第60話 自分の音(3)

あ~あ。



八神は仕事中もため息をついてしまった。


真尋はウイーンに行き。


今回は病み上がりということで彼について行くのは玉田に任せることになってしまった。



「なにをしょぼくれてるねん、」


南が八神の背中を叩く。


「おれが行きたかったな~って。 ウイーン、」


「しゃあないやん。 この間まで寝込んでた人間が。『真尋番』なんかしたらまた入院やん、」


南はおかしそうに笑う。


「あ~、ラーメン食いてえ・・」


脈絡のない会話に


「あんたほんまに思ったことすぐ口にするなあ。」


また笑ってしまう。



気のせいか


またいつもの八神に戻っているようで。



あの


『三角関係』


はどうなったのかは誰も聞けないけど


何となく一区切りついたのではないかと想像がついた。



玉田が出張で留守なので八神はその分も仕事が忙しくなった。


麻由子とはコンクールが終わるまで会うのをやめようと思っていた。


彼女のお母さんが彼女のためにコンクール中は仕事をセーブしてついてくれると言ってくれているらしかった。




そのこともあるが


彼女との関係も


少しずつ少しずつ


変化している気がした。




麻由子は1次、2次とも予選を突破し本選に進むことが決まる。


本選の日は土曜日だったので、八神は仕事を早めに上がれるように急いで片付けていた。


もう本選は始まっていたが、何とか彼女の順番までには間に合った。


本選はヴァイオリンコンチェルト


麻由子は目の覚めるようなブルーのドレスで舞台に上がった。


舞台の真ん中で一礼して顔を上げた時、大きな拍手を受けて少し顔がほころんだような気がした。



落ち着いてる



八神は彼女のその姿にホッとした。



曲目は


チャイコフスキー


ヴァイオリン協奏曲ニ長調



オケとの息もぴったりあって


何よりも


彼女の伸びやかなヴァイオリンの音が


素直に心に響いてくる。



彼女と初めて出会ったのは


まだ大学生になったばかりの少女で


怖いものなんか何もないように


自信に満ち溢れた


ヴァイオリンだった。


挫折を経験して


音が『強く』なった。


圧倒的な存在感が


伝わってくる。




頑張ったんだなァ・・



八神は彼女がすごく遠くの存在に思えた。


よかった


彼女がヴァイオリンを続けてくれて



途中


ふっと笑顔さえ浮かべるほど


麻由子は音楽を楽しんでいた。


やっぱ


すげえよ



こんなにこんなに


才能あるのに


それを


捨てようとしていたなんて



八神は膝の上の拳をぎゅっと握った。



おれは


こうなりたくっても


なれなかったんだ。



志藤さんも


斯波さんも


玉田さんだって



こうやってスポットライト浴びたいって


思いながら音楽やってて



だけど


こんな風になれるのは


ほんのひとにぎりの人間だけだから



だから


神様から


『宝物』


をもらった人は



上へ上へと続く


階段を昇らなくちゃ


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