第7話 蕎麦を手繰れば
歳をとってきたなと思う。
身体の方はまだまだいたって健康だが、食の好みが大きく変わってきた。
とんこつラーメンよりかけ蕎麦、豚肉より豆腐、豚汁よりしじみ汁、おにぎりはシーチキンマヨネーズより梅。甘ったるいのはいけない、ピリっと塩の効いた梅干しでなきゃ。ステーキはまだ食べたい。しかし、この間ちょっとばかしいい肉のすき焼きを食べたら二、三日胸焼けが続き辟易してしまった。牛肉はどうにもいけない。
最近は貪るように食べていたアイスクリームを控え、ヨーグルトにバルサミコ酢をかけて食べている。夕食には納豆かメカブを必ず食べる。
年寄りか、と自分でも言いたくなる。
とりわけ蕎麦への執着がすごい。隙あらば蕎麦を食べる。だがどうにもちゃんとした蕎麦屋が好きになれず、いわゆる立ち食い蕎麦ばかり行っている。何しろ立ち食い蕎麦は気軽でいい。もともと江戸の昔からファーストフードだった蕎麦(細かいことを言えば喫茶店的な立ち位置だったそうだ)が時を超えた現代でも早い、安い、美味いを継承している。蕎麦で気取りたい人たちの気持ちも分かるが私にはどうしても、気の短い江戸っ子が悠長に蕎麦を食っていたとは思えない。
「ごめんよぉ、もりぃ、二枚くんねえ」
「あい、おまちどお」
「ツルツルツルゥ、あいごっそさん」
「まいどぉ」
この方がしっくりくる。蕎麦屋はサロンだったなんて言われているが、どうにも信じがたい。何しろ気の短い連中ばかりだったそうだから。ゆっくりしてたら蕎麦が延びてしまうじゃないか、と思っている。
それにしても素晴らしきかな立ち食い蕎麦。である。
最近、縁あって落語家の人と食事をした。その時に私は恥ずかしげもなく
「最近は蕎麦ばかり食べてます」
と言ってしまったのだ。
落語家と蕎麦といえば切っても切れない縁がある。当然彼はこの話に食いついてきた。
「へえ、蕎麦ですか。いやいいですな。この辺だとどちらへ行かれますか?」
というので
「いえ、もっぱらその辺のチェーン店の立ち食い蕎麦です」
というと
「チェーン店の立ち食い?はあ、なるほど。それはそれは」
私はこの時になってはじめて「ああ要らぬことを言ってしまったな」と悔いた。この人たちは文化の中で生きている人種だ。私のように食い意地の張った卑しいものではない。彼らにとって蕎麦は仕草で
私は常々、江戸っ子だった祖父から「おまえ蕎麦で腹を一杯するなんざ野暮なことすんな。腹減ってんなら天丼食いな」と言われたものだ。
祖父もこの落語家さんも、同じような世界で生きている人だ。私にとっての蕎麦と彼らの蕎麦は違うんだと思った。
しかし彼からは以外な反応が返ってきた。
「たしかに立ち食いも美味しいですね。私もこの辺だとよく◯◯というお蕎麦屋さんに行きますがはっきり言って蕎麦は美味くないんです。雰囲気だけで。だから蕎麦が食いたい時は別の店に。それこそ、もっと盛りのいいとこに」
そう笑いながら言っていた。
これには私も大いに好感を抱いた。「所詮はくだらぬ立ち食い蕎麦よ」と頭ごなしに馬鹿にせず、なんと控えめに格好つける人もいるんだな、と。これを俗に言う「粋」な人というのだろう。蕎麦好きには粋な人が多いらしい。
誰かにとっては蕎麦は仕草を楽しむものであり、他の誰かにとっては蕎麦は食欲のない真夏にはうってつけの昼メシである。私にとってはちょっと空いた隙間時間と小腹を埋めてくれるオヤツのような存在だ。
人それぞれによって違う顔をもつ蕎麦。どんな相手であってもどんな楽しみ方であっても、するするするっと手繰り寄せて、ツルツルツルゥっと飲み込ませてしまう。
冬はかけ、夏はもり。時には逆もまたいい。
歳をとってから、蕎麦という楽しみが増えて私はつくづく喜んでいる。
それにしても、蕎麦はいい。
続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます