第1位 ベルフラム 『熱い想い』


キャラクター人気投票第1位。初期ヒロインベルフラムのSSです。

時期としては第98話と第99話の間の期間での出来事です。


♡ ♡ ♡


「姫様っ! 少しじっとしていてください!」


 女中の言葉にベルフラムは少しだけ顔をしかめて動きを止めた。

 女中は続けて何かを言っていたが、それはもう上の空だ。


 この所ベルフラムはいつも悩んでいた。

 雄一を退け、自由を勝ち取ったベルフラムだったが、その表情には憂いが含まれていた。

『青の英雄』と称された国一番の武力を下した九郎。自分の身を、心を、全てを守ってくれた『英雄』。

 ベルフラムが全てを捧げると誓った男の表情が、いつまで経っても晴れてくれないことに気を揉んでいた。


(一応王様への手紙も書いたけど……最大武力を何処まで御せるのか……望み薄よね……)


 ベルフラムは眉間に皺を刻んで考え込む。

 後一歩の所で邪魔が入り、雄一を取り逃がしてしまった。その事を九郎は殊更悔やんでいる。

 あれだけ強力な武力を持つ者を敵にしたままでは、自分達の安寧など訪れない――そう考えているのだろう。

『支配』という人外の力を持つ雄一がまだ生きているという事は、いずれまた事を構える事になる。

 それはベルフラムにとっても悩みの種でもある。


 驚くほど簡単に人を殺し、人の尊厳など全く眼中にない歪んだ性嗜好を持つ『英雄』。

 国の格にも影響しそうな下衆な行いを振り撒く雄一が、ずっと国の要職に収まっていた事からも、王家は武力を手放せないだろうとベルフラムは予想していた。

 それでもあの場にいた貴族の同意を得て、また亡くなった貴族の遺族からの陳情も含め、多くの苦情を王へと送る事で少しでも足かせになればとベルフラムも奔走している。


(でも……少しは笑ってくれてもいいじゃない……)


 とは言えずっとしかめっ面を浮かべている九郎を見ているのは辛い。

 九郎はあれから毎日朝から晩まで城の騎士達に混じり、戦闘の稽古をしている。

 そこにいつもの朗らかで暢気な風貌は無く、焦っているかのように見えていた。

 九郎は再び事を構えるであろう雄一との強さの差に、追い立てられるように体を動かしていた。


 しかし九郎の強さと言うのは武力と言う意味ではか細いものだ。

『青の英雄』を下した事で一目置かれていた九郎だが、戦闘自体に適正はなく、城の騎士達にも次第に侮られているようだった。それが更に九郎の焦りを生んでいるようにも見え、彼の陰口を耳にする度にベルフラムは眉を吊り上げ叱りつけてはいるのだが……。


(私の『英雄』……クロウは強く無くても私の『英雄』なのよ?)


 ベルフラムは九郎がそれほど強く無い事を知っている。

 九郎は強くは無いが頑強なのだ。何者にも屈しない強さ。

 それは体だけでなく心も。

 決して諦める事をしない青年を思い浮かべると、途端に頬が熱くなる。

 弱く、それでいて絶対に膝を屈しない九郎の姿は、諦めなかった自分が手にした希望にも、証にも思えてくる。


「姫様っ!? 苦しかったでしょうか? 締めすぎですか?」


 ふと気付くと女中が心配そうにベルフラムの顔を覗きこんでいた。

 鏡に映る自分の姿は眉を顰めながらも頬を染めると言う、なんとも言えない顔をしている。


(心が苦しい……胸が締め付けられそうだもの……うん?)


 九郎を思いギュッと胸を押さえたベルフラムはふと首を傾げる。何も言っていないのだから、女中がベルフラムの心の中を覗きこんでいない限り知り得る感情では無い筈だ。

 そこでドレスの腰ひもの具合を聞いているのだと気付き、ベルフラムは慌てて手を振る。


「も、問題無いわ! もう少し胸を強調出来ないのかしら?」


 春色の淡い緑のドレス姿を鏡に映しベルフラムは違った不満を口にした。

『風呂屋』で暮らしていた頃は服など3着しか無く、選ぶ事すら必要無かったのだが、城に滞在し領主の令嬢として振る舞うにはそうはいかない。

 無駄とも感じる毎朝の着付だが、今日のベルフラムは少しだけ違っていた。


 ひらひらと軽い布を使った薄緑色のドレス。春の訪れを告げる巫女服程では無いにしても中々に豪華なものだ。普段であれば着ようとも思わない衣装だが、今日はあえてそれを選んだ。

