男性B -Solution-
事務所に戻ると、
「おかえりなさい。
「掠っただけだ。」
蓮さんの手当てを受けている馬場さんの足元に、ドスンッとシオンさんが荷物を下ろす。馬場さんの左手に持っていた荷物は、代わりにシオンさんが運んでいた。
「重かったー!」
「シオンは怪我してないか?」
「人のこと心配する状態じゃないでしょ?」
「お前の血が流れると、俺がキネットにどやされるんだよ。」
キネット…工具屋での2人の会話から、馬場さんが〝クイーン〟と呼んでいた人と同じだろう。
「あの、キネットさんって、誰ですか?」
「簡単に言うと、この事務所のパトロンです。」
カウンターに向かったシオンさんが答える。
パトロン──援助をしてくれる人がいるんだ…この事務所って、いったい…………
「たっだいまー!」
勢い良くドアを開けて入ってきたのは、咲良だった。
「おかえりなさい、咲良さん。助かりました。」
「えへへー、シオンの為ならこのくらい、朝飯前だよ!もう夕方だけど。怪我したのはババベルだけー?なら良かった!」
「良くねぇよ!俺のこともちっとは心配しろ。」
「えー、ババベルは勝手に油断しただけじゃん!」
咲良はまるで様子を見ていたかのように話す。
「咲良、あそこにいたの?」
「うん、居たよー。私が颯爽と現れてシオンを助けようと思ったのに、シオンがダメだって言ってたから、大人しく隠れてたの。」
「咲良さんが出てくると、ややこしく…いえ、咲良さんを危険な目に合わせるわけにはいかないので!」
人数分の飲み物を持ってきたシオンさんは、口を滑らせる。明らかにわざとだ。
咲良のスマートフォンが鳴る。
「あ、パパブカからだ!任務完了、だって!」
「パパブカ?」
「さっきの3人、パパの部下だよー。」
あの人たち、咲良のお父さんの、部下?…………咲良って──
「
思考が中断される。荷物を右手に2つ持った馬場さんは、残り2つの紙袋を指差している。
「は、はい。」
「自分も手伝います。」
「あー、」
手伝いを申し出た蓮さんを、シオンさんが引き止める。
「蓮さんは僕のお手伝いをしてくれます?」
「え?…はい、わかりました。」
馬場さんと共に階段を降りる。1階の部屋の鍵を開け、中に通される。大きな机と2つの椅子、壁を覆ういくつもの棚。それ以外は何もない、殺風景な部屋だ。シオンさんの事務所は、部屋の一部がカフェのカウンターの様になっているし、数々のアンティークがある。対照的だ。
「そこの机に置いてくれ。」
何もない机に紙袋を置く。馬場さんも荷物を置くが、少し顔をしかめる。
「痛みますか?」
「ん?あぁ、少しな。それより、葵。ホントにシオンについて良いのか?」
「…どういうことですか?」
「なんとなくはわかってるだろ?」
両親の会社のことだろう。でも、私は何も知らない態で両親と接している。ただの高校生の私が、1人で踏み込んで良い世界じゃない。それに、その方が都合が良い。人の目を忍んでいるのは、その方が上手く物事が回るからだ。ならば、被扶養者の私が、それに干渉するのは得策ではない。不快感が押し寄せる度、あの家に居たくないのは“なんとなくだ”と自分に言い聞かせてきた。あの家が、今の生活が、何で成り立っているか。それを認識することは、なんのプラスにもならない。
「…俺らの界隈じゃ、葵の父親を知らない奴はいない。あいつの商売相手は多い。その分、敵もいるってわけだ。そしてどちらかと言うと、俺たちは敵側だ。」
馬場さんから僅かに威圧感を覚え、少し身構える。
「まぁ、俺ら自体が敵対してるわけじゃない。そもそも、どんなコミュニティとも繋がり、かつ特定の相手とは組まない。それがシオンのスタンスだ。ただ、例外となる大きな組織が2つ。」
馬場さんは椅子を
「1つは咲良の父ちゃんのとこ。気づいてるかもしれないが、あいつはあの
咲良の父親は馬場さんに何かの製作を依頼していた。そして、護身術を習うような〝御家柄〟。父親の部下の様子と、佐藤という苗字。それに関連する大きな組織…おそらく咲良は、
でも、どうして咲良がこの事務所に…?
「咲良は…ポテンシャルが高すぎてな。何をやらせてもピカイチ。いわゆる天才ってやつだ。組織としても無視できない存在で、そんな娘が出入りしてる事務所を放っておくわけがない。良い意味でも、悪い意味でもな。だが、
馬場さんは買ったものを選り分け、それぞれを棚にしまっていく。
「あの事務所の、いや、シオンのパトロンであるキネットの組織だ。あそこは、阿部と対立してる。」
キネット…海外の人だろうか。馬場さんとシオンさんの様に、ハーフの可能性もある。
「と言っても、牽制し合ってる程度だがな。あの女王様がパトロンである以上、シオンはキネット側につく。…それに──」
馬場さんは手と口を止める。
「いや、…あいつは出来る限り中立を貫く。ただ、支援者の身の振り方によっては、ってことだ。」
父親と対立している組織が、シオンさんのパトロン。おそらくシオンさんは、そのことを知っている。なら、どうして私を引き入れたの…?
