第57話 愛なのか(4)

「お、八神~! 復活~??」


リハを終えた真尋は八神とハイタッチをした。


「すみません、迷惑かけちゃって。 でも、大丈夫そうですね、」



珍しくリハから


真剣に


本番さながらにピアノを弾いていた彼を見て八神は安心した。


「いや~、本番はわかんないよ~。」


いたずらっぽく笑った。


「また倒れそうなこと言わないで下さい、」


八神も笑った。



「あ、そだ。 今日のチケットね。 神谷さんに渡しておいたから。」


真尋は思い出したように言った。


「え、」


八神は思いがけないことを言われてハッと顔を上げた。


「来るか来ないかはわかんないけど。」



あれ以来


彼女からは


メールが一度だけ来た。



『しばらく一人で頑張ります。 コンクールはもうすぐですが、自分の力で頑張ってみます。』


ものすごく


力強いメールだった。


『一人で』


という言葉が


ちょっとだけ胸に痛かったけど。


麻由子は開演時間ギリギリにホールにやってきた。


もうコンクールの予選は明日からで


人の演奏を聴いている暇などないところなのだったが、


やはり真尋のピアノが聞きたくて。


迷っているうちに時間ギリギリになってしまった。



八神は舞台袖でスタッフと一緒に立ちっぱなしで舞台にあがる彼を見ていた。



「八神、病み上がりなんやから座り、」


南が椅子を勧めたが、


「いえ。 こうしてないと落ち着かないから。」


とニッコリ笑った。


こんなに大きな本格的なコンサートは久しぶりだった。


大きな拍手の中真尋は一礼し、その後ちょっとだけ投げキッスをして手をふって会場を沸かせた。


クラシックコンサートと言いながらも真尋のコンサートはかなり緩くて途中にトークの時間まであって年齢を問わず人気があった。


幕開けは


ベートーヴェンピアノソナタ第21番『ワルトシュタイン』



なんだか


魔法にかけられたみたいに


ピクリとも動けなくなってしまった。


この人の


この不思議な力はなんなのだろう



それはきっと


誰も教えてはくれない


神様がこの人にくれた


『才能』


音が生きてるって


ものすごく実感できるほど。



麻由子は舞台の上の真尋と彼の指から奏でられるそのピアノの音の世界に


入り込んでしまった。


人を感動させるって


計算じゃできない


この人は先天的に


その『方法』を知っている


誰にも


説明はできないだろうけど




八神もまた


真尋のこの力に


グイグイと引き込まれる。



あんなにたどたどしかったモーツアルトも


今ではもうカンペキで


ここまで来るのはほんっと大変だったけど。


どんな苦労も吹き飛んでしまうほど


おれは


やっぱり


この人のピアノが大好きだ、


ほんっと


涙出る。




あっという間の2時間半で。


スタンディングオベーションの拍手の中


真尋は舞台袖から走ってきて、汗まみれの顔で両手をふってその歓声に応えた。


そして


最高の笑顔でもう一度ピアノの前に座った。



リスト『愛の夢』第3番



麻由子は胸が


いっぱいの水であふれそうなコップのようで


この感情を


どう表現していいのか


それが涙となって


頬を伝わる



あたしにもできるだろうか


こんな感動を


たくさんの人に伝えることができるだろうか


今まで


自分のことしか考えずにヴァイオリンをやってきた


気持ちを


素直に伝えるということが


簡単そうで


全然できていなかった。


あの日


八神さんと出会わなかったら


あたしは


間違いなく


ヴァイオリンに絶望し


やめていただろう



八神の優しい笑顔を思い出した。

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