10
ぎゃあああ余計なことした――!
吹き抜けへと身を投げた二人は、階下の噴水広場へ落ちていく。
助けるつもりが突き落とした形になってしまった。千樫は空中で猛省していた。
――せめて俺が下になってクッション代わりに――と、ガスマスクの頭を胸に抱き寄せ、下に行こうと体をねじる。そしてふと気がついた。
――いや、遅すぎね?
千樫は少女を胸に抱いたまま、ふわり、ふわりとシャボン玉のようにゆっくりと吹き抜けを降りていく。そして――ストン。
尻餅をつくくらいの軽い衝撃で、二人は広場へと着地した。
「……え?」
インデペンデンス・デイの能力だ。考えてみれば人一人飛ばすことができるのだから、その対象を自分にすれば、浮くことも飛ぶことも可能なのかもしれない。
「す……げぇな」
千樫は素直に驚きを口にした。声は出た。叫ぼうとするのでなければ出るらしい。
ぺたりと女の子座りした少女は、ガスマスクをつけたまま。
少女はおもむろに手を伸ばし、指先で千樫の前髪に触れた。見たかったのは額の傷だ。
フロアのタイルに力一杯打ちつけた額は出血し、その血は鼻の横まで垂れている。
傷を見られるのが恥ずかしくて、千樫は顔を背けた。
「どうして来たの」
ガスマスクで表情が見えなくても、声色でわかる。怒っている。
「離れてって、言ったよね」
「……いや。離れようとはしたんだけど……何か離れらんなくて」
ばつが悪くて視線を落とした。少女が膝の上に置いた手に目が止まる。
指先のたたまれたその小さな手が、わずかに震えている。それを見て千樫は気づいた。
どうして自分が、あの場を離れられなかったのか。
――ああ、そうか。
男たちを吹き飛ばしながら。紅を追い詰めながら。ずっと、この人は――。
「だって、……泣いてたから」
「……え。泣いて、ないし」
「泣いてたよ。つうか泣いてる。今も」
少女がマスクで隠そうとする表情に、千樫は気づいた。この異能兵器はやはり、あのときコロッケを食べてくれたあの少女だ。今、この人のまとう空気は卒業式前日のときと同じ。悲しくて悲しくてやりきれない想い。
千樫がガスマスクに手を伸ばすと、少女は小さく「や」と言ってマスクを押さえた。けれど念動力は使わなかった。千樫はマスクを外し、その表情を露わにする。
「ほら。泣いてんじゃん。めっちゃ」
「なっ、泣いてない。泣いてなんかっ……」
すずは赤く腫らした目を伏せて、くちびるを強く結んだ。
歪ませた顔を手で覆い、鼻水をすする。
「……泣く理由なんてない。私は、インデペンデンス・デイだから」
「ん……さっき聞いた」
「終末をもたらす存在なんだ……! 誰も私には敵わない。銃も怖くない。月だって壊せる。私は、化け物で。兵器で。家族の記憶もないんだ。……ない、はずなんだ……!」
なのに――とすずは声を荒らげた。
「この噴水を覚えてる。来たんだよ。ちっちゃいころ家族みんなで、この噴水を見た」
赤や黄色にライトアップされた噴水が、音楽に合わせて水の噴き出し方を変える。うねったり、波を作ったり、あるいは大きく噴き上がる。
「もう少しで、思い出せそうな気がした。けど思い出せない。繫つないだお父さんの大きな手は覚えてるのに。その温かさも覚えてるのに。見上げるとその人の顔は真っ白で――」
何も見えない。隣で笑うお母さんの顔も。
こっちへおいでと呼ぶお姉ちゃんの顔も。ぜんぶ真っ白に塗り潰されていて、恐ろしい。
残っているのは、この薄ぼんやりした記憶をとても大切に思っているという気持ちだけ。
「ふぅ……うぐぅ……」
涙を耐えてうずくまるすずを、千樫はどうしようもなく見つめる。
