19-⑦:宿屋でカイゼルと②

「思いついた懸念?」

 カイゼルは、打って変わって真面目さを帯びたテスの言葉に、急に不安になって振り返った。


「ああ、この間のホリアンサの壊滅事件についてだ。あれの原因がもし、トリフォリウム由来の爆発だとしたら、とある懸念がある」

 テスは口に親指を当て、先を噛んだ。


「…なんだよそれは」

「…『神の瞳』が、魔晶石に干渉して『神の涙』を作り出すのなら、今ホリアンサには無数の『神の涙』が出来つつあるのかもしれない」

「は…?」


 カイゼルは、テスの言う言葉の意味が分からず、首をかしげた。そんなカイゼルに、テスは説明を続ける。


「『神の瞳』―放射性物質であるトリフォリウムは、被災地中に爆発に伴って広がり、残留し続けているはずだ。放射性物質は時間が立てば崩れるが、トリフォリウムは数時間や数年では、消えることは無い」

「…」


「そして、この世界で文明の発展のために欠かせないのが、魔晶石だ。ランプや水道など、生活のありとあらゆるところに使われている。一軒に最低10個は、魔晶石を使った魔法道具が存在しているはずだ。今回の爆発でそれらの魔法道具が壊れたとしても、魔晶石はそのまま瓦礫の中に存在している。それが皆、トリフォリウムと反応を起こして、『神の涙』になりつつある可能性がある」

「つまり…」


 カイゼルは、はっと顔を上げた。まさかとテスを見る。


「ああ、そうだ。ホリアンサにいる人々が、その『神の涙』によって、細胞変異作用を受ける可能性がある」

「ヤバいじゃねえか。このままじゃ、ホリアンサ中に化け物が産まれるぞ!被災者もそうだけど、支援しに行っている奴らも沢山いるって言うのに!」


 カイゼルは立ち上がる。居ても立っても居られないと言うように、テスの周りを歩く。


「…まあ、あくまでも可能性だ。あの爆発を起こした物は、CLOVER2085か、『神の瞳』が使われた爆弾かどうかすらも分からない。もしかしたら、何か魔法で作った爆弾かもしれない。…とはいえ、あの爆発の光と街の破壊の状況から、やはりトリフォリウム由来の爆弾が使われていた可能性は限りなく高いな…。だけど、あの女が、異世界からCLOVER2085を採ってきて爆発させたものなのか、それとも『神の瞳』を使って似たようなものを製造したものなのか、そこまでは分からない。……それは、ジュリエの民たちの間に、どれほど『神の瞳』と異世界に関しての情報が残っているのかによるが、とにかくホリアンサでの爆発物がトリフォリウム由来なのなら、王妃は『神の瞳』の使い道か異世界の存在について、情報として知っていたという事だ。さらに、『神の瞳』が『神の涙』を生み出すことも知っていたかもしれない」


「王妃がトリフォリウムの使い道を知っていたかどうかよりも、今は早く『神の涙』がホリアンサの奴らを異形に変えちまう前に何とかしないと!呑気にマッサージしろなんて言ってる場合じゃねえだろ。さっさとホリアンサに行って皆に知らせないと!」


 カイゼルはテスの座る机に、バンと両手をつく。そして、いてもたってもいられず、「今すぐ行く」といいだしたカイゼルの肩に、テスは手を置いて止める。


「馬鹿。何の考えもなしに行っただけでは、何も解決できない。それどころか、お前が『神の涙』に当てられて死ぬか、化け物になる可能性だってある」

「だったらお前だけでも、知らせに行ってくれれば!お前の王妃の血を継いだその体なら、『神の涙』への耐性はあるだろ?」

「ああ、その通りだしそうしたいよ。だが、俺の呼びかけだけで、街の者皆が避難するとは思えない。それに、避難させたところで、既に『神の涙』を多かれ少なかれ体内に吸収して、影響を受けているはずだ。後々化け物になる可能性がある」

