少女A -Survey-

 座間ざまさんに依頼してから、5日が経っていた。特に連絡は来ていない。

進捗は、どうなんだろう…今日あたりメール、してみようかな。でも、あんまり急かすのも…

阿部あべ!」

「?きゃっ!?」

バスケットボールが目の前で止められる。

「大丈夫か?」

止めてくれたのは、土井どい先生だった。

「はい…すみません。」

「コートの外だからって、あんまりボーッとするなよ?」

「はい…」

体育の授業は、あまり好きじゃない。担当の土井先生のことが、なんとなく好きになれないのだ。土井先生はカッコいいし、優しい。だから男女問わず生徒にとても人気だ。でも、先生の雰囲気はどこか、自分の父親に似たものを感じてしまう。

 6時間目が終わり、あかねにメッセージを送る。

『いつものところで待ってるね。』

教室を出ると、強引に肩を組まれた茜が、千葉ちばさんたちのグループと出てくるところが見えた。咄嗟に足を止める。こちらを向いた千葉さんと、目が合ってしまった。彼女はなぜか顔を強張らせて目を逸らし、そのまま4階へと向かっていった。

千葉さんは、私が茜と仲が良いことを知っている、気がする。私が首を突っ込まないから関わってこないのかと思っていたけど、たまに違和感がある。どちらかというと、けられているような…関わらないに越したことはないけど…

 学校の裏手に回り、茜を待つ。チャットを確認すると、“OK”とスタンプが返ってきていた。

座間さんに依頼したのが先週の金曜日。茜と放課後を過ごした後に、事務所を訪ねた。土日は私に予定があり、月曜と火曜は茜に予定があったようなので、2人で会うのは4日ぶりだ。ほぼ毎日会っていたので、たった4日空いただけでも、久しぶりな気がする。

あおいー!」

左から茜の声がする。

「なんか久しぶりだね、葵!」

「そうだね。」

「今日はいつものカフェ行く?」

「うん。」

 私たちには、行きつけのカフェがある。ここで茜とたわいない話をする時間が、私は好きだ。

「それでね!その助けてくれた男の人が、小学生の時に転校した初恋の相手だってわかるの!」

茜は特にロマンチックな話が好きで、よく話してくれる。

「そんな偶然があったら、運命の相手だって思っちゃうね。」

「でしょー!…あ、そうだ。週末の大会、どうだったの?」

「あー…うん。まぁまぁ、かな?」

「調べちゃおー。」

「ちょっ、いいから…」

週末の私の予定は、空手の大会だった。

「えーっと…………え!?2位!?すごいじゃん!」

「…う、うん。ありがとう。」

「なんで皆に隠してるのー?こんなに凄いのに!」

「なんか、そういうキャラじゃないし…あ、茜は?月曜と火曜、なんの予定だったの?」

「…………」

茜のいつもの笑顔が崩れる。

「…………別に、大したことじゃないよ。」

茜の声のトーンが下がる。

もしかして、千葉さんたちと何か関係があるのかな…?

「…ねぇ葵、金曜日はどこに行ってたの?」

「え?」

なんで、そんなことを…?

座間さんのところに行った話は、茜にも、誰にもしていない。

「金曜日は、茜とこのカフェに来たでしょ?」

「私と別れた後は?」

茜は俯いていて、表情はよく見えない。

「…家に、帰ったけど…………なんで?」

茜が顔を上げる。そこには、いつもの笑顔が戻っていた。

「…………ううん、なんでもない!」

いつもの笑顔、のはずだ。しかしどこか影があるのは、気のせいだろうか…?

