第2位 サクラ 『孤蟲の夢』


キャラクター人気投票第2位。サクラの賞品SSになります。

時期としては彼女のその後の様子をチラ見せ……再登場を望まれている彼女の近況ですね。

本来なら書かずに再登場させるつもりでしたが……チカタナイネ。


♡ ♡ ♡


 ザザァーー…… ザザァァー……


 潮騒の音。初めて聞く波の音。暗い海の底では聞くことの無かった不思議な音。

 三日月形の小島の湾内。その真ん中にぽっかりと口を開けた洞窟の中にピンク色の生き物が蹲っていた。

 

「キキュ…………」


 冷たい塩水が体を濡らし、生き物は弱々しく鳴き声をあげた。


 九郎を陸へと届けた後、サクラは命の終わりを静かに待っていた。

 兄弟姉妹達に別れを告げ、一匹だけで孤独に朽ち果てようとしていた。兄弟達より成長が遅く、この日までに体表が変色しなかったサクラは、この赤く輝く色の所為で魚に食われる事は無い。

 大型の魚に呑まれ、その喉元に寄生して生きるサクラの種族、フォトンとしては致命的な色。

 危険色に輝くこの体の所為で、サクラの生きる道は途絶えていた。

 ――ずっと前から分かっていた――。

 サクラは冷たい水を浴びながら、自分の生涯を振り返る。500日ほどの短く長い生涯を。

 月の光が水平線に光の道筋を画き、伸びる先を見据えながら……。



 ザザァーー…… ザザァァー……


 潮騒の音がする度にサクラの体は凍えていく。

 海の水の冷たさがこれほど堪えるとは思ってもいなかった。

 薄い体表を撫でる水の冷たさに、末端が凍りついたかのように動かない。

 母親と暮らしていた海の底では、家としていた魚の体温の所為か、寒さを感じた事など無かったのに。


 ――違う――


 温かな暮らしを思い出し、サクラは頭に浮かんだ理由を否定する。


 ――きっと海の底も冷たかったのでは?


 冷たい風が吹き荒ぶ海面よりはましとは言え、海の底深く、光も当たらぬ場所に温かさなど有ろう筈も無い。兄弟たちの息遣いが、賑やかな家が、サクラに温かさを錯覚させていたのだろうか。

 それだけでは無い理由を、サクラはこの時思い至る。

 自然という過酷な状況下に生きるもの全てに言える事だろうが、自分のような欠陥を持つ者が生き長らえる事などまずない。母も自分は直ぐに死んでしまうだろうと考えていたから、ずっと自分の未来を伝えなかったのではないだろうか。

 しかしサクラの近くには温かな者がいた。自分に名前をつけ、片時も離れなかった自分達とは違う者。

 いつまで経っても体表が厚くならない欠陥をもった自分が、この時まで生き長らえた理由は彼がいたからに違いない。


「キュ……リョ……」


 もう一度声に出して名を呼んでみた。声帯がそのように出来て無い為、どうにも上手く名が呼べない。

 一度だけ自ら名乗った彼の名をサクラはずっと覚えていた。


 凍える自分を温め、今の今迄生かしてくれた者。

 自分達とは違う生態をもつ外の者。

 きっと彼を運ぶ為に自分は生まれて来たのだと、サクラは自らの運命を決めていた。

 ただ死にゆく為に生まれて来たのでは無い事を証明したかった。

 彼がいなければ自分はここまで生きられなかっただろう。だからこそ、サクラは彼の道筋を作る為に生まれて来たのだと、自分の中に意味が欲しかったのだ。


 大地を深く穿つ6対の尾触にも意味を求めた。意味など無いと分かっていても意味が有って欲しいと願った。

 広い世界を歩く彼の未来に自分の想いが届くようにと願っていた。



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 ザザァーー…… ザザァァー……


 どれ程の間微睡んでいたのだろうか。

 何度も体を濡らして行く水の冷たさにサクラは再び目を開ける。


 あとどれくらいの間自分は生き長らえるのだろう。ただ死を待つだけとなった身だが、飢えて死ぬのか乾いて死ぬのか……。それとも何か恐ろしいものに食われて死ぬのだろうか。

