綺麗ごと、というレビューを頂きました
正確には「綺麗ごと~」と、というタイトルのレビューでしたね。
本文には「これを読んだ後にでも自殺する人もかなり多いと思います」とありました。
ちなみに、レビューは削除し、当該レビューを書いた人はブロックしました。
私はレビューは、作品の帯のようなものだと思っています。
いろんな価値観があるから、時に低評価がつくのは仕方がないです。
でも、申し訳ないのですが、自分の作品の帯に、この言葉を使われたくはない、と思いました。とくに末尾「~」と伸ばしているのが、生死の淵にいる人たちを嘲笑っているかのようで(そういう意図があったかどうかは分かりませんが)傷つく人は私だけはないだろうと、措置をとりました。
でも、私の作品を読んでくださって、反応を返してくれた。それを全部なかったことにするのは自分のなけなしの矜持として「無し」です。
なので、レビューがあった事実とその内容をちゃんと明文化し、
この文章を書いています。
当該レビューを書いた人をブロックしたのは自分のメンタルを保つためです。
私も基本、希死念慮を抱えた、病人なので自分のメンタルを守るために出来る手は打ちます。あと、様子見ですが、もしあまりにも非道なことをするなら(複垢使って粘着とか)開示請求など法的手段も取るつもりです。
でも、そうか、綺麗ごと。私は特に一話に力を入れて書いたのですが、自殺しようとして失敗して、半身不随になったり障害が残ったりする事実を書くのは綺麗ごとに当たるのかな……?
https://kakuyomu.jp/works/1177354054886090291/episodes/1177354054886090396
最近の記事はどちらかというと死にたくても踏ん張って「生きる」ための記事にシフトしていったので、そちらは綺麗ごと、と言われても仕方がない気もします。
「自殺したくなっても私が死なない理由」を書いたのは、
そもそも、大切な人に自殺未遂をされた友人のために書いたのが原点なんですよ。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054886090291/episodes/1177354054892536587
そして、私自身、自分が危うい、と思う瞬間があるので、自分のために書いた側面もあります。
でも、私が命を絶つとしたら、法的にも倫理的にも、そして医療的にも(生き残って障害が残るリスクもなく)安楽死が認められる世の中になることが前提条件です。
映画のPLAN75の世界みたいな。
でも、PLAN75でも描かれていますが「安楽死」が認められると、
死にたくない人が安楽死を社会的に強いられる、というディストピアが生まれてしまいそうなんですよね。
その辺をなんとかうまくクリアできないものか。
そして、前提条件その2
私が生きることを望む人が一人もいなくなること。
絆は(きずな)とも読みますが(ほだし)とも読みます。
ほだしとは、相手をがんじがらめに縛り付ける手かせ足かせです。
絆にがんじがらめにされて、私はなんとか生きています。
ちなみにですが、私の文章を読んで、そのあとに自殺する方がいても、私は「仕方ないことだな」と思っています。
そして、この文章群を読んで「自殺を思いとどまりました」と書いてくださる方もいるにはいますが、それを私は自分が助けた、とも思っていません。
「死」が救済かどうかは一先ずおいて置いて、
生きることは果て無く面倒くさいこと、そして、辛いこと、しんどいことの連続です。それは間違いありません。
だから、「死なない」には理由がいるし、「生きたい」と思うにはさらに動機付けが必要だと思っているのです。
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