 家に着きスマホを確認すると、座間さんからメールが届いていた。

『依頼解決の目処が立ちましたので、ご都合のよろしい時に事務所へお越しください。』

明日にも伺う旨を、メールで伝える。

これで、茜を助けられる。

嬉しいはずなのに、何かが引っかかった。


 〝引っかかり〟の原因がわからないまま、次の日を迎える。

事務所に入ると、座間さんはデスクの椅子に座り、デスクの前には男性が立っていた。

「お待ちしていました!どうぞお掛けください。」

ローテーブルのソファに促される。座間さんは立ち上がり、男性と共にドアに向かう。

「ありがとうございました、じんさん。またお願いしますね。」

「例には及ばんよ。これが仕事だからな。では、またご贔屓に。」

〝仁さん〟と呼ばれた男性は、事務所から出て行った。

「お待たせしましたー。」

座間さんはデスクの引き出しから取り出した茶封筒をローテーブルに置き、自らもソファに座った。

「まず1つ確認を。イジメが行われていることの多い場所は、4階東の女子トイレで間違いないですか?」

そんなところまで突き止めるなんて…

「はい、そうです。」

「はぁー、良かったー!これで外してたらカッコつけた分、赤っ恥でしたよー!」

座間さんが大袈裟に胸をなでおろす。

「では、本題に。石川いしかわさんに対するイジメを終わらせる為には、確固たる証拠を掴むのが一番です。そこで、その証拠を阿部さんに押さえていただきたい。」

「わ、私が、やるんですか?」

「さすがに部外者の男が、高校の女子トイレに入るわけにはいきませんから。それこそ捕まります。」

「た、確かに…」

「ただ、証拠をバレずにカメラに収めるのは、容易ではありません。なので、これを使ってください。」

座間さんがローテーブルに置いた封筒から、リップと、小さな…少し歪な形の球を取り出した。

「このリップクリーム、実は後ろの部分がカメラになっていて、マイクも入っています。明日の6時間目の途中で、4階東の女子トイレに設置してもらいます。詳しい指示は、これを使って伝えます。」

座間さんが、小さい球を摘み上げる。

「これは通信機です。といっても、こちらの声を届けるだけですが。阿部あべさんは髪で耳が隠れているので、これを付けていても、不審に思われることはないでしょう。」

「すごい、ですね…」

「我らがエンジニアの自信作です!」

「エンジニアがいらっしゃるんですか?」

「えぇ、まぁ。ともかく、この作戦が成功すれば、お悩み解決です!頑張りましょう!」


 次の日の授業は、全く集中できなかった。カバンに入れたカメラと通信機の入った封筒を、休み時間の度にこっそり確認した。

 5時間目と6時間目の間に、さりげなくリップを制服のポケットに入れ、通信機を右耳に付ける。座間さんからは、授業が始まって20分経ったらトイレに行くように、事前に指示されていた。

 時計を何度も見てしまう。そしてついに、その時間になった。

「せ、先生…」

「どうした?」

「お腹痛くて…トイレに行っても良いですか?」

「あぁ、いいぞ。大丈夫か?」

「はい、すみません…」

教室を出て、大きく息を吐き出す。

『もしもーし、聞こえますかー?』

右耳から座間さんの声がする。

『って言って応えられても、阿部さんの声は聞こえませんけど。では、トイレに向かってください。』

 トイレには誰もいなかった。

授業中だから、当たり前だよね。

『一番手前の鏡の前にリップクリームを置いてください。カメラが一番奥の個室を向く感じでお願いします。』

指示通り、リップクリーム型のカメラを置く。

『置いたら教室に戻って良いですよ。通信機は付けたままでお願いします。』

 6時間目が終わった。スマホにメールが届いている。座間さんからだ。

『この後は普段通りに過ごしてください。もし何かあれば、僕にメールを送ってください。指示を出します。』

普段通り…

茜へメッセージを送り、学校の裏手へ向かう。いつもはすぐに返信が来るのに、今日はまだ開封すらされていない。

なんだろう。嫌な予感がする…でも、座間さんからは普段通りにと指示されているし…下手に動かない方が良いかな?

 10分後、手の中でスマホが震える。茜から──

『たすけて』

「え?…っ!」

すぐさま座間さんにメールを打つ。

『阿部さん、』

通信機から声がする。

『石川さんにどこにいるかを聞いてください。』

茜にメッセージを送る。

『よんかいといれ』

「っ!…茜っ!」

『どこにいるかわかったら、そこに向かってください。』

10分前に来た道を走って戻る。

階段を駆け上がり、4階に急ぐ。

茜から明確に助けを求められたのは、初めてだった。私の前ではいつも笑顔で、辛い様子なんて見せたことがなかった。その茜が…!

東側のトイレの前には、茜をイジメているグループのメンバーの1人が立っていた。私を見てギョッとしている。

『阿部さん、トイレの前で見張ってる人がいたら、』

退いて!」

座間さんの指示も半ばで見張りを突き飛ばし、トイレに飛び込む。

「あ、葵…!」

トイレには、茜とイジメの女子グループがいた。茜は首から上が濡れており、両腕を左右で掴まれている。茜の前には、水を張ったバケツがある。

許せない…!茜を!

「…………あれー、お友だちじゃん?ごめんねー、茜ちゃんは私たちと遊んでるからー。」

グループのリーダー格である、千葉さんが近づいてくる。

「それともあんたも一緒に遊ぶ?葵ちゃん?」

千葉さんがポケットから何かを取り出した。カッターだ。

「っ!」

カッターの刃が、押し出される。

『阿部さん、一部始終をカメラで撮っていたことを、彼女に言ってください。』

「…あ、あなたたちがやったことは!全部、あれで撮ってますから!」

全員が、私の指差したリップクリームを見る。私の呼吸だけが、トイレに響く。

「ウソ…………」

静寂を破ったのは、茜だった。

「茜、もう大丈夫…」

ギロッと茜が右にいた女子を睨む。

茜…………?

睨まれた女子は怯えながら立ち上がり、リップを踏みつける。

『そんなんじゃ壊れませんよ?かなり強度をあげてもらいましたから。壊したいなら、もっと強く踏み潰さないと!』

右耳の通信機から聞こえていた座間さんの声が、リップからも聞こえる。

「え…?」

『それに、これで撮った映像は僕の手元に随時送られてくるので、それを壊させてもあんまり意味ないんじゃないですかねー??』

茜が目を見開き、小刻みに震える。

「あっ、はははは!あははははははははははははははは!!」

茜は壊れたように笑い、掴まれていた腕を強引に振りほどく。リップを踏んだ女子を突き飛ばし、今度は自分の足で踏みつける。

「この!この!この!この!」

何度も何度も踏みつけ、リップが粉々になる。荒い呼吸を繰り返し、茜がゆらりとこちらを向く。

「っ!」

私は、…私だけじゃない、茜以外の全員が、恐怖に息を飲んだ。

「ねぇ、葵?私を助けてくれたんだよね?」

私は声が出せなかった。

「茜はイジメられてた葵を助けた。今度は茜がイジメられて、葵が助けてくれた。でも、助けたときに葵は怪我をして、茜へのイジメがバレて、イジメてた人は学校を辞めて。病院にお見舞いに行った茜は、葵の手を取って、こう言うの。“助けてくれてありがとう。やっぱり、茜と葵は運命の相手なんだ。”って。…ねぇ?素敵でしょ?」

茜が千葉さんの手に持っていたカッターを奪い取る。

「ねぇ!ねぇ!ねぇ!!」

茜がカッターを振りかざしたとき、背後のトイレのドアが勢いよく開く。そこにいたのは、土井先生だった。

「先生…!」

「やめろ!石川!」

先生は、カッターが握られた茜の右腕を受け流し、勢いを加えて壁に叩きつける。カッターは床に落ち、先生が脚でそれを茜から遠ざける。

「邪魔するなぁあああ!」

茜が吠え、暴れる。壁を正面にして背中から抑えられているにも関わらず、土井先生を押し退ける勢いだ。

他の先生も駆けつけ、私はトイレから連れ出された。出て行くときに見えた茜の血走った目は、私を助けてくれた彼女のそれとは、程遠かった。

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