19-⑤:村長宅にお邪魔③

「…『トリフォリウム』?」

「ええ、この『神の瞳』は、別名で『トリフォリウム』と呼ばれていたようです」


 テスにとってそれは、どこかで聞いた事のある単語だった。はて、どこで聞いたのだろうと、テスは考え込む。確か、以前の世界での白詰草の学名だった。

 あれ、俺はどうして植物など大して興味もなかったのに、白詰草の学名なんてものを知っているのだろう?どこで知ったのだろうか、と思った時、テスははっと思い出す。


「…リアンの父親だ…」




 幼い頃、テスは、めったに帰ってこないリアンの父親が帰ってきた時に、リアンと二人連れられて、町の外へ遊びに行くことになった事があった。だが出発時間になっても、リアンは家の前の路肩に座り込んで一向に立ち上がらず、「いつもはほったらかしのくせに」と、ぶちぶちと雑草をちぎって不貞腐れていた。


 そんなリアンの隣に彼の父親は座り、色々と話しかけていたのだが、リアンはずっと知らん顔をしていた。父親がリアンの頭を撫でようとすると、リアンはぷいっと立ち上がって場所を変えて、また座り込んでしまう。


 やがて父親は、リアンの引きちぎった雑草―クローバーを手に取り、素直に謝ることにした。「ジュリアン、知っているかい?クローバーの学名って、トリフォリウム・レペンスって言うんだよ。お父さんの工場でも、これと同じ名前の物質を使って、大きい物を作らなきゃいけなくて…。だから、何が言いたいかっていうと、長い間放ってしまってごめん。お父さんもジュリアンの顔を毎日見たいんだけど、お仕事があるからどうしても無理なんだ…」




「……」

 その後も謝り続ける父親を前に、しつこく無視を決め込んでいたリアン。やがて、うるうると涙目になり始めた父親をみて、リアンは慌てて「いいよ」と許していた。2人とも、遊べる時間が減るからさっさと素直になればいいのにと、当時のテスは思っていたものだ。だが、今はそんな事どうでもいい。


―トリフォリウム…


 リアンの父親が工場で扱っていた物質。それは、あのCLOVER2085の原料の放射性物質のはず。


―つまり、トリフォリウムが魔晶石に変性を起こさせて、『神の涙』にしていたという事か?


 そう言えば、かつてジュリエの民は、金髪や灰色の髪色だったと聞いていたし、先程上にあった文書でも読んだ。ということは、彼らが、銀髪に水色の瞳となったのは、おそらくトリフォリウムのせい。とすると、ジュリエの大地は、トリフォリウムの影響を受けていることになる。しかし、何故、トリフォリウムがこの世界にあるのだ?


「…『神の瞳』と呼ばれる物質は、女神が元居たこの世界とは違う世界の人間―異世界にいた人間がつくりあげた、人工的な物と伝えられています。後、詳細は伝わっていないので分かりませんが、その世界の人間は約2000年前、何故かその物質のせいで滅んだそうです。…その世界は滅んだ後も存在しつづけているものの、草木一本生えず、その物質が陸海空の世界の全てを汚染しているそうです。そして、その異世界とこちらの世界はその火山―ナギ山の火口でつながっており、そこからあちらの世界の空気が漏れ続けているそうです。漏れ出したその物質が山や北の地の魔晶石と反応を起こして『神の涙』にし、あるいはその物質自身も結晶化して藍色の石『神の瞳』になっていると」


「…!!」

 テスは衝撃に、目を見開いた。そのテスの驚きの表情を、何も知らない村長は、荒唐無稽な話と存在に対してのものだと受け取る。


「…異世界なんて代物や神なんて存在、皆は信じないかもしれないですが、私は信じています。世の中、科学で解明できるものばかりではないと、私は思っていますからね。それに、こういう荒唐無稽な話は、抽象的なのを具体的に解明していく過程が面白いので好きなんです。…『神の涙』と『神の瞳』、この二つの鉱物は主にナギ山とその周辺でとれるらしいです。…ジュリエの表向きの伝承には山が災厄を吐きだしていたと残っていますが、人を殺す『神の涙』という物質が噴火に伴い火山灰として吐き出されて、人々を死に至らしめたのが事実らしいです。火山灰が人を怪物にさせたなんて荒唐無稽な話もありますが、これも事実でしょう。何と言ったって、動物を魔物に変えたのも、『神の涙』だそうですから。これらのことも、伝承の中の、山が世界にまき散らした災厄の内の1つなんでしょう」


