第2章 旅立ち

 いくつもの大きな荷物を次々とロボットたちが運び込んでくる。環境維持に必要な微生物や食料となる動植物類、予備の部品、船内製造用の物資等々、中身は様々である。

 Galaxiaは、ふてくされ気味に積み荷の確認を行っていた。規定の場所へと運び込まれる荷物をリストと照らし合わせ、場所を確認しておく。動植物の類いは、スタッフが内容と状態を確認するので、Galaxiaもそれに「立ち会う」必要がある。

 こうした準備作業が嫌なわけではない。恒星間宇宙船であるGalaxiaにとって、カヌ=ヌアンへの航行は、待ちに待った本領発揮の時である。その準備をするのに不満があろうはずもない。全ての荷を搬入した後、積み込んだ生物類に異常が起こらなければ、出航できる。

 が、しかし。

 乗員が地球人で、しかも10歳の子供とは。

 一体ナーナリューズは何を考えているのだろう?危険過ぎると抗議したが、残念ながら、Galaxiaの抗議は受け入れられなかった。

 よどみなく流れていたロボットたちの流れが不意に途絶え、Galaxiaは、意識を入り口へと傾けた。まだ、積載すべき荷が残っているはずである。

 原因はすぐに分かった。遅い動作で、地球人スタッフが一人、ごろごろと台車を押しながら大きな箱を運んで来る。ロイズ。無機系物資の担当者である。彼の動きが遅いため、後ろがつかえてしまっているらしい。

 地球人の考えることは、理解できない。Galaxiaは、内心ため息をついた。そう、これが地球人。非合理的で理不尽でやることに筋が通らない。

 物資の運搬は、ロボットたちに任せた方が間違いが少ないし、作業もはかどる。彼は、ただ、船内で物資の到着を待って、Galaxiaと共に中身を確認すれば良い。

「ロボットに任せればいいのに」

えっちらおっちら運んで来る彼に気付いた別のスタッフがそう声をかけた。

「ついでにと思って。手ぶらで行くのももったいないだろう」

とロイズ。Galaxiaは、うんざりとした。一体全体何を考えているのやら?何が「もったいない」のか、Galaxiaにはとんと分からない。彼が自分で運ばない方が、時間も労力も節約できる。

 指定の場所に荷物を運び込むと、ロイズは箱を開けて見せた。

「アルミニウムに、ジェライド、それから高純度リストリルだ」

次々と箱を開けて確認して行く。彼は、あまり細かく見るタイプではないらしい。この手の安定型無機系材料物資は、生物の類いとは異なり、少々場所が変わったくらいでは影響を受けない。詳細な内容の確認作業は、搬入前に終わっているはずなので、これで十分といえば十分である。

 厄介なことに、地球人は個体差が大きい。やたらと細かいことを気にする者がいるかと思えば、ロイズのようにざっくりとしている者もある。否、同じ人間であってさえ、その時の「気分」で、言動が大きく変わる。ひどく仕事がしにくいことこの上ない。

 火星人であれば、その時の気分で言動がぶれることはないし、個体によって行動が変わるということも、基本的にはない。持っている情報の差によって判断が分かれることはあるが、一度決定してしまえば、後は誰が来てもやることは同じである。

「オーケイ、Galaxia。食料部門の動植物の状態は全て良好。後は、問題が起こらないことを祈るだけね」

野菜やら魚やらの状態を確認していたトインは、そう言ってGalaxiaに作業の終了を告げた。

「ギル、おちびちゃんたちのご機嫌はどう?」

近くで環境維持用の微生物を検査していたギルに声をかける。ギルは笑いながら答えた。

「全員・・・かどうかは分からないけれど、とりあえず、上機嫌らしい。お前たち、場所が変わったからってへそを曲げるなよ。さて、と。僕の方もこれで作業終了だ。Galaxia、お疲れさん」

 トインとギルが連れ立って帰って行く。これで、通常の荷は全て作業完了である。けれども、今一つ問題が残っていた。

 まだ、一部、積み込み作業が終わっていない荷物がいくつかある。それらは、「特殊機材」としか記載されていない。内容説明も設置場所の指定も何もなし。どの部署にも属しておらず、責任者はナーナリューズになっている。ナーナリューズに説明を要求したが、必要な時になったら説明する、としか答えてくれなかった。

 初めての惑星系外航行である。最大限安全性を配慮してしかるべきなのに、たった一人の乗員は10歳の未熟な地球人で、しかも積み荷を完璧に把握できない状態。どうにもこうにも気に入らない。

 いっそこのまま積み込まずに終わればいい----Galaxiaは思ったが、残念ながら、そうは行かなかった。他のスタッフと入れ替わりに、火星人が一人中央制御室に入って来る。

「0A格納庫を準備」

ナーナリューズである。やはり、あの荷を積み込むらしい。Galaxiaは、しぶしぶ指示に従った。

「それから、これを」

ナーナリューズは、データチップを押し込んだ。

「何です?」

Galaxiaが胡乱げな様子で中身をのぞき見る。どうやら機器の操作に必要なコードらしい。起動やらタイマーやら、至って平凡な内容である。

「機材の操作コードだ。必要になったら指示を出す。テストは不要。指示があるまで動かすな」

「一体何の機材なんです?」

「前にも言ったはずだが?必要な時が来たら知らせる、と」

「それはそうですが・・・何故今では駄目なのですか?私は、安全な航行に責任を負っています。積み荷内容の把握は、私の職責の一つだと思いますが」

「確かにその通りだ。だが、今は、まだ君が知る必要はない。それから、この機材については一切他言無用だ」

「他言無用とは・・・乗員にもですか」

「そうだ」

ますます訳が分からない。乗員にさえ詳細を明かさないとは。もっとも、乗員が10歳の子供では、明かしたところでどうしようもないかもしれないが。

「一体あなたは何を企んでいるんです?乗員にさえ明かせないようなものを載せろと、そう言うのですか?」

「そうだ。だが、これら機材は、航行の安全を脅かしはしない。それは約束しよう」

「絶対に?」

「絶対に」

火星人は嘘はつかない。少なくともGalaxiaのデータではそうなっている。加えて、Galaxiaのデータによれば、火星人は、一度決めたことは容易には覆さない。Galaxiaとしては、ナーナリューズが安全に問題はないと確約したことで満足する他なさそうだった。

