いの身分も知らずに密かに想いあっている……ということになっているけど、僕は認めない」
「いきなり主観が入ってきたけど」
「だって君江なんてブサイクだし性格も冷たいし全然かわいくないんだもん。だからって他の女どもがいいわけじゃないけど」
良穂は吐き出すように言った。良和が少し笑って、
「お前……漫画のキャラクターに嫉妬するなよ。みっともない」
と忠告すると、良穂はさらに嫌そうに
「嫉妬じゃない! 本当にあの女どもはかわいくないの! あんなのと絡まされるビリーとかがかわいそう」
と怒ったように顔を歪めて激しく言った。
「……もういい。わかった。勝手にビリーとやらに惚れてろよ。漫画本は貸してくれなくていいから」
皆くだらない漫画のくだらないキャラクターに熱を上げているのだな、と良和はあきれた。漫画なんかただの創作物じゃないか。そんな架空の世界にはまり込むなんて愚なことだ。そんな暇があるなら現実の世界でまともな努力をしたらいいじゃないか。田口はいい奴だが、そんな漫画のキャラクターを好いているのはいただけない。下手をすれば良穂と同レベルだ。社交のためだけにでも俺はそんな漫画なんか読みたくない。しかし、話題を合わせるためには興味がなくても読む羽目になるかもしれない。建前というのは窮屈なものだ。学校の友達付き合いとは建前で成り立っているようなものだから学校というのも窮屈なものだ。ことによると社会というのも窮屈かもしれない。嗚呼、生きていくのは難しい。
浮世の苦しみを感じながら良和は眠った。朝起きればまた窮屈な世界へ行かなければならなかった。朝のホームルームの前に物憂げな表情で席に座っていると、前の席の曾木が話しかけてきた。
「おいロー。明日の英語の単語のテストの勉強してるか?」
良和は驚いてこう返した。
「なんでお前が〝ロー〟って呼ぶんだよ」
「お前皆から〝ロー〟って呼ばれてるぞ」
と曾木が思いもしなかったことを言うので、良和は
「へー」
と言って少し顔をしかめつつ、何となく現実を受け入れた。
「で、単語テストの勉強してるか?」
「してる。今回のところはだいたい覚えた」
「やっぱり秀才は違うなあ」
と曾木が言ったところでチャイムがなった。曾木は
「後で英単語の覚え方教えてくれよ」
と言って前を向いた。
良和は先ほど受け入れた現実をもう一度考えた。そしてあの連中はどれだけ影響力をもっているのだと半分驚き、半分呆れた。こうなるともう学年中が俺を〝ロー〟と呼ぶんだろう。いいのか悪いのかわからない。ただ、俺のいないところで皆が俺について話しているというのはあまり愉快でない。
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