第59話 自分の音(2)

八神は麻由子の練習スタジオに久しぶりに寄ってみた。



あれから


メールだけで電話をすることもなかった。


もちろん彼女から呼び出されることもなかった。




「八神さん、」


麻由子は少し驚いたように八神を見た。



「・・明日、頑張ってね。」


優しい表情でそう言った。


「はい、」


麻由子は笑顔で頷く。


「もうそろそろ終わりにします。 明日に備えて。」


と片付け始めた。


「うん、」


「聴いてる人をひきつけるには、自分で自分のヴァイオリンを好きにならなくちゃ。 ヴァイオリンを弾くのが楽しかった時の気持ちを思い出して。 何とかこのコンクールでいい成績を残して志藤さんに認めてもらって、オケに帰りたいって、あたし必死でした。 でもね、今はそうじゃないんです。」


麻由子はヴァイオリンを大事そうにしまった。



「もっともっとヴァイオリンが好きになるように。 音楽が楽しくなるように。 それで結果がでなくても、あたしはヴァイオリンを辞めたりしません。 どんな形でもずっとやりつづけていきたいです。 今は本当に、」


あんなに


切羽詰っていた彼女とは別人のように落ち着いている。



そして


すごく彼女が大人っぽくなったような


そんな気がしていた。



「予選はちょっと無理だけど。 本選には何とか行けるようにしたいから。」


八神は余計なことは何も言わずに彼女にそう言うと、


「はい。」


麻由子はふっきれたような笑顔で頷いた。


「メシ、食べて行こうか。」


と誘ったが、



「いえ。 今日は早めに帰ります。 あたしがコンクールに出ること知って、母も久しぶりに帰ってくると言うので。」


やんわりと断られた。


「そう、」




二人の間のことには


触れそうで触れないまま


その日は別れた。




「美咲? なに?」


八神が家に戻った頃、美咲から電話があった。


「あ、あのさ・・。 彼女、どうしてる?」


珍しく声のトーンが低かった。


「彼女?」


「だから・・例の、」


「ああ、マユちゃん? 明日からコンクールの予選始まるんだ。」


「で、どうしてんの?」


探るように言われて、


「何が言いたいんだよ、」


ちょっとイラついて言った。



「あ、あたしがあんまりなこと言っちゃったし。 なんかショック受けてたりしてって。 それが原因でコンクールが悲惨な結果になったらどうしよって、」


美咲なりに悩んでいたようだった。


「さっき会ってきたけど、」


その言葉にドキンとした。



「でも。 もう一人で大丈夫そう。 自信満々って感じとは違うけど、なんかふっきれてるっていうか。元々才能ある子だし。 おれなんかのことで悩んでるような次元の子じゃないって、」


八神は笑った。


「そうなんだ、」


美咲はちょっとホッとした。


気が強くて、すぐにキレるくせに


こういう気が弱いところもあって。


八神はクスっと笑ってしまった。




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