頭の一つでも撫でてやりたい気もするが、恋人どころか友だちかどうかも怪しい間柄だ。
代わりに言葉を探した。泣きたいなら泣いてほしくて。我慢してほしくなくて。
「……家族のこと、もう少しで思い出せそうならさ。やっぱり市ヶ谷さんは、化け物なんかじゃないってことだろ」
すずは顔を伏せたまま。また鼻水をすする。
「月を壊せるなんてたしかにまあ、普通じゃないのかもしれないけどさ。けど俺は、八年も前から市ヶ谷さんのこと知ってるからさ。変わんねえと思うよ、そんなに」
「……変わってるよ、さすがに」
「変わってねえって、ぜんぜん」
千樫は苦笑する。
「さっき、あいつらと戦う前に、俺が巻き込まれないようにって助けてくれたろ。市ヶ谷さん覚えてねえだろうけど、俺を助けてくれたの二回目なんだよ。小二んとき、俺の食えねえエビクリームコロッケ、食べてくれたんだ」
すずが顔を上げ、千樫を見返す。
そのぬれた瞳が噴水のライトの光を反射して、キラキラと輝いていた。
「……ちょっと大人びたけど、変わんねえって。やっぱ今もかわいくて。ちょっと不思議で、魅力的な女の子だろ? そうだよ。少なくとも俺にとっては、そう見える」
「え」
「だから普通の女の子らしく、泣いたっていいんじゃねえかな、別に」
じわ、とすずの目尻に涙が浮かぶ。頰を赤くして、くちびるを歪ませて。けれどまだ涙は耐える。耐えて尋ねる。
「かわ……いい? 辰巳くんに、とっては……?」
「……それは、つまり」
しまった……と千樫は視線を泳がせる。
選んだ言葉にウソはない。ウソがないどころか、本心がちょっともれてしまっていた。
今のはもはや、告白に近かったような。いや、これでいい。思い返すは、すずのツイッターアカウント。自分を好きだと言ってくれたツイート。勝ち星は見えている。
そっと深呼吸して息を整え、千樫はすずを見据えた。
「――つまり、ええと。その、小二んときから、ずっと……好……」
「す……?」
「好ぅ……」
何だ。出ねえぞ言葉が。「ああくそっ」と膝を殴った。
「好っ……! 好きだったって、言うか……」
「……うぅ……うう――」
いよいよ我慢できなくなったのか。すずは見る見るうちに表情を崩して、声を上げた。
「……うぅぅ。あああぁぁん……あぁぁぁんっ」
まさかのリアクションに、千樫は怯む。ここで泣くのか? 何で? 嬉しすぎて?
驚いたが、泣き顔さえかわいいところは、あのころと変わらない。
ここは畳みかけどころだ、と千樫は今一度勇気をふるった。
「あのっ。ぜんぜん、いいから。異能兵器でも。だから、できたら俺とつき合って――」
「ムリでずぅぅうっ……」
「え?」
千樫がぜんぶ言い切る前に、すずは深々と頭を下げた。
「……すごく嬉しいんだけど…… ごめんなざい。……あの、私ええと……他に好きな人がっ……。おり、まして……」
――え? だからそれって、俺じゃなくて?
予想外の展開に目眩を覚える。え? え? と脳内で疑問符がステップを踏んだ。思考がまとまらない。視点が定まらない。ぐるぐると目を回しながら、口の端から吐血する。
ふらりと一度体を揺らした千樫は、そのまま広場に昏倒した。
「え!? たっ、辰巳くん……!?」
すずは慌てて千樫のそばに寄り、その顔をのぞき込んだ。
どれだけ撃たれても、どれだけ血を流しても死ななかった辰巳千樫は、八年間想い続けた人にフラれて、死んだ。
それでも異能兵器はラブコメがしたい カミツキレイニー/角川スニーカー文庫 @sneaker
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