 それにしても。

 やはり気に入らない。安全な航行という点については、Galaxiaは自分の右に出る者はいないと信じている。なのに、その自分に全く決定権がない。

「ナーナリューズ、一つお聞きしたいのですが」

「何だ」

「航行に関しては、私は誰より詳しいつもりです」

ナーナリューズは何も言わない。ただ、極わずかに首を傾けた。火星人特有の、話の続きを促す仕草である。

「そして、安全な航行が、私の最大の責務です。航行の安全性に関する事象について、何故私には全く決定権がないのですか?」

「決定権がない、とは?」

「積み荷の件もそうですが、それ以上に問題なのは、乗員です。分かっています。あなたは全く覆すつもりはない。どれほど安全性が脅かされるとしても。私がコンピュータだから、私の意見は全く考慮の埒外なのですか?」

Galaxiaの言葉に、ナーナリューズはわずかに表情を変えたようだった。「良い」反応ではない----Galaxiaは密かにそんなことを思った。やはり言わない方が良かっただろうか?

 どういうわけか、火星人であれ、地球人であれ、人間たちは、Galaxiaを警戒している風がある。何かをした覚えは全くない。けれども、彼らはどこかGalaxiaを信用していないらしいのである。その証拠に、この宇宙船を操作するシステムは、Galaxiaの他にもう一つ存在している。「システムD」と呼ばれるそのシステムは、乗員による船体の直接操作を可能にするものであり、なおかつ、システムDによる指示は、Galaxiaよりも優先される。システムDを使えば、更に、Galaxiaの「意識」を封じ、船体操作から完全に切り離すことさえできる。

 この首輪のようなシステムの存在は、Galaxiaの自尊心をいたく傷つけるが、さりとてGalaxiaがどうこうできるものでもない。

「Galaxia、君が航行の実践面において、太陽系内で最高の専識者であることは間違いない。安全な航行を行えるのも君をおいて他にはないだろう。君の意見を軽んじる理由はどこにもない」

「ならば、何故?何故、大切な乗員選びにおいて、私の意見は全く反映されないのですか?」

「それは、君が航行の専識者及び責任者であって、プロジェクト自体の責任者ではないからだ」

思いもよらない反論の仕方に、Galaxiaは一瞬戸惑ってしまった。ナーナリューズは、更に続けた。

「航行の安全性は大切だ。だが、それは、プロジェクトの全てではない」

Galaxiaは絶句した。航行の安全性以上に大切なものがこの世のどこにあるだろう?けれどもナーナリューズはそうではないと言う。

「専識者は汎識者の決定に従う。それが火星のルールだ。君もこのプロジェクトに所属する以上、ルールには従ってもらう。たとえ君がコンピュータでも、だ」

ナーナリューズはここで議論を打ち切ると、Galaxiaを促して荷の積み込みに取りかかった。


 地平を青く染めて太陽が沈んで行く。けれども、今火星のドーム都市群内は21時過ぎ。夜である。ドーム都市内は、火星の自転とは無関係に地球と同じ24時間制で動いている。ドーム都市内通路の明かりは、「夜」だと分かるよう全体として抑えてあり、同じ時間システムを用いているGalaxia内も今は非常灯や誘導灯くらいしかつけていない。

 人が船内に入ってきた気配に、Galaxiaは意識を傾けた。地球人スタッフの水嶺である。プロジェクトの頭脳班所属。ということは、「Galaxia」を作った人間の一人、ということになるが、Galaxiaにはよく分からない。

 Galaxiaの「Galaxia」としての記憶は、正式に「起動された」瞬間からのものしかない。あの時、状況をつかめずにいたGalaxiaに、初めに声をかけてくれたのが水嶺だった。初めまして、Galaxia、そう挨拶してくれた。それがひどくうれしかったのを覚えている。

 何をしに来たのだろう、と訝しむうち、水嶺は中央制御室へとやって来た。Galaxiaが抑えていた照明を明るくする。水嶺は、Galaxiaに向き合うと、明るい調子で挨拶をした。

「こんばんは、Galaxia。ご機嫌いかが?」

「こんばんは、水嶺」

機嫌がいいとは言えなかったので、Galaxiaは自分の機嫌については、何も言わずにおいた。不機嫌です、と言うのは不躾に過ぎる気がしたが、といって「ええ、いいです」と答える気にもなれなかったのである。

「どうしたんです?こんな時間に」

「あなたと話をしたいと思って」

「私と、ですか?何か問題でも?」

何か問題でも?その言い方に、水嶺は思わず苦笑した。火星人は、地球人の意図を計りかねた時、よく「何か問題でも?」とそう聞いてくる。

「ナーナリューズに乗員選びのことで食ってかかったんですって?」

「食ってかかるという程のことでは・・・反省しています。言うべきではありませんでした」

「いいのよ、Galaxia。あなたの気持ちはよく分かるもの。だって10歳の子供でしょう。無茶な話よね。私たちも反対したの。だけど、駄目だった」

「専識者は汎識者の決定に従うのがルールだと言われました。それから、安全な航行だけが全てではない、とも」

「そうね、Galaxia。あなたにとって安全な航行は最大限に大切なものよね。だけど、プロジェクトとしては、ただ安全に航行することだけでは十分ではないの。今回の任務はカヌ=ヌアンの調査。無論、安全に航行できなくては無事調査して帰ってくることはできないから、安全性は大切よ。だけど、安全なだけでは、任務は完遂できない。分かるわね?」

「ですが・・・」

「考えてみて。ただ、安全性ということを考えるなら、乗員なんて乗せなければいい。いいえ、いっそ、ここを出発しなければ、宇宙に飛び出すことで起こるであろうあらゆる危険から逃れることができる」