 赤く光るこの体表では食われないから死ぬのだと思い出して、なんだかおかしく感じてしまう。


 死ぬまでの間があとどれくらいなのかは分からないが、それなら楽しい事を思い浮かべて死にたいものだ。

 サクラはそう考え再び夢の中へと沈んで行く。


「ざくらぁぁぁ。またどこかで会おうなぁぁぁ。お前の立派な家に招待してくれよなぁぁぁぁ」


 楽しい事を思い出すとどうしても九郎の存在に行きつく。母よりも長い時間を共にした兄貴分の言葉を思い出して何だか少し照れくさい。

 家に招待してくれだなんて、求婚そのものだ。

 サクラ達フォトンは最初に家――宿主を得た者が雌となる。そうして次に訪れた同族が雄となりつがいを作る。

 家に招待してくれと言うのは、すなわちお前の伴侶になりたいと言うことと同義である。


 ――出来るのならそうしたかったな――


 サクラは頭に思い浮かんだ光景を夢のような光景だと感じた。

 ずっと彼と暮らしたい。いつも温かな彼とずっと寄り添っていたい。


 ――子供も沢山産むのかな? ――


 望めない未来だからこそ、その光景には憧れる。

 生物の本能を捨てて九郎を送り届けたのだから、自分の未来さきは決まっている。

 そう分かっていても一度想い描いたその未来はサクラを大いに魅了した。


 ――母と同じに出来るかな? 漁なんてしたことないけど……――


 伴侶として九郎を迎えるのならば漁の腕は必須だ。母は漁の腕に優れていたのだろう。

 殆んどの子供を飢えさせる事無く育て上げた母は、サクラから見ても立派な母だった。


 家主としても伴侶を飢えさせる事など有ってはならない。家を操り、魚を沢山捕まえなければ……。

 想い描いた妄想に浸っていたサクラの目の前に、丁度その時魚が紛れ込んでいた。

 思わずサクラは条件反射で魚に飛び付く。

 動かないと思っていた体がすんなり動いていた。

 本能に刻み込まれた漁師としての腕は、ちゃんとサクラにも宿っていたようだ。


 魚を捕まえてからサクラはふと周りを見渡す。

 さっきまで体を僅かに濡らしていた海面が上がっていた。

 潮騒の音は変わらないのにどうしてだろうと不思議がる。

 これが母の言っていた「潮の満ち引き」と言う奴なのだろうか。

 その頃には自分の未来は決まっており、あまり聞いていなかったがどうなのだろう。

 今や水はサクラの体半分を濡らし、洞窟の奥へと引き込まれていた。


 また一匹魚が飛び跳ねた。

 吸い込まれるようにして奥へと流れていく魚を眺めながら、腕に抱えた魚を見る。

 自分一人分には充分だが、これでだけでは九郎を満足させるにはちょっと足りない。

 魚を啄ばみながらサクラは次こそはと闘志を燃やす。


 夢の中の飯事。サクラはその甘い夢に浸っていた。



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 ザザァーー…… ザザァァー……


 どうやら飢え死には無さそうだ。どれほど時間が過ぎていたのか。

 時折迷い込む小魚を捕え、サクラはまだ生きていた。凍える水の冷たさに辟易するが、水が流れているからか凍りついてしまう事もないらしい。

 変わらぬ潮騒の音を聞きながらサクラは今日も夢を見る。

 兄貴分を伴侶に向かえた日々の暮らしを夢想する。


「ほら、サクラは別嬪さんだから選り取り見取りだ! サクラほど美味しそうな体はそうはいねえぞ?」


 別れの直前に九郎が言っていた言葉を思い出して、サクラは淡く体を光らせる。

 お世辞だろうとも嬉しく感じる。

 この赤い体の所為で食われない事を分かっていたが、その自分を美味しそうとはフォトン冥利に尽きると言うものだ。


 ――まだ漁は上手くできないけど……いざとなったら食べてもらおう――


 望むべくも無い妄想を想い描き、サクラは少し落ち込んだ。

 どの道終わる事が決まっていたのだから、最後に自分を食べてもらっても良かった事に気が付いた。

 他の兄弟よりも小さな体ではあるが魚2、3匹分以上に食べごたえはあるだろう。

 それで喜ぶ顔が見られるのならきっと良い生涯を閉じられた筈……。

 そう考え自分の短慮に叱咤する。


 ――でも……ウチの脚は生えて来たよね? 母も生やすまでは出来ないって言ってたけど……――


 自分が思っていた以上に足を差し出すのは命がけだった。

 沢山あるのだからと思っていたが、兄弟の中には足を失ったままの者達も多くいた。それでも何十対とある脚の数本。みな無事に育ち巣立って行ったのだから、そう問題でも無い気もしていたが。


 思い返してみると九郎も自分も脚を生やす事が出来たから、それが普通と思っていた。

 欠陥があったからその分違う能力でも持っていたのだろうか。確かに考えてみると脚の少ない九郎が脚を生やせなければ大変なのだろうが……。


 ――本当について行ったら良かったかな? クロウもウチをずっと食べられるのだし――


 少し考え込むがそれもまた埒外な思いだと気が付く。

 死んでしまってから体が再生する筈が無い。これから死にゆく未来しか無いのに、先の先を夢想しすぎて考えが突飛になり過ぎてしまっている。


 ――でも……そうだったら良かったな……。それだったら漁が下手なウチでも子供育てられるし……――


 ザザァーー…… ザザァァー……


 潮騒の音を子守唄にサクラは再び甘い夢に浸る。子供達に囲まれ、自分に寄り添う九郎の事を思い浮かべ、


 ――でもこんなに寒かったらクロウが子供達に取られちゃうかな……――


 冷たい水にサクラは小さく体を揺すった。



♡♥❤♥♡♡♥❤♥♡♡♥❤♥♡♡♥❤♥♡♡♥❤♥♡



 ザザァーー…… ザザァァー……


 長い長い夢の帳。サクラは今日も温かい夢から目覚める。

 どれくらいの時間が経ったのだろうか。月の満ち欠けと太陽の影を数えることなどしてこなかった。

 すぐに訪れる筈の終わりの時はまだ先のようにも感じられる。

 体を突き刺すような冷たい水には少しずつ慣れて来ていた。

 食事は時折迷い込む魚たちで賄えている。

 波が幾重にも打ち寄せる洞窟内は下がぎざぎざの返し・・になっているのか、魚が一度迷い込むと海の方には出られないようだ。

 洞窟の奥へと流れ込む水が戻って来た記憶は無いから、きっと別の場所に繋がっているのだろう。

 思った以上に長い時間を同じ場所で過ごしながらサクラは今日も楽しい事を思い浮かべて時を過ごす。


 ――朝だよクロウ。起きてご飯を食べなきゃ――


 今日は昔の事を思い出していた。

 いつものように九郎よりも早く目覚めてサクラは九郎の体によじ登る。

 起きて最初にやるのは身繕いだ。自分では全くしようとしない九郎の代わりに、サクラは自ら進んで九郎の体を綺麗にする。

 いくら九郎の体が汚れないからと言っても、家の中には塩気が溜まっている。互いの体を舐めあう事でサクラ達は生きる為に必要な塩分を賄っていた。


「う~ん、くすぐったい……。もう、起きるって……サクラ……」


 九郎はいつも眠たげにそう言うのだ。ここからまだ時間が掛かるのが何時もの事だ。

 九郎の体はサクラと同じで体毛が少ない。部分的には多いのだが、場所によってはすべすべだ。

 体毛が薄いと塩分も溜まりにくい。仕方ないからサクラは毎日九郎の体を綺麗に舐める。

 九郎が食事の際に出してくれる黒い液でかなりの塩分を賄えているから問題は無いのだが……。


 ――それとこれとは別だから――


 その頃からサクラは九郎にべったりだった。生命の本能として彼の持つ温かさに惹かれていたのかも知れないが、今思えばそれだけでは無かったのだろう。

 九郎が他の兄弟に名前を付けた時にはかなりのショックを受けていた。

 自分だけが特別で、そんな自分に価値を見出していたのかも知れない。

 それだけでも無い。


 ――取られるって思ったんだ……――


 今だからこそ理解できる嫉妬の心。幼い子供心にサクラは九郎を特別と思い、九郎に特別と思われたかったのだと気付く。

 何故今頃になって気付いたのだろうとサクラはふと考え込む。

 子供の頃は朧気にしか理解出来なかった感情を今更理解したのは何故なのか。

 サクラは自分が性を得ている事実に気付いていない。


「キュ……キュリョ……」


 ただ、自然と思い浮かべた名前を呼びたくなっていた。



♡♥❤♥♡♡♥❤♥♡♡♥❤♥♡♡♥❤♥♡♡♥❤♥♡



 ザザァーー…… ザザァァー……


 体表を濡らす波は次第に温かくなっていた。

 感覚が慣れたのかもしくは死んだのか。最近太陽も月も同じところから登らないので、一日の始まりが分かり辛い。

 太陽の光は温かだけれど、体を乾かしてしまうので煩わしくもある。

 逆に月の光は青く綺麗でサクラのお気に入りとなっていた。

 月を眺め、海の上に出来た光の道筋を目で追いながらサクラは今日も淡い夢を見続ける。


 どのくらいの時間こうして夢を見続けたのか。

 運よく死んではいないようだが、この先の保証も無い未来。

 だからサクラは今日も夢に身を委ねる。


「ミラデルフィアっていってな? めっちゃ温かい……人も気温もめっちゃ熱い場所でさ」


 九郎はいろいろサクラに語りかけていた。

 サクラが言葉を覚えたのは、九郎が毎日サクラにしゃべりかけていたからに他ならない。

 九郎はサクラに、自らの経験を面白おかしく語っていた。

 最初は言葉も理解出来ず、単語を追うのが精一杯だったのだが、少しだけサクラは他の兄弟よりも賢かった。

 特別な存在の言葉を理解できるようになることは、自分の為にも必要な事――。

 他の子供達に九郎を取られまいと、サクラは必死で言葉を覚えた。


 九郎がよく語ってくれたのは暑い国の話。乾いた国の話。そして九郎が生まれ育った故郷の話だった。

 その中でもサクラがお気に入りだったのは暑い国の話だった。話の中に水が多く出て来ていたし、乾いた国との言葉は少し怖く感じていたからだ。


「いつかサクラにも見せてやりてえな……。シルヴィ達に会わせたらビックリすんのかな……。でも俺すら大丈夫だったんだからきっと大丈夫だよな!」


 少し寂しげな眼をして九郎は最後にそう締めくくっていた。

 先の話を語られ、サクラも違った意味で悲しくなった。

 自分の未来は決まっている。だからこそ自分は最期の選択を決めたのだ。

 生きる事とは真逆の、死に向かう意味を求めた。子を残す生物の本能を排し、九郎と言う命を繋ぐために自分の命を使うと決めたのだ。

 もうすぐ巣立ちの時が来る。いつもは煩わしいと感じていたクロガネとハイロに頼んである。

 

 そうした結果自分は孤独にこの場所で息絶えようとしているのに……。


 ――ウチあとどれくらい生きれるのかな? もしかしてまだ大丈夫なのかな? ――


 流石にこれほど長く生き長らえるとは思ってもいなかった。

 時折迷い込む魚は減ることは無いし、次第に水の冷たさも感じなくなってきている。


 ――未来……考えた事もなかった――


 終わりだと知らされていただけに、全く考えて来なかった先に続く未来の展望。

 生物としての本能よりも優先したい事があった。大事な存在の生く道を繋ぐ事をサクラは生涯の願いとしていた。

 だからサクラは考えてみる。もし……もしこの先も生きれるのなら……自分はどうするべきなのか。


「ざくらぁぁぁぁぁ! 幸せになれよぉぉぉぉぉお!!」


 九郎が最後に叫んだ言葉が思い浮かんでいた。

 サクラが九郎の安寧を願ったように、九郎もまたサクラの幸せを願ってくれていた。


 ――幸せ……ウチの幸せ……――


 考えて来なかったことを考えてみる。


 ――クロウに会いたい……クロウと過ごしたい……ずっと……ずっと――


 考えるまでも無くサクラは答えを得る。

 ずっと願っていた事だ。押し込め隠し通した大きな夢。もう一度見れるのならそんな夢のような光景が見たい。サクラは微睡み続けた瞳を開ける。

 

 ザザァーー…… ザザァァー……

    ミャウ ミャウ ミャウ


 その時聞いたことの無い鳴き声が空から降って来ていた。






【後書き】


注……サクラの一人称『ウチ』は関西弁な訳では無く、『家―ウチ―』『内―ウチ―』の意味での一人称です。ウチ⤴ くらいのイントネーションでしょうか。彼女はしゃべれませんけど……内心ではと言った所です。

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