20④-④:言葉にしないと伝わらない。

 再び歩き始めたアンリの背に、もうこれを逃したらチャンスは無いと思ったテスファンは、地面を這いつくばったまま叫んだ。


「俺は、ずっと責任を感じていたんだ!お前が俺のせいで、医者なんか目指すようになってしまったから…」

「…え…?」


 アンリはその言葉に、ぴたりと歩みを止めると、テスファンを振り返った。すると、テスファンは、目を涙で潤ませ、鼻をぐすっと鳴らした。


「…俺のせいで…俺が病気で死にかけたせいで、お前は医者の夢に囚われてしまって…。あの頃、お前は医者になるための試験に何度も落ち続けて、憔悴していた…もしかしたら、思いつめて自殺するんじゃないかってぐらいに。そんな時に、お前、勉強のし過ぎで倒れてしまって…。お前が医者を目指すようになったのは、俺を守るためだっただろ…?俺があんな病気をしなければ、お前はあんなに苦労することは無かった。医者を目指すことはなかったって…」

「……」


「…だから、お前が医者を目指すのを、やめさそうと思ったんだ。お前を見舞うたびに何度も言ったじゃないか…体を壊すぐらいならもう医者なんか目指すな、勉強なんてやめてくれと。だけど、お前は頑固だから、聞いてくれなかった。だから、お前にあんなことを言ったんだ。…ひどい事だと分かっていても、嫌われると分かっていても、お前の体の事を思ったらああするしかなかった…」

「……」


 アンリは何も言えず、テスファンの言葉をただただ聞いていた。そんなことをテスファンが思っていたなど、考えたこともなかった。


「だけど、結果的に、お前は村を出て行ってしまって、生きているのかさえ分からなくなってしまった…。こんなことになるのなら、言わなきゃ良かったってずっと後悔していた。ずっと何度も、心の中でお前に謝っていた。そして、いつかこうして現実に会って、謝りたいと思っていた…ごめん」


 テスファンは涙を袖で拭うと、もう一度深々と頭を下げ、地面にこすり付けた。



「……」

 アンリは、頭を下げたままのテスファンを、しばらく黙って見ていた。しかし、ふうと息をつくと、ぽつと口を開く。


「謝るのはこっらの方だよ…」

「…え」

 不思議そうに、テスファンがアンリを見上げる。


「僕、君がそんなことを考えていたなんて、全然知らなかった。そうとも知らず、この10年もの長い間、君の事をただただ恨み続けて生きていたよ」

「……」


「君の事を恨み続けて恨み続けて、そして医者になれた時、君の事を思い浮かべながら、ざまあみろって心の中で叫んでいたよ」

「……」


「その間に、君は10年もの間、ずっと僕を想いながら謝り続けて、生きていた。…なんだか、笑っちゃうよね」

 アンリは、自嘲気味に笑って見せた。そして、ふうと大きく息をつくと、どこか罰の悪い顔でテスファンを見た。そして、頭を下げる。


「ごめん。思い返してみれば、確かにあの頃の僕は、君が労わってくれているというのに、全く話を聞こうとしなかった。そんな僕の態度が、君に、ああいう態度を取らさざるを得ない状況にしたんだね…」

 アンリは苦笑しながら頭を上げると、テスファンに手を差し出す。


「だけどさ、ちょっと言わせてもらいたいんだけど、人間ってちゃんと言ってくれなきゃ分からないこともあるんだよ。だから、僕が君の事を誤解しないためにも、これからはあんな演技をする事よりも、今みたいにちゃんとそう言う想いを僕に言ってほしいな。僕も、これからはちゃんと聞くようにするから」


 これから、という言葉に、テスファンは、ぱああと顔を明るくした。終わったと思っていたアンリとの友情関係に、これからを許してもらえたという事になるからだ。


 アンリは、そんなテスファンに大きく頷いてみせると、テスファンの手を取って立ち上がらせた。



「…なあ、リアン」

「…なあに、テス」


 昔のように呼び合い、アンリはすっきりとした心地のままに、テスファンと顔を合わせた。

 が、その時、アンリは『しまった』と後悔した。


「…テス、ごめん。僕、強く蹴り過ぎた…」

 テスファンは顔中、傷とあざだらけで、鼻血を出している。アンリは慌ててハンカチを出して、テスファンの鼻血を拭う。


「ははは、10年もお前に苦労をさせてしまった代償だと思えば、安いものだからいいよ。…と言いたいところだけど、明日も仕事あるんだよなあ…」

 テスファンは、額に手をやり、「明日の事まで考えていなかった」とため息をついた。


「僕が治療するから、安心して!僕、道具はいつでも肌身離さず持っているから!」

 アンリは、肩掛け鞄をさっそく肩から外そうとした。しかし、テスファンは苦笑して、それを制する。


「その鞄、やたら重そうと思っていたら、そういうことか。馬鹿真面目というか、医者の鏡というか…。後、その気持ちはありがたいけど、治療しても一日では直らないよ。…凍てた道で、すっ転んだことにでもするよ…それよりか」

 テスファンは、泥で汚れた自身の服をぽんぽんと払う。そして、アンリの肩に腕を回すと、にっと笑った。


「今夜は飲もう。俺達2人の貸切だ。そして、10年分の失った時間を取り戻そうじゃないか」

「…そうだな」

 アンリもにっと笑い返す。


 そうして、テスファンは店の扉を開けると、アンリを中へと引き入れた。

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