03

 異能兵器による〝月かじり事変〞から遡ること三年前。

 二〇一六年、春。辰巳千樫、中学一年生のころ。

 この年、日本で初めて異能力を発現させた子どもが発見された。

 そのニュースは吉報として連日報道され、国中が歓喜に沸いた。これで我が国も異能保有国。名実ともに強国となった日本の未来は安泰だと――。


 ただ中学生に上がった千樫にとって、そんなことはどうでもよかった。

 放課後になれば自転車を繰り、すずの行方を捜し続ける日々だ。

 不思議なことに、すずは忽然と消えてしまっていた。すずの元担任や友人でさえ、引っ越し先を知るものはいない。転校の予兆さえなかったと声をそろえた。

 自転車を飛ばし、何度もすずの家まで行った。一戸建の市ヶ谷家はがらんどうの空き家となっていて、近所の人に尋ねてみても、突然いなくなったということしかわからない。


「……一家丸ごと消えてしまったのか……?」


 お父さんの勤め先。お母さんのパート先。二歳年上のお姉さんの学友など。考え得る限りの調査を行った。しかし誰一人、市ヶ谷家の行き先を知るものはいない。

 もしかして。

 あることに気づき、千樫は胸を締めつけられた。冷や汗をかき、体の震えが止まらなくなり、膝から崩れ墜ちた。もしかしてもう――あの人に一生会うことはできないのか?

 すずジャンキーは、すずからの離脱症状に苦しめられるようになった。一度も服用したことはないというのに。

 もっと話すべきだった。もっと好意をアピールすべきだった。

 すずとのエピソードなどほとんどない。たった一度、エビクリームコロッケを食べてもらっただけ。だからこそ、あのシーンを鮮烈に覚えている。

 ぴょこんと机のフチから現れたあの少女を――。

 ――そんなにまずいのー? それ。

 ――うーん。たしかに、まずいぜ。

 ついでのように自分を救い、無邪気に笑ったあの笑顔を――。

 脳裏に焼きつけたまま――千樫は荒れた。めちゃくちゃ荒れた。

 勉強への意欲を失い、毎日をただ消費すべくゲームセンターに通う日々が続いた。

 行き先は大山商店街。

 大山駅に隣接したアーケード街で、スーパーマーケットや小売商店だけでなく、パチンコ店や銀行、雑貨屋、飲食店など、長く延びた一本道に多くの店が向かい合う賑

やかな商店街。その一角に、地下へと続く薄暗い階段があった。

 ちょっと怪しげな、ゲームセンターへの入り口である。一ゲーム50円という格安設定。一昔前の格闘ゲームが並ぶ学生たちのたまり場。そこが、千樫の居場所となった。

 学校をサボって格ゲーばかりしていたので、その腕はメキメキと上達していった。

 すずの見つからない鬱憤を晴らすべく、ハメ技を駆使して対戦相手を痛めつける。

 ある日、54連勝、55連勝、56連勝と勝ち星を重ねていたところ、57戦目の途中で背中にイスが降ってきた。


「ンゴっ……!」


「……っとに汚えよなあ〝ムンバニー〞はよう? ああ?」


 ちょっと前にハメ殺された隣町の学生が、イスを片手に千樫を見下ろしていた。

 ちなみに〝ムンバニー〞とは、千樫の通り名である。小学校の卒業式に巨大なムンバニーのぬいぐるみを背負って現れたという、強烈な逸話から発生したものだ。

 床に倒れた千樫へ、数名が蹴りを入れる。

 周りのものたちが歓声を上げた。

 どいつもこいつも隣町の学生たち。店内には千樫にゲームでハメ殺され、千樫をよく思わない連中が多くたむろしていた。言わば、アウェイだ。

 千樫は体を丸めて頭を護りながら、固く目を閉じ蹴られ続ける。

 ――おうおう、お前らみんな俺の敵か。

 ――いいねえ、あのときと同じじゃねえか。

 思い返すはコロッケを前に、一人途方に暮れていたあのシーン。裏切られた悲しさ。やるせないむなしさ。いっそ殺してくれというほどの恥ずかしさ。

 あのとき、ぴょこんと顔を出したすずを思い出すだけで、痛みは和らいだ。しかしもうあの子はいない。自分一人だけで何とかするしかないのだ。

 まったく関係のないところでほろりとすずを想って涙して、千樫は迫る足のスネに拳をぶつけた。敵の動きが止まる。

 立ち上がった千樫は眉尻の血を拭い、その血で頭を撫でつけ、毛先を逆立てた。

「上等だよ、コノヤロウ……」

 自分を取り囲む一人一人を睨めつけ、ムンバニーは吼える。


「死にたいやつからかかって来いやオラアア!!」



 ――で、出禁になった。

 それでも千樫は大山商店街へ通い続けた。

 あそこがダメならば、と踏切を越えた先のゲーセンに通い、そこもケンカして出禁になってしまったあとは、同じ商店街にあるアミューズメント施設で、おじいちゃんおばあちゃんに混じってメダルゲームに興じた。

 ときどき隣町の生徒に見つかっては、「表出ろや」「お前が出ろや」の応酬が始まる。

 一対一でも対多数でも、とりあえず千樫は裏路地へ逃げ込んだ。

 敵が油断したところを催涙スプレーで奇襲し、メリケンサックで沈めるハメ殺しスタイル。卑怯だ、最低だと罵られても構わない。格好つける相手などいないのだ。がむしゃらにやって勝てばいい。

 すずに会えない鬱憤を、今度はリアルファイトで晴らしては、隣町の生徒と商店街を駆け回る日々が続く。ただし卑怯な戦術も、必勝とはいかなかった。

 特に大勢相手では分が悪く、捕まっては何度もボコボコにされ、次見つけたら殺すと脅された。二度とこの商店街に姿を現すなと。それでも千樫は、商店街へ通い続けた。

 他にやることがないからだ。

 ――嫌だ。嫌だ。何もかもが嫌だ。

 すずのいないこの世界も。すずに何があったのか知らない自分も。そんな自分を追いかけ回す、このどうでもいい連中も。

 愛のない世界など世紀末に等しい。

 荒廃した世界で千樫は、ただただ暇を持て余していた。


 シャカシャカシャカ、シャカシャカシャカ……――。

 ある日ひざまずかされた千樫は、両腕を押さえつけられていた。

 目の前にはかつてゲーセンでイスを千樫に降らせた〝どうでもいい連中の代表格〞が頭の悪そうな笑みを浮かべて立っていて、スプレー缶をシャカシャカ振っている。

「やっと捕まえたズェ……? 卑怯なムンバニーには、お仕置きが必要だよなあ?」

「どっちが卑怯だよ……。一対十何人だこれ。お前そんな友だち多いの?」

「お前に敵が多いだけだろ。日頃の行いが悪ぃからだ」

 男は言ってナイフを取りだし、腫れ上がった千樫の頰に切っ先を当てる。

 顔に消えない傷でも刻むつもりか……外道め。千樫は潰れた目で相手を睨みつけた。

 直後にプシュウとスプレー缶から吹きつけられたのは――白い泡。

 男は泡を千樫の眉に馴染ませ、中腰になってナイフを添える。

 ジョリ、ジョリと丁寧に。丁寧に……。


「あ、それシェービングクリームだったの?」


「バカ動くな、ムンバニー。切っちまうぞ?」


 非情なる制裁。かくして千樫は眉を剃られた。

〝大山の眉なしムンバニー〞誕生の瞬間である――。

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