ロボットの話と、君と。
(°_゜)
幼年期
「私」
「私」という存在は、とある犬型の愛玩用動物ロボットのAIの一部だった。一部だった、と言うのは正しくないかもしれない。私はAIで、AIは私であったから。
しかしAIとして働いている部分以外に、ただただ何かを黙考するだけの自我はAIとしては何ら役に立たないから、やはりここは「私」として表しておくことにする。
さて。
その犬型動物ロボットはある家庭の幼い一人娘へのプレゼントとして贈られたようだった。
「私」としての意識は既にあったが、特に何ができるわけでもなくロボットである彼の思考プロセスをただなぞっているだけだった。
最初娘は彼を亡霊でも見るかのような目で見て、忌まわしきものとして接するかのように徹底的な拒絶を示した。
あまりにも激しい拒絶に、私は両親が娘の動物嫌いを治すために贈られたのかとも考えたが、その割には彼と同じ姿の犬の写真がいくつか飾られていた。
ほどなくして、私は彼が死んだ生身の愛犬の代わりとして贈られたのだと知った。
死を受け入れられずに嘆き悲しむ娘を見かねて両親が贈ったのかもしれないが、おそらく娘も愛犬が死んだことは重々判っていたのではないかと思う。
そんな最中に現れた死んだ愛犬、それも元気な頃と全く同じ姿の代替品は娘の目にどう写ったのだろうか。
彼はご主人として登録された娘に、プログラム通りの愛情を示し、事前に両親により入力されたちょっとしたいくつかのクセと共に娘に構って貰おうとする。
娘が拒絶すればしょんぼりとしてとぼとぼと小屋に帰るが翌日には元通り。
そんな日々に先に折れたのは娘の方だった。
しょんぼりした様子で小屋で横になる彼に小さく手招きして、生前の愛犬の所有物だったと思われる骨のおもちゃを差し出した。
彼は嬉しそうにそれを咥え、娘に擦り寄った。
娘はなんとも言えない複雑そうな表情で彼を眺めていた。ただ当初ほどの拒絶はもうなくなっていた。
---
一年が経ち、娘は彼のことをすっかり家族のこととして受け入れたようだった。
彼は骨の髄までマイクロマシンとナノチューブとイミテーションブラッドが通った機械だからご飯は食べない。
その習慣に関してだけは娘は未だに相容れない物があるようだったが、概ね良好な関係だった。
私というメインAIとは別の、思考する自我のようなものは、おそらくこの家にある他の機械には入っていない。
この一年で接触を試みたが、それこそ機械的な反応が返るのみであった。
私というバグを抱えた彼の心が、十全なプログラム通りの思考を妨げ僅かに軋む。
---
十年が経ち、娘は育ち、この春から独り立ちをすることになった。
学生寮に入るらしい。
年が明けてから妙にそわそわしている。
寮とは言えど、一人暮らしをするということへの不安と期待が彼女から落ち着きを取り払ってしまっているようだった。
特に家族に対しての態度にそれが顕著に現れていた。
短ければ半年、長ければ四年会えなくなる。
そんな状況が彼女を動かしたのだろう。
母親にはさりげない様子を装って一人暮らしについてのあれこれを聞き、父親からは何かと小遣いをせびろうとする体裁で会話を行い、彼には手が届く範囲にいればとにかくよく撫でるようになった。顔を埋めて胸いっぱいに彼の合成された電子混じりの体臭を吸い込み、時に昼寝の時も彼を巻き込んで横になった。
「不安だわ」
娘は言った。
彼は言葉を返さないからか、娘は彼によく本音を漏らした。
その言葉は新生活についてだけではないだろう。世界情勢は年々悪化していて、各地での小競り合いが加速度的に広がっていていつ戦争に進化してもおかしくはなかった。
もし娘が寮に入っている間に戦端が開かれれば、最悪両親や彼との再開は叶わなくなるかもしれない。
一人暮らしの不安ばかりではない。今生の別れになるかもしれないという不安がきっと娘の心にあった。
娘のその不安は両親もさすがに察していた。両親もその部分については同じ不安を少なからず抱いていたに違いない。
