20③-⑥:リトミナに帰ろう。
「…そうだよね」
リアンはすっくと立ち上がった。その表情は髪に隠れて、シリルからは見えなかった。
「…消えろ」
「お母さん…?」
母の訳の分からないつぶやきに、シリルは不安な心地のままに母を呼んだ。しかし、リアンに最早、その言葉は届いてはいなかった。
「…人間も、世界も何もかも消えろ!!!」
リアンは、両手を天に向かって突き出した。
―どおおおおおん!!
「…っ!!!?」
シリルは突風に吹き飛ばされた。何度も地面に叩きつけられながら転がり、やっと止まったところでシリルが顔を上げると、リアンを中心として、青白い柱が天に向かって伸びていた。
「お母さん!!やめて!!」
状況を理解できないながらも、シリルは叫ぶ。
ただ、リアンを中心として広がり始めた青白い魔方陣に、シリルはそれが吸収魔法だという事を理解した。
「……」
見たことの無い規模の吸収魔法。魔方陣に触れればよろしくないという事は、すぐに理解できた。しかし、先程テスファンに浴びせられた『神の涙』の粉末のせいで、シリルは体はおろか魔法の自由も聞かない。じきに自分の元にも魔方陣が来るだろうが、逃げられない。
ふと、風向きが変わる。リアンに向けてシリルの体が吸い寄せられ始めた時、空間に青白い雷が走り始める。
「…っ!」
シリルは雷に撃たれた。もう駄目だ、と思ったが、逆に体が軽くなった。
どうやら雷は吸収魔法由来のもので、撃たれたことで粉末に刻まれていた魔術式も吸収され、壊れたらしいという事をシリルは理解した。
シリルは慌てて立ち上がると、近くに倒れていたクルトを肩に担ぎ、氷の結界を張った。だが、それはあっという間に、雷に撃たれて消える。
「ひっ…!」
そして、シリルはすぐに次の雷に撃たれた。今度は体が軽くなるどころか、足元から崩れ落ちるかのような脱力感に襲われた。これ以上撃たれれば危ないと思い、シリルはすかさず、幾重にも氷の結界を張った。しかし、張るなり、一番外側の結界から破られていく。
「お母さん!お母さん!!やめてえええ!!」
シリルは結界を張り直しながら、中央にいるリアンに向かって何度も叫んだ。だが、その声は、急速に強くなり始めた風の音に掻き消されてもう届かなかった。
「こんな世界なんて、全部消えちゃええええええ!!」
リアンの絶叫と共に、魔方陣が急速に勢いを増して広がり始める。シリルは慌てて手に氷の剣を出現させると、それを杖代わりに外へと向かう。しかし、吸い込む風の勢いが強く、中々前へと進めない。
「くそっ…急がないと」
「ん…?」
「お父さん!」
その時、クルトが目を開けた。クルトはつらそうに息をしながら、口を開く。
「これは一体、どういう、状況ですか…?」
「お母さんが、正気を失ってしまったんだ。そして、こんな魔法を…」
クルトは、後ろを振り返った。そして、愛しい妻が、虚ろな目で光の柱の中にいるのを見た。
「リアン…!」
クルトは駆けだそうとしたが、傷の痛みに出来ずにシリルに寄りかかった。それでも尚、妻の元へと行こうとするクルトに、シリルは苦渋の決断を放った。
「お父さん、お母さんはもう止められない…!」
シリルはクルトの体をしっかりと両腕で、抱くようにして止める。
「…うるさい!何としても止める!」
クルトはシリルの制止から抜け出そうと、もがいた。
「お父さん!!」
シリルは、クルトの肩の傷口をぐっとつかんだ。それだけで、クルトは呻いて抵抗をやめた。
「そんな体で何ができるの?」
「…それは」
「行っても死ぬだけだよ。…ルチルも死んだ。お母さんだってもう…。なのに、行って死ぬの?僕を一人残すつもりなの!?」
「……」
「もうこりごりだ。僕はこれ以上もう誰も失いたくない!お父さんもいなくなるなんて、そんなの絶対に嫌だ!!」
「……」
クルトは、泣きそうな顔で自分を見るシリルに、何も言えなかった。そうこうしている間にも、魔方陣は自分たちの方へと迫ってきている。クルトは、リアンの姿を見つめると、ぐっと拳を握った。そして、土煙舞う中で時折見える青空を見上げると、シリルの方へと向き直る。
「シリル、どうやら上はまだましなようです。空へ逃げましょう」
「無理だよ…結界を張るだけでやっとなんだし…」
「大丈夫。分担しましょう。あなたは結界をお願いします。私は重力魔法を使います」
「わかった」
クルトは、シリルの結界の内に、重力魔法の魔法陣を展開させた。そして、シリルを乗せ、浮かび上がる。浮かび上がった途端、中央に勢いよく吸い込まれそうになるのを、必死にこらえ、土煙の中を上へ上へと抜ける。愛おしい妻が茶色い空気に薄れて消える刹那、その光景をしかと目に焼き付けつつ、クルトはあらん限りの声で叫んだ。
「リアン、シリルは何が何でも守ります!私が、この命に代えても!」
