04
「――いやちょっと待って? 何の話してんの?」
時は進み二〇一九年、十一月。
〝月かじり事変〞から九ヶ月後。
無事受験に合格した千樫は、高校一年生となっていた。
ランチタイムを迎えた教室にて。
後ろの席に座る
「何の話って……? 俺と市ヶ谷さんの話だけど……」
「いや途中から眉なしオンリーになっとったやん。すずちゃんどこ行った」
「それは仕方ねえよ。中学生時代には市ヶ谷さん出てこねえし」
「じゃそれ話す必要あるう?」
千樫はカップ味噌汁をすする。
ずずず――。温かな喉越しに、ほぅと目を細める。
荒れていたのも昔の話だ。高校生となった今は授業をサボったりなどしないし、ケンカもしない。眉毛を整え、前髪も下ろした。ただ孤立していた中学生時代のせいか、厭世的だった小学生時代のせいか。友人と言えるものはいなかった。
そんな千樫に飄々と近づいてきたのが、ランチタイムになるとやってくるこの男、氷川夏都である。ブレザーの下にパーカーを着た夏都はいつもニコニコ笑っており、よく一緒にいる千樫でさえ、何を考えているのかわからない。
バスケ部に所属しながらバスケ部同士で連むようなことをせず、クラス内ヒエラルキーもなんのその、クラスにいるすべての人間に興味を持つような男だった。流行の歌からファッションにゴシップ、受験にスポーツ、アニメにいたるまで、目につくものすべてに関心を示すものだから、友だちも多い。そんな人気者がどうしてランチタイムになるとやってくるのか。千樫自身それは謎に思うところである。
「眉なしの誕生ねえ。あ、君がいつもジャージなのって、もしやそのころの名残り……?」
「ああ。動きやすいんだよ、これ。汚れても構わねえしな」
千樫は制服のシャツの上にブレザーではなく、ジャージを着ている。いまやケンカなどしないものの、ブレザーにネクタイより堅苦しくなく、気に入っていた。
「にしても、よう更生したな。失恋の痛みは癒えたの?」
「いや……ふと気づいたんだよ。今捜しに行けないなら、大人になってから捜しに行けばいいんだって。そのために当時できることは受験勉強だった。学力はどうしたって必要だろ? FBIに入るためには」
「え渡米する必要ある? そこは探偵とかでよくない?」
言って夏都は教室の向こうがわ――窓際へと視線を移した。
「……ま、結果オーライってことか。受験がんばってよかったやん」
「……まあな。あのままグレてたらたぶん、再会することもできなかった」
ずずず――。味噌汁をすする。
廊下がわの壁に背をもたせ、眺める先はやはり窓際。一番後ろに座る女子。
窓から吹く風にそよぐ柔らかな髪。肩幅の小さなシルエット。その姿は控えめに咲く花のような――。そこには小学生のころよりも、少し大人びた市ヶ谷すずが座っている。
彼女が転入してきたのは、ほんの一ヶ月前のことだった。
それはあまりに突然訪れた、奇跡的な再会劇。どれだけ捜しても見つからなかった意中の人が、こんなにもあっさり現れるとは。それも同じ学校のクラスメイトとして。
「しかしあの大人しい子が食べかけコロッケをねえ……。君の話とはえらいイメージちゃうねんけど」
すずはいつも一人でランチを取る。多くの生徒が出張販売の弁当を広げる中、すずだけはファーストフード店の紙袋を広げる。今日もまた一人。小さな口で黙々とハンバーガーをかじっていた。
「……そこなんだ。俺の知ってる市ヶ谷さんはもっと明るくて元気で、何というか……よく笑う子だったんだよな。優しいから友だちも多くて――」
「それ思い出補正かかってへん? それか恋の魔法的な」
「それを考慮してもだな。一人ぼっちで飯食うような子じゃなかったんだよ」
今のすずの印象は〝静かなる不思議ちゃん〞である。
