男性B -Survey-
入った部屋には、いくつかの棚に大量の段ボールが置かれていた。倉庫のようだ。
「こんにちはー!」
シオンさんが挨拶をしながら、さらに先の扉に入る。それに続いて、私と
「おう、よく来たな。」
入ってすぐ左手のレジスターの前には、タバコを咥えた中年男性が座っていた。
「裏口、開けてくれてありがとな。」
馬場さんが礼を言う。道中でスマートフォンを操作していたのは、彼と連絡を取っていたのかもしれない。
「ったく、尾けられてるなら追っ払いやぁいいだろ?でもまぁ、お得意さんの頼みだ。そのくらいは聞いてやるさ。…ところで、そっちの嬢ちゃんは?」
男性が私に視線を移す。
「新しい助手の
シオンさんが私を紹介した。
「はじめまして、
シオンさんは私の苗字を言わなかった。そのことに意味があったかもしれない、と名乗ってから思った。しかし、取り消すこともできない。
「阿部 葵……………そうか、俺は
「それじゃ、適当に待っててくれ。一応、店の中でな。」
そう言い残し、馬場さんと森本さんは倉庫に向かった。
店内には、工具類が犇めきあっている。シオンさんは、レジに置いてあるからくり時計を眺めていた。
…これからシオンさんの事務所に出入りするのであれば、確認しておいた方が良い。
「シオンさん、」
「なんですか?」
「シオンさんは、どこまで知っているんですか?」
「何をです?」
「私のことを。」
シオンさんはからくり時計を置き、私の目を覗き込む。
「それは質問の仕方が違いますよ。」
「どういうことですか?」
和かな表情に反して、その目は鋭い。
「葵さんが聞きたいのは、葵さんご自身についてではなく、父親について、ですよね?」
やっぱり、シオンさんは──
「…葵さんの父親は、主に輸入品を扱う総合商社の社長。母親はその社長秘書。〝商品〟は、かなり多種多様なようですね。」
彼は知っているんだ。その〝商品〟に、違法な物、そして物以外も含まれていることを。
「そこまで知っていて…どうして私を助手に?」
「だって、葵さんは関係ないですよね?むしろ、被害者です。あなたが家に居たくないと思う気持ちはわかります。…
少し、驚いた。シオンさんらしくない。出会ってまだ1週間と少ししか経っていないため、“らしくない”と評価するのも変だが、そう思った。不透明な事務所の代表で、大仰で、どこか外れた少年。本当の彼は、アンバーの瞳を伏せる今の姿なのだろうか。
「まぁ単に、葵さんが助手に向いていると思ったのも事実です!あの件での様子から、肉体的な強さがあり、行動中の精神力と動作の正確さも高いと感じました。
「え?蓮さんって、いかにも強そうですけど…」
「彼は荒事は苦手ですよ?でも、見た目と名前で喧嘩になる前に相手が引きますね。」
「なるほど…咲良も、スポーツか何かやってるんですか?」
「護身術はひと通り習ってると思いますよー。」
「護身術?」
「まぁ、〝お家柄〟ってやつですねー。ちなみに僕は何もやっていないので、襲われたらひとたまりもありません…」
シオンさんは自身を抱き、怯えた様な目でこちらを見る。
こういうところが胡散臭い。実は合気道の達人でしたー、とか言われても、あまり驚かない。
「シオンさんも、護身術くらいは覚えておいた方が良いんじゃないんですか?」
「なんでですか?」
「ほら、…仕事のトラブルとか、逆恨み、とか…」
「そんな!僕はただの相談事務所の代表ですよ?恨まれる要素なんて1つも無いじゃないですか!」
両手を広げてみせるシオンさん。彼はあのグレーな事務所の代表だ。
「それに何かあれば、ベルがなんとかしてくれますしね。」
…そういえば、馬場さんにだけはタメ口だよね。
「馬場さんとは、長いんですか?」
「…さぁ、覚えてないですねー。」
「5年だよ。」
馬場さんの声が、扉の開く音と共に届く。森本さんと戻ってきたみたいだ。
「そうだっけ。それで、お目当ての物は見つかった?」
「ほとんどは揃ったが、やっぱりバッフルはクイーンのとこから取り寄せた方が良さそうだ。」
バッフル?それに、クイーンって…女王?蓮さんと同じで、あだ名かな?
