18-④:抵抗力

「レスターさん」

 その遠慮がちな声にセシルが振り返ると、アンリが立っていた。どうやら、先程からいた様子だが、話しかける機会を得られなかったらしい。


 レスターはそんなアンリを振り返り、セシルの腕を離した。


「アンリさん、何ですか」

 レスターはじっとアンリを睨んだ。その目に、きっと自身がセシルを引き留めているように思われているに違いないと、アンリは思う。


「レスターさん、お話があります」


 アンリはぐっと拳を握ると、口を開く。レスターがどう自分を思ってくれようが勝手だが、患者の命運―いいや今この街にいる人々皆の命運がかかっている以上、今はとにかく話だけでも聞いてもらわないといけない。

 そして、彼らの協力が欲しい。夫婦で帰る帰らないの問答をしている場合では、ないからである。だが、それにはまず、セシルをここから帰すわけにはいかない。結局自身がセシルを引き留めることになるのだが、とにかくそのためにレスターを説得をしなければ。



「セシルはおそらく、この病気にはかかりません」

「…は…?」


 アンリの言葉に、レスターはあからさまに眉をひそめた。しかし、アンリはめげずに続ける。


「以前、セシルは死んだことがあると本人から聞きました。だけど、謎の少年に水色の砂でよみがえらされたと。僕にはその少年の正体は皆目見当もつきませんが、その砂の正体については分かります。その砂はおそらく、『神の涙』だと思います。マンジュリカの器の件の事から考えると、人間の体を作れる物質なんて、それしか考えられない」



「……」

 セシルは今更思い出す。そう言えば、自身は謎の水色の砂で甦ったのだ。考えてみれば、アーベルに『神の涙』についての説明を受けた時に、それがその物質であった可能性に気づくべきだったのだ。まあ、確かにあの時は、そこまで考える余裕もなかったが。



「だから、今のセシルの体はおそらく、『神の涙』をつなぎに、セシルの砂となった体を練り上げた器のようなものです。それが『神の涙』に侵される訳がない。そもそも、初代王妃が『神の涙』の適合者なんですから、その血を継ぐリトミナ王家の者には、『神の涙』への抵抗力がある程度あるはずです」


「…何を、言っているんだ、君は?」

 話の趣旨が分からずけげんそうに自身を見るレスターに、アンリは「つまり、」と強い調子で続ける。


「この伝染病は伝染病ではないんです。原因は、おそらく『神の涙』」

「「…え?」」


 アンリは2人に説明する。自身の家に記録として残されていた、かつて『神の涙』に触れた者達の症状の経過を。そして、『神の涙』に触れても魔物とはならず、自我と元の姿を保っていた初代王妃は『神の涙』への抵抗力があった人間―適合者であると。

 だから、その王妃の子孫であり、さらに『神の涙』で甦ったセシルが、この病気にかかる訳がないと、アンリは説明する。



「そして、今回の件ですが、爆弾の中に『神の涙』が仕込まれていたとしか思えません。そして、爆発と同時にそれを広範囲にまき散らしたんでしょう」

「だから、この一帯の者がその症状を発症し始めたという事か…」


 核兵器の放射能みたいだなと、セシルは思う。


「そうだとしてもどうすればいいんだ?セシルは大丈夫だとしても、この一帯から俺達も含めてすぐに退去しないと、皆ああなってしまう。だけど…」


 レスターは、新たな懸念に眉間のしわを深め、セシルを見る。セシルは、そんなレスターの言葉を継いだ。


「だけど、そんな事、ヘルシナータの政府要人にでも事情を説明して、退去するように住民たちに命じてくれない限り、できるわけないし誰も信用しないぞ。それに、政府要人に事情を説明しに行ったところで、一般人の言う事なんか戯言や妄言だと信用しないだろうし、かといってオレ達が身元を明かして説明しに行ったら、えらい大変なことになりそうだし」

「ああ…」


 レスターは頷くと、額に手をやり頭を悩ませる。そんなレスターを見て、セシルは思う。ノルンがこの場に居たら、何の関係もない他国の事だから、見捨てて帰れと言いそうだ。だから、セシルは、この場にノルンじゃなくてレスターがいて良かったと心底思う。



「お願いします!とにかく今すぐ何とかしないと、時間がないんです。僕だけではどうにもできないから、協力してもらいたいんです!僕が頼れるのは、『神の涙』の事情をよく知ってくれている、あなた方だけなんです!」


 アンリは必死になって、2人に懇願する。


「気持ちはわかるが、何とかするにしても、今すぐには…。少しやり方を考えてからでないと」

「今すぐじゃないと、まずいんです」

「まずい?」


 レスターは、アンリの言葉の真意を聞き返す。なぜなら、アンリの表情は、多くの患者の命が失われることに対する不安とはまた違ったからだ。まるで、何かの恐怖から、自身を何とか落ち着かせようとしているみたいだったからだ。


「今のように、病気だけだったらまだいいんです。もしかしたら、そのうち病気だけじゃなくて「きゃあー!!」



「……っ!!?」

 3人は、ばっと振り返った。廊下の突き当たりのその壁の向こう―テントの内の1つがある場所の方から、きゃあきゃあと甲高い悲鳴が聞こえてくる。

 そこは確か、女性用のテント。そして、リリアがいるはずの…



―どがあああん!!

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