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「あいつにもまだあんな熱量が残っていたとは、意外だねぇ」


 やれやれ、とでもいうふうにため息を吐きながら、カルディアは足元に置いていた荷物を拾い上げた。よく鞣した肩掛けの鞄の中には、何やら様々なものが乱雑に詰め込まれている。

 今の今までノワールが立っていたところまでやってくると、カルディアはその鞄を千鶴に向かって差し出した。


「これは?」

「お嬢ちゃんの持ち分だ。適当に放り込んでおいたから確認してくれ。他にも何か要り様なら用意する」

「……ありがとう、ございます」


 千鶴はそう言って片手で鞄を受け取ろうとするが、想像していた以上にずっしりとした重みを感じ取り、慌てて反対の手も添えた。おそらく十キロ弱はあるだろう。だが、持ち運ぶことのできない重さではない。

 その鞄を傍らに置き、中身を一つずつ取り出しながら眺めていると、カルディアは小上がりの段差にどっかりと腰を下ろす。思わず顔を上げれば、伸びた前髪の影から、意志の強そうな眼差しが千鶴の目をじっと見つめた。


「いくつか聞いておきたいことがる。そのまま、手は止めなくていい」


 荷物から手を離し、話を聞く姿勢を見せようとした千鶴に向かって、カルディアは軽く手の平を振ってみせた。小上がりに片膝だけを上げ、そこに頬杖をつくと、上目遣いに千鶴を捉える。


「どこまでが本心で、どこからが引かれ者の小唄なんだ?」

「引かれ者の、何ですか……?」

「その口から飛び出す不逞の数々は本心なのか、それともただの強がりなのかって聞いてんだよ」

「不逞を誇示したつもりはありません」

「だったら、あんたのそれは全部が全部本心ってわけだな? お嬢ちゃんは本気でネイジュの懐に潜り込んで、何もかもを話し合いで解決するつもりだって、そういうことなんだな?」

「話し合いで解決することができれば、それに越したことはないと思います」

「まあ、確かにな。俺だって争いを望んじゃいない。話し合いで解決できるなら、その方がいいに決まっている」


 僅かに灰色みを帯びた目は、片時も視線を逸らそうとしない。千鶴はその眼差しから逃れたいと思うが、なけなしの矜持をふり絞ると、与えられる威圧感を素直に受け入れた。不思議なことに、そうして受け入れてしまうと、少しだけでも気持ちが楽になるような気がした。


「だが、俺が思うに、それはただの綺麗事だ。アンジエールは何度も使者を送ったが、あいつには取り付く島もなかった。対話をするどころか、誰にも会おうとしないんだからな」

「たとえそうだとしても、私には会わざるを得ないはずです。だって、そのために私のことを捕えようとしているのでしょう?」

「取っ捕まえるだけで気が済めばいいが、相手はこの国の新たな王になろうと企んでいるような男だ。最悪の場合、お嬢ちゃんは消されるかもしれない。あいつにとって、あんたは何より邪魔な存在だ」


 消されるというのは、殺されるということなのだろう。しかし、千鶴はそこまでの心配はしていなかった。決して、安心、安全だと思ってはいない。それでも、命まで取られることはないだろうと考えていた。


「……ネイジュさんは、私と話をしたがっていると思うの」


 そう言う千鶴を見るカルディアの目に、濃い呆れの色が滲んだ。


「私のことが気に入らなければ、あちらの世界に帰してしまえばいいだけのことです。違いますか? 私が帰った後にあの洞窟を封鎖してしまえば、もう戻ってくることはできません」

「だったら何だ、ネイジュはお嬢ちゃんを説得して、丁重にお帰り願うだけのためにブランをけしかけてるっていうのか? よりにもよってあの血の気の多い野郎を使って?」

「信頼して任せられる人が他にいないのかも」

「まさか」


 カルディアはそう言って肩をすくめるが、千鶴は自分の考えがあながち間違ってもいないのではないかと、そう思っていた。外部に助力を求める時点で、人手が不足しているのではないかと想像したのだ。もしかしたら、意思の疎通も図れていないのかもしれない。