 袖が長く洗濯も、掃除もl料理も出来そうにないこんなドレスであっても、何かしらの役にはたつ。


「詰め物を入れますか……?」


 少し背伸びした衣装だから背中は大胆に開いているし、胸元もかなり際どい。

 女中の引いた口調にベルフラムは少し眉を顰める。


「う……。詰め物……もう全部見られちゃってるから……バレそうね……」

「へ? え?」


 胸元に手をやりながら呟いた言葉に女中が息を飲んで固まっていた。



♡♥❤♥♡♡♥❤♥♡♡♥❤♥♡♡♥❤♥♡♡♥❤♥♡



 軽やかな足取りでベルフラムは歩く。

 走り出したい気持ちを押さえるのに苦心し、その顔はお預けをくらっている子犬のようだ。


(やっぱり動き辛いわね……)


 供も連れずに城の外を出歩くなどとレイアや女中に窘められそうだが、そこまで気が回っていない。

 修練場への僅かな距離が長く感じる。

 レミウス城はどちらかというと質実剛健を旨とした作りだ。

 公爵位に相応しい内装ではあるが、どこか冷たい印象を抱かせる。


 しかし今のベルフラムにはその黒く磨かれた石造りの道も熱を帯びているかのように感じられる。

 雪解けの始まったばかりの緑の庭さえ今にも花が咲くのではと感じてしまう。


 逸る気持ちを抑えきれずに少し早足になりながら、ベルフラムは騎士修練場の扉を潜る。

 門兵が驚いているが知った事では無い。

 耳に剣戟の音が響いてくる。アーチ状に作られた中の扉は開いており、暗がりから再び眩しい光が差している。


 まるで自分の心情を表すかのような眩い光の中へと入る。

 青い空が再び広がる。


「クロウー!!」


 アーチを潜ると同時にベルフラムは声を上げた。

 春の日差しにも、高い空にも負けない眩い笑顔を浮かべながら。


 その声に最初に気付いたのは修練中の騎士達であった。


「ひ、姫様っ! 何故この様な場所に!?」

「ここは危のうございます!」

「修練の見物でしたら貴賓席の方にっ!」


 何人もの近衛兵達が駆け寄って来る。

 ベルフラムは一瞬ビクリと体を強張らせる。

 未だ記憶に新しい、春の神事の映像が思い出されていた。

 雄一に『支配』され操られていた者達は、今は目の治療で休んでいる筈。その事を知っていても、兵に剣を向けられた記憶で怯んでしまう。


「どきなさいっ! 危ないわよっ!」


 思わず腰から魔術師の杖を取り出し威嚇する。

 猫のように威嚇するベルフラムに騎士達も困り顔で後退る。

 雄一に操られていたとは言え、自らの部隊の兵士がベルフラムを害した事に代わりは無い。その事を分かっているのか、遠巻きにベルフラムを囲んで近付こうとはしてこない。

 だが修練用とは言え剣や槍が打ち鳴らされているこの場所に、主の令嬢が入り込むのは拙いのだろう。

 皆、危ないのはあなただと、目だけで訴えてきている。


「止めぇぇぇぇー!! 修練を止めよー! 姫様がご見学に参られた! 一同その場で待機ー!!」


 兵士の一人が慌てて声を張り上げた。僅かな危険もあってはならないとの思いからだろう。

 ただ今回はその配慮は杞憂に終わったようだ。兵士の輪の中から一人の青年が姿を現していた。


「ベル……危ねえぞ? ……!? 何かアイツに動きがあったのか?」


 最近いつもこうなんだから――雄一の影に警戒したのか九郎の顔が険しくなっていた。

 九郎のそのような表情にベルフラムの心がちくりと痛む。この表情をさせている原因は自分にもある。雄一が自分を手に入れようと画策しているからこそ、九郎はここで修練を積んでいる。九郎は自分を守る為に自らを鍛えている。

 愛する人が自分の為に何かしようとしてくれているのは女心に嬉しさをもたらすのだが、普段平和そうな九郎がこれほど敵の姿に警戒し、神経を張り巡らせていることに罪悪感も覚えてしまう。

 だが今日は違う。今日は違わせてみせるとベルフラムは顔をあげる。

 目当てのものが目の前に現れ、ベルフラムを繋いでいた首輪が外れていた。


「クロウッ!!! あ、わわわわっ!!」


 笑顔と共に走り出したベルフラムは、もうドレスの事はすっかり忘れていた。

 野原に放たれた子犬のように満面の笑顔を浮かべていたベルフラムが、裾を踏んづけ手足をばたつかせる。


(ばかばかばかっ! 何のためにこのドレスを着て来たっていうのよ!?)


 走れないドレスを着てきた意味を思い出しながら、ベルフラムは眼を瞑る。

 痛みに備え、同時に汚れてしまうドレスを想像して泣きそうになる。


「ったく……おしとやかに出来ねえガキんちょだよな……」


 しかし予想された痛みは無く、その代わりに腹に力強い腕を感じた。

 薄目を開けるといつものように、苦笑を浮かべた九郎の顔がそこにある。

 九郎がよくする表情。困ったような、弱ったような……それでいてどこか安堵したような表情。


「子ども扱いしないでよっ!」


 ベルフラムは言いながらも顔がにやけている事を自覚する。

 あの距離を一瞬で詰めて自分を抱き寄せたこの腕の感触が愛おしい。

 戦闘時よりも素早く動いた九郎に、周りの兵士の目にも少し驚きが浮かんでいる。


(クロウは私達が絡んだ時は別人だもの!)


 自分の『英雄』を誇らしげに思いながらも、ベルフラムは九郎に頬を摺り寄せる。

 兵士からは驚きと共に微妙な空気が流れている。

 公爵の娘。王位継承権すら持つ自分が侮られるばかりの平民に頬を寄せているのだ。何事かと思う者も多いだろう。しかしベルフラムは全く構わない。自分が何か思われる事には慣れている。どちらかと言うと見せつけたい気分でいっぱいだ。

 神の前で誓い、貴族にも親にも宣言した。

 誰に恥じるでもなく自分はこの男が好きなのだ。


「お前なぁ……この態度で子供扱いしないではねえだろう」


 見上げる九郎は苦笑をさらに深めていた。眉を八の字に下げ、口元をへの字に結んだ困り果てた表情。

 だがその目に安堵の笑みも浮かんでいる事をベルフラムは知っている。

 それが未だ彼が自分達の保護者として接している事の表れなのも知っているが、それでも安らぎを与えている事でもある。


「もうお昼よ! 呼びに来たの!」


 ――九郎の気持ちを少しでも軽くできているのなら――そう思いながらベルフラムは微笑む。

 目に届く範囲に居れば何とか守れる。九郎はそう思っている。

 それは相手を打ち倒す気構えでは無く、自分達の盾としての自分を認識しているからだ。

 敵を倒すのではなく、敵から守る。九郎らしいと感じながら自然と九郎の首に手を回しぶら下がる。


「お姫様がメッセンジャーじゃ仕方ねえな」


 九郎が苦笑のままに立ち上がった。当然のようにベルフラムを片手で抱きかかえ、人形のように軽々肩に乗せる。

 ベルフラムも、今は荷物のように抱きかかえられることに異議を唱えない。

 少し思うところはあるが、それよりも九郎と引っ付いていることの方が大事なのだ。


「しっかし今日はどうしたんだ? 本当にお姫様みてえな格好だよな? 似合ってるぜ」


 九郎が肩越しに笑顔を見せた。

 途端ベルフラムの顔に火が入る。


(こういうところだけはちゃんと淑女レディーの扱いするのよね)


 九郎の頭に抱きつきながらベルフラムもはにかむ。

 単純に褒められた事が嬉しくて頬が緩んでしまう。

 ちゃんとお洒落して来て良かったと心から思う。この男は普段ぼへっとしているのに、女性の扱いはこなれている。普段の会話の中でも女性に気遣う様子が見えるのだ。

 ただ一瞬のこの笑顔を見る為に今日は着飾ってみたのだが、それだけの価値はあったと、少し苦しい胴回りを押さえ、


「まだちゃんとお姫様よっ! みたいじゃないのっ!」


 照れ隠しにぺしぺし九郎の頭を叩く。

 悪い悪いと笑う九郎を見下ろしベルフラムは心の中で付け加える。


(早くお姫さまじゃなくなりたいのっ! 早く貰って頂戴! クロウ!)


