06
「ねえ、おマンボウって何ぃ? マンボウに丁寧語とかあんのぉ?」
「うるせえ知らん。緊張しすぎて何も覚えてねえよ。俺そんなこと言った?」
「言うたで。たしかに言うた。けどまあ結果オーライやな。ダブルデートや」
「ダ、ダブルデート……!!」
学校の最寄りである大山駅からわずか三駅。池袋へは約六分で到着する。一行が降り立ったのは東口。大きな映画館や飲食店、家電量販店などが建ち並ぶ繁華街である。
若者や観光客で溢れる池袋のメインストリートは、平日でさえ喧噪が絶えることはない。
見上げれば、あちらこちらに巨大な広告。出会い系やお見合い居酒屋なる看板と、化粧品やファッション関係のスタイリッシュな看板とが混在している。
巨大スクリーンで流れるミュージックビデオの大音量。客引き行為に捕まらないよう注意喚起するアナウンスと、客引き行為真っ最中のお兄さんの大声が重なる。
相変わらずカオスな空間を、千樫たち四人は突き進んでいく。
すずとアリスが前を行き、距離を開けて千樫と夏都が続いた。
向かう先は街のメインストリートを抜けた先にある、ラティメリアタウンだ。背の高い四つのビルが連立して作る、多目的施設である。ビルの中階層にはオフィスやホテル、低階層にはブティックや雑貨屋、飲食店などのアミューズメント施設が並ぶ。
その第三ビルの屋上に、マンボウの見られるラティメリア水族館はあった。
地下通路を経由して水族館を目指す。一行は長いエスカレーターを一列になって下った。
すずは、天井から垂れるのぼりや地下通路に並ぶ飲食店を、物珍しそうに見回していた。
後ろから見ている限り、すずとアリスの会話は弾んでいない。
ときどきアリスが思い出したように話しかけるが、すずは困ったように笑うだけ。会話はすぐに途切れてしまう様子だった。
すずが周りへ視線を泳がすのは、アリスと歩く気まずさからなのかもしれない。
「……やっぱムリに誘っちまったかな……」
心配する千樫に、夏都が「何かつぶやいてへんの?」と尋ねる。
なるほどここがチートアイテムの使いどころか。
スマホを取りだし確認してみると、ほんのついさっき投稿されたツイートがあった。
――あの人と遊びに行くことになってしまった やばい緊張する…わひゃあ ٩( ᐛ ) و
「……わひゃあ、やて。めっちゃ喜んでるやん。こいつ ٩( ᐛ ) و 笑てんのか微妙やけど」
千樫のスマホをのぞき込み、夏都がつぶやく。
「ああやばい。いいねしてえ……」
「よし。ほな君ら、二人きりなろ」
「は? いやムリだよ、そんなの」
「まあたしかに……桜田が邪魔やな……」
千樫は精神的なムリを主張するが、夏都は物理的なムリを攻略しようとする。
「桜田アリス。……消すか」
前を歩く艶やかな黒髪を見つめ、夏都は暗殺者のようなことを言う。
「楽しそうだよなお前は……」
「楽しいよう? 人の恋路は極上の暇つぶしや」
「暇つぶしかよ……」
千樫のため息は聞き流し、夏都は悪い顔をして笑うのだった。
× × ×
夏都が行動を起こしたのは、ラティメリアタウンの第三ビルに入ってすぐのことだった。
屋上の水族館へ繫がるエレベーター前にて。突然「胃ぃ痛い、胃ぃ痛い」と腹部を押さえ弱りだしたのだ。
「なあ桜田。あかんわコレ。全然あかん。俺今ちょっとマンボウ見られへんかも」
「はあ? 何よ、ここまで来といて」
「だって胃ぃ痛いんやで? こんな胃ぃ痛いのにマンボウ見られると思うー? いや俺はええよ? 俺はええけど、マンボウさんに失礼や」
「意味わかんないから。じゃそこいとけば?」と冷たいアリスに「待って待って?」と夏都は食い下がる。
「ところで桜田、今彼氏おんの?」
「何? いないけど」
「え? まじで? じゃ言うてええ?」
夏都は無遠慮にアリスの肩へ両腕を添えて、いつも浮かべている薄笑いを消した。
「好きや。二人でカレー食べに行かへん?」
「情緒不安定かっ!?」
夏都の腕を弾くアリス。
「何なのこの寸劇は。行けばいいじゃん、カレーでも何でもあんたらで」
「俺は君と食いたいの。頼む一回だけ。一回だけでええから一緒に食べよ? な?」
両手を合わせ懇願する夏都に、「あんた胃はどうした!?」と蹴りを入れるアリス。
周囲の人たちが、何事かと目を向けた。若いカップルやベビーカーを押す家族、地方から来たらしい観光客などだ。到着したエレベーターにぞろぞろと乗り込んでいく。
夏都は、千樫とすずをエレベーターに押し込めると、アリスだけを引っ張った。
「んなっ! ちょっと、放してっ。何こいつ!?」
「わりぃなすずちゃん。こいつ借りてくわ。代わりにそいつ貸したるさかい」
「え……」
驚いて目を丸くするすず。夏都はニコニコと手を振って見送る。
「ほな、さいなら」
「さいならするなっ!! ちょっと待って市ヶ谷さんっ! あたしもっ、一緒に――」
アリスの叫び声は、無情にも閉じゆく厚い扉に遮られた。
呆然と横に並んだ千樫とすずを乗せて、エレベーターは動き出す。
エレベーター内には、ゆるやかなBGMが流れていた。
静かで幻想的で。水面をたゆたう陽だまりのような音楽。海中へと沈んでいくような感覚にひたる。……屋上へ向かうエレベーターは上昇しているのだが。
すずはきゅっとくちびるを固く結び、ドア上部の階数案内を見上げている。
その横顔は強張ばっていた。緊張のしすぎなのか、今にも泣きそうですらある。
だが緊張度合いなら千樫も負けてはいない。何か話さなければ、と必死にネタを探した。
「……き、来たこと、ある……?」
言葉が足りない! どこに? 水族館に? 来たことあったら何?
自分で質問しておいて勝手に目を回す千樫へ、すずは視線を移した。
「あ……ある、たぶん。家族と」
「……へえ。たぶん?」
「……ん。たぶん」
千樫は手汗を強く握りしめ、心の中で夏都に詫びた。やっぱダメだ続かない!
やはりまだ早かった。口さえきけないのに、一緒にマンボウを見るなどとてもムリ。マンボウさんに失礼だ。ここは大人しく夏都に合流してもらおう――すずとはもっと親しくなってから、改めて二人きりになればいい。
次の、機会に。
だが。一度彼女を見失った千樫は知っているはずだった。すずの消えやすさを。すずと過ごす日常のもろさを。当たり前のような明日は、当たり前のように来ないことを。
ドン――とどこかで爆発音がして、日常は壊れ始めた。
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