理由3 一度だけ自殺未遂した私に犬のアンディが身を持って、教えてくれたから
私の家には、昔、アンディという犬がいました。
アンディは今はもう居ません。10年以上前に虹の橋の向こう側へ旅立ってしまいました。
アンディが旅立ったのは雪の降る日でした。仕事で帰りが遅い両親の帰りを待つように、家族全員が揃うまで待つように、深夜に亡くなりました。
享年16。犬としては長生きな方だ、とは思います。火葬したアンディの骨は、骨と言うより、ほぼ灰でした。人間と一緒で、若いうちに死んだ子は骨が立派に残りますが、アンディの骨はもうスカスカだったのです。灰をかきあつめて骨壷にいれてもらいました。アンディの骨は、真っ白い海の砂のようでした。
アンディを火葬してくれた回向院の人は「この子は間違いなく生き切った子ですよ。寿命ですね」と言ってくれました。
実際、アンディは最期のほう、おなかには腫瘍がいくつもあり、
例えるなら、らくだのこぶのようにぼこぼこ。
それが破裂して絶えず、膿の匂いをさせているような状態でした。
手術は出来ません。手術に耐えられる体力が、もうアンディにはなかったからです。
私たちに出来るのは毎日、消毒して塗り薬をぬってあげることだけでした。
歯は一本もありません。いけないことかもしれませんが、私たちは動物病院で狂犬病予防の注射を打たないで欲しいと頼みました。
「狂犬病にかかったとしても、この子、もう歯が一本も無いのです。物理的に人を噛むこと自体が不可能なんです」
清潔にするのは大切なことです。でも、アンディを洗うのは勇気がいることでした。洗うと、アンディはとても疲れてしまうからです。妥協案として、私たちはシャンプータオルで毎日その身体を拭いてあげていました。
晩年のアンディは、見た目はボロボロの犬でした。
「あの犬、病気かな」「触っちゃ駄目よ」
と散歩していて、そんな口さがないことを言われるぐらいにはボロボロでした。
それでも、死ぬ二日前までアンディは散歩をしていました。散歩がとにかく大好きな子で、ごはんより散歩がいい。トイレもちゃんと室内のゲージにあるのですが、お外じゃないと、おしっこもうんこもしない子でした。
そう。アンディは自分の足で歩くことが大好きな子でした。でも、晩年は足を悪くして、片足を引きずっていました。だから、私はアンディが片足でもいける所まで散歩をさせ、アンディがうずくまって疲れてしまった、という態度をみせると、抱っこをして散歩の続きをしてから帰りました。
一緒にいろんなところに行きました。ちょっと遠いけれどお台場の海にも行きました。ほとんど抱っこだったけど、波打ち際でアンディは大層喜んでいました。海の匂いが新鮮だったのでしょう。
「海だよー、アンディ」
綺麗だねぇ、と言いましたが、アンディの目は白内障で真っ白で、海の姿がどれくらい見えていたかは怪しいものです。私の自己満足だったかもしれません。
お台場は綺麗な犬が多いので、見た目が汚い、アンディは仲間にいれてもらえません。誰一人にも話しかけられずに、私たちは海を後にしました。
アンディが足を痛めた原因は私にあります。
私が、アンディの足を踏みつけたのです。
勿論、故意ではありません。だけど。だけど。
話は前後しますが、アンディがまだもうちょっと元気だった頃。もうシニアとは呼ばれる年だったけれど、10歳前後だった頃。
忘れもしません。私は統合失調症になって、医療保護入院から、退院したばかりでした。
2年付き合っていて、将来は結婚しようね、と約束していた彼氏にも、振られたばかりでした。最後のメールは「ごめん、真世が怖くなった」という一行だけのものでした。直接会っての別れ話すら、させてもらえませんでした。
私は絶望していました。深夜。テレビではスパイダーマンのアニメが流れていました。それを見ながら、私は焼酎をロックで飲んでいました。本当は統合失調症のお薬はお酒と相性が悪いので、お酒はいけません。飲んでも、一杯までですよ、といわれていました。でも、私はその夜、医師のいいつけを破って何杯も焼酎をロックで飲んでいました。
私はもう誰からも愛されない。この先の人生は真っ暗だ。私の人生は終わったんだ。
そう思っていました。そのとき、私の目の前にはまだ飲んでいない寝る前の薬のシートが置かれていました。
死のうかな、とそのとき、唐突に思いました。その思いは暗い夜の海のように私の思考を絡めとりました。ずぶずぶとその「死にたい」という思考に、おぼれました。
私は薬1シート(ドグマチールという薬だったと記憶してます)を焼酎のロックでゆっくり自分の身体に流し込んでいきました。でも、シート半分ぐらいで限界がきました。もう飲めない。気持ち悪い。私は、ふらふらと布団に向かいました。
私の布団で、アンディは私を待つように眠っていました。
ぐにゃり、と何かやわらかいものを踏んだ気がしました。
アンディの悲鳴のような鳴き声が聞こえた気がしました。
でも、そのときの私は何も出来ず昏倒するように布団に突っ伏して、そのまま眠りに落ちていきました。
朝起きると、動けませんでした。強烈な二日酔いのような状態。母が悲鳴をあげました。
「真世、あんた、アンディに何したの!?」
何? なにって……
頭が働きません。強烈な頭痛と倦怠感。母はこの酔っ払いが! と私をしかりつけました。どうやら、自殺未遂をしたことはバレてはおらず、ただの深酒と思われたようです。
「動物病院に行ってくる!」
母の足音がパタパタと遠ざかります。それでも私は動けずに、また眠りの世界に入ってきました。
一日そうやって寝て、夕方頃、私はやっと起き上がれる状態になりました。
そして、現実を知って、青ざめました。
アンディは私に足を踏まれて、右足を骨折寸前まで痛めていました。
ひょこひょことした足取りでアンディは歩いていました。
私はアンディに嫌われるのを覚悟しました。
こんなひどいことをしたのだ。こんな怖い思いをさせたのだ。
毎晩一緒に寝てたけど、アンディは私から離れていくに違いない。
私は自分が悪いくせに、加害者のくせに、自分勝手に涙を流しました。
すると、そのとき奇跡が起こりました。
アンディは足をひょこひょこさせながら、私に近づいて、私の顔をそっと舐めたのです。
「お姉ちゃん、泣かないで」
とでも、言うように。
アンディは、自分の足を壊した私を許してくれたのです。
私に向かって唸ることも、おびえる様子も無く。
今までどおり「お姉ちゃん、散歩に行こう」とでも、いうように散歩紐を口にくわえて持ってきたのです。
足をひょこひょこさせながら。
私が馬鹿なことをしなければ、アンディの右足は壊れませんでした。
足をひきずることなく、元気でずっと歩けたはずです。
もっと、いっぱい大好きな散歩ができたはずです。
寿命ももしかしたら、延びたかもしれません。
本当に後悔しています。自殺未遂(ばかなこと)をしたことを。
だから、私はアンディからもらった命の分まで生きなくてはならないのです。
どんなに苦しくても辛くても他の病気にかかっても(現在、統合失調症以外にも持病があります)アンディと同じように骨が灰になるまで、生き切る。
それが、私に考え付く、たった一つの、アンディに対する弔いなのです。
これが、私が死なない(自殺できない)理由3です。
続きます。
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