第3話 蒼の季節(3)

時は3年前----


「八神っ!! 早くコレ持ってけよ! 時間ないぞ!」


斯波が痺れを切らして怒鳴りつけた。


「は、はいっ! すみません!」


八神は慌てて外出の仕度を始める。



事業部に就職することが決まり、バタバタと上京した。


音大を卒業して北都フィルの楽団員を2年ちょっと勤めたあと


自分の限界を感じて思い切って辞めた。



担当楽器がオーボエという


地味とは認めたくないが、あまりにこのまま続けるには不安がいっぱいで。


ソロデビューなんかとってもできるわけでもなく。


ヴァイオリンみたいにつぶしがきくわけでもなく。



セカンド・オーボエが精一杯だった自分には


もう未来がない気がしていた。



田舎に帰り、することもなく


実家のぶどう園を手伝いながら、バイトして。



悶々とした日々を過ごしていた時

突然、志藤から電話があった。




「ブラブラしてんなら、事業部で仕事しない?」


もう


夢みたいで


二つ返事で


「はいっ!! よろこんでっ!」



居酒屋の店員のように即答してしまった。



事業部は


前にいた人が退職し、人手が足りていなかったらしかった。


そして


いきなり任された仕事が



『真尋番』


だった。




「え、いきなりは無理ちゃうのん?」


南は昼休みちょこっとネイルの剥げたところを直しながらそう言った。


「でも、もう玉田もいつまでも真尋のつき人やってるわけにいかへんし、」


志藤も言った。


「ちょっとづつ練習したほうがいいんじゃないですか?」


玉田も心配そうに言う。


「んじゃ、手初めに。 真尋のピアノスタジオ行って様子見てきて。 今度、横浜でリサイタルあるからそれ仕上げてるはずやし、」


志藤はデスクの引き出しからキーを取り出した。



「はあ・・」


言われるままに地図を片手に真尋のスタジオにやって来た。


元々楽団員だった彼はもちろん真尋のことは知っていた。


会話は交わしたことはないものの、彼とピアノコンチェルトもしたことあるし。



そおっとドアを開けて入ると、真尋は真剣な顔で練習中だった。



え?


何の曲?



しばらくわからないほど、たどたどしいものだった。



モーツアルトのピアノソナタ?


ちょこっとわかってきた時、真尋はいきなりバッと八神を見やった。



「わっ・・」



思わず声をあげてしまう。



「なんだ、オマエ・・」


怖い顔でジロっと睨まれた。


「あっと、今度新しく事業部に入りました八神と申します。 あの、前に北都フィルの楽団員で、セカンドオーボエを担当していました、」


なんとか自己紹介をすると、真尋はしばしの沈黙の後、



「・・ごめん、おぼえてね~、」


と、またピアノの鍵盤に手を戻す。


「は、」


もう苦笑いしかできなかった。


「それで、ぼくがこれから真尋さんのつき人をさせていただくことに、」


と言うと、


「へ? タマちゃんはどうしたの?」


と顔を上げた。


「玉田さんはオケの方の仕事が忙しくなって。 それで、」


「え~~~~、なんだよぉ。 おまえ、掃除とかできんの?」


「は?」


「そうじ!」


「掃除は・・まあ、普通に、」


「んじゃ、ここ掃除して。」



確かに


すっごい散らかってるし。


食べたあとのスナック菓子の袋や、脱いだシャツもその辺にほっぽらかし。


マンガ雑誌なんかもその辺に適当に置いてある。


八神はこの『変人』に圧倒されつつ、仕方なく掃除をし始めた。

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