20③-⑤:誘《いざな》い
「……」
リアンは小さく吐息をつくと、テスファンを振り返った。テスファンは呆然と、動かなくなったクロエを見ていた。
「テス」
「リアン…」
呼ばれて我に返ったテスファンは、這いつくばるようにしてリアンの足元まで来ると、地面に頭を擦りつけた。
「すまなかった。お前の事を何も信じてやれず…大切な娘の命まで奪ってしまった」
「……」
「すまない!すまない…!」
テスファンは泣きながら、何度もリアンに謝った。リアンはそれを無表情でじっと見ていた。しかし、やがてにこりと笑うと、テスファンを見た。
「…もういいんだよ、テス」
「よくない!僕は…僕は取り返しのつかないことを!!」
テスファンは首を横に振り、ただただ泣いた。そんなかつて愛した男の顔を見つめながら、リアンは首を横に振った。
「キミには感謝しても、し足りないよ。…僕はね、キミに北の地から救ってもらったおかげで、いろんなことを知ることができた。こんな化け物と蔑まれていた力でも、誰かのためになるって知ることができたんだよ。そして、誰かから感謝されることの、照れくささを知ることができた。仲間を何人もサーベルンとの戦いの中で失って、大切な者を失う事の辛さを知ったし、無力感というものも知ることができたしね。…そして、誰かを愛するってことを知ることができた。愛した者と共に居る幸せも…それに、子供を持つことの苦労と喜びを知ることもできたよ。それは、それはみんなキミのおかげだよ、テス。キミが、化け物だった僕を受け入れ、生きる場所を与えてくれたからだ」
「…リアン」
こんな自分でも許してくれるのかと、テスファンの目に、希望の光が宿り始めた。だが、
「そして、人間はひどいという事を知ったよ。僕はキミのため、皆のためってサーベルンと戦ってきた。…だけど、平和が当たり前になれば、皆そんなこと、すぐに忘れる。皆、僕を虐げいじめる。そんな暇がある平和を、誰が作ったかを考えすらせずにね。…そして、キミは死線を共に戦ってきた僕の事より、あんな女の言葉を信用する」
「…」
テスファンはもう何も言えずに、暗い目になって、ただただリアンの言葉を聞いていた。
「…そして、僕が化け物だと知るなり、皆僕を目の仇にする。きっとクロエがリトミナの皆に僕の正体をばらしても、同じことになっていただろうね。…僕は彼らに悪いことは何もしていない、それどころかサーベルンから守ってあげたって言うのにね。…僕の居場所なんて、産まれた時からどこにも無かったんだよ。なのに、僕はキミに勘違いさせられて、キョコウの居場所の中で幸せに暮らしていたんだよ。そして、キミの元に居場所がなくなってからも、キョコウであろうが一度その幸せを味わった以上、僕は次の居場所を求めずにはいられなくなったんだよ。…だけど、今日キミがここに来てくれたおかげで、目が覚めたよ。僕の居場所はやっぱり、この世界にはないってね」
「リアン…」
「だからね、テス。僕はキミに感謝しているんだよ。…産まれてきて良かったって思えるぐらいの幸せも、山の中でずっと幽閉され続けていた方がマシだったと思えるぐらいの不幸も、みんなみんな、キミと出会えたおかげで知ることができた」
「……」
「僕は、キミの事はもう愛していないよ、テス。だけど、キミの存在が僕に、幸せと不幸という物を教えてくれた。そう言う意味では、キミは僕をつくりあげた、僕が愛すべき存在なのだろうね」
リアンはそう言い終わるやいなや、微笑みを消し、怒りの形相をさらけ出した。そして、テスファンに剣を振りかざす。
テスファンは、それを見ると静かに目を閉じた。リアンの怒りを受け入れることが贖罪だと思ったのだろう。
しかし、その態度はリアンの癪に触った。自分が黙って殺されれば、すべて解決すると思っているのだろうと、リアンに思わせたからだ。
「死ね!」
だからリアンは怒りのままに、テスファンの左肩から袈裟懸けに切り付ける。しかし、テスファンはわずかに顔をしかめただけで、悲鳴すら上げずただただ目を閉じていた。
「…この!!」
リアンは何度も手当たり次第に切り付ける。しかし、テスファンは、ただただリアンの剣を、受け入れていた。
「…何なんだよ!!」
リアンは、テスファンを蹴り倒すと、今度は腹に何度も剣を突き立てた。しかし、テスファンは、苦痛の呻きをわずかに漏らすだけだった。
「お前、一体なんなんだよ!」
死を恐れる恐怖の表情を見ないと、リアンの怒りは収まりそうになかった。なのに、テスファンは、ただただ自身の怒りを受け止めているだけ。リアンは独り相撲をしているような心地になる。