「ですが、それでは意味がありません」

水嶺の出した極論に、Galaxiaが反論する。

「ええ、そうよ。Galaxia。つまり、そういうことなの。目的のためには、一定のリスクは必ず背負わなくてはならない」

「ですが、乗員が地球人、それも10歳の子供である理由にはなりません」

「そうね、Galaxia。私にも本当は、何故火星が子供を選んだのか、良く分からない。私もあなたと意見は同じ。だけど、私も、あなたも、プロジェクトの全てを見ているわけではない。全てを把握しているのは、ナーナリューズ一人よ。その彼が全体を見渡して、リスクの上昇を負ってでも10歳の子供を乗員にする必要があると判断した。彼は、10歳の子供を乗員にすることが、『目的のために必要な一定のリスク』であると見做したのよ」

「そのナーナリューズの判断は、本当に正しいのですか?」

「さあ、私にも分からないわ。でも、Galaxia、やるしかないの。そして、私はね、あなたならきっとできると思ってる。あなたは、責任感が強くて、とても優秀よ。ナーナリューズも、あなたならできると思ったから、10歳の子供を乗員にしたとも言えるわ。あなたが無能だと思っていたら、絶対そんな無茶な決定はできないはずだもの」

「そうでしょうか」

「火星人は、不要なリスクは犯さない」

水嶺がきっぱりと言い切る。わずかの沈黙の後、Galaxiaがため息に似た音を立てた。実際、これはGalaxiaの立てる「ため息」である。もちろん、コンピュータであるGalaxiaは、呼吸などしないし、ため息もつかない。ついて見せるよう仕組んだのは水嶺である。Galaxiaには、人間との円滑なコミュニケーションのために、こうした「表現」を多数仕込んである。

「分かりました、水嶺。最善を尽くします」

Galaxiaの言葉に、水嶺はにっこりと笑った。

「期待しているわ。私たちもできる限りのバックアップは行うから、何かあればいつでも言ってね」

「はい」

「さて、と・・・そろそろ戻らないと。おやすみ、Galaxia」

柔らかに水嶺が言う。Galaxiaも挨拶を返した。

「おやすみなさい」


「どうだった?」

Galaxiaと都市とをつなぐ橋架で待っていたロスハンがそう聞いてくる。

「問題なし、よ」

水嶺はそう答えたが、その割に表情が硬い。ロスハンは、何か問題でも、と問いかけてその問いを飲み込んだ。問うたところで無駄なのは、今までの経験上よく分かっている。

「じゃ、お茶にしよう。新しいハーブティーを仕入れたんだ。付き合ってよ」

「待って、ナーナリューズに報告しておかないと」

「問題なかったんだろう?なら急ぎやしないさ。ほら、早く早く」

ロスハンは、水嶺の手首をつかむと強引に自分の部屋へと引っ張って行った。

 水嶺を座らせ、湯を沸かしにかかる。

「ええとねえ・・・」

ずらりと目の前に並べられたハーブの缶に、水嶺は苦笑した。

「また随分集めたわねえ」

大体、火星人というのは皆凝り性なのである。

「大体は揃ったと思う。どれがいい?」

「どれと言われても・・・私、ハーブは全然知らないのよ」

水嶺は、この手のものには全く興味がない。

「そっか。それじゃあねえ、よく眠れるという噂のカモミール」

缶を開けて、水嶺に香りを嗅がせる。

「何だか変な匂いね」

「そう?キュリスはいい匂いだって言っていたけど」

ロスハンは、小首を傾げた。

「時々地球人の意見がものすごく分かれるものがあるんだよなあ・・・セロリとか。すごくおいしい、という人と最悪、という人と。味だけかと思ったけど、匂いもそうなんだな」

火星人は、味やにおいの善し悪しを区別しない。ロスハンの場合は、地球人の間にいて学習した結果、それなりに判断するが、その実、分かっているかといえば、全くそうではないらしい。

「どうする?やめておく?」

「いいわ、試してみる」

 白地に小花をあしらったやたらと可愛らしいカップ。火星人には美的感覚はなく、デザイン的な好みもないはずだが、ロスハンはどちらかというとこうした「可愛らしい系」のものをよく揃えている。ロスハンは、そこにカモミールティーを注ぐと、水嶺の前に押しやった。

「あらゆる問題は、温かいお茶一杯程度のものだ、なーんてね」

やけにしゃちほこ張ってそんなことを言う。水嶺は思わず笑った。

「なあに、それ」

「うん、表情筋の具合がいい感じになった」

言われて、水嶺は自分の頬に手を当てた。

「私、何か変な顔をしてた?」

「変というか・・・どちらかというと無表情、かな?」

「かなわないわね」

水嶺は両肘をついて額に手を当て、複雑な表情を見せた。火星人のくせに、何故かロスハンは、水嶺の感情の動きにすぐ気がついて反応する。出会ってもう10年になる。その間にどうやら徹底的に観察研究されてしまったらしい。では自分はといえば、未だに火星人の表情はよく分からないでいる。ロスハンは、地球人が見て理解できる表情や仕草を用いるが、それがどこまで彼の本心や感情を表しているのか、よく分からない。

「で、今度は何が問題なのさ」

「別に問題というほどでは・・・ただ、私ってつくづく冷たい人間なんだなと思って」

水嶺は言い、カモミールティーに視線を落とした。ロスハンは、続く言葉を待って黙っている。その沈黙に押されるようにして、水嶺は更に言葉を継いだ。

「宇宙にたった一人行かされる10歳の女の子より、Galaxiaの方を心配してる」

ロスハンは、言葉を探す風で目を伏せた。やや考えた後、再び水嶺に目を向ける。

「それは、当然のことなんじゃないかな。君は、言うなれば、Galaxiaの『育ての親』みたいなものだし、Galaxiaのことは良く知っている。でも、その女の子のことは何も知らない。会ったこともなければ、話したこともない。つい最近までその存在すら知らなかった。そんな知らないデータ上だけの相手より、近しいもの、よく知っているもののことが気になるのは、地球人としては普通のことだと思うけど」

「そうね・・・でも、Galaxiaは人間じゃない。機械よ」

水嶺の言葉に、ロスハンは、何故か一瞬、見慣れない不思議な表情を見せた。

「機械・・・ね」

小さく口の中にそんなことをつぶやく。

「ロシィ?」

どうかした?引っかかりを感じて水嶺が尋ねたが、ロスハンは、ただ笑って軽くいなした。

「ああ、こっちの話。それよりお茶が冷めちゃうよ。後で本当に眠りやすくなったかどうか教えて欲しいな」


 火星局のイヴォンに連れられてやってきたその少女は、ひどく緊張している風だった。無理もない。シャハンは思った。まだほんの10歳の小さな子供である。3番目の息子のイファと2歳しか違わない。思わず小さく拳を握りしめる。

「こんにちは、わかば。初めまして」

一瞬出遅れたシャハンの横から、水嶺が声をかける。

「私の名前は、水嶺というの。あなたの名前、変わっているわね」

水嶺の言葉に、わかばがわずかに反応した。

「私の名前も変わっているでしょう。エクスがくれた名前よ」

エクスというのは、ドーム都市外に居住する地球人たちのことである。彼らは、時にドーム都市へと移住することがあり、その場合、ルート識別子は自動的にエクスがつけられる。

「本当に?」

「その村ではね、自然のものから名前を取るの。あなたの名前もそうでしょう?同じ人たちだったのかしら」

「ママさんが、近所にいたエクスの人と仲良くなって、相談して決めたって。4月に生まれたから」

「そう」

安心させるような、柔らかい表情。

「4月は、ドームの外は春なんだって。春にはね、たくさんきれいなわかばが出るって」

わかばが言った。ドーム内は、常に人工的に気候がコントロールされているため、ドーム外ほど激しい季節変化はない。

「春は素敵ね。きれいな花がたくさん咲いて、わかばが芽吹く。命の季節だわ。私は大好きよ」

 いつの間に。

 シャハンは思った。水嶺は、相当わかばのことを調べ上げたらしい。あっという間に小さな少女の心をつかんでしまった。

「船を見に行きましょう。あなたの船よ。Galaxiaというの。Galaxiaはね、まだ生まれて間もないの」

「赤ちゃんの船なの?」

「そうね、赤ちゃんではないけれど、船としては1年生、かな。でも、一応本人は大きいつもりよ」

大きいつもり、という言葉にわかばがくすりと笑う。

「頑固者だけど、仲良くしてあげてね」

分かった、とわかばが頷いた。二人がGalaxiaがドッキングしている第3ウィングへと移動し始める。

「ああいうのを人たらしっていうのかな」

ぼそっとロスハンが言う。水嶺が振り返った。

「聞こえてるわよ、ロスハン」

わかばも振り返る。二人並んでいるロスハンとシャハンを見て、少しばかり表情を強ばらせた。

「大丈夫よ、わかば。あっちの頭の薄いおじさんがシャハンで、背が高い怪しげな方がロスハン」

頭が薄いだの怪しげだの。

「水嶺、その紹介の仕方はないだろう」

シャハンが苦笑する。水嶺はにっこり笑った。

「ちょっと頼りにならないけど、とてもいい人よ」

そんな、ずばずば言わなくても。頼りにならない、と言われたシャハンが少しばかりしょげ返る。

「ぼくは?」

勢い込んで尋ねたロスハンを指して、更に水嶺は言った。

「あれは、そうね・・・少し、いいえ、かなり変だけど、まあ、悪い人じゃない」

「変なの?」

わかばが尋ねる。

「そう、変。だから気をつけてね」

「待った、水嶺。わかばが本気にするだろう」

「じゃあ、普通なの?」

言われてロスハンがぐっとつまる。その様子に、わかばが声を立てて笑った。

「あとね、お兄さんには秘密があるの」

「ひみつ?」

「教えて欲しい?」

うんうん、わかばが頷く。

「お兄さんはねえ・・・」

火星人なのよ。小声で水嶺が言った。火星人と聞いて、わかばが目を丸くする。

「でも大丈夫。変なだけで、悪い人じゃないから」

「水嶺、変、変って連呼しないでよ」

ロスハンが少しばかり情けなさそうな風を見せる。

「だって本当のことでしょう?」

「うう・・・ようし、そっちがその気なら」

ロスハンは言い、二人に歩み寄った。

「いいかい、わかば。水嶺はね、頭がよくて、美人で、優しい」

にやり、笑う。思いがけない反撃に、珍しく水嶺がたじろいだ。ロスハンは、言葉を継いだ。

「君は、けなされるより褒められる方が苦手だ。もっと言おうか?すごく可愛くて、それから・・・」

「ロスハン!」

水嶺が怒る。ロスハンは、からからと笑った。

「お兄さんは、お姉さんが好きなの?」

わかばがちょこんと首を傾げて尋ねる。

「そう、大好きだ。でも、残念ながら、この通り受け入れてもらえない」

「わかばが本気にするでしょう。変な冗談はよして」

「冗談?ぼくは本気だけど?」

「いい加減にしないと怒るわよ」

「もう怒ってるじゃないか」

ぎゃいのぎゃいのぎゃいの。二人が言い合うのを見ながら、シャハンは、随分ロスハンも腕を上げたものだと妙なところで感心していた。以前なら、完全にやられ一方だったのに、あの水嶺をかなり追い込んでいる。

「仲がいいんだね」

半ばあきれ気味にわかばが言う。

「馬鹿は放っておいて、行こうか」

シャハンは、わかばを促した。こくり、わかばが頷く。

「ねえ、ああいうのを『ちわげんか』って言うんだよね?」

お姉さんも、お兄さんのこと好きなのかな。わかばの言葉に、シャハンは、一瞬沈没しそうになった。女の子はませているとは聞くけれども。どこでそういう単語を覚えてくるのやら?

「うん、まあ、どうかな」

シャハンは曖昧に誤魔化すと、先を急いだ。


 シャハンたちがわかばを連れて第3ウィングにつくと、丁度リッジが地球のメディア記者たちに船の案内を終えたところだった。

 わかばを見つけた記者たちが、わかばを入れて撮りたいとそう申し出てくる。入り口付近で簡単な映像と写真を撮影した後、リッジは、船のデータを見せるから、と彼らを別の部屋へ連れて行った。

 ばいばい。小さくわかばが手を振り、彼らも愛想良く振り返す。

 やれやれ。シャハンは小さく息をついた。わかばに無理矢理話をさせないよう依頼してあったのだが、記者たちも守ってくれたようである。

 当然といえば当然かもしれなかった。ここは火星上空を回る宇宙ステーション。いかなスクープ好きの記者であっても、ここで事を起こすほど度胸のある者はまずいない。下手をしたら二度と地球へ帰れないかもしれない----きっと彼らはそんなことを思っているに違いない。

 火星人は、決して残虐ではないのだが、必要とあればいつでも冷酷な行動に出る。厄介なことに、火星人がどんな時に何をもってそれを「必要」だと考えるか、地球人にはなかなか予測がつかない。だから、大抵、火星人の前では、地球人は大人しい。

「こんにちは、わかば」

入り口で待機していたキュリスが声をかけてくる。水嶺が教えた。

「彼女はキュリス。Galaxiaの内装デザインの担当者よ」

火星人は、機能に関係しない外見には、全くこだわりを持たない。彼らは、完全に、といっていいほど美的センスを欠いている。だから、内装のような分野は、完全に地球人の独擅場である。

「あなたのお部屋もあるの。気に入ってもらえるといいのだけれど」

キュリスは言い、先に立った。

 宇宙船の中とはいえ、通路は人が二人並んで楽に歩けるくらいの幅がある。天井は高めで、圧迫感はない。

「この船には、いろいろな設備があるの。アクアリウムでしょ、野菜栽培室、キッチン、プレイルーム、展望室、書斎、体操室・・・小さいけれど、一応プールもね。普段は水を張っていないから、泳ぎたくなったら船に言うといいわ」

キュリスは、船のコントロールを司る中央制御室に向かいながら言った。

「今いるフロアがベースフロア。0階ね。日常生活に必要そうな部屋は大体固めてある。また後でゆっくり見て。そして、ここが、あなたの部屋」

キュリスは、中央制御室手前の扉の前で立ち止まった。

「開けてみて」

言われて、わかばがそろそろと扉を開ける。

「わあ」

思わず、わかばは驚きの声を上げた。白と淡いピンクを基調にした部屋。

「可愛い」

入っていいの?わかばが尋ねる。もちろん、キュリスが答え、わかばはそうっと部屋に入った。後からついて入ったロスハンが、扉の脇にわかばの荷物を下ろす。キュリスが言った。

「あなたの部屋よ。好きに使って」

ベッドに丸いテーブル、椅子。飾り棚に整理ダンス、洋服ダンス、ミニシンク。

「お茶くらいなら、部屋で淹れられるようにしておいたの。どうかしら?」

乗員が10歳の少女だと分かってから、キュリスは寝る時間も惜しんでこの部屋の内装をデザインした。長い孤独な航海の中、この部屋で少しでも安らぐことができるように願といながら。

「ねえ、これ、ウェッティ・ウェッティだよね」

部屋の隅に置かれていた大きなぬいぐるみを指して、わかばが言う。ウェッティ・ウェッティは、今地球で子供たちに人気のキャラクターである。丸い頭に丸い胴、猫のような犬のような奇妙な、けれども愛嬌のある顔は、大人にも案外ファンが多い。

「そうよ。気に入った?」

言われて、わかばは、大きく頷いた。

「あれ、でも、ウェッティの鼻って、紫じゃなかったかなあ・・・」

ぬいぐるみの鼻は黒い。

「ごめんなさい。私、間違えたかもしれない」

「お姉さんが作ったの?」

「ええ。ごめんね。もっとよく確認すればよかった」

「ううん、全然。黒も可愛い!」

わかばは言い、ぎゅっとぬいぐるみを抱きしめた。

「よろしくね、ウェッティ」

何故か、じわり、涙がにじみそうになる。わかばは、必死にそれを押さえ込んだ。

「船の中は、後で自由に探検してもらうとして、大事な部分だけ説明しておくわね」

キュリスは言い、船内略図を出して緊急時の避難経路と救命艇、消火設備のことを説明した。わかばの方はひどく小難しい顔をして聞いている。

「今覚えられなくても大丈夫。船が全て知っているから、分からないことがあればなんでも聞いて。このくらいかな」

キュリスは言い、シャハンを振り返った。そうだな、シャハンが言って頷く。

 「時」が近づきつつあった。部屋を出る。すぐ右手で通路は終わっており、突き当たりに両開きの扉があった。中央制御室の扉である。

「あの向こうが中央制御室。コックピットのようなものよ。船を操縦することもできるけれど、基本的には、船が全て自分でやるから、心配はいらない」

キュリスが言う。わかばは、水嶺を見上げた。水嶺が励ますような笑みを見せる。

「ここから先はあなた一人で行くの。Galaxiaが待っているわ。ちょっと口が悪いところがあるけれど、許してやってね。忘れないで。どんな時も、必ずGalaxiaがあなたの傍にいる」

シャハンも頷いた。

「私らもついているしね。大勢のスタッフが、火星から常にGalaxiaのことを見守っている。すぐ隣、というわけには行かないが、いつだって君ら・・・君と、Galaxiaを思っている」

 わかばが扉の前へ立つ。扉が音もなくすっと開き、そしてわかばは中へと入って行った。


 船が飛び立つまであと30分足らず。

「せめてもう一人乗員がいれば少しは安心できたのだけれど」

ステーションの管制室からモニタでGalaxiaを見ながらキュリスが言った。水嶺とシャハンが頷く。

「要領は分かったから、次はもう少し上手く作れるさ」

とロスハン。そのどこか能天気とも取れる調子が、三人の地球人の神経をざらりと逆撫でした。

「だったら、その時に子供を乗せれば良かったんだ。何も今回でなくても良かった」

シャハンが怒る。

「決めたのはぼくじゃない。ぼくはちゃんと反対したよ」

どうしてぼくに怒るのさ。ロスハンがむくれる。

「ちゃんと、ねえ・・・」

キュリスがはあ、と息をついた。

「あれ以上どうしろと・・・」

抗議しかけたロスハンを水嶺がややきつい調子で止めた。

「ロスハン、悪いことは言わないから、大人しくしていた方がいいわよ。今、地球人はみんな気が立ってる。分かってる、あなたが悪いわけじゃないって。それでも、あなたは火星人でしょう」

「分かったよ」

気を遣って話を前向きに持って行こうとしたつもりだったのだけれども。ロスハンは、どうやらここは静かにしていた方がよさそうだ、と引き下がった。やはり地球人の扱いは難しい。

