2-5.過ち・再び
緩やかに揺れる体の感覚に心地よさを覚えながら、セノンの意識は穏やかにゆっくりと覚醒した。
目を開いたがしばらく自分の状況が把握できず、目を開いたままぼんやりする。
やがて、自分がカイオにおんぶされて運ばれていることに気づく。
「あれぇ、カイオ…?」
「目が覚めましたか。お疲れだったようですね」
名前を呟くと、カイオの穏やかな声が返ってくる。
「えっと、僕は…」
「街でセノン様を知る女性に誘われて、一緒に店でお話をしてる最中に寝てしまったとのことです。その際間違って、お酒も飲まれてしまったみたいですね」
説明を受け、何となく記憶が蘇ってきた。
同時に多数の女性と一緒にいたことを知られたと気づき動揺する。
ただ、色街の女性が相手だとはバレていないようだと感じ、少し安心する。
まだまだ酒の影響が抜けていなくて、思考は浅く頭も回っていない。
「そっか…かっこわるいな、僕は…」
「相手の女性は大層楽しまれたようで、お礼を言っていましたよ」
「…それなら、よかったけど…」
再びカイオの言葉に安心する。
しかし今度は、カイオに背負われているこの状況が気になってきた。
「ねえカイオ、僕もう起きたから歩けるよ…おろして…」
「駄目です。明らかにまだ酔っています。口が回っていないのにお気づきですか?」
「大丈夫だよぉ、歩くくらい…」
「いいから、大人しくしていて下さい」
身じろぎするセノンを立ち止まって抑え、いつも通りの穏やかな声で優しくたしなめる。
そこでふと、セノンは感じた事を口に出す。
「なんかカイオ…怒ってる?」
珍しくすぐに返事が返ってこず、数秒の沈黙があった。
その問いかけに答える前に、再びカイオは歩き出す。
「…そんなことありませんよ。セノン様が声を掛けられて断り切れなかったのは理解していますし、別に問題のあることはしていません」
「でも、なんか…」
「本当です。気にせず、休んでいて下さい。昼の疲れも残っているでしょう」
ことさら優しく、気遣う声でカイオは繰り返した。
「なら、いいけど…」
喋りすぎて疲れたのか、セノンは再び瞼が重くなってきたのを感じた。
体に伝わる心地よい揺れとカイオの背中の感触に身を預けると、すぐさま再び意識が遠のいた。
◆
セノンは再び、ふわふわと心地いいまどろみの中にいた。
温かく柔らかいものにくっついていて、とても気持ちがいい。
無意識に、顔を柔らかな感触にこすり付ける。
柔らかいものがくすぐったそうに軽く身じろぎして、こちらを緩く抱きすくめるのを感じる。
(あれ…?)
さっきまで体は歩くのに合わせ揺れていたはずだったが、気づけばそれがない。
それどころか、今自分が体を起こしているのか寝ているのかも分からなくなっており、違和感を感じる。
「ぅん…?」
ぼんやりと覚醒した意識に従い、ゆっくりと目を開く。
すると、見知らぬ女性の寝顔がすぐ近くにあった。
「…ッ!?」
急激に意識が覚醒し、自分の状態を次第に理解する。
いつの間にか一人の女性と一緒のベッドで横向きに向かい合って寝ており、セノンはその胸元に顔をうずめてしがみついていた。
女性もセノンを軽く抱きしめており、ほぼ全身余すところなく密着している。
(えっえっえっ、なっなに…!?)
必死に記憶を巡らせる。
そういえば今日、迷い込んだ色街で女性に声を掛けられ、お店の中に引っ張り込まれたような気がする。
お酒か何か飲んだような覚えもあるが、途中で記憶は途切れておりその後どうしたか記憶がない。
(ま、まさか、そのままその女性と…しちゃ、しちゃった!?)
「ん…」
半ばパニックになりつつ、少しでも体を離そうともぞもぞ身じろぎする。
するとそれに刺激されたのか、女性が僅かに声を漏らし体勢を変えた。
こちらを抱きしめていた腕を片方離し、仰向けになる。
その隙をついてセノンはベッドから抜け出そうとするが、女性の片手がしっかりとセノンの腕を掴んでいる事に気が付き断念した。
起こしてしまうのは忍びないし、なにより状況を把握しきる前に起こして会話をするのが怖かった。
体を起こし、まずは自分の体を検める。
服は着ているし体が汚れたりはしていないが、セノンにはいまいち事後か否かの判別がつかなかった。
やむを得ず更なる情報を求め、女性の方に視線をやる。
しかし、眠る女性の顔を改めて注視したところで、ふとセノンは気付いた。
(この人、よく見たらカイオだ…)
隣で寝ているのがカイオだと分かり、ほっと一安心する。
少なくとも「見知らぬ女性との過ち」ではなくなった。
…いや、ほっとするのは違う。カイオとだったらしてもいい訳じゃない。
セノンは少し謎の罪悪感に苛まれた。
(なんでしばらくカイオだって分からなかったんだ…?)
