おまけ4 「死にたい」の裏に隠れている気持ちは……?
昨夜、小学校時代の恩師が夢に出てきました。
尾崎先生といって、いじめられっ子だった自分にいろいろ配慮してくれた校長先生でした。
当時私が住んでいた地域では、公立の学校については、学区域というものが厳しく決められていて、学区域を越境して行きたい学校に行くことは原則、出来なかったのです。でも、順当に行くと私が進学するはずの中学校は当時相当荒れていて、毎年必ず、いじめと目されることが原因の自殺者が出ている有様だったのです。
これはまずいということで、尾崎先生は両親とともに役所に頭を下げ、理由書などを書いてくれ、隣の学区域にあった、比較的評判が良く、部活動も文武共に活発に行われている中学校に進学できるよう便宜を図ってくれました。
私はその中学校で一生の親友になるような女の子に出会い(もしかしたら、いつかそのことも書くかもしれませんが)本当に救われました。
夢の中。広い公園の中のような緑の多い場所で、私は尾崎先生とベンチに座っていました。目の前には立派な噴水から水があふれだしていました。尾崎先生は、きちんとした礼服のようなものを着ていて、とてもダンディーでした。あの頃より少し年をとって見えましたが
「福井さんは、将来は外国に行くのが夢だと言っていたね。安全な日本と違って、死ぬかもしれないのに、死ぬのは怖くないと言っていた」と尾崎先生は、穏やかな声で私に語りかけました。
私は、はっと思い出しました。幼い頃の私は、医療従事者になって、『国境なき医師団』など、ボランティア団体に所属して発展途上国の人たちを助けたいと思っていました。人を助けたい、という気持ちも勿論ありましたが、閉塞感のある日本以外の国で暮らしてみたい、という気持ちが強かったのです。
死ぬのは怖くない。ただ、自身の気持ちに従わずに生きられないのは嫌だな、と当時の自分が感じていたことも思い出しました。
尾崎先生が深いものを湛えた目で私をみつめました。そしてゆったりとした口調で言いました。
「あなたは死にたいのではなく、これから生きていく先で、また、失敗したり、挫折したりするのが怖いだけでしょう」
その言葉に、胸を突かれました。
嗚呼、本当にそうだ。休学。休職。退職。そして、何度も逃した文学賞。
また、久しぶりに先週、実家の仕事を手伝い、へまをやらかして一人、部屋で思わず呟いてしまった、「死にたい」という言葉。
何度も打ちのめされた。もう嫌だと思った。こんな思いをするぐらいなら生きていたくないと思った。その繰り返し。
なりたい自分になりたい。でも、努力しても手が届かない。努力が足りないのだろうか。努力の仕方が悪いのだろうか。だけれど、そうやって、頑張りすぎると、無理がたたり、また入院する羽目になり、家族に迷惑をかける。
こんな自分に価値はあるのか、と涙した夜が、何度もあった。
私の中の「死にたい」の裏に隠れていたのは、「うまく生きたい。生きられたら」という気持ちだったんだ――。
夢の中で先生の温かい腕をとり、拝むようにしゃがみこんで……そこで、私は目を覚ましました。
そして、確かめたわけではないし、確かめる術もありませんが、もしかしたら、尾崎先生は亡くなられたのではないか……虫の知らせ、というやつなのかな、そうでないといいのだけれど、などと思いました。
「死にたい」という考えにとりつかれると、「死ぬか」「生きるか」の二択で、まさに極論になってしまいます。
でも、もし、「死にたい」の裏に隠れている気持ちを見つけられたら、選択肢が広がるかもしれません。
私も手探りですが、「自分なりに」「うまく生きる」方法を見つけられたら、と思います。
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