おまけ18 病み友はいたほうがいいのか
病み友、というワードを聞くと思い出す女性が一人いる
もう今は付き合いがないその女性を仮にTさんとしておこう
私がまだ二十代の頃、医療保護入院から退院したてホヤホヤの時、ほとんど、独り言のようなブログを書いていた時期に彼女がコメントをしてくれたことをきっかけに交流がはじまった。
ネットに公開されているとは言え、匿名で、ほぼ愚痴、後ろ向きなことを垂れ流すだけの日記だったので、コメントをいただいたことに、ひたすら驚いた記憶がある。あ、見てる人いるんだ。と。(それからは観られていることを意識した文章にするよう心掛けるようになった)
Tさんもブログをやっていて、私も彼女のブログを見に行った。彼女の方が、私よりはるかに文才に恵まれているように、当時の私には感じられた。
そして、交流が深まり、Tさんと実際に会うことになった。
彼女のお母さんが亡くなった命日を、どうしても一人で過ごしたくないと言う事だったので、その日に私はキッチン付きのビジネスホテルの一室を借りて、彼女に料理を振る舞った。しかし私は当時処方薬が多く、お酒が飲めなかった。睡眠薬も結構強いものを処方されていた。
だから、夜中じゅう、ずっと起きている彼女に付き合いきれず、午前一時ぐらいで限界が来て、ぱったりとダウンしてしまった。
「役立たず」
彼女は眠らないよう必死に意識をつないでいた私にざらりとした声でそう言った。
彼女からは私は完全に寝落ちして見えたからこその言葉だったのだろう。
でも、その言葉。抑揚のない声だけが、妙に耳に残っている。
実際に会ってからというものの、彼女は度々オーバードーズをしたり、手首を切ったり、今から死のうと思ってるという旨のメールを送ってきたりした。
当時の私は彼女に電話口でもメールでも、くり返し、真摯に言葉をかけた。
あなたが死のうとするたびに、駆けつける事は不可能ではないけれど、そういう関係は健全じゃない。
だって、それは私が何らかの理由で、いなくなったら、あなたはそのまま死んでしまう、生きていけないということだから。
自分の生殺与奪の権利を人に委ねる。それは強烈な依存であって、あなた自身の人生をあなたが生きていないということに他ならない。私はあなたの命に責任が持てない。それにそんな関係は、人間関係とは呼べないと私は思う。
彼女は私の言葉に耳を傾けてくれはした。
そうだね。私もそう思う。と、言ってくれた。
でも、彼女の何度も何度も繰り返される自殺未遂を止める事は終ぞ叶わなかった。
彼女が私に求めるものと
私が彼女に与えられるもの
その大きさには、ずいぶんな隔たりがあった。
あと何よりも大事な要素。
そして、もしかしたら互いにとって幸運であったかもしれないこと
それは、私たちが同性同士だったこと。
そして、私も彼女も基本的にはヘテロセクシャル……異性が恋愛対象であったことだ。
もし、私たちが互いに恋愛対象となりうる存在であったなら
Tさんはもっと私に強烈に依存していたに違いない
……結局、彼女は度重なる自殺行為の果てに、他人の介助がないと生きられない体になった。そして、身寄りのない彼女は遠方の施設に入ることになってしまった。
一回だけ電車を乗り継いで、面会に行ったが、彼女は知能のほうもだいぶ衰えているのか、普段会えないはずの私よりも、喫煙室にいる恋愛対象にいる男性患者さんに近寄ろうとするのに夢中でろくに会話もできなかった。
そして、私が差し入れに持っていったお菓子を全部ひとりで食べてしまった。
いろいろ悲しく、やりきれなかった。
そのうち、メールがつながらなくなり、今はTさんがどうしているのかわからない。
私のメールアドレスは、もちろん生きているので、もし彼女から連絡があれば答える気でいる。
でも、自分から彼女の名前をエゴサーチしたり、彼女の連絡先や近況を施設に聞いたり、そういう積極的な動きをする気はない。自然と離れてしまった縁だと考えている。
ただ私は彼女にとても感謝している
それは
病み友と呼ぶべき存在は
お互いに病んでいる程度が同じくらいで、お互いを必要としている時でないと
そもそも
対等になれない
友人関係になれない
と、いうことが感覚的にわかったからである。
友達になる
その共通項が「病い」である
「病い」である以上
片方の病みが軽快した時、また片方の病みが重症化したとき、対等であるべき友人関係のバランス…シーソーが症状が軽いほうの片方に傾いて負担がかかってしまいがちである。
あと、実際に死のうとしている人間に、関わったとき、自分がどうすればいいか?
彼女はそれを身をもって教えてくれたように思う。
私は「病み友はいたほうがいいのか」
と言う問いには「どちらでも良い」と答える
ただ「病み友を作ったほうがいいのか」
と言う問いには
「友達は、作るものではなく、気がついたら、友達になっているものだから
無理に作る事はないんじゃない?」と
答える
あなたが、もし病み友を必要としているなら
おそらく、病み友と繋がれるような環境に身を置き
気が合う人と「病い」と言う共通項で自然とつながると思う
あなたがもし病み友を必要としていないなら。
もしくは、病み友を必要としなくなったなら。
それは、病み友以外の友人関係のように、繋がりのように。
そもそも成立しない。もしくは自然に消滅すると思う。
最後に。
上には上がいる
自分が深く病んでいると思っても
さらに病んでいる人間はたくさんいる
また、病んでいるふりをして、
または病んでいるからか、自暴自棄になって、
病んでいる人間を利用としようとする人間も少なからずいる
たとえ、そうでなくても、病んでいる時は、人のことを思いやれず、利己的になりやすい傾向がある
それはどんな人間でも病んでいれば、心に余裕がなくなり、自然とそうなってしまうのである。
今から思うと、Tさんに会ったのは、一緒に食事をしたのは、お互いに、危機管理がなってなかったな、と私は思っている。
例えば、ただただ寂しくて、道連れにしたいと、悪意なく致死量の薬を盛ったり、盛られたりする可能性だってあったと今なら考えが及ぶ
私が生きているのは、Tさんにも何もなかったのは、運が良かっただけなのだ
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