「わかった。キネットには、僕から話を通しておくよ。」
「頼むよ。おっちゃんもありがとな。」
「無茶な注文しやがって。ここはしがない日本の工具屋、普通のバッフルしかねぇよ。」
「工具屋にはそもそもバッフルなんて無いと思うけどな。あってもバイク用だろ?44口径には大きすぎる。」
会計を済ませ、4つの紙袋を持って店を出る。念のため、裏口から出してもらった。私とシオンさんがそれぞれ持っている紙袋は重くないが、馬場さんの持つ2つの紙袋はかなり重そうだ。それらを難なく持っているあたり、馬場さんも体を鍛えているのかもしれない。シオンさんも、自分の安全の確保は馬場さんを頼っているようだし。
夕暮れの路地裏は、少し不気味だ。日の光が弱まり、繁華街の光も届かない。人も疎らで、このままどこか違う世界に落ちてしまいそうだ。
パリンッと背後から音がする。ガラスを踏んだような音。少し驚いたが、左を歩くシオンさんも、更に左の馬場さんも、気にせずに歩いて行く。振り返らずについていくと、遠くから息遣いが聞こえた。
「葵、」
振り向こうとした私を、馬場さんが制止する。
「振り向くな。そのまま歩け。」
頷くこともできずに、指示に従う。荒い呼吸音は、徐々に近づいてくる。足音も重なり、それはスピードを上げていく。走り出してしまいたい衝動を必死に抑える。背後の誰かは、もうすぐそこに──
ドサッという音が左から聞こえた。馬場さんが両手の荷物を手放したのだ。シオンさんの真後ろにいた誰かの右手を、馬場さんが掴む。その手には、包丁が握られていた。
「え…………」
そこにいたのは、私の親友…………だった少女。数日前、私に狂気を向けたその人。
「
私の問いには答えず、茜は馬場さんの腕を強引に振りほどく。その拍子に、包丁が馬場さんの左腕を掠めた。
「っ…おじさん、かなり力込めてたと思うんだけど?咲良といい、最近の女子高生は恐ろしいな。」
馬場さんが距離をとった茜に声をかける。
「あんたが、はぁ、葵を!私の葵を!!」
馬場さんの言葉も無視し、包丁をシオンさんに向ける。馬場さんも身構えるが、シオンさんがそれを制止し、前に出る。
「おい、シオン…」
「はじめまして!って言うのも変ですかね?石川さん。こうして面と向かってお話しするのは初めてですね。」
「あんたのせいで!私と葵は!!」
シオンさんに襲いかかろうとする茜の前に、馬場さんが立ちはだかる。
「ご依頼ですか?座間ナンデモ相談事務所は、どんな方からのどんなご依頼でも承りますよ!ですが──」
視界の端に、人影が映る。そこには1人の男性が…………いや、1人じゃない。物陰から、屈強そうな男性が3人。
「僕にも、依頼を受け付けられない場合があります。残念ながら石川さんは、その対象です。」
3人の男性の敵意は茜に向いている。流石に物怖じした茜は後ずさるが、3人と馬場さんは、茜を囲むように立っている。
「あなたは、我が事務所の大事な助手とエンジニアに危害を加えました。」
気圧されて包丁を落とした茜に、シオンさんが近づく。
「これ以上、僕らに関わらないでください。僕は臆病なので、あまりリスクを負いたくないんです。あなたが引かないのであれば、別ですが。」
シオンさんが自らのスマートフォンを操作し、画面を茜に見せる。画面を見た茜の顔が、曇り、少しして青ざめる。
「安心してください?直接の危害は加えません。会社の共有PCから、あの女子トイレの動画が見つかるかもしれませんが。彼のPC経由でね。」
シオンさんがスマートフォンの持った手を降ろす。画面に茜の父親が映っているのが見える。彼のかけているメガネに反射して、ディスプレイが見えた。様子から、PCのディスプレイについているカメラの映像のようだ。どうしてシオンさんのスマートフォンにそれが映っているのかは、考えたくない。
「僕のお願い、聞き入れてくれますか?」
美しく微笑む少年の瞳は、否定を受け付けない。へたり込んだ茜は、その首を縦に振るほかなかった。
「ご理解、感謝します。」
スマートフォンをしまったシオンさんは、3人の男性の1人に話しかける。
「それでは、石川さんを家まで送ってあげてください。」
頷いた男性が、茜を立たせる。
彼らが茜を家まで送るということは、茜の家が彼らに特定されている、ということだ。
「僕らも戻りましょうか。」
茜と目が合った。哀しく私を見るその瞳から、目線を外した。
私の知っていた石川 茜は、もともと存在していなかった。
そう自分に言い聞かせる。あの哀しみを湛えた瞳も、行きつけのカフェでの楽しい時間も、私を助けてくれた輝く笑顔も、まやかしだと。私に刃物を向けた少女が、彼女の本当の姿だと。全てが彼女だと認めることが、私にはできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます