第3話ラノベってなあに?ラノベってなんだ、YO!
いまだにライトノベルの定義がよくわからない。
西尾維新の物語シリーズや刀語りは店頭での扱いを見るにライトノベルに組されるのだろうが、昨今では境界線が今までにも増して曖昧になってきたのでほとほと困っている。
何故困っているのかといえば、カクヨムで自主企画に参加する際に「〇〇なラノベ集まれ!」という一文だ。それに困っている。
私の場合、一般のカクヨムユーザーよりも圧倒的にライトノベル経験値が低い。ゆえに企画に参加する際の条件として「〇〇」の部分(メインテーマなど)はクリアできても自分の書く小説がライトノベルなのかどうか分からないのだ。
皮肉でも嫌味でもなんでもなく。純粋にライトノベルの定義が分からない。
ウィキペディアでライトノベルのページを読んでみても、分かったような分からないような文章ばかり。曖昧」のふた文字が目立つあたり、そもそも誰も明確な定義を持っていないのではないか。ついそう思ってしまう。
ライトノベル。直訳すると「軽めの文学」的な意味になる。だがそもそも「軽め」とは何か?文学を嗜む人々からすれば「軽い」も「重い」もないのではないか。
文学という言葉は母なる海がごとく広く、そして常闇がごとく深い。
私は音楽でいうところのヒップホップというジャンルを長年愛してきたが、軽めのヒップホップというのは存在しないと思っている。ヒップホップ自体が様々な表現の集合体なので音楽のジャンルではなく文化といっていい。もちろん、聞きやすいメロディラインが入ってる曲や、全体的な雰囲気が聞きやすいアーティストは存在する。だが「軽い」と言われるものは俗にいう「ヒップホップでないもの」つまり「ヒップホップ以外のもの」にあたる。また「重い」というのも同様で重たくずっしりした低音の曲や歌詞の内容が重いものはるけれど、それらを総じて「重いヒップホップ」とは呼ばない。それは単に「ヒップホップ」である。
考えてみればライトノベル作品と、いわゆる世間から文学と呼ばれるものは違う形態をしている。もしかするとライトノベルという呼称は「文学ではないもの」という意味が込められているのか。
とするとライトノベルは文学ではないのだろうか?
いや、必ずしもそうではないだろう。難しいところだ。私では判断がつかない。
エンタメ小説と文学も何が違うのか。そもそも文学の明確な定義とはなんなのか。それはいったい誰が決めているのか。
もはや堂々巡りである。
かつて谷崎潤一郎や内田百間、はたまた泉鏡花や夢野久作。名だたる文豪たちの作品を読み漁った時代もあったがその頃は文章を書いたりはしていなかったし、ただ興味があるから手にとっていたに過ぎない。それが文学かどうかなんて気にしていなかった。
しかし自分で書いていると、いま自分が何処の立ち位置にいるかが無性に気になるものだ。
いま書いているエッセイは除外するとして、明らかに違う作品の目処は自分でもついている。だが昔書いていた「阿片窟」や「ネット小説修羅の道」などは文学を意識して書いたつもりだった。それが果たしてかなっているのだろうか。
自分では文学だと思っているが、意外と人からしたらライトノベルなのかもしれない。
自分が何者かは自分が決める。という強いことをいう人がいる。私は他ではそうでもないが、歴が浅いせいか、
私はいったい、何者なのだろうか。まだ何者にもなっていないとしたら、コレから何者になっていくのか。
続ける
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