第2話黄の印の子
「いやー、皆盛り上がってますねぇ」
「全くです。魔術師も、そうでない人も、自分の人生を生きている。あとはクトゥルー様が復活してくれれば、ハッピーエンドなんですけど…」
現代の人々…特に労働者階級は、富裕層に人間性を奪われている。
彼らが生きているのは、機械部品としての生だ。摩耗したら、交換するだけ――そんな理屈は許しがたい。今こそ、人間らしさを、人の手に取り戻さなければならない。
「律儀だねぇ、嬉しいけど、それなら片付けて欲しい奴がいる」
クトゥルーの声が固くなる。大吾も居住まいを正し、問いかける。
「イスですか?」
「いや、連中、この時間軸を捨てたらしい。黒きハリ湖の怪物が名古屋で暴れている」
「あぁー、彼か。それは片付けないと。現在地を教えてください」
同時刻、池田九十九(いけだつくも)は父親に連れられて「Ceoanel」丸の内オフィスに来ていた。
ガラス張りのロビーの外は、陰鬱な曇り空に覆われている。一昨日から絶え間なく弱い雨が降り続けており、まるで晴れ模様を忘れたようだ。
梅雨時だし、こんなものかもしれない。
九十九の母は息子の勤め先の受付嬢に、バッジのような物を見せる。
バッジを見た受付嬢の顔色が変わり、彼女はどこかに取り次ぐ。まもなく見た覚えのある初老の男性がやってきて、2人を地下に案内した。
「なぁ、母さん。会社に来たって意味ないって…」
「いいから。警察に言ってはないんでしょ」
「そりゃ…」
トイレ脇の、隠れるような扉を開ける。
鉄筋打ちっぱなしの階段を降り、また扉を抜けると、くすんだ灰色の通路に出た。
困惑の中、九十九は一つの扉の前に連行された。扉には奇怪なシンボルが描かれている。
?マークの点が目のようになっており、そこから触手のような曲線が伸びている――見覚えは無い、九十九には。
「さぁ、入ってくれ」
恐る恐る扉を開けると、そこは小さな講堂だった。
壇上に黄色のローブを纏った人物が立ち、それを一段下がった部屋の両サイドを占める長椅子の列に腰かけた人々が聞いている、そんな図がすぐに思い描かれる。
部屋にいた全員の注目を集めてしまった九十九は、ひどく不愉快な思いがした。
「どうした?早く」
急かされて一歩足を踏み入れた瞬間、九十九の腕がのたうつ。
抑え込もうとするが、抵抗できない。鳥肌が立つように右腕に鱗で覆われ、指は軟体生物の触手に変化する。
顔の皮膚の下で何かが蠢く、それはミミズのようなものだ。しかし痛みは無く、甘い痺れが下腹部に向かって降りていく。
九十九はこれの正体を知らない。
ただ、今までこれを使って命の危機を何度か脱していた。許しなど出していないのに、なぜ出てきたのか。
「うぁっ……なんで」
九十九が真っ先に見たのは、同行してきた母だ。
こんな姿は見せたくなかった、恐怖、嫌悪、そういった感情を向けていることを覚悟した彼を、九十九の母は感嘆の涙と共に見ていた。
突然の変化から、講堂を後にするまでの数十分。それが九十九の人生で、最も深いな時間となった。
あの女は、もはや母ではない。しかし…。
「百雄…」
弟を探さなければ。
血を分けた弟。今や彼だけが、唯一の家族だ。
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