第5話 イエスとノー

 その日、帝都では一つ、大きいなイベントがありました。

 アフィル家が擁する巨大企業、アフィルグループの開業50周年を祝う、盛大なアニバーサリーセレモニーが開催される。

 その開幕式直前、アフィルグループ本社ビルにて――


「よ、ようこそ、いらっしゃいました」

 スレイ・アフィルは一人、重要なお客様VIPをお迎えすることになった。

 いつも通り、少しおどおどしてはいるが、綺麗なドレスを着飾っていて、普段にも増してとても可愛らしい。

 側には美人な秘書さんが付いており、ちょっと離れたところで彼、彼女の執事くんもこちらを見守っている。どちらも立派なスーツ姿で、主人とは真逆に堂々としている。

 祖父をなくし、若くして総帥の座についたスレイ。グループの運営に関しては優秀な部下達に全て任せているが、こういうイベントの時は顔役である彼女が出ないわけにもいかない。特に目の前の相手は超が付くほどの大物、総帥自ら出迎えないと失礼に当たる。


「ふーん、キミがあの爺さんの後継か……なんか冴えないね」

 もっとも、当のお客様VIPの方は礼を気にするところか、むしろ彼女自身が失礼の塊りである。明らかに不養生で、長い髪がボサボサ、メガネを掛けていても隠せない目の下のクマ。Tシャツに短パン、そしてその上に白衣を掛けて、下はサイズが大きめなサンダルを履いている。

 しかし彼女がいかに失礼の塊りであっても、周りを黙らせる実績と貫禄がある。年も背格好もスレイと同じかそれ以下、一部だけスレイより著しく成長している部分はあるが……その若さで世界をひっくり返すほどの革命を引き起こし、実力で最大企業の一つに数えるキャスケット社のトップに君臨、それも八年前に。

 それが本日の最重要人物VIP、《霊子理論》の提唱者にして、キャスケット社首席技術主任、ナル・キャスケット。

 本来研究職の彼女がこんなイベンドに出向くはずはないが、今回はアフィルグループとキャスケット社が、共同でとあるプロジェクトを挑むことが決まり、それについて話し合うことも兼ねて、彼女が代表になった。

 

「キャスケット様……」

 そんな人が相手でも、主人を冴えないと言われたら、さすがのメイアも見過ごせないようだ。

「い、いいんです、メイアさん。事実ですし……」

 しかし、言った当人より先に言われた方が止めに入り、メイアもこれ以上追及できなくなった。

「あーごめんごめん、貶すつもりはないんだ。あたし、器用じゃないから、言いたいことはそのまま口に出すタイプ」

 なんのフォローにもなってないところか、傷口に塩を塗っていることを、知らぬは本人ばかりなり。離れたところにいた執事くんなんて、プッっと吹き出した始末。

 年も背格好も自分と同じくらいの相手に、頭の強さも心の強さも、女の強さ(※本人基準)さえ圧倒されて、密かに落ち込んでいた我らがボンコツお嬢様。頼みの綱である執事くんにまで笑われてしまって、わかりやすくしゅーんとした、おいたわしや。


「こほん……お嬢様、そろそろ式場の方にいかないと」

 これ以上背を縮んだら消えてしまうじゃないかと、心配するメイアが仕方なく口を挟み、次のスケジュールを提示する。

「あ、そうでした。ではキャスケット様、こちらへ」

 そうするとスレイはぴくっと背を伸ばし、一生懸命笑顔を浮かばせ、お客様を案内する。やればできるところ、見せないと、内心で小さく意気込む。

「ナルでいいよ、キャスケットは貰いもんだから自分の名前って実感がなくてね。それに見ての通り、堅苦しいのは苦手だ」

 彗星の如く現れた天才少女がキャスケット家の養女になったことは、当時一大ニュースにもなり、様々陰謀めいた噂が出回ったが。本人がまったく気にしない様子を見て、噂の大半はただのデマなんだろう。


 ――いいのかな、本当に…

 スレイが内心でしばらく逡巡し、遠慮がちに顔をあげて。

「……じゃナルちゃんでもいいかな。最近友達にも口調が硬いって言われて、直してるところです」

 スレイは近頃やたらとスキンシップが激しくなった親友を思い出し、不思議と勇気をもらった。

「ナルちゃんか……普段は敬遠されてるから、なんだか新鮮な感じだな。まあ、好きにして」

 年相応な明るい笑顔を見せるナルを見て、スレイもつられて笑ってしまった。

 その光景を、メイアは眩しく思えた。本来ならば彼女たちは学校で青春を謳歌すべき年頃、このような重責を背負う立場にいるべきじゃない。自分達が支え、負担を減らせるスレイの方はまだいい。しかしナルは、彼女自身が優秀すぎる故に、替えが効かない。彼女の肩にどれだけの重圧がかかってるのか、想像もつかない。


「ほら見て、あれ。あれもナルちゃんが作ったの? クラスの男子達が熱心に話してたのを見たよ」

 セレモニーが無事に進み、自社新商品の紹介に続いて、提携会社たちの新商品も展示する。

「あー、アレか、あたしが関わったのはエンジンだけ。それに二年前作ったの物だから、今見ると未熟なところが多いし、こういう場で展示するのは案外恥ずかしいな」

 目をキラキラさせてるスレイを見て、ナルは一抹の赤が染めた頬を指で掻きながら解説する。

「えぇー? 二年前の物が新商品になるの?」

「まあ、そのあたりは営業部の管轄で、あたしの領分じゃないからあまり分からない。あたしは作るだけ、どうやって売るまでは考えない」

「そういうのなんだかプロって感じがします、ナルちゃんは格好いいなー」


 二人の少女が貴賓席で微笑ましい雑談に花を咲かせていると、周りのおじさま方たちも癒やされて、セレモニーは概ね大成功と言えるでしょう。

 その時、一陣の風が吹き――


「……俺の用はそこの女だけだ、邪魔をするなら容赦はしない」

 突然、そう、突然としか言うようがない、その人はそこに現れた。

 どこから? どうやって? 貴賓席は舞台の正面、二階のテラスに設置されている、普通に考えれば入り口の門を通って入るしかない。しかし門は依然閉じたまま、開けられた様子は皆無だ。

 突然現れたその人に辛うじて反応したのはただ一人、執事くんだけだった。

「悪いがそれは無理な相談だ、こっちも仕事でね」

 ノーマン・ディネイス、あらゆる脅威からスレイを守るのが彼の仕事だ。裏では諜報潜入などいろいろしているが、彼が一番得意な仕事は要人警護、守りに関しては世界有数のスペシャリストだ。

 そして彼ほどではないが、アフィルグループの警備を任せれている警備員達も飾りではない、すぐ貴賓席の異常を察知し、突入してくる。

「そこの者、すぐ武器を捨てて投降しろ! 変な動きをしたら容赦なく撃つ!」

 貴賓達の無事を確認した後、すぐ包囲網を築き、多分敵だと思われる侵入者に警告をする。

 侵入者、顔を隠すためか紙袋を被っていて、なかなか奇妙な風貌をしている。背中には刃物? と思わしき物を背負っていて、武器という可能性は高いが、方刃よりずっと細くて長い、見たことのない物だ。


「っ! 気をつけろ、なにか仕掛ける気だ!」

 ノーマンがその言葉を発した時、立っている者はすでに彼と、侵入者の二人だけになった。幸い座ってる者は無事、どうやら無闇に人を傷つく気はないらしい。

 侵入者の手にはいつの間にか、あの刃物を持っている。何をしたのか、どうやってしたのか、ノーマンにはまったく理解できなかった。立っていられるのはひとえに勘、長らく生死の境を彷徨ってきた彼の第六感が危機を告げ、無意識に最大の防御を発動した。