 ブランはネイジュの指示で動いてはいるものの、その指示を受けた別の誰かから指令を受けているのではないか。そして、その誰かが自分のことを消したがっているのではないか――何の根拠もなかったが、千鶴にはそうした考えが直感的に頭をよぎっていた。

 不意に、自分の直感を信じなさいと言った、祖母の声が千鶴の耳の奥によみがえってくる。

 こうした直感が働いたのは、本当に久しぶりのことだった。それは千鶴にとって酷く懐かしい感覚だ。だからこそ、その第六感を信じたいと思う。


「お願い、アンジエール。カルディアさんも、どうかお願いします。私を北の魔法使いのところまで連れて行ってください」

「……決意は固いのだな」

「おい、アンジエール――」

「お前も分かっているはずだろう、カルディア」


 何かを言いかけたカルディアの言葉を遮り、アンジエールは冬の夜のように落ち着いた声音で言った。


「我々はもはや、この子に賭けるしかないのかもしれない」


 それは、千鶴が初めて聞く、アンジエールの弱音のような言葉だった。今までは何があろうと、前向きな言葉で千鶴を励まし、勇気を与えていた。しかし、今の声はどこか頼りない。

 カルディアは居ずまいを正すと、困ったような顔をして千鶴を一瞥してから、アンジエールを見た。


「悪く思わないでくれよ。だが、こんなお嬢ちゃんに何ができるっていうんだ?」

「何だってできるとも」

「それはあくまでお前の希望的観測だろ?」

「もちろん、私たちの助けは必要不可欠だが、希望的観測ではない」

「俺はその前提からして間違っていると思うがな」

「なぜそう思う?」

「陛下――上王陛下にくらべて、なんていうか、説得力みてぇなもんが感じられないんだよ」


 そう口にしながらも、千鶴に対して少なからず申し訳なさは感じているようだ。カルディアはばつが悪そうに首を掻きながら、小さく咳払いをする。

 けれど、こうして祖母と自分が比べられることに、千鶴が不快感を覚えることはなかった。それで当たり前なのだから、不満の言い様もないというのが、千鶴の考えだ。

 しかし、アンジエールにはカルディアとは違った、別の考えがあるようだった。


「確かにチトセの言動には説得力があった。どのような事態に直面しても、自らの意見を決して曲げようとはしなかった。相当な自信家だったのだ。そうした統治者の下には、良くも悪くも崇拝者が集う」

「……何が言いたい?」

「そうと断言できるほど、チヅルとは長きを共にしてはいないが、チヅルとチトセは対極の存在だと私は考えている。似てはいるが、根本的な部分が違っているのだ。チトセは己の正しさを知っていた。だが、チヅルはその反対だ。己の正しさを常に疑っている」

「統治者としてはただの欠陥だ」

「果たしてそうと言い切れるか? 惑うということは、悪しきことではない。チトセの治世は、自らの正しさを誇示するあまり、半ば独裁的とも言えた。しかしながら、自らの正しさを疑う者は、他者の話に耳を傾け、聞き入れる努力をする。チヅルは思慮深い。慎重で、時に大胆だ。私は彼女のそうした部分を高く買っている」

「いいか? あんたの物の考え方は、極端に偏っているんだ。目の前にどんな後継者が現れたって、あんたはそれを名君と呼ぶだろう。なぜなら、あんたはそういう生き物だからだ。常に女王を肯定するように創られている。その魔女が王国を害する存在だったとしても、あんたには女王を否定することができない」

「その通りだ」


 アンジエールは酷く達観した様子でカルディアの言葉を認めた。しかし、濡れた鼻先を僅かに持ち上げると、どこか勝ち誇ったような様子を窺わせながら、先を続けた。


「私は城の護り手であると同時に、女王の選定者でもある。つまりは、こういうことだ。この私が選んだ者こそが、王国の臣民が仕えるべき女王である。奇しくも、お前が言った通りだ、カルディアよ。私は女王のすべてを肯定する。私は女王を名君と呼ぶ。この国を害し、滅ぼす存在だったとしても、私には女王を否定することはできない。言っていることの意味が分かるか?」


 どこか愉快そうに言うアンジエールとは裏腹に、カルディアは相も変わらず不満そうだ。

 自分のことを他者がどのように評価しているのかを聞く機会は少ない。だからこそ、千鶴は言い知れぬ照れ臭さと、居心地の悪さを覚えていた。そして、アンジエールの言葉に有難みを感じるより、カルディアの言い様に同意してしまう。千鶴は褒められ、評価されることに、慣れていなかったのだ。


「あんたはそのお嬢ちゃんに抗うことができない。抗えないということは、既にお嬢ちゃんを女王と認めている、ということだ」

「ああ、いや、認めているのとは少し違うな。目に見えない確信だ。そこに空気があるのと同じように、ただそこに新たな女王が存在していると分かる。どのような基準で魔女の中から女王を選定しているのかは、私にも定かではない」

「悪いが俺には理解できん」


 はあ、と大きくため息を吐いたかと思うと、カルディアはアンジエールから千鶴に視線を滑らせた。見れば見るほど、その目が驚くほど澄んだ色をしているのが分かる。何かと厳しいことを口にしていても、根は良い人なのだろうと千鶴は想像した。


「あんたの観察力の鋭さだけは認めてやる。観察力というより洞察力か。だが、お嬢ちゃんの考えは甘っちょろい。砂糖を溶かした水みたいだ。今は使命感に燃えているんだろうが、砂糖水を熱したところで、鍋を無駄に焦げ付かせるだけだろ」

「ただの水を熱するより爪痕を残せるのではありませんか?」

「鍋を焦げ付かせるだけじゃ飽き足らず、周囲にきな臭さを撒き散らすつもりか? 不要な被害を広げるだけだと俺は思うがね」

「そうですか」


 千鶴はそう呟くと、一度は外に出した荷物を、今度は丁寧に鞄の中に戻す作業をはじめた。重いものから順番に、端から詰め込むようにして並べ、隙間なく埋めていく。それは食料からはじまり、くるくると小さく巻かれた毛布が二枚、ブーツに装着する雪上歩行具に登山用の滑り止めなど、本格的な装備も多い。


「……おい」


 黙々と荷づくりをはじめた千鶴をじっと見ていたかと思うと、カルディアが再び口を開いた。


「そうですかって、それだけか?」

「私の言ったことに対して、あなたはそれを否定することしか言いません。議論にもならない不毛な言い争いをするだけ時間の無駄だと思います」

「俺の助けはいらないってことか? あの様子じゃノワールも手を貸しちゃくれないぞ」

「その時は、ブランさんがお迎えに来てくれるのを待ちます。そうすれば、逃げ回る必要もなくなりますし、北の魔法使いのところへも連れて行ってもらえるので、一石二鳥でしょう?」

「……あんたは馬鹿なのか?」


 あっけらかんとしている千鶴に向かってそう言い放つカルディアの様子は、呆れを通り越して怒りすら感じさせる。だが、千鶴は意に介さなかった。構わず荷づくりを続けていると、不意に腕を掴まれる。


「一人前にこの俺を試してるっていうなら、いい度胸だ」

「何のことをおっしゃっているのか私には分かりませんが」

「連中が豪奢な馬車か何かで連れて行ってくれるとでも思っているなら――」

「よせ、カルディア。彼女にはもう何を言っても無駄だ」


 何とか説得を試みようとしているカルディアをよそに、アンジエールは既に諦めの境地だ。

 アンジエールはその場にゆっくり立ち上がったかと思うと、かり、かり、と爪で床を引っ掻くような音をたてながら、千鶴に近づいていく。


「いずれにせよ、私もネイジュと話し合う必要があるとは考えていた」

「それが今だっていうのか?」

「チヅルがよいきっかけとなってくれるだろう」

「ノワールの肩を持つわけじゃないが、俺は反対だ」


 憤懣やるかたないという様子を隠そうともせず、カルディアは吐き捨てるように言い放った。


「絶対に、反対だからな」


 誰に反対をされようが、やると言ったらやるのだ――カルディアの語気を強めた物言いを、正面から受け止めても尚、千鶴の決意は揺るがなかった。

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