05
「先生! 月かじった異能兵器って、まだ捕まってないってホントですかー?」
手を挙げた生徒の質問に、教卓の教師が答える。
「一時期あったなあ、そんなゴシップが。そんなわけないだろう。政府は完全に否定している。今はきちんと保護下にあって、研究所で管理されてるってな。第一、月かじるくらいの凶暴な異能兵器が逃げ出したままなら、今ごろ日本は沈没しているぞ」
はっはっは――と生徒の不安を教師は笑い飛ばした。
ランチタイム明けの五時限目は、公民だった。
異能兵器……と教師は嚙み締めるようにつぶやく。
「――その多くは謎に包まれているな。わかっているのは、彼らが世界に終末をもたらすほどの異能力を持っているということと、みな発見時は幼い子どもだったということだけだ。その姿も、性別も、国籍さえも公表されてはいない。人間なのかさえ怪しいもんだ。宇宙から来た宇宙人なのか……もしかして触手かなんかが生えていたりしてな。月をかじるくらいだ。とんでもなく大きいのかもしれん」
冗談を言ったつもりなのか、教師はしんとした教室で一人だけ笑う。
「まあしかし恐れることはないぞー? どっかのノーベル平和賞受賞者がこんなことを言っていた。『彼らが子どもでよかった。その力を私利私欲にまみれた大人が使えば、またたく間に世界は終末を迎えていただろう』と。つまり能力を持つのが子どもたちだったからこそ、物事の善し悪しをちゃんと教えることができる。コントロールできるということだ。だから我々は彼らを〝怪獣〞や〝災害〞と呼称するのではなく、願いを込めてこう呼ぶんだな。〝異能兵器〞と」
そう言って教卓に置いた教科書へと視線を落とす。
「えー……現在、公式に認められている異能兵器の数は五人。核兵器にも匹敵するその力を、世界中がほしがっているのです、と。95ページ」
教師が言うと、生徒たちは一斉に教科書をめくった。
「では彼らが世界で初めて確認されたのはいつ、どこでだ。じゃあ、わかるか――
名前を呼ばれた男子生徒が、「はい」と答えて眼鏡を指で押し上げた。
「二〇〇一年、エジプトにて予知能力を発現させた児童を発見。二〇〇三年にはアメリカ合衆国に譲渡され、世界初の異能兵器と認定されています」
「正解だ、成増。よく勉強しているな」
黒板前をうろうろしていた教師は教卓の前に立ち止まり、開いた教科書を読み上げる。
「えー……『二〇〇一年から二〇一八年までに発見された異能兵器は五人。それぞれを保有している国家は、アメリカ合衆国、フランス共和国、中華人民共和国、ロシア連邦、そして日本国です』えー『異能保有国家は〝CCO〞――Children’s Country Organization――子どもの国機構に加盟することになります』。ここ線引いとけ、穴埋め出すぞー」
教師が言うと、生徒たちは一斉に教科書へペンを走らせる。
その力は、核兵器にも匹敵する――と教師は今一度繰り返して強調した。
「だからこそ、異能兵器は各国を牽制する抑止力にもなるわけだ。世界各国は新たな異能兵器を見つけ出そうと捜索に力を入れているし、保有していない国は保有している国から奪ってやろうと、水面下でじっと狙いすましているわけだな。じゃあ日本で発見されたのはいつだ、月島」
名指しされた女子生徒は手を挙げて、必要もないのに勢いよく立ち上がった。
「はーいっ! ぜんっぜん、わかりません!」
「二〇一六年三月一八日だ月島座れー。座って勉強してくれー」
教師はくるりと踵を返し、〝2016日本〞と書き記す。
「――そうつまり、たった三年前のことなんだな。えー……前からにーしーろー、八行目。『CCO加盟国との領土問題や貿易制約など、他国間交渉に苦しめられていた当時の日本は、異能兵器の発見によって立場を向上させました。日本は異能保有国となり、CCOの加盟国となったのです』――異能兵器を保有することで、名実ともに強国の仲間入りを果たしたってわけだ」
CCO加盟による国際社会への影響は凄まじい。軍事力上昇にともない国の信用度が上がり、流通の活性化や企業売上げの向上など、多大な経済効果をもたらす。
ある経済学者は「手っ取り早く国の成長率を上げたいなら、異能兵器をどこかから奪ってきて崇め奉ればいい」と発言し、戦争を誘引しているとして非難を浴びた。
実際世界のあらゆるランキング上位はCCO加盟国が席巻しており、世界はこの五カ国が回しているとさえ言われている。
だからこそ異能兵器を持っていない国は、持っている国にこびへつらう。そうでなくては潰されてしまう。他に対抗手段でも別の異能兵器でも所有していなければ。
「日本は異能兵器の所有を喜び、発見された三月一八日を、世界からの抑圧に屈しないという意味を込めて〝独立記念日〞とした。祝日にまでなってるんだからちゃんと覚えるんだぞー、月島。さて。それじゃあその日にちなんだ我が国の保有する異能兵器の名称は――」
教師は教室を見渡して、窓際の最後尾に目を留めた。――「わかるな、市ヶ谷」
ハッとして顔を上げたすずへ、振り返った生徒たちの視線が突き刺さる。
「ィ……ィンデ、ペン、デンス――」
鈴の転がるような小さな声を遮って、教師が声を張り上げた。
「聞こえないぞ、市ヶ谷ーっ。ちゃんとご飯食べてるのかー?」
「イッ……インデペンデンスッ、デイ……!」
「正解だ」
周囲の視線が外れてから、すずはほうと息をついてうつむいた。
ただ一人、廊下がわに座る千樫だけが、その姿を横目に見つめたまま。
――あの教師め。ちゃんと声聞こえていたぞ耳が悪いんじゃないのか……? 何がご飯食べているのか、だ。ハンバーガー食べてるわ。
授業はつまらない。
異能兵器など、そんなよくわからない存在に興味はない。
国が強くなろうと経済が潤おうと、千樫にはまったく関係のない話である。そんなことよりも、窓際のあの子が傷ついてやしないかが心配だった。
すずは背を丸め、こそこそと机の下でスマートフォンを操作している。
千樫もスマホを机の下に隠しながら、ツイッターのアプリを開いた。
たった今更新された、ツキヨノウサギの最新のツイート。
――ちゃんと食べてるし お月見バーガアアアア(*゚□ ゚*) アアア!!
ふ。と千樫は小さく笑った。
現実のすずよりも、ツキヨノウサギはよくしゃべる。その言葉を読んでいると、小学生のころのすずを思い出して嬉しくなる。
間を開けず、ツイートは続いた。
――授業つまんない_(:3」∠)_ そんなことより ラブコメがしたい
ラブコメ? それはまた愉快な願望をお持ちで。話しかけることはできないが〝いいね〞くらいなら、と画面をタップしようとした。しかし直前で夏都の言葉を思い出す――
「のぞいてることバレたら終わりやぞ?」……。
――ヘタに気を引くようなことはしないほうがいいのか……?
いいねと親指さえ立てられないのなら、そもそもフォローを外すべきではないだろうか。
ただ、気になって気になって仕方がないというのも正直なところ。
千樫は机に突っ伏し、自己嫌悪たっぷりのため息をついた。
――ホント卑怯だなあ、俺……。
× × ×
一週間後。
あれから夏都は千樫の依頼通り、休み時間やランチタイムなど、時間さえあればすずの席へ出向き話しかけていた。すずは転入してくる前のことを話したがらなかったから、夏都はその辺りへ話題が転がるのを避けてトークする。
「サボテンってどんな種類あんの?」だとか、「何読んでんの? ラノベ? えタイトル長っ!」だとか。すずが自ら話したがるような話題を振って、すずの言葉を引き出していく。
夏都も多趣味なものだから、すずの話を興味深そうに聞いていた。あれは演技ではないだろう。「話してみると楽しい子やん」と笑っていた。
千樫は廊下がわの席から二人の様子を眺めつつ、「あいつすげえな」と感心していた。
すずが笑うようになったのは嬉しい。
よかった。これであの人が寂しい思いをしなくてすむ。千樫は安堵していた。
さらに千樫の過去を面白おかしく伝えた夏都のトークは、千樫に思わぬ
――ハアやっぱあの人好き 好きすぎてつらい_(:3」∠)_
味噌汁をすすりながらスマホをいじっていた千樫は、すずのツイートを見てぎょっとした。――好き? ラブのこと? ラブコメしたいとつぶやかれていたのも記憶に新しい。
意中のあの子が、誰かに恋をしているというのか。心臓がキュウと締めつけられた。スライドせずにはいられない。午前中につぶやかれた、すずのツイートを掘り起こす。
――別にいいんだ_(:3」∠)_ 遠くから見てるだけでも幸せなんだ
――自分から話しかけてみたいけど だめだ緊張しすぎてムリ… _(・ཀ・」∠)_
――あの人の話聞けただけでも 学校通い続けててよかったなあ ᕕ( ᐛ )ᕗ
――あの人の中学生時代の話 めちゃくちゃ元気になるぜ ٩( ᐛ ) و
時系列を遡っていく。誰だ、誰を好いている? 何かヒントはないものか――と。
――実はずっと気になってる人がいる…眉なしムンバニー どうしてそんなあだ名にw
ぶっ、と味噌汁を吹きだす。
後ろの席で焼きそばパンをかじる夏都が「きたなっ!!」と声を上げたが、それどころではない。落ち着け。時系列は逆だから、逆から読んでみればいい。
――つまり、ムンバニー(俺)の話題で元気になり、自分から俺に話しかけてみたいけど緊張しすぎてムリ。でも遠くから見るだけでも幸せで……そして〝好きすぎてつらい〞……?
思わず窓際へ視線を滑らせた。するとすずがこちらを見ていて、千樫の視線に気づき、慌てて目を伏せる。前髪を手ですいているその頰が、赤く上気している――ような気がする。
ガタッ――
思わず立ち上がった千樫を夏都が見上げる。
「え、何!? 落ち着けや自分」
「……これが落ち着いてられるか。奇跡が……愛の奇跡が起きているのかもしれんのに」
「どうした言動がいつにも増してきしょいぞ」
すとん、と着席した千樫は、夏都にスマホを見せる。
すずのツイートを読んだ夏都は上機嫌に言った。
「やぁこれ俺のおかげやんねえ? 俺が一生懸命、君のこと語って聞かせたから、あの子も君を意識し始めたってことでええよねえ?」
「お前バカ。眉なしとか変なこと言うなよバカ。焼きそばパン一ヶ月延長」
「ごちそーさん」
千樫はツイートを読み直す。自分の存在がすずを元気づけているのなら、これほど嬉しいことはない。スクショした。
「めちゃくちゃ脈ありやないの。ちゃちゃっと話してきぃや」
「いやあ……どうしよ……」
「何でえ? 両想いやろ? 何を躊躇う必要があんの」
「しゃべれねえんだって。どもっちまうんだよ、あの人の前だと。それで『うわ、やっぱキモ』とかつぶやかれたらもう生きていけねえよ。死んじゃう」
「重症やな……。ほなショック療法といこか」
「え、ショック……? 何怖い」
夏都の視線を追って、千樫は窓際を見る。
ハンバーガーの袋を片づけるすずに、近づく女子生徒の姿があった。
「市ヶ谷さーんっ! 今日こそ一緒に帰ろうよ。ね? ねー?」
艶めく長い黒髪と、〝 ( 〞のように切りそろえられた前髪。
不自然なまでに赤いくちびるを持つ彼女は、隣のクラスの転入生だ。
「桜田アリス――あの子もまた、二学期の始めにやって来た転入生。クラス違うのになぜかわざわざこの教室まで来て、すずちゃんと仲良くなりたがる女……」
「同じ転入生同士だからじゃね? けど市ヶ谷さんは、いつも困った顔をしている」
今もすずは距離感の近いアリスに圧倒され、戸惑っている。がんばって笑顔を作ってはいるが、ぴょっ、ぴょっと額から跳ねる汗が見えるようだ。
「友だちはほしいけれど、ギャルは苦手って感じかな」
「そやねえ。この間訊いてみたら、誘うてくれはるのは嬉しいんやけど、二人きりやと何話してええのかわからんってさ」
「だろうな。俺だって、あんな派手な女と何話していいのかわかんねえよ」
ゆるふわ護りたい系女子のすずに対し、アリスはエロかわフェミニンな雰囲気をまとっているような女子だ。涙袋のあるぱっちりとした目元に、厚いくちびる。
ウエストは細いのに胸が大きいという恵まれたスタイルを持ち、読者モデル経験があるという噂も聞く。第一ボタンまで胸元を閉めているのに何かエロいとはこれいかに。迂闊に近づくと、お前は花かというくらいに甘い匂いがする。
ちなみに、インスタのフォロワー数は1000を超えているらしい。
すずのツイッターフォロワー数は、宣伝っぽいアカウントも含めて6なのに。
アリスは言わば人気者だ。転入して来たのはすずよりほんの一ヶ月ほど前だったのに、その存在はすでに学年全体に知れ渡っていた。やれ上級生から告られただとか、サッカー部のエースと付き合い始めただとか、早くもそんな噂が囁かれている。
遊ぶ人には事欠かないだろうに、なぜすずにあんなにもこだわるのか。
「ちゅうことでほら、助けんで」
「え?」
「ねえ市ヶ谷さん。帰り、池袋にマンボウ見に行かない!?」
「……マンボウ……?」
「そう!! マンボウ好き? いいマンボウが見られるところがあるの! 一緒に行こ?」
「いいマンボウ……?」
よくわからない誘いを断ることもできず、すずは困惑し続けていた。
そんな二人の間に立つようにして、夏都がひょっこり顔を出す。
「え? マンボウ好きぃぃいっ! 見たいわあ俺もマンボウ」
マンボウへの食いつき方が異常。夏都は不自然ながらも二人の会話に混ざる。
アリスからしてみれば、マンボウで変なのが釣れてしまったという感覚だろう。眉根を寄せて、明らかに不快感を示した。
「え……誰?」
「初めまして氷川です。君は桜田アリスやろ? 知ってんでえ有名人。なあ、俺らも一緒に行ってええ? マンボウって、ほら。みんなで見たほうが楽しいやんか?」
こいつやっぱすげえな、と千樫はそっと夏都の背後に立ちつつ感心していた。いくら多趣味とはいえ、絶対マンボウになんて興味ないくせに。
拒絶たっぷりの「はあ?」にもまったく怯ひるむ様子がない。
「マンボウはあたしと市ヶ谷さんで見るの。邪魔しないでくれる?」
「えー? 何でえ? 二人そんな仲良うないやん?」
「これから仲良くなるの! そっちはそっちで勝手に行けば?」
「いや男二人で見てもつまらんやろう。マンボウなんて」
「男女混合で見てもつまんないでしょ! マンボウなんて」
ひどい言われようのマンボウである。というか桜田はマンボウが見たいのではなかったのか。突如言い合いを始めた二人を交互に見る千樫は、おろおろとするすずに気づいた。
……まずい。困っているではないか。早くこのマンボウ男を連れて退散しなければ――と夏都の肩に伸ばした手を、ぐっと握った。
――いやいやいや。ここまでお膳立てしてもらって逃げるのか、俺……?
夏都は、マンボウ男を演じてまですずと引き合わせようとしてくれているのに。自分が逃げてどうする。千樫は手汗を握りしめ、すずの席へと近づいていく。
こうなったら意地で話す。話してやる。
「あ、あのうっ!」
「ははいっ……!?」
突然声をかけられて、すずは驚き席を立った。
千樫はまるでプロポーズでもするような厳かさで、深々と頭を垂れる。
「よければご一緒に、おマンボウでも……」
驚きのあまり硬直したすずもまた、千樫に倣って頭を垂れた。
「あ……はい、よろしくお願いします」
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