「ほお、法則の域に踏み入れたのか、大したもんだ。もし霊脈を開き、十分な霊力があれば、丹は成したかもしれない」

 侵入者が驚嘆な言葉を述べる。

「そうなると悪いが、お前に手加減をできる余裕はないな。全力を出せ、じゃないと……死ぬぞ」

 そう言った侵入者はただその奇妙な武器を振り上げて、下ろすだけ。

 しかしその至って普通な動作が、要人警護のスペシャリストであるノーマンを容易く切り裂き、プシャーっと胸から血潮が吹き出す。

「ノー……くん?」

 壊れたおもちゃのように崩れていく執事くんを見て、スレイの顔は真っ青になって、心の中からナニかが砕けた音がした。


「来い、盗んだ物は返してもらうぞ」

 侵入者は気にせず、目的の彼女をまるで荷物のように持ち上げる。

「ちょ、ちょっと! 乱暴にしないで! それに盗んでないし、アレは借りただけ。もうすぐ解析も終わる、そしたらちゃんと返すから!」

 じたばたとナルは彼女なりに抵抗を試したが、力の差がありすぎて、全くの無駄である。

「黙れ、もうお前の戯言を聞く気はない。俺は俺の方法で俺の物を取り返す」

 彼女を片手で持ったまま、侵入者は武器である刃物に両足を載せて、そのまま飛び去った。

 襲撃による混雑がすっと消え、そして誰もが目を疑った。飛行は人間の憧れであり、多くの企業や科学者がその夢を追った、もしくは追っている最中だが、未だに誰も実現していないはずだ。それもあんな小さくて細い物で、どう考えても馬鹿げてる。この場にはトップ企業の重鎮が多く、彼らが知らないとなれば、この世界に存在する物とは思えない。それこそ三流幻想小説が描くように、異世界から流れ着いたと言われた方が、まだ納得ができる。


 しかしそんな誰もが目を奪われたその光景に、スレイだけはノーマンだけを見続けた。

 金縛りから脱した彼女はすぐ倒れたノーマンのそばに寄り、ぼろぼろ涙を流しながら叫ぶ。

「ノーくん! ノーくん! 死んじゃだめ、絶対だめだよ! 私を守るって言ったでしょう、一年! だから目を開けて、ノーくん」

 その叫び声でメイアもうようやく気を取り戻して、すぐ携帯で連絡を飛ばす。

 程なくして救援が到着し、ノーマンはそのまま運ばれた。




「……っ!」

 ノーマンは息を飲んで、両目を開ける。

 まず確認すべきのは――

「……すー、すー」

 左手の感触を辿り、隣に伏せている主人を見つける。

 ほっとする間もなく、胸から激しい痛みが込み上げてくる。

「くっ……」

 切られたのか……胸が切り裂かれるよりも先に、彼の意識が切られた。故に今となってはじめて、その事実を目にする。振り上げた刃の光を見た瞬間……


「……うにゅ~」

 不意の痛みに思わず出た呻き声のせいか、小さな主人はごしごしと目を擦って、身を起こす。

「ノー、ノーくん?! もう平気?」

 そして目を覚ました執事くんを見た彼女は、ダイブする勢いで抱き着こうとしたが。

 ノーマンはすかさず手をあげて、彼女の頭を抑える。

「ぐえぇっ……な、なにするの、ノーくん」

「こっちのセリフだアホ、せっかく塞いだ傷口をまた開ける気かお前」

 その言葉で、スレイは自分がしようとしたことを思い返す。

「あっ! ご、ごめんなさい……でもすごく心配したから」

 あなたが悪いですよとでも言いたげな目で、執事くんをじーっと見る。

 しかし、小動物に睨まれたからって、執事くんにとってはどこ吹く風、痛いのも痒いのも胸の傷口からしか感じられない。

「心配する必要はない、これくらい大したことじゃない」

 そう言いながらも、心配されるのは案外嬉しいもんだと、彼自身も不思議に思うくらい。そういえば、幼い頃はよくあのお人好し両親に心配を掛けたなと、記憶の扉が開く。


「ダメ、死んでもおかしくないって言われたんだよ? 心配する、させて」

 いつになく強気なスレイに、ノーマンは目を見張った。ダメだという言葉、彼女の口からは初めて……初めて? なにかが引っかかる、たしかに初めて聞いたが、なぜかそんな気がしない。

「借りは返すって言ったよね、私を守るって言ったよね」

 スレイは両手で強くぎゅっと、ノーマンの手を握り。

「一年の約束、まだ果たしてない。勝手死んじゃだめ、絶対だめ」

 問題ないと、普段の彼ならそう言うんだろう。だが今回は言い出せない、本当に死ぬところだった、あの紙袋くんが殺す気あるなら。

「あなたは私の執事でしょう? お給料出してるから」

 強い眼差しで、スレイはノーマンをじーと見つめる、彼が気圧されるほど。

「わたしの言うこと、聞く義務があります。いい? 私がイエスと言えば、それはあなたのイエスになります、なるの」

 有無を言わせずに、スレイは命令を下す。

「はい、復唱して、しなさい」

 これは、成長なんだろうかと、ノーマンは密かに思う。はっきりと拒否を表し、我を通す、以前の彼女には絶対できないことだ。少し依存性が強まっている節があるのは、心配なんだが……

「イエスだ、わがままお嬢様マイ・レディー

 ノーマンは口の端を少しあげて、その命令を受諾した。

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