20③-④:目には目を、歯には歯を。
「ルチルとはこのガキの事かい?」
その声に、リアンがまさかと振り返るやいなや、何かが投げてよこされた。そして、リアンは、
「え…」
それは首だった。茶色いお下げ頭の少女。水色の目が虚ろに自身を見つめている。
「…る、ちる…」
後ろで呆然とクルトがつぶやいたことで、リアンはそれが愛娘の首であることを認識した。しかし、心がそれを受け入れられない。そんなはずはないと、何度も否定するが、目の前にある顔は紛れもなく娘の顔だった。
リアンは呆然と顔を上げる。ランドルフの家の玄関を開けて立っていたのは、何年ぶりかに見る、元夫テスファンであった。その後ろには、これまた同じく久方ぶりに見る、クロエの姿があった。
「久しぶりだね、リアン。どこへ逃げたかと思えば、外国にまで逃げていたのかい」
テスファンは、この状況に全くと言って不似合いな、爽やかな笑みをリアンに向けた。
「貴様、よくもルチルを…!」
「何を怒っているんだ、リアン。雄が他の雄の子供を殺すのは、当たり前のことだろう?自然界では当然の摂理だ」
「そうですわよ。お兄様という方がありながら、他の男と通じて子供を産んだあなたが悪いのに。逆切れですの?みっともない」
クロエがテスファンの後ろから、にやにやと笑ってリアンを見る。
「貴様ら、許さない!」
「クルト!」
その時、クルトがリアンのわきを抜けて飛び出した。テスファンに向かって剣を振るう。氷の刃が、いくつもテスファンに襲いかかる。
「こんな程度のもの」
テスファンはその場に悠然と立ったまま、それらの刃を重力で地面に叩き落とした。そして、手を振るうと、無数の鎌鼬をクルトに向かわせた。
「…っ!!」
クルトは氷の結界で防ぐが、テスファンの魔法の方が威力が強く、最初の数個を防いだだけであっけなく結界は割れてしまう。そして、そのまま吹き飛ばされた。
「クルト!!」
クルトは体を起こそうとするが、できずに再び地面に倒れ伏した。肩と脇腹を切られ、少なくはない血が出ている。
「全く、お前達を探し当てるまでに、こんなにも時間と手間がかかるなんてね。お前達が逃げ出してから後、まずはジークが匿っているんじゃないかと疑ったんだが、全くと言っていいほどお前達がいた痕跡がなかったからね。それに、一番疑われやすい相手の所に逃げる訳もないと思ったし。だから、他に行きそうな所はないかと、ほうぼうを探し回ったよ」
テスファンは腕を組むと、今までの苦労を思い出すかのようにうんうんと頷いた。
「だけど、クロエが言ったんだ。世の中には、灯台下暗しというものがあるって。だから、僕は初心に帰って、ジークの周囲から洗うことにしたんだよ。ジークの交友関係や過去に関わりの合った人間を、徹底的に洗い出したんだ。そうしたら、ここに行き当たってね」
テスファンは笑みを崩さないようにしながらも、こみあげてくる忌々しさに唇がゆがむ。
「ジークには、たっぷりとお礼をしてあげなきゃね。どんなお礼をしてあげようか、今から楽しみだよ。ジークの知り合いの方は、村人たちが勝手にお礼をしてくれたから、手間が省けたんだけど」
「まさか…」
「姓はコーネルとか言ったっけ?夫婦そろって、油をかけられて仲良く燃やされたよ。化け物を村に引き入れた当然の罰だね」
「……」
幸せそうな老夫婦だった。リアンは、自身もあのような老後を送るのだろうかと、先程楽しみにしていたところだった。
自分達に関わったおかげで、何の罪もない彼らは殺されてしまったのだ。
「さあ、リアン。城に戻ろう。お前には王妃としての役目がまだまだあるからね。お前がいなくなったと知れれば、すぐにでも
テスファンは「僕を困らせないで」と、駄々っ子を相手にしたかのような苦笑をした。
そんなテスファンの態度に、リアンはぎりぎりと歯を噛んだ。
「…貴様、ルチルを殺しておきながら、よくもいけしゃあしゃあと」
「殺したのは確かに僕だ。だけど、村人たちが頼んできたんだよ?お前の正体を話したら、子供共々皆、すぐにでも殺してくださいって」
「そういうことになるのを分かってて教えたんだろ?!」
「ばれた?」
テスファンは「ははっ」と軽快に笑った。目の前の状況が、まるで見えていないかのように。