声が小さく、会話しようにも、しどろもどろで要領を得ない。
どこから来たのか、どこに住んでいるのか、どうして二学期が少しすぎたこの時期に転入して来たのか――話題は尽きなかったが、何を質問しても困ったようにうつむくばかり。
その大人しい印象は、小学生のときとあまりにかけ離れていた。
ただ見た目に関して言えば、少し大人に近づいたすずは、たとえ恋の魔法にかかっていないものから見ても魅力的な少女であると言える。
一五歳にして生まれたてのような白い肌に、桜色した小さなくちびる。ショートカットのこめかみあたりをヘアピンで留め、耳を出している。
シャツに重ねたカーディガンは少し大きめで、スカートからは黒のタイツが延びていた。
転入初日。壇上に足をそろえ、ガチガチに緊張しながらも健気に頭を下げたすずは、たしかにクラスメイトたちの心を打った。
あれから早一ヶ月。
休憩時間になると、すずは一人黙々と読書を始める。
仲良くなろうと近づいたものたちは会話を続けられず撃沈していき、すずが窓際でサボテンを育て始めた辺りで、声をかけるものはほとんどいなくなった。「ああこの子は見て楽しむものなのだ」と理解され、いまや置物的存在と化している。
「俺は三日でこれムズいわって悟ったけどな。ほんで? 小学校おんなじクラスやったっちゅうアドバンテージを以てして、君はどれくらいしゃべったん」
「皆無だ」
すずを前にすると口が回らなくなる症状は、いまだ治っていなかった。
声を震わせながら「おおおおはよう」と話しかけたこともあったが、すずは深くうつむ
いて、逃げるように去ってしまった。早歩きで。傷ついた。
「……まあでも別に考えてみれば。同じクラスだったっつっても小二んときだけだし。ほとんどしゃべってねえんだし。忘れられてても不思議じゃねえだろ? ねえよな?」
「ふむ。なるほどつまり俺に相談ってのは、すずちゃんとの仲を取り持ってほしいってことな?」
「いや。相談ってのは別のことなんだ。ちょっとこれを見てほしい」
言って千樫はスマートフォンを取り出す。起動させたのはツイッターのアプリ。
ただ画面に映るアカウントは、千樫のものではなかった。毒々しい色をしたウサギのイラストアイコンに〝ツキヨノウサギ〞と打たれたアカウント名。
「何これ?」
「ツイッターだよ。たぶん、市ヶ谷さんの」
「えっ……? 知ってんの?」
「検索したんだ。あの人がクラスに来たその日に〝転入〞とか〝新しいクラス〞とか〝緊張〞ってワードで検索して、片っ端から見てった。何かしらつぶやいてないかなあと思って。そんで、ムンバニーアイコンのこのアカウント見つけたんだ」
「執念すげえ……!? すげえ怖え……!! よう思いつくなそんなこと」
「だって俺ほら、FBI目指してたから」
「それ関係あるう?」
ドン引きする夏都を横目に、千樫はツキヨノウサギのタイムラインをスライドしていく。
そこには、口数少ないすずの独り言が赤裸々に連ねられている。
――寝すぎた! あちゃー_(:3」∠)_
――ひゃっほーいい天気 ٩( ᐛ ) و お布団ほしてカフェで読書だ ᕕ( ᐛ )ᕗ
――雨が降っている…だと…? ( ゚ェ゚)
――なんでちゃんと天気予報確認しないの、ぼく_(・ཀ・」∠)_
「……ん? これ自分のこと〝ぼく〞言うてるやん。男ちゃう?」
「いや、むしろそれで確信したんだ。あの人小学生のころ、一人称〝ぼく〞だったから」
「まじか。よう覚えてんな引くわ……。ツイートのぞき見とか、完全ストーカーやん」
「え……? でもちゃんとフォローしてるぞ? 六人のフォロワー中、一人が俺だぞ?」
「まあ鍵アカにしてへんなら、見られてもええってことなんやろうけど。気持ち悪ない? 知らんうちにクラスメイト、フォロワーにおったら」
「……それ嫌われる案件?」
「そら嫌われる案件でしょ」
「まっ……まじかっ」
慌ててスマホを操作し、フォローを外そうとする千樫を夏都が止める。
「まあ待て。卑怯っちゃあ卑怯やけどそれを手放すのは惜しい。何せ攻略対象の心がのぞけるチートアイテムやで。バレたら一発終了やけど、バレなきゃええやろ」
夏都はニヤアっと悪い顔をするが、千樫の心情は複雑である。
「やあ……でも卑怯な手はちょっと……」
「おいおい〝大山の眉なしムンバニー〞が何そんなかわいいこと言ってんの? 当時は卑怯上等だったんやろ?」
「それは別に、どうでもいいやつらが相手だったから……」
夏都はあきれて笑った。
「ただでさえ、しゃべられへんのやから大いに活用しいや。それさえあれば、すずちゃんが何に興味あるかもわかるやん? ネタがあれば近づけるやろ」
「ネタがあったって近づけねえんだよ俺は。だからお前に相談してんだ」
「んー?」
「見てくれ、これ」
夏都にスマホを見せ、千樫はタイムラインをスライドさせる。
――なんでどもっちゃうんだ 何がしたいんだぼくは_(・ཀ・」∠)_ああ
――せっかく話しかけてくれるのに、ホントはちゃんとしゃべりたい…
――なんとなく避けられてる感じ、実はあんまりだいじょばない_(:3」∠)_
――明日はちゃんとあいさつするぞ ٩( ᐛ ) و おやすみー
そこには、クラスのみなと仲良くなりたいと願うすずの言葉が並んでいる。
その少女は、何を考えているかわからない不思議ちゃんではなかった。ただ、考えや感情を表現することが苦手なだけの不器用な子だった。
――普通の子みたいになりたいな_(:3」∠)_
「あの人が、好き好んで一人でハンバーガー食べてるんなら、それでいいんだ。けどツイート見る限りじゃあ、友だちがほしいって思ってる。クラスに馴染みたがってる。だからお前にお願いしている」
「何で俺? 君が行けばええやないの」
「俺じゃムリなんだって。あの人としゃべった記憶なんて、コロッケ食べてくれたときの『うるさいあっち行け』と、泣き顔見てビビって言った『何でもねえし』だけだぞ」
「うん……脈なしにもほどがあったな」
「俺は今だって、あの人が苦手だ。あの人の前だと緊張しすぎて冷や汗が止まらなくなる。手汗で洗顔できるレベルだぞ。プラスあの人も昔と違ってあがり症になってんなら、緊張するもん同士で会話が成立すると思うか?」
相槌同士では意思の疎通などできやしない。
「地獄やねえ……」
その光景を想像したのか、夏都がうーんと腕を組む。もう一押しだ。
「焼きそばパン一週間分でどうだ」
「……二週間」
「……一週間半」
「ごちそうさん。ついでに君のことも話しといたるわ」
夏都が頷いてくれて、千樫は安堵する。
「助かる。俺のことは別にいいけど」
「それ以外にしゃべるネタないもん。つうかそのツイッターにさ、他にネタ書かれてへんの? 中学校時代の思い出とか、どこどこに住んどったとか。ネタちょーだい?」
「いや……それが、ここ数年に関する情報はまったく。ツイッター始めたのも九ヶ月くらい前からっぽいし」
言いながらタイムラインをスライドさせる千樫。一番最初の投稿は、こんなつぶやき。
――滅べばいい こんな世界
「……おっも。初っ端から黒歴史確定の鬱イートやん。何この子? 魔王?」
「投稿日は二月十八日。世界中が鬱々としてた時期だよ」
「……ああ、九ヶ月前ってなるほど。月かじり事変か」
すずのアカウントは、月が壊されてからそのわずか四日後に作られていた。
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