「……『女神さまの嫁入り』にしろ、『女神さまの瞳と涙』にしろ、どうしてその事実をわざわざ物語にしたんでしょう?いちいち物語なんて作らずとも、その事実を聞き伝えていけば良いのに」


「…歴史の真実というものは正確に伝わらないんですよ。伝言ゲームみたいに、子々孫々代を下っていくごとに、どこかで間違え消えていく。それどころか、仕舞には忘れ去られていく。それに、神の存在なんていつでも、誰にでも見えるものではないから、子孫たちが懐疑的になることもあるでしょう。それに、権力を狙った誰かが、都合のいいように真実を書き換えることもありますしね。…正確性をきして紙に残しても、何か災害でもあれば失われますし…。だから、物語にしたんですよ。物語は子供に寝物語として聞かせるうちに、代々伝わっていくもの。何があっても忘れることの無い営みです。物語だからこそ、例え神を信じない者でも耳にするでしょう。それに物語をわざわざ書き換えようとする者はいませんしね。…だから、物語にしたのは、代を経るごとに万一真実が忘れ去れらても、物語として後世に真実の欠片を伝えるためであったのでしょう。…ただね、私も初めて物語だけを聞かされた時は、何のことだかさっぱり分かりませんでしたよ。これらの文書を見て初めて、納得したようなものです」


 村長は、テスの持つ文書の表面を、そっと指で撫でながら言う。


「私の先祖にも、何人かジュリエの民の方がいたそうです。『神の涙』の現物と異世界についての文書を残したのはおそらく一番古い方で、1000年ほど前の方です。1300年前、女神がジュリエの民の前に姿を現した頃は、もっと情報は多かったんでしょうね…。…ただ、うちではこの文書がたまたま残っていたからいいものの、ジュリエの民たちの方はもしかしたら、この事実の事すら既に忘れているかもしれませんね」


「……」


「…こんな話、誰にも話したことはありませんよ。ジュリエの民たちは、自分たちのことについてはあまり明かしたがりませんでしたから、その子孫の私たちもこうした情報は秘匿しておくべきものだと思い隠しておりました。それに、先祖が一度『神の涙』の封印を解いた一件から、この家の者でも、直系―跡継ぎ以外の者には地下室の存在を伝えないようになっていましたよ。…前にカイゼル様と一緒に来られたリトミナ王家のセシル様にも、火山について少しだけ話したことはありますが、教えるというよりは責めたい事が―カイゼル様ならお分かりでしょうが―ありまして色々と嘘を織り交ぜましたし、『神の涙』については伏せていましたからね。アンリにも『神の涙』については教えていましたが、異世界についての話は私の跡を継ぐときに伝えるつもりで、話しておりませんでした。……ですが、ホリアンサの惨状は私も伝え聞いています。数々の命を一瞬にして奪ったあの事件が『神の涙』と関わりがあるというのなら、我が家の機密であっても知る限りのことをすべてお伝えするしかありません」


 そして、村長はテス達に向き直ると、瓶を差し出した。


「これらの文書と瓶をお持ちください。お貸しいたします。リトミナ王家の者と―公ではありませんが我が家の者―以外が読めないはずのジュリエ語を読めて、しかもセシル様によく似たあなたの顔。本心を言えば聞きたいことは山々ありますが、あえて詳しい事情は聞きません。先程からあなたの顔を見る限り、嘘を言う事はあっても、その嘘は相当な事情に由来するものでしょう?だから、何も聞かずに協力いたします。後、今日あなた方が来たことも、誰にも他言いたしません」


 素性は隠していたつもりだったのに、とテスは思う。さらに、ジュリエ語を読める者は限られているという事を今更思いだし、テスは焦る。ジュリエ語が読めることは自身セシルにとっては当たり前すぎて、そこのところを考えていなかった。しかも、色々と見透かされていたらしい。テスは指摘されても何とか平静を装うが、額に浮かんだ汗はごまかせない。



「…ただし、その代わり条件があります」

「…なんでしょうか?」

 テスは、無理難題を言いだされないかと内心冷や冷やとする。だが、そんなテスに、村長は苦笑しながら次の言葉を告げた。


「この一件が終わったら、アンリと話せるように、取り計らってほしいのです。新しい友人のあなたに」

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