「だって、お前を捕まえるためには、村人たちの協力が不可欠だったんだよ。だけど、この村の者達は、お前たちのことをかばおうとする、良い人ばかりでね。だから、お前の本当の正体を話してあげたんだ。そしたら、皆すぐに手のひらを反してね。あれほど滑稽なものを、僕は今まで見たことがないよ。そして、お前の娘がこの家に遊びに来ている事を教えてもらったから、僕はここへ来たんだ」
「…」
「そしたら、ここへ向かう途中にシリルに会ってね。親子の感動の再開だというのに、魔法で向かってくるもんだから、しかたな~く動けなくして、ここまで引きずって来てあげたんだよ」
テスファンは、心が痛むとでも言うかのように、自身の胸を押さえて言った。誰が見ても演技くさいそれに、リアンは怒りのままにテスファンを睨む。すると、テスファンは、これまた心外と言うように、リアンを見た。
「僕だって本当はこんな事、したくはなかったんだよ?だって、お前が僕の元から逃げるから、しかたな~く、教えてあげることにしたんだよ。お前の居場所は、僕の元以外にはないってことをね。今回の事で、よ~く分かっただろ?お前の正体を話せば、あっという間にみんな逃げていく。お前は、僕の元で生きるしかないってことが」
「……」
リアンは、うめいて倒れている村人たちを見た。
農作業を教えてくれた者
子育ての悩みを聞いてくれた者
料理を教えてくれた者
挙げていけばきりがないほど、恩のある者ばかりだった。しかし、彼らは皆、自身の正体を知るなり、態度を一変させ殺せと言うまでになった。自分は彼らに何もしていないどころか、感謝しかしていないというのに。
―本当に、自分を受け入れてくれる場所は、この世界のどこにもないの?
リアンは彼らを見下しながら、心を冷たい風が吹き抜けるのを感じた。
「あ、そうだ。お前とシリルの事も殺せって皆言ってたけど、それは困るなあ。それに、リトミナの王妃が、実は化け物だって事がばれるのはまずいし」
テスファンはふと気づいたかのように言ったが、とぼけていることは明らかだった。
「ということで」
テスファンが手を振ると、その場に倒れていた村人たちに、氷の槍が降り注いだ。村人たちは、満足に断末魔を上げる
「後の村人たちもこの村ごと破壊しておくから、安心してお前とシリルは城に戻って来てくれればいい。あ・と・は」
テスファンはもったいぶるかのように言うと、クルトの方を見た。そして、リアンがぞっとするような笑みを、顔に浮かべた。
「クルトも連れて帰ろうか。そして、沢山可愛がってあげなきゃね。人の妻に手を出した罰はきちんとしてあげないと」
「誰がお前と一緒に帰るもんか!」
リアンは、氷の剣を掴むと、テスファンに向かって駆け出す。
「お母さん!駄目だ!」
後ろでシリルが叫ぶのを、リアンは怒りでほとんど聞かなかった。
テスファンはかなりの魔法の使い手であったが、使用できる魔力量で比べるとリアンには遠く及ばない。そして、リアンは例え元夫であろうが、子供の命を奪った男を相手に、手心を加えるつもりはなかった。だから、勝敗は簡単に決するはずだった。
しかし、テスファンは、向かってくるリアンを目の前にしても余裕の笑みのままだった。テスファンは、懐から何か小さな布袋を取り出す。そして、それをリアンに向けて投げた。
リアンは反射的にそれを剣で薙ぎ払う。その瞬間、中から水色の粉末が飛び散った。
「…?!!」
うっかりその粉を吸ってしまうなり、リアンは体に虚脱感を感じ、地面に膝をついた。
「お母さん…」
自分の二の舞になった母を見て、シリルは絶望のつぶやきを零した。何とか立ち上がろうとするができないリアンの前に、テスファンが立った。
「テス…何をした」
「特殊な粉末を吸わせただけだよ」
「トクシュな、粉末…?」
テスファンは「ふふん」と得意気に腕を組んで、リアンを見下す。
「…『神の涙』って便利だね。お前を探して北の地にまで行ったんだけど、その時に少し持って帰ったんだよ。そして、研究させていたんだけど、面白い事実を発見したんだ。なんとこの魔晶石、魔術式を書いて砕いても、利用できるという便利な代物だったんだ」
「…?」
すぐには理解できないリアンに、テスファンは続けて説明をする。
「例えば、体内の魔力を混乱させるような魔術式を書いて、砕いて粉末にし、それを吸わせることで相手にダメージを与えるというような」
「…!!」