 水嶺は、一対一の時は丁寧に対応してくれるが、他に人がいる時に下手なことを言うとつっけんどんになる。初めは戸惑ったが、今では大体の「引き時」が分かるようになった。後で時間がある時にどこに問題があったか尋ねれば、きちんと答えてくれるはずである。

「Galaxiaと上手くやれるかしら」

キュリスが言う。

「乗員が地球人で、おまけに子供だと知って大分怒っていたからなあ」

とシャハン。

「まあ、大丈夫、だよな?」

確認するように水嶺を見る。Galaxiaの思考は、いちばん彼女がよく把握している。水嶺は小さく頷いた。

「Galaxiaは、何より乗員の安全性を第一に考える。だから、その意味ではたとえGalaxiaがわかばを気に入らないとしても、問題はないわ。ただ、まあ・・・お互い、初めは苦労するかもしれないわね」


 その頃、Galaxiaの中央制御室では、案の定、というのか、Galaxiaとわかばは早くももめていた。

「別に来たくて来たわけじゃない」

ふくれっ面でわかばが言った。Galaxiaも負けてはいない。

「私が来てくれと頼んだわけでもありません」

緊張が走る。と、呼び出し音が入った。

「赤いパネルに軽く触れて下さい。通信がつながります。音量はその上のツマミ。右へ回すと大きく、左へ回すと小さくなります。」

Galaxiaが教える。気乗りしない様子でわかばがパネルに手を触れると、地球連合府第一執政が映った。

「さて、わかば君、これは初の地球-火星共同プロジェクトであり、栄誉ある任務だ。カヌ=ヌアンのメッセージについては、地球も火星も皆その謎が解明されるのを心から望んでいる。しっかりとやりたまえ」

云々、云々。ほとんど向こうが言いたいことだけを言って、通信が終了する。聞いているうちにむかっ腹の立って来たわかばは腹立ち紛れにバシッと通信パネルを叩いて切った。

「そんなに力を入れなくてもきちんと作動します」

乱暴な扱いにGalaxiaが抗議する。

「うるさーい!」

わかばが叫んだ時、不意にぐらり、と船が揺れた。バランスを崩して転びそうになり、慌ててコンソール台の端をつかむ手に力を入れる。更に一瞬下へと押さえつける力が強くなったが、すぐに安定状態に戻った。

「一体何事?」

「間もなく指定時刻です。サブドライブを起動しました」

「なんでもいいけど、動くなら動くって言いなさいよ」

わかばの抗議も何のその。分かっているのかいないのか、Galaxiaは涼しい調子で言った。

「動きます」

「っ・・・!」

何か言ってやりたいと思うのに、腹が立ちすぎて言葉が出ない。全くもってかわいくない。

 わかばがカッカしているところへ、Galaxiaとは別の落ち着いた機械的な声が響いた。

「間もなくドッキング解除します。乗員は着席、保護装置をセットして下さい。全計器データオールグリーン、メインドライブスタンバイ。サブドライブ稼働率50パーセント」

 誰が着席なんか。すっかりへそを曲げたわかばがそのまま突っ立っていると、今度はGalaxiaが声をかけてきた。

「着席して保護装置をセットして下さい」

が、わかばは動く風もない。

「何をぼーっと突っ立っているんです。早く座って」

「イ、ヤ」

言って歯をむき出しぷいっと横を向く。

「わかば!」

Galaxiaは声を荒げた。

「ここから安定航行に入るまでがいちばん危険なんです。座らないならロボットを使って力ずくで座席に縛りつけますよ」

脅しでない印に部屋の隅にあったロボットが動きかける。わかばはしぶしぶ座席についた。

 不意にガクン、と船体が揺れる。

「ドッキング解除完了。サブドライブ稼働率65パーセント、安定。火星周回軌道へ向け加速を開始します」

 何がというのではないけれど、奇妙に緊張する。大体、わかばは今回のことがあるまで、地球上のドーム都市をつなぐ飛行機にすら乗ったことがなかった。乗ったことのある乗り物といえば、自転車か、せいぜい自動車くらいのものである。その自動車だって、まだ数えるほどしか乗ったことがない。わかばの住むドーム都市の人口は6千人強。せいぜい直径10キロ程度のドーム内で、自動車が必要になるようなことは、ほとんどない。

「重力場安定、周回軌道に入りました。第二次計器確認、オールグリーン。メインドライブへのエネルギー供給を開始します」

Galaxiaとは別の機械音声が細々と状況を伝えてくる。わかばは改めてこのメインコンソール群がある中央制御室を見渡し、小さく息をついた。ぱっと見て分かるのはメインスクリーンや可動カメラくらいのもの。後の細々とした機器は、そもそもそれが一体何であるのかさえ分からない。

 船が全て知っているから聞けばいい、という話だったけれども。

 とてもそんな雰囲気ではない。水嶺には仲良くしてやってと言われたが、到底無理そうである。

 台にうつぶせる。

----絶対無理だよ----

今まで押さえ込んでいた涙が、不意にあふれ出てきた。


「旅立ったか・・・」

低い、低い声でマルス28が言う。パチ、パチと暖炉の火がはぜる。マルスと並んでそれを見つめながらロスハンはええ、と小さく頷いた。

 マルスは古い時代を知る唯一の火星人である。ただ一人の生き残りと言ってもいい。地球人に比べ個体差の少ない火星人の中にあって、マルスだけは非常に異なっている----知識も、行動も、思考も。

 地球人に関わってはならない。マルスは常にそう主張し続けて来た。そのままにしておくべきだ、と。

 火星人たちは、マルスを大切にしてはいるが、といって彼の主張に従うかどうかは、また全く別の話である。カヌ=ヌアンへのGalaxia派遣の話が出た時も、彼は一人反対を唱えた。その反対ぶりは、かつて火星人たちが地球に降り立つことを決意した時ほどに強く、それがプロジェクト責任者たるナーナリューズの気にかかっていた。

----何らかの理由があるはずだ----

ナーナリューズは言い、ロスハンをマルスの元へと送り込んだのである。ナーナリューズ自身も2度ほど訪れて理由を尋ねたが、マルスは答えなかったのだという。

「マルス、反対する根拠を示してくれないか」

ロスハンが言う。マルスは答えない。パチ、パチ、音を立てながら、暗い室内に暖炉の光が大きく小さく二人の影を映し出す。

 気候の調整されたドーム都市にあって、暖炉などという不完全な暖房設備は本来ならば必要ない。火星の中でここにだけこの不思議な暖房設備が設置されているのは、マルスがそれを望んだからに他ならない。マルスは大半の時間をこの火を見つめて過ごし、火の番をし続ける。まるでこの暖炉が彼の存在理由であるかのように。

 狂った----壊れかけた火星人、ということになるのかもしれない。古い時代を知る唯一の火星人だが、彼はその古い記憶を一切語らない。誰に知らせることもしない。そのこと自体、火星人としては異常な状況である。が、それを皆は許して来た。マルスが、マルスであるが故に。

「答える気はない、か」

 ナーナリューズに依頼されるまでもなく、ロスハン自身、マルスのことは気にかかっていた。マルスが何か意見を述べるのは、決まって地球人に関することであったから、地球人がらみの専識者である自分が関心を持つのは当然といえば当然かもしれない。

「では質問を変えよう。君は地球人の何を知っている?それを言ってくれなければ、私らも適切な判断を下せない」

何を尋ねても返るのは沈黙ばかり。

「マルス・・・」

時折思う。彼は、もはや正常な思考ができなくなっているのではないか、と。

「何故黙る?君は、永遠に自分の知識を自らの内のみにとどめ隠し続けるつもりなのか」

何をどう言っても、マルスは答えない。今までのデータ通りの反応である。彼が口を開くのはほとんど、会議の場で「地球人に関わってはならない」と主張する時だけである。

「君のデータがないがために、私らは何か大きな過ちを犯すかもしれない。既に犯しているのかも。話してくれないか、君が一体何を見、何を知ったのか」

重ねてロスハンが言う。

----パンドラの箱----

低い、ほとんど聞き取れないほどの声でマルスがつぶやいた。

「パンドラ?」

聞き慣れない音の連なりにロスハンが耳をそばだてる。が、マルスはそれっきり完全に口を閉ざし、何も言わなくなってしまった。


 人が入ってきた気配に、イレニス4は、ちら、と振り返った。ナーナリューズ2。地球人との協調可能性を探る汎識者である。同じ地球人関係の汎識者であっても、火星防衛の観点から地球人対策を行うイレニスとは、逆の位置から地球人を見ている。イレニスは、地球人が火星や火星人に危険を及ばさないよう監視し手を打つのが仕事であり、イレニスにとって地球人は「敵」もしくは「敵となる可能性のある存在」である。他方、ナーナリューズは、地球人を原則として友好的に、協調できる可能性のある存在として見なしている。

「準備状況は?」

入って来るなり、ナーナリューズが尋ねた。

「全て順調。後は、船が離れるのを待つだけだ。それにしても、相当な索敵性能だな。敵より厄介だ」

これでは、あまり近づけない。イレニスが言う。

「敵を探すためのものではない」

ナーナリューズは、まずそう訂正した。

「未知の領域を行く以上、広く正確な『視界』は必要不可欠だ」

「しかし、本当にこのデータは正しいのか?使用している機器の性能から考えると、ここまで広範に高い精度を出せるとは考え難いのだが」

「解析する頭脳が並ではないからな。あのサイズでファリス並の能力を持っている」

「地球人、か」

イレニスは気に入らない風で言った。地球人の要素が加わったことで、ナーナリューズのプロジェクトは、イレニスの予想の上を行ってしまう。本来ならば喜ばしいことなのだが、地球人が絡んでいるとなれば、火星を守るイレニスとしては手放しでは喜べない。

「彼らに武器を作って与えたようなものだな」

「Galaxiaは、別に地球人だけのものではない。このプロジェクトは、火星と地球の共同のものであって、どちらか一方が独占するものではない」

「君はそのつもりでも、地球人はそうは考えないぞ」

「今のところ、彼らもよく分かっている。心配はない」

「油断するな。君は、地球人の狡猾さをよく分かっていない。初めは従順に見えても、隙あらば牙をむいてくる。非常に危険な存在だ。君を見ていると危く感じる。まるで60年も前の火星人のようだ。地球人の危険さを知らず、ただ純粋に彼らの『進歩』を考えた」

「私もそこまで彼らを無垢だとは思っていない。私の仕事は、彼らを進歩・向上させることではない。あくまで、協調可能性を探ることだ」

「私には同じに見える。かつての火星人も、いつか協調することを考えて彼らの進歩を後押ししようとした。だが、結果はどうだ。彼らは諸々の機器資材を奪い、それを使って攻撃をしかけてきている。私らの与えた技術・知識----それを彼らは武器として、火星を破壊しようとしている」

 かつて火星は、地球人たちを自分たちと同等な状態まで引き上げるつもりでいた。生存に適さない環境を整え直し、技術・知識を与え----

 地球人の扱いは、火星人にとっては非常に難しい。直接個々に当たるより、間に地球人を介した方が上手く行くようだ----それに気付いた火星は、直接介入するより、一部の理解者を介して地球に影響を与えようとするようになった。地球のことは地球人の手に。それは、地球人が望んだことでもあった。

 火暦237年(新暦40年)、火星は地球府を改め地球連合府とし、統治を任せた。この措置は、反火星を唱える「大地の守護者」たちには絶好の機会となった。彼らは次第に地球連合府の中にも根を張り、火星が与える技術や機械等を次々とかすめ取って行った。

 地球人が火星の知識・技術を用いること自体は何ら問題はない。実際、当初は、地球人たちがほしがるままに火星は与え続けていた。地球人が興味を持ち、関心を広げるのは、良いことだと考えていたのである。

 しかし、そうした技術知識が、火星への攻撃に用いられるとなれば、話は全く違ってくる。当初、「大地の守護者」たちは、技術知識をかすめ取り盗み取るだけだったが、やがてそれを用い、時に改良して諸々の設備を襲撃するようになった。

 火星が気付いた時には、彼らは月の調査基地を手に入れていたばかりでなく、小惑星帯に基地を築くまでになっていた。月基地はすぐに破壊されたが、小惑星の方はそうは行かなかった。その確かな位置が把握できなかったためである。