きっと聞こえてはいないだろう。だけど、クルトは叫ばずにはいられなかった。
「だから、安心して私たちを見守っていてください!」
クルトは、魔力を振り絞り、暴風の中を抜けた。そのままの勢いで上空高く舞い上がる。
下界を見下ろすと、青い柱を中心とした、巨大な渦が村を覆っていた。
「……」
渦は見ている間にも広がり、逃げようと駆けている村人たちを次々と飲み込んでいく。老人を背負う若者。子供たちを抱きかかえて、走る母親。彼らは皆、よく知った人々であった。
だが、2人は彼らを助けようという気にはなれなかった。彼らはいともあっさりと、自分たちに手のひらを返したのだから。確かにリアンの正体を聞いて、平然としていられる人は誰もいないだろうが、それでもどうしても許せない部分があった。
渦は内部で幾つもの雷を発生させながら、やがて村全体を飲み尽くし、そして周辺の村々や山を覆い始めた。
2人は黙って、上空から静かにそれを見つめていた。ただただじっと、愛する妻、愛する母親の最期を見ていた。
その渦が、山地をすべて覆い尽くす頃、ぴたりと風が凪いだ。雷はもう起こらず、渦の形がゆっくりと崩れ始め、中心の光の柱は瞬いた後、弱々しい光の筋を残して消えた。その次の瞬間、
―どごおおおおおん!!
「「…ッ!!?」」
爆発音と共に、渦の中央だった場所から青白い光の塊が、いくつも尾を引きながら空へと散っていく。上空にいた2人の場所にもそれらは届き、2人の脇をすさまじい速度で通り抜け、真昼の空の光に負けないぐらいの明るさで、流れ星のように飛んで流れていく。
「……」
2人は流れていく星を、ただただ目で追っていた。そして、リアンの命が尽きたことを、理解した。
やがて、土煙が晴れた頃、村があった場所には何もなく、荒れた大地だけが残っていた。山も形は残っているものの、草木は一本も残っておらず、山肌を露わにしている。
2人はリアンがいた辺りに舞い降りた。そこにはもう、誰も何も残っていなかった。クルトは力なく地面に膝をつくと、地面を両手で掴んだ。
「…リアン」
クルトは何度も妻の名を呟き、静かに涙を流した。
「私がいけなかったんです…あの時クロエに情けなどかけず、さっさと城を追い出していればよかった。そうしたら、今頃は陛下と一緒に幸せに暮らせていたに違いないのに。…いいえ、違う。あなた達と家族になりたいなどと思わなければよかった。そうすれば、それをクロエに利用されることなどなかった。…みんな、みんな私が悪いんだ…私のせいでリアンは」
「違う、お父さんは何も悪くない」
シリルは、父の肩を抱いた。しかし、クルトは首を横に振る。
「いいえ、私が悪いんです。私が選択肢を誤まったんです。あなたたちが、もっと幸せになれる道がきっとあったはずなのに、私がその可能性を潰してしまったんです」
クルトは己を呪い、苦しげに顔を歪めた。
「…」
シリルは何を言っても、父の心を癒えるに足る言葉は無いだろうと、俯いた。そうして、父が自分を責めて続けているのを、ただただ聞いていた。
「…あれ」
しばらくして、クルトは、はっと何かに気づいた顔をすると、顔を上げ辺りを見回した。そして、シリルを見る。
「そう言えば、陛下は…?」
「あの男なら、あの女と一緒にお母さんが殺してくれたよ」
リアンが彼らを殺した時、クルトは怪我で気を失っていた。だから、クルトは彼らの生死について知らなかったのだ。
「……やっぱりそうですか」
すると、クルトは黙り込み、しばし思案の表情をする。そして顔を上げると、シリルを強い眼光で見た。
「シリル…私に協力してくれますか?」
「…何を?」
「陛下は死んだ。リアンも…。今、リトミナを守る者は誰もいなくなった…。…あの国は、彼女が生きた証。それがただただ滅んでいく様を見るのは嫌です」
クルトはシリルの手をとった。そして、強い言葉の調子で続ける。
「リトミナに戻りましょう、シリル。あの国を2人で守るのです」
「……」
シリルは『何で今更、あの男の国に戻らなきゃいけないのだ』と思った。しかし、よくよく考えてみれば、あの国は母の存在があってこそ、創る事の出来た国だった。父の国というよりは、母の国と言うべきものだった。
きっと、戦姫たる王妃どころか、国王すら不在のリトミナなど、あっという間にサーベルンに滅ぼされるだろう。
母はいなくなっても、母がつくりあげたものはまだ残っている。それを守らなければならない。母のためにも。
「…わかった、お父さん」
シリルはクルトの手を力強く握り返すと、答えた。
「リトミナに帰ろう。そして、僕たちでリトミナを守ろう」
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