リアンは、テスファンが今言った物を、使われたことを知った。
「さすがお兄様ですわ」
「まあ、採集させた者や、実験途中に犠牲となった魔術師は数知れないけど、必要な犠牲だったから仕方がないね」
「当然ですわ。我が国の大事な大事な王妃様を取り戻すためには、仕方のない犠牲ですもの」
リアンが無効化されたので、安心したクロエは、リアンの傍へと歩み寄る。リアンは彼女の姿を見て瞠目した。
「……」
クロエの腹は丸く膨れていた。今までテスファンの後ろに隠れていたから、分からなかったのだ。
そのリアンの視線に気づいたクロエは、得意気に口を開く。
「私、お兄様の側室となりましたの。あなた達に裏切られて傷ついたお兄様の心を、支えてあげるために」
「……」
「お兄様がどれだけ傷ついたか分かる?…あなたみたいな、ふしだらで常識のない女には分からないんでしょうね。それはそうでしょうね。元々人の姿をした野獣なんですもの。雄だったら誰にでも尻尾を振るんでしょうね」
見下げたように、クロエは言う。リアンは白々しい、と思う。
「でも、あなたのおかげで私は今、とても幸せよ。おかげで愛しいお兄様との間に、この子を授かったんですもの」
そこだけは本音で話しているようだった。クロエはにっこりとほほ笑むと、リアンの視線を促すかのように自分のお腹を撫でる。そして、動けないリアンの前からクロエは離れると、地面に落ちている
「こんな不義の子を産んだあなたを、まだお兄様は連れて帰ろうとお思いになっているのよ。ありがたく、戻りなさい」
そう言うとクロエは、ルチルの頭を足でどすっと踏んだ。そして、蹴り飛ばした。
リアンの頭の中で、何かの糸がぷつんと切れた。
「このやろおおおお!!」
リアンは、青白い光を体に纏った次の瞬間、クロエに向かって駆けだしていた。驚くテスファンが、咄嗟にリアンに向けて爆炎を向かわせた。しかし、リアンはものともせず、炎の中を突き進む。
「クロエ!危ない!」
テスファンは、クロエの前に飛び出した。リアンは、テスファンを、風を纏わせた剣の一振りで吹き飛ばすと、驚愕に目を見開くクロエの肩に、氷の剣を振り下ろした。
「ひぐぅうう!!」
肩から胸の方までざっくり切られたクロエは、地面に転げると痛みにのたうった。そんなクロエをリアンは冷めた目で見下す。
「リアン、やめろ!!」
テスファンが立ち上がって向かってくるのを、リアンは青白い蔓草で拘束した。そして、クロエに向き直ると、静かに口を開く。
「…クロエ。キミには散々苦労させられたよ。何度キミの事を殺しても飽き足りないぐらいにね」
「…あ、あんたが悪いのよ!私からお兄様を奪うから!私はサーベルンで散々苦労してきたってのに、あんたはお兄様に愛されてのうのうと暮らしていた!そんなの不公平じゃない!!」
クロエはガタガタと震えながら、金切声で叫ぶ。そんなクロエを光の失せた瞳で見つめながら、リアンは続ける。
「…不公平?そんな訳のわからないことで、僕の事をいじめていたの?」
「うるさい!ずるい、ずるいわよ!」
幼児のように、クロエはごねた。そんなクロエに、リアンは感情の消えた声で淡々と続ける。
「…なら、テスを手に入れた今なら、もう僕をいじめる必要なんてないでしょ?…僕はこの村で、クルトと子供たちと新しい幸せを見つけて、ただ毎日、家族4人で静かに暮らせるように願っていたんだ。…なのに、キミはその幸せすらも僕から奪う。…テスを僕から奪えたら満足じゃないの?王妃の位を奪えたら満足じゃないの?…キミは一体、どこまで僕から奪い続けるつもりなの?」
「…そ、そんなの、決まっているじゃない。お兄様があんたを完全に必要としなくなるまでよ!今でもお兄様はあんたを、自分の手元に王妃として置こうとしている。それが、リトミナ国民統合の象徴とするためだと分かっていても、サーベルンを牽制するためだと分かっていても許せない!お兄様が求めるのは私だけであるべきなのよ!…あんたはこの世に存在している限り、私の邪魔者なのよ。むかつくのよ!!」
クロエは死を目の当たりにした恐怖に、逆に開き直った。怯えなどすっかり忘れ、狂気の目でリアンを睨みつける。
「…この子を産んで、時期が来たら全部ぶちまけてやるのよ。あんたの不貞も当然、人型の魔物だってことも、リトミナの国民に教えてやるのよ!そうしたら、あんたも息子もリトミナにいられなくなるわ!そして、私は王妃となって、この子はお兄様の跡を継げる!あんたも息子もおしまいよ!」