だから、リアンはもう終わらせようと、テスファンの胸に剣先を向けた。だがその時、テスファンが目を開けた。そして、愛おしそうな目をして、リアンを見た。予期せぬその行動に、一瞬詰まったリアンに、テスファンはかすれた声で告げた。
「殺される前に、言いたいことがあるんだ」
「何?」
リアンは、冷たい目で、憮然とした返答をする。
「もう信じてもらえないだろうけど…愛してる」
「…ッ」
リアンは詰まった。テスファンは疲れたようにふうと息をつくと、空を見上げた。そこには、間もなく南中を迎える太陽があった。
「…お前は僕の太陽だった。だけど、傍に長く居続けたせいで、その明るさに慣れてしまっていたんだ。いつでも…例え大喧嘩したって、お前が傍にいてくれるのが当たり前になっていた。だから、当たり前になったお前の存在の大切さを忘れてしまって…クロエに騙されてしまった。死ぬ今頃になって気づくなんて、我ながら情けないよ…」
「…命乞いかい?今更調子のいいことを」
「そう思うんなら、そう思ってくれ。ただ、最期に言っておきたい。今までごめん。そして、今までありがとう。愛してる」
「……」
テスファンは、リアンににこりと笑う。そして、唖然とするリアンの前で、すっと目を閉じた。
「テス…?」
リアンは呼びかけた。しかし、テスファンは、もう目を開けなかった。
リアンの前で死んでいるのは、リアンを愛するかつての愛おしい夫だった。
「…なんだよ。今更、何もかも遅すぎるよ…」
リアンは、テスファンの死体を前にぽつりとつぶやいた。
「お母さん…」
そんな母親に、シリルは地面を張って寄る。しかし、リアンは、ただただテスファンの死に顔を見つめていた。
「……こんなの、僕がバカみたいじゃないか…」
しばらくして、リアンは拳を握りつつ言った。
「なんだよ。これだけ僕を振り回しておいて、自分だけは一人満足して、僕をほって逝って…」
リアンはこみあげてきた怒りのままに、だん、だんと地面に足を落とした。
「自分だけは楽になって…!」
リアンはだん!だん!だん!と地面に足を落とす。
「僕にこれから誰を恨んで生きろって言うんだよ!!」
リアンはありったけの罵詈雑言を叫んだ。しかし、それを受け止める者は、もういない。自身が静かな空間に叫べば叫ぶほど、その事実がありありと身に染みて感じられて、リアンは耐えきれずに顔を覆ってしゃがみこんだ。
「こんなの、もうやだ…」
―どうしてこうなったのだろう
リアンは思う。北の地で洞窟に幽閉されていた頃は、こんなことになると考えたことすらなかった。テスファンと愛し合うようになってからも、こんな結末考えたことがなかった。
そして、リトミナを建てヘルシナータを取り戻した時も。これからは、家族3人での、穏やかで幸せな毎日が続くと思っていた。
なのに、クロエという女のせいで、すべて狂わされた。もう何もかも終わりだと思った事もあったが、それでもクルトとシリルと共に、ささやかな幸せをつかんだ。そして、今度こそ幸せになれると思ったのに、前以上に不幸になって。
―僕が居場所を求めたから?
居場所が欲しいなんて、幸せになりたいなんて、化け物が身の丈以上の事を求めてしまったから、こうなってしまったのだろうか?ルチルが死んだのも、自分のせい?あのまま、北の地に幽閉されたままだったら、ルチルは死なずに済んだの?
―だけど、僕は自ら望んで化け物に産まれた訳じゃない
「一体、僕はどう生きたら良かったんだよ…」
もう訳が分からない。何が正しい選択肢だったのかさえ、考えれば考えるほど分からない。
リアンがくしゃくしゃと髪を掻きむしった時、ふと声が聞こえた。
『…悪いのはお前じゃない』
それは意識の奥から、聞こえてくる声だった。寄る辺を何もかも失ったリアンは、その声にすがりつくかのように聞く。
『…お前を翻弄した人間たちが悪い。そして、お前に化け物という運命を与えた、この世界が、神が悪いんだ。奴らは皆、気まぐれにお前につかの間の居場所と幸せを与えた。そうしてお前に未来への希望を持たせた上で、不幸にした。散々持ち上げておいてから、地獄へとたたき落とした。非道な連中どもだ』
「…」
『…こんな腐った世界は破壊するべきなんだ。そうすれば、お前を苦しめる人間達は誰もいなくなる。運命と言う、お前を苦しめる元凶を破壊できる。お前を弄ぶ神にも復讐ができる』
「…」
『さあ、リアン。何もかも壊せ。お前を翻弄する人間達も、お前に過酷な運命を与えた神の造りし世界も、みんなみんな壊してしまえ。奴らに苦しめられた分だけ、奴らの顔を絶望に染めあげて、嬲り殺してやれ。奴らに散々苦しめられたお前には、それだけの権利がある』
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