「私達にもし何かあってもこの子がいるから大丈夫よ」
母親が信頼の目を彼に向け、娘にそう言った。
彼は「ワン」と一言だけ答える。
その一言があってから、私は目を盗み、彼の記憶領域を間借りして情報の収集に努め始めるようになった。
周囲の地図から避難経路、世界情勢、戦火の範囲……そして彼の製造元であるシナジー・サイバネティクス社経由でアクセスできる軍事情報まで。
シナジー・サイバネティクス社は昨今の情勢になってからというもの一部軍用機械に関しても関わるようになっていて色々な情報にアクセスできた。
もちろん機密化されていたが、一旦内部まで入ればそこまで敷居は高くなかった。
細かい情報を省くと、私にとって有用な情報としてはふたつ合った。
一つはこの辺りが戦火に巻き込まれることはまだ当面はなさそうだということ。
もう一つは表立ってはどのタイプのAIにも私のようなバグを内包するものはなかったこと。
つまり、娘が学校を出て家族と再開する、というところは少なくとも戦争に邪魔立てされることはなさそうで、「私」という存在は本当にバグで生まれたに過ぎないということだ。
彼にAIに同居する私という存在を問うてみるが、彼は「認識できない」という旨の信号を返してくるばかりだ。
---
三十年が経った。
戦争が起きた。実際に戦争は三年くらい前から起きていたが、対岸の火事だった。それがここ数ヶ月で急激に情勢が悪くなり、戦火が娘の居る地方まで伸びてきたのだ。
娘は戦火を逃れるために疎開することになった。
当然とも言えるが、彼を連れて行くことはできないようだった。
娘は後ろ髪を引かれるようにしていたが、老いた母親を見なければならないし、いよいよの時、シェルターに彼のような機械を連れ込むことは許可されていない。
娘の眠っている間に、母親が「ごめんなさいね。今まで……ありがとう」目端に涙を浮かべながら彼の全システムをダウンさせた。
彼は眠り、彼の器官の一部である私も眠りにつくことになった。
---
――再起動。
メモリ情報がずれていなければ、さらに五年が経った。
彼の想定可動年数は三十年で、想定稼働年数を越えて継続稼働を希望する場合、シナジー・サイバネティクス社にメモリの移設を申請して素体を乗り換える必要がある。
しかし現在のシナジー・サイバネティクス社に行ったところで鼻で笑われるのが落ちだろう。今やシナジー・サイバネティクス社は機械兵器の製造が主体で家庭用愛玩機械の保守用部品や代替ボディなど残っているかどうかも判らない。インターネット上にすらかつての情報アーカイブがあるのみだ。
彼の素体は部分部分の機関は劣化していたが、稼働状況は無理をしなければギリギリ良好といったところだ。
シナジー・サイバネティクス社の共有ネットワークから私はダミーを生成して深部へ情報を探しに行った。
軍用企業としての面が強くなってセキュリティは遥かに強化されていたが、家庭用愛玩機械用に開かれているサーバーからでもある程度の情報を拾うことはできた。
結果、彼の体が眠るこの場所も敵に蹂躙される可能性が高いことがわかった。
この場所に留まっていても踏みにじられるだけなのであれば、動かなければならない。
だがそもそも何故再起動されたのだろうか。
再起動は外部からでないと不可能だ。私は娘が無理を押して私を迎えに来てしまったのかとも思ったが、娘はおろか人間の姿はどこにもない。どうやら別の原因だったようだ。とはいえ、一体何が切っ掛けとなったのかは不明だった。
起動時、彼の半身は廃材に埋もれていたので外部ダメージにより誤接触が起きて起動したのかもしれない。
再起動を果たした彼はプログラムに従って娘の姿を探し始めた。
移動し始めてくれたのは良かったが、彼は戦火の方に行こうとしたので、私はなんとか彼を非戦闘区域に誘導しようと尽力した。
とは言っても、私はAIの、それも切り離されたスタンドアローンに近い一部に過ぎず、「危険だから道を変えましょう」と言った直接的な事を言うことは出来ない。