「……」
「ざまあみろ。私からお兄様を奪った罰よ!あんたの事は徹底的に不幸にしてやる!不倫をでっち上げて追い出すだけじゃ、私の気が済まないわ。あんたは、今度は守った国民すべてから見下げられ敵意を向けられて、王宮を去るのよ。あんたは何もかも失って、バケモノらしくみじめに死んでいくのよ!」
クロエは狂気のままに、リアンに叫んだ。ただただ黙って聞いているリアンを前に、勝ち誇ったかのような顔をして。
「…クロエ…お前」
しかし、その呆然としたつぶやきに、クロエはその顔を一瞬にして恐怖の表情に変えた。そして、恐る恐る、愛おしい夫―テスファンを振り返る。テスファンは驚愕に目を見開いて、今までの愛らしい妹の皮をかなぐり捨てたクロエを、呆然と見ていた。
「お、お兄様…」
「今の話…本当なのか…?」
「…」
「不倫はでっち上げだって…」
「そ、それは…「本当だよ。テス」
言いよどむクロエに変わり、リアンが淡々と続けた。テスファンの方を向かず、血の滴る剣をクロエに付きつけたまま。
「前にキミに言ったはずだ。この女はキミに愛されたいがために、キミに取り入っていると。そして、僕の王妃の座を狙っていると。…あの日、キミにクルトとベッドに一緒にいるところを見られた時だって、クロエに嵌められたと言ったよね?」
「…それは…」
リアンは、言いよどむテスファンに、暗い目を向けた。
「なのに、キミは僕の言う事を何も信じてくれなかったよね。それどころか、話すら聞いてくれなかったよね。…クロエの言う事なら、何でも聞いて、何でも信じたのに」
「……」
テスファンは何も言えず、俯いた。
「…ルチルは、ルチルは、僕の娘だったのか…?」
しばらく黙りこんだ後、テスファンは口を開く。そうではないことを祈るかのように。しかし、リアンは、そんなテスファンのわずかな希望を砕くかのように、躊躇なく答えた。
「そうだよ。キミの娘だ。キミは情けないことに、女にほいほいと騙され妻をないがしろにした挙句、何も知らずその女と子までこさえた。そして、騙されるがままに、自分の実の子を殺したんだよ」
「…そ、んな…」
テスファンは、がくりとうなだれた。リアンはテスファンの拘束を解くと、クロエに向き直る。クロエは、何もかも終わってしまったという絶望感に、怪我の痛みも忘れ、呆然としていた。
「…クロエ、どうやって殺してあげようか? 重力魔法でちょっとずつ押しつぶされていきたい?それとも、身動きできなくされて、炎でちょっとずつ焼かれて死んでいきたい?それとも、魔法も使わずに、剣でちょっとずつ肉をそがれて殺されたい?好きなのを選んでよ」
リアンはそこで初めて感情を顔に出した。その感情とは、怒りを通り越して、深い闇を感じさせる微笑みだった。
「あ、あんたなんかに、こ、殺されてたまるもんですか!私はこれから幸せにならなきゃいけないの!こんなとこで終わってたまるもんですか!!」
クロエはリアンの視線に我に返ると、後ずさりながら叫んだ。その悪あがきが、リアンの癪に触った。だから、リアンはにこりと、目以外で笑う。
「あ、やっぱやめるね。キミに選択肢なんて与えたくもないから」
リアンは言い終わるなり、剣を振るった。一瞬遅れて、クロエの膨らんだ腹が、ぱかりと割れた。
「ぎゃあああ!!」
クロエはのたうちまわる。そんなクロエの体を仰向けに足で踏みつけ押さえると、リアンはその割れた腹に手を入れて、何かを探してあさった。そうして、目当てのものを見つけたものの、ため息をつく。
「目には目を、歯には歯をと思ったけど、もう死んでるや。切り過ぎたね」
「あああああああああ!!!」
クロエは言葉にならない、悲鳴と罵声の入り混じった叫び声を上げる。
「殺す!お前絶対に殺すうううう!!」
「やれやれ、それはこっちのセリフだよ。死ね」
リアンは、クロエの喉に剣を突き立てた。それと同時にぴたりとクロエの声が止まる。剣をクロエの喉から引き抜くと、盛大に血を噴いた。クロエはしばらく痙攣していたが、やがて血の勢いが弱まるに従い動かなくなる。
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