 この基地が、目下火星にとっての最大の脅威となっている。この基地を根城に、彼らはしばしば調査船や採掘艇を襲う。どこからともなく現れて襲撃し、必要なものを簒奪した後、全てを破砕して行方をくらませる。わずか40年ほどの間に相当な力をつけており、2年前には、木星の衛星ガニメデにあった無人基地が襲われ完全に機能停止に追い込まれた。

 現在では、火星から地球への技術・機器譲渡には強い制限がかけられている。地球人は許可なく宇宙へ出ることは禁じられており、物資の輸送も許可制になっている。

「イレニス、それは一部の地球人が引き起こしていることだ。地球人は私らとは違う。彼らは個体による差が非常に大きい。一部をもって全部と見なすことはできない」

あくまで地球人を敵視するイレニスに、ナーナリューズは、そう反論した。

「その一部が問題だ」

イレニスが言う。

「たとえ一部の地球人のすることであっても、一つ打つ手を間違えれば、彼らは十分に被害を与え得る」

それは、ナーナリューズとしても認めざるを得ない事実ではあった。そして、それ故、イレニスは、ナーナリューズの進めるプロジェクトを常に警戒し続けている。

 ナーナリューズが進める火星と地球の共同プロジェクトが、初めに火星側が提示したような地球環境の改善や旧文明の掘り起こし作業を目標にしていれば、イレニスは、これほども警戒感を抱かずに済んだだろう。けれども、ナーナリューズは、思いがけず、火星ですら緒にも就いていなかった太陽系外探査の話を持ってきた。地球人のアイディアだと聞いてイレニスは強く反対したが、執政委員会はそれを通してしまった。

「君のプロジェクトは、どうあっても非常に危険すぎるものだ」

イレニスは言った。

「今に分かる。君は、地球人スタッフを信じているようだが、必ず裏切る者が出る」

イレニスの言うことは、間違ってはいない。

「可能性はあるな。詰まるところ、リスクとメリットのバランス問題だ。地球人には、私らにない発想力がある。それは、しばしば、無根拠で無茶で、とてもあり得ないものに見えるが、私らが詳細に検討することで実現可能になることも多い。ファリスの出した火星の停滞予測を打ち破るにあたって必要な要素だ」

「地球人を全て排除せよとは言わないが」

イレニスは、続く言葉を飲み込んだ。もっと穏当な目的に、というのは、もっと早い段階で打診し、そして拒否されている。今再度持ち出したところで、ナーナリューズが是と言うはずがない。

「十分気をつける。それは約束する。何かあればすぐ君らに連絡する」

ナーナリューズはきっぱりと言った。

「私とて、火星を危険にさらしたくはない」

「分かっていればいい。どうも、地球人と近しく接触する火星人は、そこを忘れがちになるようだからな。実験対象に集中するのはいいが、君が扱っている代物は最上級の危険物だ。それを忘れるな」

「頼りにしている」

ナーナリューズに言われ、イレニスが了承の印に軽く指を立てる。

「そろそろ時間だ」

イレニスは、メインスクリーンへと向き直った。


 火星の周囲を回っていた船が、周回軌道を離れ、更に遠い宇宙へと旅立って行く。火星の周回軌道上を回る8つの宇宙ステーション全てのカメラ映像から完全にGalaxiaの姿は消え、そしていつに変わらぬ宇宙空間の映像だけになった。

 船からの通信は、まだ特に何も入っていない。船が自動的に送ってくる計器データは全て正常で、航行はひとまず順調に進んでいるようである。

 ともあれ、無事に飛び立った。シャハンは、内心ほっと息をついていた。乗員が子供とはいえ、初めての有人宇宙船の航行である。管制室には、全ての地球人スタッフが集まっており、室内には抑えきれない興奮した空気が漂っている。

 そんな地球人たちをよそに、火星人たちはいつもと変わらない。管制室にいるのは、今この部屋の担当になっている者だけで、総合責任者のナーナリューズすらいない。シャハンが宇宙ステーションから戻るとすぐ、どこかへ消えてしまった。地球人からすれば一大イベントなのに、淡泊なものである。いつもなら、地球人の中をうろついているロスハンの姿もない。何やらナーナリューズの使いで行くところがあるとかどうとか言っていた。

「さて、と。そろそろ帰るか」

タリーがうーん、と伸びをして言った。時計を見る。18時22分。かれこれ8時間余りこの管制室にいた計算になる。

「そういえば、キュリス、出発はいつ?」

タリーが尋ねる。

「明後日よ」

内装を担当したキュリスは、これで仕事が完了である。

「寂しくなるわね」

アシャンが言った。

「私も寂しいわ。これでみんなとお別れだなんて。いろいろあったけれど、楽しかった。ありがとう」

気遣いの細やかなキュリスは、皆に人気があった。皆の調整役でもあったキュリスが抜けるのは、シャハンとしては頭が痛いが、仕方がない。

「それで、結婚式はいつ?」

一人が尋ねる。

「問題がなければ、来月25日に」

「じゃ、あとひと月足らずか。おめでとう」

皆が口々に祝いの言葉を述べる。キュリスには婚約者がいて、火星での仕事が終わるのをこの3年というもの、ずっと待っていた。地球人スタッフの入れ替わりは激しい。大体3年から4年、時には1、2年で入れ替わる。地球人にとって、火星は暮らしにくい場所である。火星局もそれは分かっていて、初めから期限を切って人を投入してくる。シャハン一人を除いて。

 送別会とお祝いを兼ねて、ぱーっとやろう、そんな声がどこからともなく上がる。現在仕事が入っている者を残し、地球人スタッフは食堂へと移動して行った。

「シャハン、早く」

一人がそう声をかけてくる。シャハンは、皆と少し離れたところで、Galaxiaの様子を伝えるモニターを見つめる水嶺に声をかけた。

「え・・・?ああ、ごめんなさい」

はたと我に返った水嶺が、足早に皆の方へと移動する。シャハンは、今一度管制室を一瞥し、問題がなさそうなのを確認すると皆に続いて部屋を出た。

 同じ頃、火星の衛星フォボスから静かに飛び立つものがあった。一つ、また一つと。けれども、地球人でそれに気付いた者は誰一人としていなかった。

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