 体も心も――全てを捧げ、ベルフラムは九郎と添い遂げると誓っている。

 平民の出の九郎に嫁ぐのだから、自分はいずれ平民となるだろう。

 その時が待ち遠しと思いながらも、あと何年必要かしらと頭の中で考える。


(一応言質は取ってるけど……)


 雄一相手に九郎が啖呵をきったとき、九郎はベルフラムの言葉を受け取った。

 しっかりと俺のものだと言われた時は、状況も忘れて胸が高鳴ったものだが……。

 裸も見られ、愛も誓い、口付けも交わしているのに九郎はちっとも手を出してくれない。

 いつも子ども扱いして、自分の裸を見ても欲情すらしないのは少しプライドが刺激される。

 幼子に情欲を覚える性質では無いと言っていたが、彼の中では幾つから大人なのだろう。


「ベル……押さえつけてっと成長しねえんじゃね?」

「もう少し淑女レディー扱い続けなさいよっ!!」


 春の訪れを少しだけ感じる緑の庭に、苦心して寄せた胸で九郎の頭を抱きしめていたベルフラムの怒鳴り声が響き渡っていた。



♡♥❤♥♡♡♥❤♥♡♡♥❤♥♡♡♥❤♥♡♡♥❤♥♡



「姫様、おやすみなさいませ」

「ええ、おやすみなさい」


 女中が深々とお辞儀をして扉から出ていくと、ベルフラムは小さく溜め息を吐き出す。

『自分は九郎のモノ』と城の中でおおっぴらに宣言している身ではあるが、流石に同衾は止められていた。婚姻も結んでいない女が男と同じベッドで寝るのははしたない行いだと。

 父親のアルフラムは療養中で九郎の顔すら見ていないのだが、長男のアルベルトが貴族として残るのなら外聞も考えてくれと訴えていたのだ。それならすぐにでも貴族の地位を捨てると言ってしまいそうだが、貴族の地位を持つ雄一への牽制の為にも、今すぐこの地位を捨てる事は出来ない。

 自分の身だけならともかく、ベルフラムには今守るべき者達がいる。クラヴィスとデンテ。ベルフラムが拾いあげた獣人の姉妹を守る為にも今は地位が必要だ。理不尽な要求を少しでも跳ね除ける為に、しばらく貴族を続けなければならないだろう。


 守られるだけではならない。自分も守るべき者がいる身なのだと言い聞かせて、ベルフラムは言いつけどおりに一人でベッドに身を横たえる――訳が無い。


「ベルフラム様」「しゃまっ」


 夜風にカーテンがひらめき、風と共に小さな声が入って来た。

 続いて小柄な影が二つ。音も無く部屋の中へと滑り込んで来る。


「もう誰もいないわ。クロウはもう寝ちゃった?」

「いえ、今戻って来てお風呂に入ってますです」


 ベルフラムの質問にクラヴィスが答える。

 その髪がしっとり濡れている事からも、クラヴィス達は先に風呂に入れてもらったのだろう。まだ肌寒い季節だと言うのに、体から仄かな湯気を立たせて、夜風を気持ちよさそうに浴びている。

 気持ち良さそうだなと思いながらも、同時に夕食を取った後にまで鍛錬をしていたのかと、ベルフラムは呆れを相する。

 今日は九郎を喜ばせようと、おめかしして二人で出かけてみた。その時は楽しそうにしてくれていたのだが、ノルマを自分に課していたのだろうか。


(悪い事しちゃったのかな? でもクロウにも休息は必要だと思うんだけど……)


 自分達の為にがむしゃらに強くなろうと奮起している九郎に、休めとはなかなか言えない。そもそも九郎は疲れた様子を全く見せない。体力だけなら城の誰よりもあるだろう九郎を思い浮かべて溜息を吐く。

 いくら体力が有ろうとも、このままでは擦り切れてしまうのではと感じてしまう。だからなし崩し的に外へと連れ出してみたのだが……悪手だっただろうかとベルフラムは考え込む。


