おまけ12 2022年にしてみたいこと

 noteも更新しましたが2022年にやってみたいことナンバー1は聴き屋です。


 ……ただ、プレオープンした聴き屋があんまり反響なかったので、ココナラというサービスを使うかどうか、迷っております。


 もうちょっと人の話を聞く経験も積んでみたいし、需要は やっぱりテキストチャットより生の声なのかもしれないし。などと、思い。


 今日、おまけ11を更新しましたが、なんか、昔の記事をいじったからか、最新話に反映されない((((;゚Д゚))))


 なので、改めて記事を書いてます


 ここに来る方たちは深い絶望を抱えている方がとても多くて、死にたい、と漏らす人 も少なくないです。


 そんな人たちに私が出来ることってなんだろうって考え続けてるわけです。


 私は神様じゃないし、村上春樹先生や、よしもとばなな先生みたいに有名なわけじゃないし、でも、生き辛さを抱えている……という点では、トップランカーなんじゃないかと(全然褒められた理由じゃないけれど)思うわけです。


 今は生きたい、と思っているけれど、いつそれが 死にたい に変わるかはわからないし。


 殺したいほど憎い人たちもいるにはいます。まあ、殺さないけれど。殺せないけれどね!


 手っ取り早い生きる糧は負の感情かもしれません。


 見返してやりたい、とか、なにくそ! と思う感情。


 でも、それって 自分の経験上、長続き、しないんですよねー。


 負の感情を燃料にしていると、燃え尽き症候群になりやすい、というか、なんで、自分、こんなに必死になってるんだろう? って気が付いたときに 一気に鬱になる、というか。


 逆に 生の感情、というか、愛情とか、やりがいとか、生き甲斐を 芯に据えると、なんというか、人間 結構 図太くなれるなあーって


 最近、そんなことを思う福倉です。


 私にとっての生き甲斐の一つは私の文章を読んでコメントをくれる方たちだったり、コメントを残さなくても 足跡を残してくれる人たち一人一人だったりします。


 今は連絡がとれなくなったけれど、コメントを残してくれた人たちについて思いを馳せることもあります。


 生きることだけが 人生のすべてじゃないけれど、 少しだけでも 明るい方にいってくれてるといいなって。


 そう思うんです。


 そんな私を偽善者って呼ぶ人もいるだろうなー、とは思いつつ。


 私の経験上、閉鎖病棟にいて、鬱の人は回復してくると「生きててよかったー」って言葉が出るんですけれど


 躁の人とか、 躁鬱の人とか、 或いはADHDとか、拒食症や過食症、或いは私と同じ統合失調症の人からは そういう言葉ってなかなか 聞けないんですよね。


 それだけ、いろいろなことを、やらかしているんだろうなー、と推察はできるわけですが。


 日本の社会って「迷惑をかけるな」っていう圧が すごいから、消えちゃいたくなる気持ちもわからなくはないですけれどね。


 でも、その社会が誰のためにあるのかっていうことを根本的に考えて欲しいなって思う。 一人一人 必死に 生きている人たちのために 社会があるべきなんじゃないかなあって。


 みなさまはどう思いますか?


 それでは来るべき2022年が 少しでも 皆様にとって良きものでありますように。

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