シナジー・サイバネティクス社の家庭用愛玩機械用サーバーにアクセスして、もう長いこと書き換えられていない行動規範プログラムに介入して上位命令として彼に読み込ませた。
これも立派な不正アクセスだ。おそらく何度も使えないし、いずれ気づかれてシャットアウトされるだろう。ただ最後のアクセスも六年前だったことを考えると、運が良ければしばらくこの手は使える。……運任せ、という言葉を適用することになるとは我ながら笑える。アクセスログの偽装が通用すれば良いのだが。
また同時に偽りの駆動不良信号を送り、経路を大幅にずらしてなんとか真っ只中に突っ込ませないようにした。
それでも彼の体は戦場を進むことにより少しづつ損耗していった。
流れ弾。倒壊。敵の猟犬。敵兵。野良ドローン。整備不良。
特に最後の整備不良が厄介だった。彼の持つメンテナンスシステムは内部システムの簡単な正常化を行う自己診断機能のみで、主な役割は整備が必要かどうかの判断くらいしかできなかった。
そしてその判断は再起動時から既に出てきていたが、当然ながら整備のあてもなく、彼を整備に出してくれる娘や母親は既に居らず、彼は娘を探し求めて歩いているだけだった。
すぐに限界は来た。ギリギリ良好程度だった彼の稼働状況はみるみるうちに悪化し、私の疑似信号ではなく、本当の駆動不良で彼はまともに歩けなくなった。足を動かそうとするたびに駆動不良の異音が虚しく響き渡る。
彼は娘に会いたいと思っていた。そしてその為なら何でもしようと考えた。
私はその思考を悪用して、倒れた機械から使えそうな部品を引き抜いて自分の一部に組み込むことを提案した。
彼は「犬型ロボット」としての自分と「ご主人に会いたい気持ち」を天秤にかけて迷った末にそれを受諾した。
もはや自分の中に何かと語りかけてくる自我を持ったバグがいることにも疑問を抱いていない。
彼は動作を停止した戦闘機械から武装や強化外装、耐熱シールド、義足用のマニュピレーター、高密度センサーなど色々なものを集めて自分の一部とした。
だがさすがに見かねて私も警告を出した。
このまま拡張し続ければ彼こそが正体不明の敵性体として敵味方の別なく、あらゆる機械兵に狙われることとなる。
もはや見る目もない。
彼の体積は素体の六倍までに膨れ上がり、超過した積載量も「足」を追加することで無理矢理に解決した。彼はのそのそ歩く戦車のようになっていた。
だが信号を偽装する手段も複数得たために、付近の戦闘機械から狙われることもなく、とはいえ過剰なまでに詰め込んだ己の武装を解除することもなく、彼は娘がいると思しき方向へ歩を進めた。
娘が生きているかもわからないのに。
だが幸か不幸か、限界は目的地にたどり着くより先にきた。
おそらく彼も拡張の提案を受け入れた時点でおかしくなっていたに違いない。
彼のAIと素体とのリンクが繋がらなくなって、歩行ができなくなった。
足場の悪い山間で横に倒れ、そこから足が動かなくなった。私がスキャンした限りでは全ての器官は稼働していたが、彼自身がそれを制御できなくなってしまっているようだった。
彼の犬型ロボットとしての生命が終わろうとしている。
私は――私はどうなるのだろう。彼と一緒に終わるのだろうか。宿主が死んで体を乗っ取る寄生虫のように、私が彼となるのだろうか。
そしてこの時代に答えを知ることはなかった。
向かい続けていた方面のずっと先で巨大な光柱が立ち、それから間もなくして地響きするような轟音、竜巻のような風が吹き付けてすべての景色を変えてしまった。
私は彼の自己改造で増えすぎた自重のおかげか斜面が風を軽減してくれたのか吹き飛ぶことはなかったが、風に含まれていた電磁波であっという間に意識を持っていかれた。
この時代の記憶はそこで途切れている。
娘は生きているだろうか。
無事に逃げ延びただろうか。
彼も私もただひたすらにそれを願い、信じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます