第2話高校生活の始まりは失敗と失望ばかり

 良和は光石学園高等部に入学した。光石学園は私立の中高一貫校であり、高等部生は附属の中等部からそのまま上がってくる内部生がほとんどで、外部の中学校から入学する生徒は一クラス分しか募集しない。良和はその一クラスに入ることとなった。彼は市立蛍成中学校の出身である。この春に光石学園に蛍成中学から進学したのは良和一人である。

 中学の教師たちの歓喜の声と、同級生たちの羨望の眼差しを、常に背後にあるものとみなしつつ、良和は光石学園の構内を歩いた。ほとんど選民の気分だった。学校の設備を、一々中学校より格段に洗練されたものだと評するのに忙しかった。一方で、同じ入学生たちが、大した驚きも見せず、のんきに談笑しているのが信じがたかった。違和感を覚えつつ眺めていると、正体のわからない不安が良和の呼吸を浅くした。入学式では、一番入試の成績が良かったらしく、良和が高校入学組の宣誓文を読まされた。こうして良和の高校生活が始まったのである。

 入学式の終わった晩に、徳田から良和に某メッセージアプリで連絡があった。徳田宗彦は良和の小学校の同級生で、光石学園中等部に進学し、高等部では1年4組に進級したのである。彼からのメッセージは「谷川ちゃん!高校でもよろしくな!小学校同じだった奴が高校から入ってくるとかマジ変な感じ。学校の紹介は俺にまかせろ」とあり、返事を返す前にもう一つメッセージが届き、「学校の紹介するから明日から俺らと一緒に昼飯食おうぜ!」と書いてあった。良和はこのやたら騒がしくテンションの高い男に久しぶりに辟易しつつ、「ありがとう。わかった」と返したのである。

 次の日学校では午前中は高校の内部生と外部性の顔見合わせの会と体育祭のチーム分けが体育館で行われ、午後は学級委員や委員会、係決めのためのロングホームルームがあった。この学校は授業が月・火・木曜日は7時限分あり、水・金が6時限分という時間割なのである。この日は水曜日であった。授業時間は問題なく過ぎた。良和は何の因果か保健委員になったのであるが。問題は昼休みだ。高校入学組の1年5組では、初めての昼休みということで、なんとなくグループのでき方と動向を皆が探りつつ話を始めていたのであり、良和は前の席の曾木という男子となんとなく話し始めていたのだが、その時突然教室の前の扉から

「谷川ちゃん!谷川ちゃん!」

という声が響いたのである。教室は一瞬静まり返った。声の聞こえた方を見てみると、教室の前の扉に徳田が立っていて良和の方を見て嬉しそうに手を振っていた。良和は、とりあえず曾木に

「じゃあ……俺行くわ」

と震える声で言い、皆の視線を集めながら教室を出ていく羽目になったのである。

 徳田は

「谷川ちゃん久しぶり!昼飯は4組で食べるんだぜ!俺の友達紹介するぜ」

と言った。SNSなどでは連絡を取り合っていたが、久しぶりに近くで見ると、当たり前のことだが、徳田は小学校の頃より背が高くなり、体格は立派になり、顔にはニキビが目立つようになっていた。声も聞き覚えのない低音だった。良和は苦笑いしながら

「久しぶりだな。相変わらず元気そうでよかった」

と挨拶した。ちらりと確認すると、教室は元のざわめきを取り戻していた。良和はその瞬間、このまま徳田についていって教室を離れたら、皆はそれなりに打ち解け合うなかで自分だけ新しいクラスから取り残されてしまうのではないかと不安になった。だが、徳田は

「弁当持ってきたか?食堂もあるけど俺ら皆弁当派だから……」

などと話しつつ4組の方へ歩き出してしまい、良和は困惑のなかでついていくしかなかった。

 4組の教室へ入ると、まず部屋の奥に向かい合わされたいくつかの机と、こちらを見ている3人の男子生徒が目に入った。そのほかには、離れたところで女子が何人か椅子に座って話していたくらいで、ほとんど人がいなかった。

 良和は戸惑いがちに教室をぼんやりと眺めていたが、徳田はいつの間にか部屋の奥の机のところに行って、

「こっちこっち」

と良和を招いた。

 近づいてみると、机は後ろの席を2組左右に向かい合わせ、その前の一つを後ろ向きにして組み合わされていた。良和はその後ろ向きにされた机を当てがわれた。

侵入者の気分だった。席に座ると、自分を見つめている3人の視線が思いきり自分の顔面にぶつかるのを感じ、居心地の悪さを感じた。

「これが谷川ちゃん。チョー頭いいの。マジウケルよ」

薄笑いとともに紹介された良和は、

「蛍成中学からきた、谷川良和です。皆よろしく……」

となるべく愛想よく言った。左奥にいた男子が、古参者らしい余裕を漂わせつつ

「俺らも自己紹介する?」

と言った。

「じゃあお前からしろよ」

「いいぜ。皆もしろよ? 俺、田口健介。バレー部ね。オタクだけど引かないでね、谷川君」

「いや引くと思うよ」

右奥の男が笑った。「次は?」

「次は豊島」

徳田はどこへ行っても相変わらず皆のリーダー格なのだと良和は察した。右手前にいた、豊島と呼ばれた男子が

「俺は4組の豊島淳一。水泳部員だけど、それよりネット好きで有名かな。ぶっちゃけツイ廃。フォロワーは自慢じゃないけど2000人越え。谷川君も相互フォローよろしく」と言った。そして、良和が某SNSサイトに登録しているか尋ねてきた。良和は

