2-3.迷い込んだ場所
鬼人の残党を殲滅し終えたセノンとカイオは、町に戻った。
いつも通り魔獣討伐の報酬を受け取り、食事と宿も済ませた。
加えて今回は戦闘でセノンの剣やカイオの装備の一部が破損したため、それらを補修が出来る施設に預け補修依頼も終えている。
そんな状況で、セノンは早足で歩きながら一人困っていた。
(うわ…なんか変なとこ入っちゃったな…)
遠目には何の変哲もない町の一角だったが、周囲の独特な雰囲気と店の入り口に立つ薄着の女性たちの姿のせいで、近づくとはっきり分かる。
…このあたりは色街、いわゆる売春街だ。
この手の施設は、町によって扱いや規模は異なる。
大抵は規模も小さくひっそりとやっていることが多いが、荒くれ者の多い討伐者が多い町ほど、規模が大きくなる傾向にある。
そしてこの町は、規模がずいぶん大きい。
少なくともセノンが見てきた中では一番大きい(もっとも、普段は隠されているような店はセノンには気づけず、仮に見つけても近づく勇気はなかったのだが)。
このあたりは随分おおっぴらかつ堂々と街の一角を占領していて、気づかず入り込んだら手遅れだった。
(やばい、さっさと抜けちゃわないと…!)
視界に映る綺麗な女性たちの肌が直視できず、視線を伏せてなるべく道の真ん中を歩くことしかで出来ない。
強張って熱くなった頭では、回れ右して戻るという選択すら浮かばなかった。
まだ時間がやや早く、客となる男性があまりいないのは不幸中の幸いだった。
セノンも健康的な青少年であるため、こういう場所に全く関心がないといえば嘘になる。
しかし、こんな状況ではなにより恥ずかしさが先に立ち、興味も興奮もあったものではない。
「あらボウヤ、迷子になっちゃったの?」
「私と遊んでいかない~?」
時折キャハハという笑い声やからかい交じりに誘う声が投げかけられるが、セノンはまともに言葉の意味も理解できず、ただただ逃げる。
辛うじて走らずにすんでいるのも、「目立つことをすると余計に恥ずかしい」というためらいがあるからだ。
一人でふらふら出歩かなければよかった、とセノンは遅まきながら後悔する。
装備を一式預け、早めの夕食を取り宿に入ったところでカイオは「少し用事がある」と言って出かけてしまったのだ。
普段なら手入れしている装備も預けてしまったため、やることもない。
疲れていたし早めに休むこともできたが、久しぶりに大きな街だったためちょっと散策してみようと思い立ったのだった。
正直、「一人で大丈夫ですか?」と子供扱いされたことへの反発もあった。その結果がこれだ。
「…わっ!?」
「きゃっ!?」
まだ通りを抜けないのか、と焦燥感が強くなってきたところで、周りをよく見ていなかったため道を横切る一人の女性とぶつかりそうになった。
思わず足を止め、顔を上げて相手の顔を見てしまう。
他の女性同様、豊かな胸元の大きく開いた服を着た、見事な赤毛の若く綺麗な女性だった。
「あっ、ごめんなさい…!」
「大丈夫だけど…前見て歩いたほうがいいよ?…あれ?」
謝るセノンの顔を見て、女性の顔が何か思いだすように怪訝な表情になる。
…嫌な予感がする。
「キミもしかして、『希望の勇者様』じゃない?」
セノンを間近で見て、女性は致命的な指摘を口にする。
それを耳ざとく聞きつけた近くの女性が、何人か様子を見に来る。
「えっホントに?」
「あの有名な討伐者の?」
「ち、ちがいます、僕は…」
「ほら、絶対そうだよ!じゃなきゃこんな子供がこんな高そうな発動体持ってるはずがないもん!顔も人相書きで見たのと瓜二つだし!」
慌てて否定しかけたが、最初の女性が目ざとくセノンの手を取り指摘する。
何かあった時のために、発動体だけ身に着けてきたのが仇となった。
「へー、話通りホントに可愛い顔してる!」
「色街に女遊びに来たの?エッチ~!」
「いけない子!」
「ちが…」
「恥ずかしがってて可愛い!」
「こういうとこ初めて?」
「なに?勇者様?お金持ってそう!」
あっという間に女性たちにゆく手を塞がれ、ウブな反応を可愛がられる。
困っているうちに、いつの間にか周囲を囲む女性の数も増えている。
誰も彼も露出が激しく、顔を上げられない。
これは不味い、と頭が警鐘を鳴らすも、どうしたらいいかわからない。
うまく言葉も出てこない。
正直、日中に二十体以上の鬼人を相手取ったときよりも怖かった。
「あの、み、道を間違えただけなんで…!」
「えーもっとお話ししようよ~」
「待ってよ、いっぱいサービスしたげるよ!アタシが相手してあげる!」
無理に通ろうとしても、最初に気づいた女性に押しとどめられる。
しかもあろうことか、他の女性が抱きついてきた。
ひときわ豊かな胸の感触に、体が強張る。
「ッッ…!?」
「ちょっとダメよ、まだ子供じゃない!」
瞬間、周囲の女性の空気が変わりかけたが、最初の女性が諫めて事なきを得る。
ただセノンはもはや喋ることも出来ない。
「ごめんねー、びっくりしたでしょ?」
「僕、か、帰ります…!」
「えー…そんなこと言わずに、お話しするくらいならいいでしょ?近くに口の堅い知り合いのお店あるから、そこで楽しくお喋りしましょうよ」
女性はそう言って、掴んだままだったセノンの手を優しく両手で包みさりげなく胸元に寄せる。
指先に微かに触れる滑らかな柔肌の感触に、セノンは脳みそが痺れたかと思った。
「い、いや、僕は…」
「お金なんて取らないわ!ほら、行きましょ!」
「ちょ、ちょっと…!?」
モジモジと言葉を紡ごうとするも、言う間もなく手を引かれ連れていかれる。
周囲を囲っていた女性たちも、当然のように付いてくる。
問答無用で引っ張り込まれたお店は、すぐ近くで同じ界隈にあったものの、確かにいかがわしいお店でなく普通の酒場のようだった(セノンはそういうお店に入ったことがないので、おそらくだが)。
開店前の店を開けてもらったらしく、お店の中には誰もいなかった。
少し安心しかけたが、大勢の女性と店に入るところを誰かに見られなかったか、気が気ではない。
(なんでこんなことに…)
無理矢理椅子に座らされ、貰った果実水をちびちび飲みながら、セノンは頭を抱えたくなる。
現在は丸テーブルの周りに並べられた椅子の一つに座らされ、周囲には何人もの女性が丸テーブルの周囲に座りセノンを取り囲んでいる。
…数えてみたらいつの間にかまた増えていて、七人もいた。
気を使って店はクローズドにしてくれているようだが、どこからか聞きつけたのか時折女性が入ってくる。
店主に話しかけた後は店から出て行ったり、店内の別のテーブルに座ってこちらの様子を伺っていたりする。
(カイオはかなり遅くなるかもって言ってたけど、なるべく早めに帰らないと…)
セノンはさっきから何度か立ち上がって店を離れようとしていたが、押しの強い女性たちに引き止められ失敗していた。
何度も話しかけられると、根は真面目なのでなし崩し的に会話に答えてしまっていた。
「ねえ、魔獣ってどのくらいの大きさまでのがいるの?」
隣に座る、最初にセノンに気づいた女性がまた別のことをセノンに問いかける。
彼女はローザと名乗った。
鮮やかな赤毛にウェーブをかけ、豊かな胸元を惜しげもなく晒す綺麗な女性だ。
おそらく年はセノンより幾らか年上で、十代後半から二十代前半くらいだろうか。
「うーん…僕は見たことないですけど、竜は体長十メートルを超えたり…」
「セノン君が見たことある中だと?」
「えっと…見たことあるのは、身長四メートルちょっとの牛頭の魔獣です」
「四メートル!?それ、戦ったの?まさか、倒したの!?」
「一応…二人がかりでですけど…」
「ええ!?すごい!!」
セノンが答えると、ローザを中心に女性たちが姦しく盛り上がる。
先ほどから会話の中心はローザとセノンで、他の女性はそれに追従する形だ。
雰囲気を見る限り、普段から中心的な人物らしい。
その後もローザはどうやって凶悪な魔獣を倒したのかとか、セノンがどんなことが出来るのか等を聞きたがった。
頭の良い女性らしく、会話を盛り上げ、女性慣れしていないセノン相手でもうまく喋らせた。
セノンは気が付かなかったが、さりげなく話題を誘導されたり、言葉尻をフォローされたりしていた。
(なんか、思った以上に盛り上がってる…?)
楽しそうにこちらの話を聞いてくれる女性たち相手に、少しずつセノンは気分が良くなってきた。
自分がしたことをすごいすごいと褒めてくれるし、楽しそうに話を聞いてくれる。
時折肩や手に触れてくるのも最初はびっくりして緊張してしまったが、なんだかそれにも慣れてきた。
正直、ちょっと楽しくなっていた。カイオのことを一切聞かれないのも嬉しい。
(そんなに、悪いところじゃないのかも)
場が盛り上がると、次第にローザだけでなく他の女性と話したり、女性同士が話す時間も増える。
そして、ふとした拍子にセノンは気付く。
ローザは自身が会話の中心から外れセノンが別の女性と話し始めると、必ず女性ではなくセノンの顔をじっと見つめる。
その時の表情は話しているときの楽しそうな顔とは違い、妙に色っぽい、熱のこもったトロンとした目でセノンのことを見ている。
それに気づいて視線をやると目が合い、花が咲くように笑いかけられてしまった。思わす顔を逸らし、伏せてしまう。
(どうしよう、また恥ずかしくなってきた…)
そこで改めて、すぐ隣に座る女性が非常に魅力的で、扇情的な姿をしているのを思い出す。
同時に、彼女の仕事も思い出す。
すっかり忘れていたが、彼女は夜のお店で働く女性なのだ。
妙に胸がどきどきし、頭が熱っぽくなる。
(あれ…なんか…?)
いつの間にか、頭がぼんやりし思考が纏まらなくなっているのを感じ、セノンは呻いた。
「うぅん…?」
「どうかした?眠たくなっちゃった?」
心配そうなローザの声に、セノンは半ば無意識ながらもゆるゆると首を振った。
そこまで眠い訳ではない。
一応意識はある。
このふわふわとして、夢の中にいるような感覚は、覚えがあるような…
「ねえ、大丈夫…きゃっ!?」
ローザが心配してセノンの腕に手をやると、セノンの体はそのままローザに向かってもたれかかってきた。
思わずセノンの頭を胸で受け止め、抱きとめる。
「あーっ、セノン君がローザに甘えてる!可愛い!」
「いいなー!うらやましい!」
「甘えん坊ね!」
「もう、そんなこと…あら?」
そこでローザはセノンの飲んでいたコップに気づく。
いつのまにか、最初に飲んでいた果実水とは違うものを飲んでいる。そして理解した。
「この子…間違ってお酒飲んじゃってる」
セノンは誤って、他の女性のために運ばれたものを飲んでいた。
今この席にいる女性は甘くアルコールの弱いものしか飲んでいなかったので、違いに気付けなくても無理はない。
彼女たちにとってはジュース同然の飲み物でも、十四歳の少年にとってはアルコールだった。
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