19-⑪:男じゃなくて悪魔だ。

「痛い…何も本気で殴らなくても」


 セシルは二つのたんこぶをさすさすとなでながら、マナの後について給水所へと向かっていた。給水所までの道のりはそんなに遠くはないが、先程の罰として大量の容器を背負わされているため、セシルは大分と疲れていた。先程重力魔法をこっそりと使って荷物の重さを軽減していたのだが、それがマナにばれてもう一発げんこつを喰らったので、セシルは今は大人しく、魔法を使わず荷物持ちをしていた。


「帰りも魔法は使っちゃ駄目だからね」

「嘘だろ?容器に水を入れたら、どれだけ重くなると思ってんだよ。オレ死ぬ…」

「じゃあ、その場で押しつぶされて死ねばいいじゃない」

「…な」


 セシルは本気かと絶望の目でマナを見る。しかし、マナは、セシルの表情を楽しむかのように、にやにやと笑っているだけだ。やっぱり悪魔だ。男じゃなくて、マナは悪魔だから結婚できないに違いない。


 だが、マナはふと、仕方ないなあと言うように表情を緩めた。

「…ってのは嘘よ…本気でやらせると思った?」

 マナはくすくすと笑う。

「お前の事だから本気かと…」

 セシルがガタガタと震えて見せると、「ひどい評価ね。そこまで冷酷じゃないわよ」とマナは軽く笑い飛ばした。


「…そう言えば、さっき居たの、テスちゃんだっけ?初めて会った時から思っていたんだけど、あの子、あんたに顔とか雰囲気とかがよく似てるわよね。親戚か何か?」


 テスが新たな体を得てから後、初めてマナにあった際、セシルはマナに彼女(彼)を昔からの知り合いだと紹介した。そして、以前自身セシルが使っていた偽名は、彼女テスから借りていたという事にしてある。


「いや、血のつながりは全くないんだが、なんの偶然か顔がよく似ていて、仲良くなったんだ」


 親戚という事にしておいても良いが、自身は王族だからテスも王族という事になって、話が非常にややこしくなる。だから、親戚と言うのはやめておいた。マナは「へえ、そんな事もあるんだねえ」と興味深そうに頷いた。



「あのさ、セシル」

「ん?」


 だが、呼びかけておいて、マナは中々言いださない。セシルは不思議半分、不審半分で首をかしげる。

 しばらくマナは、もごもごと口を動かしつつ、黙って歩いていた。何か言いにくいことを言おうとしているのだろうか。


 やがて、マナは急に立ち止まると、セシルを向いた。そして、意を決したように口を開く。


「…ごめん。あの時、自分は何もできなかったくせに、あんたには偉そうに言って」

「…あの時?」

 セシルは、すぐにはどのときの事か分からず、首をかしげる。


「患者達が化け物になった時の事よ。人間として屑だとか、ひどいことをいったわ。…自分は無事な患者を避難させるだけで精一杯。その患者すら目の前で化け物になっていって…。矢が降ってきて化け物を倒すだなんて、不思議な現象が起こらなければ、私は患者達を放って自分一人で逃げ出していたところだった。…何にもできないどころか、最後には患者を見捨てようとした馬鹿のくせに、あんたに偉そうなことを言った。ずっと謝りたかったの。ごめんなさい」


 マナは深々と頭を下げた。


 そんなマナを、セシルはどうしたものかとおろおろと見ていた。だが、やがてふっと一息をつくと、セシルは静かに口を開いた。


「別にいいよ…と言っても、お前は納得しないだろうから言うけどさ、ああ言って皆を救おうとしたお前は正しいよ。お前は医者として正しい、大正解なことをしようとしただけだ。結局逃げ出したくなったのだって、それは人間として当たり前の事だと思うよ」

「ちが…」

 しかし、マナはその言葉に納得がいかなかったのか、顔を上げると首を横に振ろうとした。そんなマナに、セシルは静かに続ける。


「……オレはさ、詳しいことは説明は省くけど、戦場の中を生きてきた人間なんだ。それであの日のオレは、お前と同じく自分が正しいと思う事をやろうとしたんだ。自分が思う、戦場での正しい、大正解な事をな。…皆を助けようとした医者としてのお前の考え、怖くなって逃げようとした人間としてのお前の考え、そして皆を殺して救おうとしたオレの考え…どれも人によっては正しくてさ、どれも人によっては間違っているんだよ。だから、あの時のお前の考えや行動を、オレは責めたりなんてしない。それに、反対にオレがあの日の事を誰かから責められても、薄情だと思われるかもしれないけど、オレは正しいことをしたって思う」


「……」


「世の中に完全に正しい論理なんて存在しないんだよ。人それぞれ、理屈が違って当然なんだ。だから、それが誰かと合わなかったことぐらいで、気に病まなくてもいい」



 マナは、しばらくの間、戸惑ったようにセシルを見ていた。しかし、やがてふうと小さく息をつくと、少しだけ微笑んでセシルを見た。


「…あんたって、若いくせに老けたことを言うわよね。なんだか、100年ぐらい生きたおじいちゃんみたいに、悟っている所があるっていうか」

「…はは、そうか?」


 セシルはきっと前世からの記憶と経験が、自身に付加されたからだろうと思う。


「ええ、セシルおばあちゃんって呼びたくなる感じがする」

「おばあちゃんは止めてくれよ。まだ18なんだぜ」

「ええ~いいじゃない。セシルおばあちゃん」

 マナはへらっと笑うと、「おばあちゃ~ん」とセシルに抱きついた。


「やめろ。抱きつくな」

「いいじゃない。抱きつかれて減るものなんてないんだし」

「お前に抱きつかれても、お前の胸板が硬くて痛くて落ち着かないんだよ。抱きつかれるんなら、もっともふもふとしたお姉さんがいい」

「…」

 マナは瞬時に真顔になる。


「うぎゃっ!」

 そして、セシルは、本日3個目のたんこぶをつける羽目になった。

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