不思議に思い、考える。
いくら男装を解いているとはいえ、毎日見ているのだから顔が判別できない訳もない。
理由をしばし考えて…分かった。
(…そういえば、カイオの寝顔をまともに見るのは初めてだ)
セノンとカイオはほぼ毎日同じ部屋で寝ていても、カイオが先に眠ることはまずない。
セノンが先に眠ってしまうか、同じタイミングで眠るかだ。
朝もセノンがやや寝坊しがちなのに対しカイオは早起きで、セノンが起きた時には必ず男装込みの身支度を完璧に整えている。
もっとも、これについては成長期のセノンが少々寝すぎなきらいはある。
ただその結果、今までカイオの寝顔を直視する機会がなかった。
(なんか、思ってたより無防備な感じで寝てるな…それに…なんか、いつもとちょっと違う…?)
なんとなく、カイオは寝てる時も一部の隙もなく、口元も一文字に引き締まりピシッとした感じで寝ているのかと思っていた。
しかし実際はわずかに口も開き、なんだか起きている時より柔らかな表情をしている。それに見ていて気付いたが、いつもより頬に赤みが差し、血色がいい。
(この匂いは…?)
気付かなかったもう一つの理由として、いつもとカイオの纏う匂いが違うことに気が付いた。
普段の清涼さを感じさせる匂いではなく、どことなく酸味のある、果物のような、何か発酵したような匂い。
そこでセノンは部屋の中を見渡し、テーブルの上にワインボトルが置いてあるのを見つけた。結構な大きさだが、空になっている。
(お酒飲んだのか…珍しい)
少なくとも、セノンの目の前で飲んだことはなかった。
時折一人でいるときに飲んでいる可能性はあったが、セノンに対してそれを気付かせるような素振りもなかった。
顔の僅かな赤みと匂い、それとひょっとしたらこの無防備さもお酒のせいか。
セノンは納得する。
(まあでも、相手がカイオだったら変なことはしてない、はず…だよね…?)
当初考えていたことを思い出し、再びちょっと不安になる。
お互い酔っぱらったからといって、男女の仲になる間柄ではない…はずだ。
(うーん…)
思わず、カイオの体を自分の時同様じろじろ眺めてしまう。
先程カイオが大きく寝がえりを打ったため、毛布は剥げて腰のあたりまで露わになっている。
無意識に胸の膨らみや、少し見えているお腹に目がいってしまう。
そして今気づいたが、カイオはいつものローブ型の寝間着を着ていなかった。
さらしは取り去っているが、上は普段も着ているような長袖シャツを身に着けている。
下に至ってはショートパンツ型の下着しか穿いておらず、カイオが身じろぎをする度に真っ白で綺麗な素足が覗く。
(あー…暑そうだな…)
毛布を掛け直して見えないようにしてあげるのが正しいと分かっている筈なのに、セノンはそんなことを考えて実行出来ずにいた。
どうしても、目が離せない。
カイオの体をゆっくり見る機会も、寝顔と同様に今までなかった。
こちらは主にカイオの視線が気になったせいだが、寝ている今なら見放題だ…そこまで無意識に考えたところで、セノンは頭を抱えた。
(なんだ!?なんか今日おかしいぞ僕!?)
なぜか分からないが、さっきから思考が恥ずかしい方向に傾きがちな気がする。
なんとなく、今日寝てしまう前に何かあって体がうずくような気もするが、よく思い出せない。
必死に何があったのか思い返そうとするが、記憶は曖昧だ。
女性に声を掛けられて、お店に連れ込まれて、お喋りをして、たしか間違ってお酒を飲んで、帰り道にカイオと何か話して…その程度は思い出せるが、ところどころ記憶がないし自分の身に何があったのか確信が持てない。
(まさか…やっぱり寝てる間にカイオと関係をもっちゃってて、それを体が覚えてるから、こんな風になってるとかなんじゃ…)
自分の考えに戦慄しながら、再びカイオの寝顔を見る。
やはりその表情は妙に色っぽく、覗く白い肌は僅かに赤らみ艶めかしい。
胸の膨らみもふわふわと柔らかそうで、思わず触れてみたくなる。
今日女性に声を掛けられお喋りしていた時も、そのきわどい肌の露出にドキドキした覚えがある。
だが、それと今の感覚はまるで異なっている。
あのときは感情の大部分が「緊張」であまり欲情している余裕もなかったが、今のこれははっきりと「興奮」だ。
今日一日衝撃的なことが多すぎて、感情がおかしくなってしまったのかもしれないとセノンは思った。
(そうだ、カイオがこんな風に見えちゃうのは、きっと頭がおかしくなっちゃったからだ!きっとお酒のせい!気の迷いだ!)
そう自分に言い聞かせるが、やはりカイオの体から目が離せない。
このままだと、衝動的に何かとんでもないことをしてしまいそうだ。
そして、それをどこかで望んでいる自分がいる。
なにか、ストップをかけてもらえるきっかけが欲しい。
迷惑でも、無理やりカイオを起こしてしまうべきだろうか。
(あ、そうだ…ちょっとカイオに触れてみれば、その感触に覚えがあるかどうかで判断できるかも…いやいや、馬鹿か…何考えてるんだ…)
ほとんどトチ狂ってそんなことを考えてしまう。
もはや身の潔白を証明したいのか、湧いてくる衝動に従いたいのか、誰かに言い訳したいのか、自分でも分からなくなっていた。
そしてその触れたいという衝動を、どうしても頭から追い出すことが出来ない。
(うう…)
そろそろと、カイオの体に手を伸ばす。
欲望のまま膨らみに手が伸びかけて…やはり勇気が出ず、手を引っ込めてしまう。
さんざん葛藤し迷った挙句、諦めて素肌の見えるお腹の、へそのあたりに指先で軽く触れた。
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