「クロウ様、今日はいつもよりも穏やかでしたですから、きっとベルフラム様のおかげですよ」


 考え込むベルフラムにクラヴィスが微笑みながら言って来た。

 心を読まれたのかと目を丸くしながら、ベルフラムは顔をあげる。


「ベルフラム様は考えてる事が丸わかりです」


 澄ました顔でクラヴィスがまた心を読んだ。

 それほど顔に出るのだろうかと、ベルフラムはペタペタ自分の顔を触る。


「ねえちゃ」


 クラヴィスが笑いを噛み殺すような表情を浮かべ、ベルフラムが眉を下げていると、外を見ていたデンテが耳を一度はねさせた。


「では行きましょうか」

「ええ、デンテ……。今日もお願いね。あ、ちょっと待って。私もお風呂入りたい! 着替え持ってかなきゃ……きゃっ」

「ねえちゃが用意してましゅ」


 ベルフラムの体が浮いていた。

 デンテが尻尾を振りながらベルフラムを抱え上げている。6歳という幼さなのに、デンテの力は大人のレイアよりも強い。これが獣人の力の平均なのだろうかとベルフラムは毎度のことながらも驚きを禁じ得ない。

 両腕で軽々持ち上げられたベルフラムの下で、デンテも笑っているように思えた。

 ベルフラムがクラヴィスの思った通りの言葉を口にした事が面白いのだろうか。

 いやはやクラヴィスの先見には恐れ入る。それとも自分の行動は予測しやすいのだろうかとベルフラムは思案する。


 思案顔を浮かべたままベルフラムは運ばれていく。

 3人は風にはためくカーテンをひるがえして、窓の外に躍り出る。

 最初はその高さに怯んでいたが、ベルフラムももうとっくに慣れている。ずっと一人で頑張って寝ていたが、九郎が近くにいると言うのに一緒に寝ないのは考えられない。

 外聞がなどと言う長男の言葉を最大限譲歩しても、ベルフラムは九郎の傍で眠りたい。

 その思いすら御見通しと、クラヴィスとデンテは毎夜こうしてベルフラムを迎えに来ていた。


 誰にも見咎められないよう、屋根を伝って。


「ぶっふぁ~……。やっぱ日本人は風呂だよなぁ~。生き返るきがすんぜぇ……。ま、死なねえんだけど……」


 光が漏れるひと部屋から野太い声が聞こえてきた。

 ベルフラムは急いで夜着の腰ひもを解く。春先の冷たい夜風が白い肢体を撫でていく。

 寒くは感じない。既に体が火照ったように熱い。すぐそこに九郎が居ると分かると、体温が上昇しはじめてしまう。


「クロウー! 私も入れてっ!」

「どぅわっ!? 毎度毎度驚かすんじゃ……って何まっぱで移動してんだよ!?」

「違うわよっ!? 今脱いだのよっ! ……ふぅ~」


 窓の傍に置かれた大きな瓶に身を沈めている九郎目がけて、ベルフラムは飛び込んで行く。

 狭い瓶の中に体をすべり込ませ、頭を九郎の胸に預けながらそのまま顔を仰ぎ見る。

 月明かりの下で見上げる九郎はやっぱり苦笑を浮かべていた。


「ったく……恥じらい持てって言ってんのによぉ……」

「ちょっとは恥ずかしいわよっ! でもクロウが恥ずかしがってくれないと……その……悔しいじゃない!」

「そう言うところがガキだっつーの」


 こうして湯に浸かることも何度目だろうか。

 体を重ねる行為というのは、こういった事では無い気もするが、心が満たされていく。

 男女の逢瀬を経験した訳では無いけれど、これもその内の一つなのだろうか。

 なにせ肌を合わせその鼓動を聞くだけで、心が安らいでいくのだから。


「また寝こけちまうんじゃねえぞ? 流石の俺も女児のパンツを穿かせるのは恥ずかしいんだ」

「あら? じゃあ今日もお願いしようかしら――あいたっ!?」


 冗談めかして片目を瞑るベルフラムの頭に軽い手刀が落とされた。

 恨みがましい目で九郎を見上げると、困った奴だとまた苦笑。


(でも……その優しい目は好きよ? 私を溶かしてしまいそう……)


 月明かりに照らされた九郎を見つめ、自分の胸がまた熱くなる。

 焦燥も不安も全てを溶かす熱。『冷炎フリグフラム』の字名さえ溶かしてしまった熱い想い。

 背中越しに伝う熱にベルフラムの心は熱く熱く燃え上がる。

 これがきっと恋の炎と呼ばれるものなのだろう。

 胸にこみ上げる暖かな感情を包み込むようにしてベルフラムは眼を閉じる。


「だから押さえ込んでちゃ成長しねえ……あいてっ」


 流石に今のはデリカシーに欠けていたと言わざるを得ないだろう。

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