19-⑥:宿屋でカイゼルと①

 リザントの宿屋の一室。机に広げた文書を前に、テスはしょぼつく目を擦っていた。


「…全部読んだのか?」

 風呂上がりのカイゼルが、頭を手ぬぐいで拭き拭きベッドに座る。


「ああ、村長が貸してくれた文書は皆読んだ。後、ついでに借りてきた地図とかも、何かの足しになればと写した」

「初代王妃の事は何かわかったか?」

 そのカイゼルの問いに、テスは首を静かに横に振ってみせた。


「そうか…。だけど、『神の涙』の正体と『神の瞳』について分かっただけでも大きな成果だ」

「そうだな…」


 テスはふうと息をつくと、体をのばした。長い間同じ姿勢だったせいで、あちこちの関節がぴきぴきと音を立てる。こんな肩こりを味わうのは、前世ぶりだ。生きているって面倒くさいなと思いながらカイゼルの顔を見た時、テスはふと思い出す。


「そうだ。カイゼル。お前、マッサージしてくれよ。お前、マッサージがうまいんだろ?」

「はあ?」

 カイゼルは、あからさまに面倒くさそうな声をあげた。


「何で俺が、大して付き合いもないてめえに、そんなご奉仕をしなくちゃなんねえんだ。セシルでもないのに」

「大した付き合いもないって言うけど、もう付きあい始めてからちょっとは経つじゃないか。それに、元セシルという事で頼むよ。な?」

「やだ。付きあってるたって、お前が一方的に俺を連れまわしているだけだろ?それに、セシルはセシル。お前はお前だ。俺がダチだと思ってるのは、セシルの方だ。だから断る」


 カイゼルはぷいと顔を背けた。


「だけど、お前ら騎士も、王妃たちが起こした事件に、手を煩わせていたんだろ?俺が直接王妃たちから得た情報に、この情報をプラスして持って帰れば事が大きく進展するぞ?」

「こんな王家の事どころか、世界に関わる事、馬鹿正直に報告なんてできるか。しても信用もされねえだろうし、もしかしたら俺ごともみ消されるだろうよ」

「……」


 カイゼルは、はあと溜め息をつくと、ベッドに寝そべった。


 テスは確かに、と思いながらも、マッサージはまだあきらめていない。セシルの記憶の中でよく知るあの至極の気持ち良さを、何が何でも今度は自身の身で体験したい。だから、テスはにんまりと、怪しくカイゼルに笑いかけた。


「へえ~?じゃあいいんだな?お前が俺の登場に驚いてお漏らししたこと、今すぐセシルにばらしに行っても」

 カイゼルはがばりと起きあがる。


「…卑怯者…」

 カイゼルは拳を握ってテスを睨んだ。しかし、テスはふふんと鼻で笑ってカイゼルを見る。


「……わかったよ。さっさとベッドに寝やがれ」

 カイゼルは投げやりな声で了承した。テスは内心でガッツポーズをしながら、ベッドへといそいそとして向かう。


「じゃあ、よろしく頼む」

「…」

 ベッドに寝そべったテスを相手に、カイゼルは憤然とした心地でマッサージし始める。



「……ああ、気持ちいい」

 テスは、「世の中には、こんなに素晴らしい手が存在していたなんて。最高だ」と思いながらマッサージを受けていた。しまいには、気持ち良すぎて涎が出てくるのをぬぐいながら、至極の時間を与えてくれるカイゼルの手に身を任せる。


 一方、カイゼルは、いらいらとしていた。こき使わされているのもそうだが、視界の内で、テスの尻尾がぱたぱたぱたと嬉しそうに動いているのが、何だかいらつくのだ。その上、たまにマッサージ中のカイゼルの顔に、しっぽがぺしっと当たる。


「…お前、しっぽぐらいしまえ」

「やだ。しっぽとはいえ血の通った体の一部なんだ。外出するときは腹に巻いて隠してはいるが、窮屈で窮屈で頭がじんじんとする。宿の中でぐらい、自由にさせてくれよ」

「…そうか。じゃあ、こんな邪魔な物、抜いてやるよ」


 カイゼルはテスの尻尾をつかむと、テスの尻を足で踏み押さえ引っ張った。


「ぎゃああ!何をするんだ、この野郎!」

「感謝しやがれ。お前にとっても邪魔なこれを、抜いてやろうって言うんだ」

「何が感謝だ!死ぬ!死ぬううう!」


 2人は「ふざけるな、糞野郎」「どっちがクソ野郎だ、人を下僕みたいに扱いやがって」「お前そう言うプレイが好きなんだろう?」「何の話だこの野郎!」と、どったんばったんベッドの上で取っ組み合っていた。すると、入口の扉がどんどんとノックされた。


「うるせえんだよ!ヤんなら、もっと静かにしやがれ!」と、扉の向こうから怒鳴り声が聞こえる。


「……」

 テスとカイゼルは取っ組み合いをやめ、顔を見合わせた。


「…男相手にあんな勘違いをされるなんて、一生の不覚だ。お前のせいだからな…」

「こっちのセリフだよ、お前のせいだからな」

「うるさい、お前が先にやったんだよ」

「うるさい、お前がマッサージしろって言うから」


「うるさい。こっちはただでさえ、お前と相部屋と言う忌まわしい環境下に身を置いてやっているんだ。宿屋のおばちゃんにも、未だに恋人同士だって勘違いされているんだぞ。今日だってうらやましそうに、にんまりと俺のこと見てたし。お前を廊下に放り出さない俺の精神に感謝しろ」

「てめえ、よく言うな!最初に、相部屋の方が情報交換しやすいからって言ったの、お前だっただろ!」

「今となっては、至極後悔している。こんなむさ苦しい男と同じ部屋で、周りから至極不名誉な勘違いをされるなんて」


「お前だって、中身は男だろ!本当はどんな面してやがったか知らねえが、てめえも男ならさぞやむさくるしかったに決まってるだろ!」

「もさくはあったが、むさ苦しくはなかったぞ。ちなみに、髪の毛を整えて無精ひげを剃れば、クールかつ爽やか系イケメンだ」

「うそつけ、絶対自画自賛だ」


 カイゼルとテスは胸倉をつかみ合い、ありったけの罵詈雑言を吐き合う。やがて、言う事も尽きると、そのままぐぐぐと睨みあった。しかし、埒が明かないので、2人はふんと顔を同時に背ける。

「興ざめだ」とテスは立ち上がり、机に戻る。カイゼルはベッドに腰掛け、腕を組むとふんともう一度顔を背けた。



「…まあ、今はそれどころじゃない。さっき、思いついた懸念があるんだ」

 テスは、ふうと一息つくと腕を組み、机に広げられた文書に目を落とした。

「思いついた懸念?」

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