「だったら、どうすればいいんだ…」


 カイゼルは考え込んだが、いい方法が思いつかず頭を両手でわしゃわしゃと掻いた。



「実は、思いついた対処法はあるにはあるんだが…」

 テスが遠慮がちに言った言葉に、カイゼルはぱあっと顔を明るくした。


「ホントか!」

 再び机に手をついて、カイゼルは「早く説明しろ」とテスに言う。


「そんなに期待するな。まだ理論的に可能というだけで、本当にできるかどうかわからないんだから。とにかく、まずは実証だな…」

 と言いつつテスは、机の上に置いてあった瓶を手に取った。そして、ふたを開けた。カイゼルは驚愕する。


「…!!お前!何してるんだ!?」

「何してるって、『神の涙』を取り出そうとしているんだが」

「お前!開けたら、『神の涙』に当てられるぞ!!」


 カイゼルは、ふたを閉めるためにテスから瓶を奪い取ろうとする。しかし、テスは椅子から立ち上がり、カイゼルの手をさっと避けた。


「お前はともかく、俺は大丈夫だ」

「お前が良くても、俺死ぬだろ!」


 カイゼルは必死になって、瓶を奪い取ろうとするが、テスはすっすっとその手を掻い潜りつつ、やがて金属の筒のふたまで開けてしまう。

 その金属の筒の中には一回り小さい金属の筒が入っており、その筒のふたを開けると、また中には金属の筒が入っていた。


「まるでマトリョーシカだな」

「まとなんちゃら?ってのはどうでもいいから、さっさと戻せ…って!」

 次の瞬間、カイゼルは全力でテスから離れた。テスの手に、スケッチで見た物体―『神の涙』が持たれていたからだ。


「お、お前!さっさとしまえ!」

 部屋の隅に、体を張り付けるかのようにして震えているカイゼルに、テスは何という事もなく近寄る。


「来るな!ひい!」

「なあ、お前。確か、物体の時間を操る魔法が使えたよな」

「つ、使えるけど!それより、それしまえっての!」


 しかし、テスは、そんなカイゼルにかまわずどんどんと近づいていく。テスとの距離が近づくにつれ、カイゼルの震えはひどくなり、やがてカイゼルは腰を抜かしてぺたんと床にへたり込んだ。

「ああ、俺、もう死ぬんだ…いいや、化け物になるんだ…」



 テスは、『神の涙』に付着している藍色の結晶―『神の瞳』に爪を立てた。意外と脆いらしく、あっさりと『神の涙』からはがれる。

 テスは、『神の瞳』を2つ剥がすと、放心気味になったカイゼルの右手をつかんだ。そして、その手の上に、『神の瞳』の1つを乗せた。


「カイゼル。この物質の時間を経過させろ」

「え…?」

「いいから、やれ。できる限り古くするんだ」

「……」


 カイゼルは訳が分からないながらも、言われた通りにした。手に魔力をこめる。白い光が『神の瞳』を包む。すると、『神の瞳』は、さらさらと白い粉になって崩れる。


「…?」

 カイゼルは意味が分からず、小さく首をかしげる。そんなカイゼルを放っておいて、テスは机に置いてあるランプを持った。そして、おもむろに傘の部分を取ると、柄の部分を分解し逆さに向けた。中からころんと、赤い魔晶石が転がり落ちる。


「まずは、これからだな」

 テスは再びカイゼルの元へと行くと、カイゼルの手の上の白い粉に、その魔晶石を近づけた。訳が分からず首をかしげるカイゼルの前で、テスはその粉の上に魔晶石を置いた。

「何も起こらないな…」

 テスは、しばらくじっとカイゼルの手のひらの上を見ていたが、やがてふうと息をつくと視線を外した。


「一体何をやっているんだ…?」

「いいから、黙って見てろ」

 テスは、今度はもう一つの『神の瞳』を、赤い魔晶石にゆっくりと近付けた。カイゼルはまさかと思う。そして、テスは二つの石をくっつける。


「……!」

 カイゼルは息をのむ。赤い魔晶石の『神の瞳』に触れている部分が、ぼんやりと発光し始める。仄明るく、水色に光った。


「…本当なんだな」

 テスは一端、魔晶石から『神の瞳』を遠ざけた。しかし、魔晶石に発生した水色の光は消えることなく、魔晶石の全体へと広がり、赤色だった魔晶石は水色となっていく。


「…結構早く反応するんだな…。しかも、5ミリ角の結晶なのに、倍以上の大きさの魔晶石を反応させられるのか。ただ、接触しないと、反応はしないみたいだ。それか接触しなくても傍にあれば、少しずつ反応するのかもしれないが…」

 テスは色の変わった魔晶石の表面に爪を立てた。それは、ほどほどに硬度はあるがもろく、爪を立てるとぼろりと崩れた。


「お前、『神の涙』を増やしてどうするんだよ!」

 カイゼルは、床に落ちた水色の魔晶石の破片―今しがた生まれたばかりの『神の涙』から逃れるかのように体を小さくし、体を壁に押し付ける。


「大丈夫だ」

 テスは、その破片を拾うと先程の魔晶石と共に握り、手に吸収の魔力をこめた。すると、魔力が吸収された『神の涙』は、ぼろぼろと崩れ、白い粉のようになり、床へと落ちていく。


「魔晶石は魔力を失えばただの石に戻る。どうやらそれは『神の涙』も同じ…どころか、崩壊するようだ」


 テスは白い砂を一つまみ指でつまむと、何か適当な魔術式を刻もうとした。しかし出来ない。という事は、『神の涙』は魔晶石としての力を失ったことになる。だからと言って、細胞を変異させる作用まで失ったとは言い切れないが、たぶん大丈夫だろう。一応後で、ネズミでも捕まえて、実験しておこうと思う。


 テスは白い粉のついた手を払うと、『神の涙』とそこから剥がした『神の瞳』の一欠片を、金属の筒にしまい始めた。最後に水道の水を瓶に継ぎ足して、瓶のふたを閉める。


「本当に大丈夫なのか…?」

 カイゼルは、念入りに手を払いながら立ち上がる。


「たぶん大丈夫だ。まあ、確実に大丈夫だと言えるのは、『神の瞳』に関してだけだが。放射性物質は、時間が立てば崩壊する。だから、お前の魔法で『神の瞳』の時間を経過させたんだ。…まあ、放射性物質は崩壊する時に放射線を出すんだが、トリフォリウムの放射線は人体に健康的な影響を与えないから大丈夫だ。まあ、もしかしたらお前の子供は銀髪になるかもしれないけど」


「…俺は、子供なんていらねえよ。結婚も一生するかよ…」

 カイゼルは、暗い顔をしてうつむいた。

 テスは、アメリアの事だろうと思う。カイゼルには、彼女の事についても伝えていた。


「…そうか」

 だが、テスは気の利いた言葉を何も思いつくことができず、ただそう言った。




「なあ、テス」

「…ん?」

 カイゼルは急に居住まいを正すと、テスに向き直った。


「ありがとう」

「…突然なんだ?」

 礼を言われる覚えのないテスは、けげんそうにカイゼルを見た。


「…セシルを助けてくれてありがとう。お前がアーベルの野郎を殺してくれなかったらさ、セシルもあいつに酷い目に遭わされていただろうから」

 カイゼルは「それと」と続ける。


「アメリーの敵討ちをしてくれてありがとう。お前は、しようと思ってしたんじゃないってことはよく分かってる。だけど、たぶん俺なら、あいつに仇討ちなんてできなかったからさ。身分もそうだし、あいつには王妃がついていたって言うから…。だから、俺にとっては、お前が代わりにアーベルに敵討ちをしてくれたようなものなんだ。まあ、アメリーに直接手を下した王妃は、まだ居やがるんだけど。とにかく、ムカつく野郎が一匹減っただけでも、助かったし、心がすっとしたよ。ありがとう」


 カイゼルは少し陰は残っているが、さわやかな笑顔でテスに笑いかけた。


「……」

 テスは、どう答えたものかと戸惑った。あの時の自分も自分であったことに変わりはないのだが、理性なんてほとんどなかったから、ただ感情に身を任せるがままにアーベルを殺しただけなのだが。

 まあ、どの道生かしておいても、後々為にならない奴だったから、殺しておいて良かったかもしれない。だから、テスは素直に、「どういたしまして」と言った。


「…じゃ、この話は終わり。さ、今はホリアンサの問題を片付けないと」

 あっけからんと口を開いたカイゼル。テスは、そうやって吹っ切れたいのだな、と思う。同情の視線をつい向けてしまったテスに、カイゼルは「ほらほら、次の段取りを考えてくれ!」と明るく言う。


「……魔術式を考えよう。被災地全域の『神の涙』と『神の瞳』を破壊するために。『神の涙』だけなら俺一人でもできるが、トリフォリウムも破壊するためにはお前の時間を操る魔法が必須だ。あれを放置しておくと後々また『神の涙』が産まれることになるから、ちゃんとお前の魔法で崩壊させておかないと」

「ああ」


 カイゼルは頷くと、机に座る。


「明日の朝、村長にこの資料を返して、その足ですぐにでもホリアンサに向かおう。今夜は徹夜だ」

 テスもカイゼルの前に、続いて座った。

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