20④-③:故郷と友

「…」

 その頃、アンリは村を、ランプ片手に歩いていた。時間は夜8時過ぎ。今の時間帯に外を出歩いている者は、誰もいないようであった。


「…懐かしいな」

 だからこそ、アンリは故郷を、雪かきされた道を歩きながら、満喫することができた。かつてよく道草につかった裏道、知り合いの家、そしてかつて通っていた学校。空を見上げれば、かつてよく見慣れていた冬の星座。アンリは、懐かしさとはしゃぎたくなる心地に、足取りがうきうきとしていた。

 だが、空き地だったところに新たな家が建っていたり、あったはずの木がなくなっていたりすると、時の経過を感じられて、ものさびしい気持ちになった。



「……」

 アンリの足は自然に、かつての友人―テスファンの家兼店へと向かっていた。アンリは少しだけ、自身を裏切った友人の現在が気になっていた。遠目に見るだけなら、気づかれやしないだろうと思いつつ、店への道をたどる。



「…」

 その店は、昔と変わらずそこにあった。暖かい色の明かりが、窓から道に光を落としている。

 アンリは店を見たらすぐに引き返そうと思っていたが、何だか変な意地が湧いてきて、そんな気を失せさせた。


―なんで自分がびくびくする必要があるんだ。相手が悪いんだから、堂々としていればいいんだ


 だから、アンリは店の前の道を、通ろうと思った。

 それに、テスファンはきっと外まで見てはいまいと、アンリは思う。今の時期は観光客が少ないから店内は閑散としているだろうが、常連がいるはずなので、その相手をしていて窓の外にまで気をやっていないはずだ。それに自身は、防寒用の帽子を深くかぶっているから、気づかれるはずがない。



 アンリは、店の前を通る。もしも気づかれたらという緊張に鼓動を鳴らしながらも、それを見ぬふりして、足を前へと運ぶことに意識を集中させていた。その時だった。


―カラン

 店の扉が開き、扉の鈴が音を立てた。


「…」

 アンリはどきりとするが、きっと常連が店を出ただけだと自分に言い聞かせる。だから、アンリは平然を装い、そちらを見た。

 だが、扉を開けたのは、テスファンだった。扉に掛けてある『開店』の札を『閉店』に裏返すために、扉を開けたのだ。


「…」

 早い閉店。きっと今日は常連もこない日だったのだろう。アンリはさっと顔をそらすと、そのまま前へと歩みを進めた。どきどきとする心臓を鼓舞しつつ、きっと気づかれてはいまいと自身に言い聞かせる。そして、走りだしては怪しまれるからと、アンリは先程のスピードと変わりないか、頭の中で何度も確認しつつ足を進めていた。


「……」

 先程から、背中に感じる視線は、きっと気のせいだ。

 だが、


「…リアン?」

―気づかれた?!


 アンリは、かつての自身のあだ名がテスファンの声で発せられたのに、あやうく跳び上がりそうになったが何とかこらえ、そのまま足を進め続ける。

 相手の声音は、まだ確信が持てていない風だった。だからきっと、素知らぬ風を通せば、テスファンは赤の他人だったと、勝手に納得してくれるはずだ。


「リアン?…お前、リアンだろ!?」

 しかし、そんなアンリの願いは叶わず、テスファンの声が追いかけてくる。最初は自信なさげにゆっくりだった足取りが、しまいには駆け足になるのが分かった。


「…ッ」

 アンリは、近づいてくる声から逃れようと、ついに走り出した。しかし、相手の方が、足が速い。肩をつかまれて、アンリはついに振り返ってしまった。そこで、初めてテスファンと目が合う。そして、テスファンの声は、確信に満ちたものとなった。


「リアン!」

「……」

 テスファンは、洒落た服に身を包み、髪も綺麗に整えられていて、すっかり大人の男性となっていた。だが、あの頃から何も変わっていない眼差しが、アンリの目を捕らえた。


「…何で気づいたんだ…?」

 アンリは、どうすればいいのか分からず、混乱しながらも、やっとのことで言う。

 テスファンに顔を見せなかったはずなのに、自身の体格も身長が伸びて変わってしまっているというのに、どうして後ろ姿だけで気づかれたのだろうか。


「…お前の歩き方をみたら、すぐに分かったよ」

 テスファンは、少し得意気に笑って見せた。だが、アンリはふいと顔を背けると、テスファンの手を肩から払い、元来た道を引き返し始めた。


「リアン、待て。ちょっと話が…!」

「…僕は、君とは何も話したくはないよ」

 追いすがってくるテスファンに、アンリは顔も向けず歩き続ける。足を踏み出す一歩ごとに、かつてのテスファンの言葉や態度が思い出されて、怒りが込み上げてきた。


「なんで…」

「なんでの理由は、君が一番よく知っているだろう?」

 アンリは立ち止まると、腕にすがってきたテスファンを睨んで、冷たく言い放つ。そして、思いっきり手を振って、テスファンの手をほどいた。


「…リアン…」

 絶望の顔をしたテスファンを置いて、アンリはすたすたと足を速めた。そうして、後ろで立ち尽くしているテスファンの気配を感じつつ、アンリが十数メートル進んだ時、地面を蹴る音が聞こえた。そして、アンリに駆け足の音が近づいてくる。


「…」

 まだあきらめていないのか。アンリが、込み上がる怒りのままに、先程よりもきついことを言ってやろうと、振り返った時だった。


「…すまなかった!」

「…!!」

 テスファンはアンリが振り返るなり、道に座り込んで頭を地面にこすり付けた。いわゆる土下座を、アンリに向かってしたのだ。


「ちょ…」

「俺が悪かった。お前を傷つけると分かっていながら、あんな言葉を言った。だけど、本心じゃなかったんだ」

「…何を今更。言い訳?見苦しいよ。…あんな酷い言葉を言っておいて、僕を見下げておいて、あれが本心じゃなかったって…?よく言うよ」


 土下座をして、反省のポーズをとれば許されるとでも思っているのか。アンリの怒りは尚更、大きくなった。


「違うんだ。俺はただ、お前に医者になるのを諦めてほしくて」

「…諦めてほしかったって、人の夢を勝手に諦めさせないでほしいね」

 アンリは踵を返すと、その場を立ち去ろうとした。しかし、両腕でがしっと足を掴まれる。


「…離して」

「待ってくれ、俺の話を聞いてくれ」

「だから、君と話したくはないと言っただろう!!」

 アンリはげしげしと、テスファンを蹴った。しかし、それでもテスファンは、アンリの足にしがみついたまま離れない。


「…このっ、離せっ」

 アンリは意地になってテスファンを蹴った。しかし、テスファンは鼻血を出しながらも、アンリの足に食らいついていた。


「なんなんだよっ、離せよっ」

「離さないっ、俺の話を聞いてくれ!」

「知るか!」

 アンリは、渾身の力を籠めて一発蹴りとばした。そして、あっけなくひっくり返ったテスファンに背を向けた。

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