「フォロワーすくないけど一応……」

と答えた。するとすかさず豊島は、徳田に良和のアカウントをフォローしているか尋ね、その場でスマートフォンを取り出し、徳田のフォロワー一覧から良和のアカウントをフォローした。良和もフォローバックした。正直2000人には驚いた。どうすればそんなにフォローされるのか見当もつかなかった。そんな良和をよそに、自己紹介は続いた。徳田が、「俺のことは知ってるだろうから、最後は細野に締めてもらいましょう」

と言った。すると、右奥にいた男子が

「俺は細野敏夫。サッカー部でスタメンやってんの。5月の試合見に来いよ。で、3組だぜ」

と言った。徳田が

「こいつめっちゃ走るの速いんだぜ。バカだけど」

と笑いながら補足した。細野は

「俺ぶっちゃけ頭悪いけどサッカーで勝負してるから。とにかく試合見に来いよ、谷川君」と言った。田口と豊島も少し笑った。良和は反応に困った。仕方なく

「了解」

と苦笑いしながら言った。

 言い終わってから、良和はとりあえずこの徳田以外の3人は最優先で顔と名前を一致させなければならないと自分に命じた。自己紹介をした順に、こっそりと風貌を観察した。初めに自己紹介をしたあの左奥の男は田口というらしい。顔はこの中では良い方で、善良そうだ。右手前は豊島とか言ったかな。顔はほっそりしている。……その他の特徴はなんだろう。左奥の細野とかいうのはサッカー部員か。かなり短髪で……日焼けしているな。特徴は……。

 良和が考えている間も他の者の会話は進んだ。田口が

「なあ、谷口君のこと苗字に君付で呼ぶの嫌なんだけど。よそよそしくて」

と言った。豊島が

「じゃあなんかニックネームつける?」

と返した。細野が

「良和だから、よっちゃん?」

と問いかけると、徳田が

「よっちゃんじゃいけねえよ。ありきたりすぎて」

と一蹴した。すると田口が

「黒縁眼鏡かけてるし、〝ローレンス〟でどう?」

と言った。すかさず細野が

「いいよ『パド』の話は」

と嫌そうに言った。良和はなぜ黒縁眼鏡だと〝ローレンス〟なのかわからなかった。確かに自分は黒縁の眼鏡をかけているが……。そんな良和をよそに、田口は

「でも〝ローレンス〟ってかっこよくない?もう俺この黒縁眼鏡を見た瞬間から〝ローレンス〟にしか見えないよ」

と言った。徳田が

「じゃあ〝ローレンス〟で決定ね。谷川ちゃん、〝ローレンス〟でいい?」

と聞いてきた。良和はやっと自分がしゃべれる、と安堵して質問した。

「なんで黒縁眼鏡だと〝ローレンス〟なの?」

すると田口が意外そうな顔をした。

「〝ローレンス〟知らない?『パッションドロップ』の」

「ああ、『パッションドロップ』、漫画の……」

確かそんな漫画のことを妹や中学校の同級生が話していた。しかし、良和が知っているのは題名くらいであった。田口が更に尋ねてきた。

「読んだことある?」

「いや読んだことはないんだ。聞いたことがあるだけ」

「その『パッションドロップ』に、ローレンスって奴が出てくるんだけど、そいつが黒縁眼鏡をかけてて、有名なんだ。谷川……いや、もうローレンスと呼ぼう。ローレンスも『パッションドロップ』読みなよ。貸してあげるよ。俺は主人公の幸代が好きなんだけど」

と目を輝かせて続けようとするのを、細野が

「ケンちゃん幸代トーク自重!」

と遮った。一瞬間があって、良和は2つ目の質問として

「皆は、ニックネームで呼び合っているの?」

と聞いてみた。すると、4人は目を見合わせて、きまり悪そうに笑いはじめた。徳田が

「いやあ、俺ら意外と苗字だよな。田口はたまに『ケンちゃん』だけど」

と笑いながら言った。良和は窮したが、つられて少し笑った。昼休みはそれで終わった。

 それぞれ部活があるために、徳田のグループは、放課後は集まらないらしかった。5組では皆それぞれ一緒に帰る相手を探したり、雑談したりしていた。女子は特に大人数で輪をつくり、グループの形成状況を探っているようであった。良和がそのような光景を眺めていると、前の席に座っていた曾木が、

「お前、このクラスのグルチャに入った方がいいぜ。昼休み学級委員が作って皆入ってたぜ」

と教えてくれた。

「ああ、わかった……お前、歩きで帰る?」

一緒に帰る者ができたら良いと思った。

「俺は電車で帰るんだ。草後に住んでる」

良和は落胆した。良和の住むアパートは駅とは反対方向なのだ。良和は誰か他にいないかと周りを見渡してみたが、誰も良和に気づく者はなかった。良和は一瞬悲しく目を閉じて、一人で帰路についた。

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