工具店での、シオンさんの言葉を思い出す。
“あの事務所が、葵さんの新たな居場所となれば良いのですが…”
裏があるのか、本心なのか。私にはわからない。
「シオンさんって、何者なんですか?」
独り言の様な私の問いかけに、馬場さんは拍子抜けした様な顔を見せる。
「目の前の俺をすっ飛ばして、シオンのこと聞くか?」
馬場さんが苦笑する。
「あ、いえ。すみません…」
「いや、良いけどさ。俺はただの、金にがめついエンジニアだしな。シオンに関しては、俺の口からはなんとも。」
紙袋に入っていたものをしまい終え、馬場さんは私に正対する。
「それで、自分の父親と敵対する組織の支援を受けている事務所に、葵が出入りするのはどうなんだ?」
私は、一般家庭の高校生として生きている。ほとんどの人が見ているものだけを見て、ほとんどの人に見えないものは見ないで。だから、私は元依頼者として、シオンさんに誘われて、事務所の助手になった。それだけで良い。…でも、あの事務所が〝普通じゃない〟と明確に分かった今なら?〝普通の〟高校生なら…そう、さっきの茜みたいに。今まで見えてなかった部分の影が迫ってくれば、恐怖して、逃げ出したくなる。だから、私も逃げ出すべきだ。なのに──
「私は、あの事務所が新たな居場所になると、信じたいです。」
馬場さんが意外そうな顔をする。そして、ため息を
あの事務所に居たい。でもそれは、居場所となるからだけではなく──
「咲良といい、最近の女子高生は逞しいな。」
いつもは見ない、〝普通じゃない〟部分に、少しだけ目を向ける。
あの華奢な少年によって、両親が崩れ落ちるところを見たい。
未成年の自分にとって、それは由々しき事態だ。それでも私は、その願望を否定できない。
「ベルー?」
出口の方からシオンさんの声がする。
「ボスがお呼びだ。」
私の肩をポンッと叩き、馬場さんは出口に向かって行く。
事務所には、甘い香りが満ちている。
「かっわいいーーーー!!さっすがドラゴン!」
咲良がお皿に乗ったクッキーを、スマートフォンで撮っている。
この事務所に通い始めてから1週間。放課後に事務所に来ると、蓮さんの手作りデザートが出迎えてくれることが多い。
今日はステンドグラスクッキーというものらしい。クッキーの生地で丸く枠を作り、内側に溶かした飴を流し込む。そこにエディブルフラワーを乗せ、さらに上から飴を流して挟み込む。飴が乾けば、枠の中に花が浮いている様な、なんとも写真映えするクッキーが出来上がるのだ。
「すごい、キレイですね。」
「ありがとうございます。簡単にできますから、葵さんもやってみてはいかがですか?」
この1週間で、蓮さんは本当にただの良い人だということがわかった。
蓮さんにも、何かあるのかと思ったけど──
“蓮さんですか?彼は特に後ろ暗いことはありませんよ?それこそ、この事務所に出入りしていることぐらい…いえいえ!この事務所にそんな部分ありません!信用が売りの、座間ナンデモ相談事務所ですから!ちなみに彼の本職はフラワースタイリストです。”
と、シオンさんから聞いた。名前と見た目以外はいたって普通、むしろ、かなり可愛らしい人だとわかった。ただ咲良と同様、どうしてこの事務所に関わっているかは謎だ。
私と同じで、誘われたのかも。
「んー、おいしー!花が食べれるって、不思議な感じー。」
「葵さんも、どうぞ。」
「はい、いただきます。」
「何色にするー?」
咲良はピンクの花が浮いたクッキーを口にしている。他には赤と黄色があった。
「これは、なんの花ですか?」
黄色を選び、蓮さんに聞く。
「全て、カリブラコアという花です。名前はあまり知られていませんが、見たことのある花だと思いますよ。」
口に含むと、飴とクッキーの隙間に、甘い香りと少し酸っぱい味がある。
「不思議な味ですね…でも、美味しいです。」
「ありがとうございます。」
「そうだ、シオンさんと馬場さんにも持って行きましょうか?」
シオンさんは、1階の馬場さんの工房に行ったきりだ。
「シオンは今夜、クイーンのところだから食べないんじゃない?」
「?」
咲良さんの発言の意味がわからず、首を傾げる。蓮さんが少し慌てた様にして、口を開く。
「えーっと…キネットさんは、シオンさんの支援者の方なので…………彼女はシオンさんの…その…好きにできるというか…………いや、変な意味ではなく!」
「何が変なのー?」
ニヤニヤと咲良が聞く。
「だから…その…」
カランコロンと扉が開き、シオンさんが戻ってきた。
「お、良い匂いですねー!食べられないのが残念…」
泣き真似をするシオンさんに、咲良が駆け寄る。
「聞いてよ、シオン!ドラゴンが不潔な発言!」
「し、してません!」
「女王様はシオンを好きにできるって!」
少し改ざんされた気がするが、大筋はそんな風に聞こえた。蓮さんも否定しようとしたが、“確かにそう言いましたけど…”と声を漏らした。
「まぁ、強ち間違ってないですね。」
冷蔵庫から水を取り出したシオンさんは、いつも飲んでいるココアにはせずに、そのまま口に含む。
「僕はキネットから援助を受ける。その代わり、彼女は僕に関するある権利を持っています。」
「権利?」
「はい!そしてそれに従うのが、僕の義務です。」
「どんな権利なんですか?」
「それは──」
聞いた後に、聞かない方が良かったかもと思ったが、それは憂に終わった。
「秘密です!」
いつもより少し早く、事務所を出る。キネットさんのところへ行くために、今日はもう閉めると言っていた。
シオンさんについては、わからないことが多い。しかし1つ、ある疑問が浮かんでいた。
どうして、この事務所を開いているのだろう。
キネットさんから援助を受けられるのであれば、仕事をする必要はない。援助が足りず、金銭的に切羽詰まっている様子もない。
この謎多き相談事務所で、私の日々は流れていく。夕焼けも追い出された異世界のような路地裏から、ネオン街へと1歩を戻した。
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