自分よりずっとしんどそうでも死ねない人を見つけて、改めて自分も生きようと思った話

私はXにアカウントを持っています。

ただ閲覧専用アカウントで、いいねと、リポストはしても、基本的には発言をしていません。


今日、私はXである女性のポストを見つけました。


旦那さんと子供さんを事故でいっぺんに無くしてしまった身重の女性のポストです。


……インプレッション稼ぎの騙りだったら、どんなにいいか、と思います。


彼女の投下するポストの一つ一つから振り絞るように「死にたい」という気持ちと「でもお腹の子のために生きなければ」という必死の思いが伝わってきました。


しんどさとか、辛さとか、幸不幸は本来ならば較べるものではありません。


それに、どんなに周りから見れば幸せそうに生きているように見えても命を擲つ人はいます。

逆にどんな不幸に見舞われても、ハンディキャップを抱えていても、生きていこうとする人もいます。


でも、ほとんどの人は大なり小なり、「生きたい」と「死にたい」の間で揺れ動いているものなのではないでしょうか


私は自殺しないと決めているけれど、それでも日々「生きたい」と「死にたい」の間で揺れています。


少しでも努力したり、無理したりするとたちまち牙をむく統合失調症という病。

自分らしく生きようともがけばもがくほど、薬は増え、体調は悪くなり、再入院になって、自分の人生の時間が奪われる。

だからといって、寝てばかりの人生に価値はあるのかと自問自答する。

これはこれで一つの地獄です。


でも……


それでも、私は思うのです。

私が統合失調症でまだよかった。


優しい弟が、父が、母がこの病気に罹患しなくてよかった。

この地獄を愛しいものには体験してほしくない。


自分が損なわれるのはまだ耐えられる。

でも……


自分の大切なもの、自分の大切な人たちが損なわれるのは、多分、私には耐え難い。


それは私にとって、今以上の地獄です。


自分よりさらに辛そうな人をみつけて、それで、自分はまだましなのだと思う。


それは人として最低な発言なのはわかっています。

でも、正直それ以外に言葉が見つからないのです。


……今日は感情のままに書きなぐってしまったかもしれません。


普段はXをそんな目ではみないで、ただ、いろんな人がいて、いろんな人生があるのだと


俯瞰しながら眺めています。


街の明かりの一つ一つに人がいるのだと、その数だけいろいろな人生があるのだと思いを馳せるように。

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