老年期
最後の日
古めかしい機械、とオブラートに包んで言われることの多い私は、2世紀前にシナジー・サイバネティクス社に作られた時代遅れの機械だ。
元々は犬型の家庭用愛玩機械だったが、戦争を経て度重なる自己改造を施しその名残は四足歩行である、というくらいしかない。
その歪さから生まれる古めかしさ故に巫女のお付きという、村では神聖な役割を任されていた。
巫女シディは村を一望できる、山の中腹にある祭壇近くの小屋で育った。
巫女である証として幼いころ体中に刻まれた紋様は、当初こそミミズ腫れを起こして酷い有様であったが、それから十年以上が経ち今はもう完全に彼女の一部として馴染んでいる。
褐色の肌に浮かぶ碧い文様は、普段着でもある薄い巫女服を通しても視認できる。かつて文様パターンを解読してみたところ、その文様はかつての全天候対応型農耕用機械に使われていた回路図が近い。近いと言っても世代が経ちすぎ、アレンジが行き過ぎて原型はほぼ無い。
回路図だけが残り、戦争で製造技術が失われ、その回路図をまじない図のように見るようになってこういった形に落ち着いたのだろうと考えられる。
その日は夏にしては気温が低く、珍しく静かで、心地よい風が吹く日だった。
巫女シディは小屋の外に木の丸椅子を持ち出して、木桶に張った水に足をつけて涼んでいた。
村の護衛と猟犬を兼ねるサイボーグ犬が一頭日陰で寝そべっている。
『シディ』
「なに?」
『リドゥは98.7%の確率で、シディに恋をしている』
「残りの1.3%が気になるけど、そうね、私もそう思っているわ」
『想いに応えないのか?』
「何言ってるのよ。私、巫女なのよ?」
『巫女であることと、想いに応えないことの関連性が?』
「あなたのそのデータベースに答えは入ってないのかしら」
『該当あり。巫女は神事である以上処女性が求められる』
「そういうこと」
納得はできる。
だが、
『リドゥは戦士だ。今の状況下では生存率は高くない。後悔をしたくないのであれば、想いに応えるべきだ』
それに、このままなら明日には処女性もなにも全てが無意味なものになる。
巫女シディはしばらく私の問いには答えず、
「……私ね、怖いのよ。確かに今のままでは後悔することなんて判りきってる。でも一度結ばれてしまったら私は巫女の役目なんてきっと捨てちゃいたくなる。リドゥはああ見えて保守的だからきっと私の役目の方を重んじて身を引くわ。プラトニックな繋がりだけで充足できるほど私は純真じゃないの」
『引き裂かれることが怖いのか』
「そうよ。悪い?」
『二人で逃げればいいのではないか?』
どうせ一日だけなのだから。
だが巫女シディは考えもしていなかったというように、ぎょっとした表情で私を見た。
「あのね、だからリドゥはその選択肢は取らないとって言ったでしょ。一人で逃げたってどうしようもないもの。野垂れ死ぬか機械に殺されるだけよ。……ふふ、それにしてもあなたがそんなこと言い出すなんてね」
「私にはこの時代の神事は理解できない。まだ人の感情の方が理解できる」
「あら! そんなことおばさまに聞かれたら巫女のお付きからは明日にでも外されるわね!」
そう言って巫女シディはくすくすと笑った。
「そういえば聞いてみたかったのだけど」
巫女シディは気を取り直したように顔だけを私に向けて問う。
『何だ?』
「あなたたち機械生命に神様はいると思う?」
この機械生命、というのはこの時代特有の呼称だ。この時代は戦後最初から発達した機械と二人三脚でやってきたため、我々のような機械に対してこのように遇するようになっていた。
『否定』
「私は居ると思うわ」
『何故?』
「だって私は巫女だもの! 誰が否定したって私は神様を否定しないわ」
『それは人間の神の話だろう。機械に神が居ようが居まいが何の影響もあるまい』
「気持ちの問題よ」
『そういう感覚的な話はついていけない』
「もしかしたら人間の神様と機械生命の神様が居て、彼らも私達みたいに仲良くしてるかもしれないじゃない?」
『……そうかもしれないな。だが、もし神の言葉があるのだとすれば、村の人間にとっては君の言葉こそ神の言葉だ。何故予知を言わない?』
巫女の予知は私に共有される。
だがその共有さえも巫女の意思であり、巫女が隠そうとすれば私にすら共有しないという選択肢も取り得た。
先の予知を共有したということは、何かしら意図があったのかもしれない。
巫女シディは八重歯を覗かせて悪戯っぽく笑う。言うつもりはないらしい。
シディは隠し事をするときは、いつもこのように隠し事なんか何もなさそうな笑顔を浮かべる。
まったく人間は嘘をつくのがうまい。
巫女シディも戦士ユノや医師ノルディみたいに人間同士でも嘘がわかり易ければ良かったのに。
そして少なくとも、私に共有された予知は村人の生命に携わることなのでこんなことで誤魔化されて良いはずがないのだが、当の巫女が何も言わないのであれば私がどうこうすることはできない。
私も人間風に言うなら”腹をくくって”雑談に付き合うことにした。
『人の神は人の姿なのか?』
「もしかしたら人の身に隠れて山小屋から人の世界を覗き見ているかもしれないわね」
『居るとしたらその神は傲慢だな。小屋から見渡せる村人の命全てを握っていて、そのまま握りつぶそうというのだから』
ぷぅ、とシディは頬を膨らませる。
「あなたくらいは味方で居てくれたっていいのに!」
『リドゥにくらい教えてもよいのではないのか?』
「駄目よ。絶対に、駄目」
シディの目に落ちる暗い色が私にさえ共有していない予知があることを教えていた。
『……色んな恋の形があるのだな』
シディがなそうとしていることも、その恋の形も私には理解できない。
「神様も恋をするのかしら?」
『どうだろうな。いつか神様に会ったら私が聞いておこう』
「ありがとう。それまで少しお別れね」
そうだな、と短く返す。
もし巫女の予知通りの未来になるのなら、お別れは今生のものとなる。巫女シディがそれを判っていないはずがない。
まったく、人間は嘘をつくのがうまい。
翌日、予知通りの未来が訪れそれが巫女との最期の会話となった。
機械共の広域戦術爆撃によって村を含めた周囲全てが焼け野原になった。当然、人の身で生き延びた者は誰一人としていなかった。
私も継ぎ接ぎだらけとはいえ大分補強していた外殻装甲が完全に使い物にならなくなった。
戦火は雪だるま式に広がっていって、この大地全てを巻き込んでいるのではないかと思えるほどだった。
機械対機械。そして僅かに各地に残る人間のレジスタンスは日に日にその数を減らしている。
この戦場に主人公はいない。
うねり狂うような戦火が全てを飲み込み、緑豊かな大地を再び過去のものに変えていく。
私は人間が結局逃げ込めなかった旧時代のシェルター内にいた。
道中出会った戦闘機械を数体ハッキングして護衛につけ、何体かをそのままシェルターへと連れてきた。
私も内部ダメージが看過できるものではなく、自己修復機能で修復できる域を超えてしまっていた。
幸いにも未踏の旧時代シェルターだったため、生きている機械用修復ポッドが残っていた。もっとも、周囲へのEMP爆撃の影響で奇跡的に一台が駄目にならずに残っている程度だったが。
当然シェルター自体にも絶縁壁は配備されていたが、地形が変わる程の攻撃が連日降り注ぐせいで穴が生まれていたのかもしれない。
いずれにせよ、一台は無事だったのは僥倖であった。
ポッドに接続して観察弁を閉じて自己休眠モードへと移行する。おそらくこの体では認識不可か修復不可の判断が下されるだけだろうが、これくらいしかすることはない。
休眠モードへ移行するまでの数秒で私はふと思考した。
せめてもう少し時間があればリドゥにも話を聞けたのに。もしかしたら違う結末が待っていたかもしれないのに。
私が抱いたこの感情は後悔と呼ばれるものらしい。
神様とやらに出会うことがあれば、次は後悔しないように訊いておかねば。
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