結婚? 死んだ方がましですわ①

 次はモデラータ・フォンテ著『女性の価値』をとりあげます。


 モデラータ・フォンテは1555年にヴェネツィアで生まれました。貴族に次いで地位の高い市民階級の出身で、1歳のときに両親を亡くし、兄とともに祖父母に引き取られます。幼い頃から勉強好きで優れた記憶力を誇り、本を一度読めば暗記できたとか。当時、女の子は高等教育を受けられませんでした。フォンテは文法学校に通う兄に家でラテン語を教わり、兄より多くを学びとったといいます。


 モデラータ・フォンテというのはペンネームで、本名はモデスタ・ポッツォですが、ここでは筆名のほうで統一しましょう。


 9歳まで修道院で過ごしました。著書の出版に携わった義理の叔父ジョヴァンニ・ニコロ・ドリオーニによれば、あるとき修道院を訪れた高位の聖職者が彼女の頭のよさに驚き、「この少女は肉体のない霊のようだ」と言いました。


 現代風に言えば「女のくせにやるじゃないか」でしょうか。フォンテは侮辱されたと感じ、相手が肥満体だったので「ならばあなたは霊のない肉体だ」とすかさず言い返したそうです。


 女は不完全で劣等な性だとみなされていた時代です。ドリオーニがその場にいたかどうかは明記されていませんが、高位聖職者に物怖じしない鮮やかな切り返しに口元が緩むのを禁じ得なかったのでは。


 本書は37歳のときの作品で、女性への抑圧がテーマになっています。


 ヴェネツィアでは1599年にジュゼッペ・パッシによる女性蔑視的な書『女の欠点』が発表され、それを受けて翌年にルクレツィア・マリネッラが対抗する本を書きました。その名も『女の高貴と卓越ならびに男の不完全と欠点』。タイトルで殴り返している感じが堪りませんね。


 フォンテの『女性の価値』は後者と同じ年に刊行され、ともに当時のミソジニー(女性嫌悪)への反論の書に位置づけられています。


 登場人物は7人の女。いずれも身分が高く教養のある友人同士で、頻繁に集まってはお喋りしています。ある日の午後、いつものように大運河や行き交うゴンドラを眺めて歓談していると、遅れてきたエレナが到着。


 エレナは最近結婚したばかり。夫を愛していますが不満もありました。

「夫とはとてもうまくいってるんだけど、ひとつだけ残念なことがあるんです。彼は私が外出するのを嫌がるんです」


 彼女は結婚式やパーティに呼ばれたら出席するのが礼儀であり、外出を禁じられたら自分の時間を奪われるように感じています。


 新婚ほやほやのエレナが加わったのをきっかけに、話題は自然に結婚のことに。


「独身でいない限り、女は幸せではいられないわね」

 と、数年前に結婚したルクレツィア。

「男に頼らずに生きていける人がほんとうに羨ましい」

 

「そんなことを言ったら、ヴィルジーニアが結婚したくなくなっちゃうじゃない」

 とエレナ。


 ヴィルジーニアは7人の中で最も若く、適齢期にさしかかっている。

「私はしたくないけれど、親戚にはするように言われていて、それに従おうと思っています」


 彼女の母アドリアーナは中年の寡婦で、保守的な考えの持ち主。

「あなたのしたいようにさせてあげたいんだけど」

 と、娘の本音を聞いたアドリアーナ。

「遺産のことがあるから叔父さんたちは結婚するべきだと考えているの。元気を出して。男がみんな同じというわけじゃないし、きっといい夫と巡り会えますよ」


 その場のホストは裕福な美女レオノーラ。彼女は死んだ夫から大運河沿いの美しい邸宅を受け継ぎ、未亡人生活を満喫している。


「こんなに若くてきれいなのに、あなたが再婚しないのはもったいないわ」


 とアドリアーナが言うと、不幸な結婚生活が終わってせいせいしているレオノーラは耳を疑う。


「は? 再婚? もういちど男に服従するなんて溺れ死んだ方がましですわ。やっと支配の日々から脱したのに、また戻って関わり合いになれと? 神よご加護を」


 まだ日が高いので、7人は彫像や噴水のある美しい庭園に腰を下ろして討論会を開くことにした。


 テーマは「男」について。


 最年長でアドリア海にちなんだ名をもつアドリアーナが司会者に選ばれ、残りの6人がそれぞれ男性を批判する側と擁護する側に振り分けられました。


 批判側が男たちの所業を槍玉にあげ、他方がそれを弁護します。愚痴大会ではありません。登場人物はそれぞれの価値観にもとづいて、男と女をめぐる硬派な議論を展開します。


 批判側はレオノーラに加え、若い既婚婦人のコルネリアと独身のコリンナ。対する擁護側はエレナ、ルクレツィア、ヴィルジーニア。


 医学や薬学、天文学、文学を駆使した議論は博識なフォンテならでは。男たちをジャッジする法廷がここに開かれました。次回に続きます。

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