少女A -Survey-
進捗は、どうなんだろう…今日あたりメール、してみようかな。でも、あんまり急かすのも…
「
「?きゃっ!?」
バスケットボールが目の前で止められる。
「大丈夫か?」
止めてくれたのは、
「はい…すみません。」
「コートの外だからって、あんまりボーッとするなよ?」
「はい…」
体育の授業は、あまり好きじゃない。担当の土井先生のことが、なんとなく好きになれないのだ。土井先生はカッコいいし、優しい。だから男女問わず生徒にとても人気だ。でも、先生の雰囲気はどこか、自分の父親に似たものを感じてしまう。
6時間目が終わり、
『いつものところで待ってるね。』
教室を出ると、強引に肩を組まれた茜が、
千葉さんは、私が茜と仲が良いことを知っている、気がする。私が首を突っ込まないから関わってこないのかと思っていたけど、たまに違和感がある。どちらかというと、
学校の裏手に回り、茜を待つ。チャットを確認すると、“OK”とスタンプが返ってきていた。
座間さんに依頼したのが先週の金曜日。茜と放課後を過ごした後に、事務所を訪ねた。土日は私に予定があり、月曜と火曜は茜に予定があったようなので、2人で会うのは4日ぶりだ。ほぼ毎日会っていたので、たった4日空いただけでも、久しぶりな気がする。
「
左から茜の声がする。
「なんか久しぶりだね、葵!」
「そうだね。」
「今日はいつものカフェ行く?」
「うん。」
私たちには、行きつけのカフェがある。ここで茜とたわいない話をする時間が、私は好きだ。
「それでね!その助けてくれた男の人が、小学生の時に転校した初恋の相手だってわかるの!」
茜は特にロマンチックな話が好きで、よく話してくれる。
「そんな偶然があったら、運命の相手だって思っちゃうね。」
「でしょー!…あ、そうだ。週末の大会、どうだったの?」
「あー…うん。まぁまぁ、かな?」
「調べちゃおー。」
「ちょっ、いいから…」
週末の私の予定は、空手の大会だった。
「えーっと…………え!?2位!?すごいじゃん!」
「…う、うん。ありがとう。」
「なんで皆に隠してるのー?こんなに凄いのに!」
「なんか、そういうキャラじゃないし…あ、茜は?月曜と火曜、なんの予定だったの?」
「…………」
茜のいつもの笑顔が崩れる。
「…………別に、大したことじゃないよ。」
茜の声のトーンが下がる。
もしかして、千葉さんたちと何か関係があるのかな…?
「…ねぇ葵、金曜日はどこに行ってたの?」
「え?」
なんで、そんなことを…?
座間さんのところに行った話は、茜にも、誰にもしていない。
「金曜日は、茜とこのカフェに来たでしょ?」
「私と別れた後は?」
茜は俯いていて、表情はよく見えない。
「…家に、帰ったけど…………なんで?」
茜が顔を上げる。そこには、いつもの笑顔が戻っていた。
「…………ううん、なんでもない!」
いつもの笑顔、のはずだ。しかしどこか影があるのは、気のせいだろうか…?
家に着きスマホを確認すると、座間さんからメールが届いていた。
『依頼解決の目処が立ちましたので、ご都合のよろしい時に事務所へお越しください。』
明日にも伺う旨を、メールで伝える。
これで、茜を助けられる。
嬉しいはずなのに、何かが引っかかった。
〝引っかかり〟の原因がわからないまま、次の日を迎える。
事務所に入ると、座間さんはデスクの椅子に座り、デスクの前には男性が立っていた。
「お待ちしていました!どうぞお掛けください。」
ローテーブルのソファに促される。座間さんは立ち上がり、男性と共にドアに向かう。
「ありがとうございました、
「例には及ばんよ。これが仕事だからな。では、またご贔屓に。」
〝仁さん〟と呼ばれた男性は、事務所から出て行った。
「お待たせしましたー。」
座間さんはデスクの引き出しから取り出した茶封筒をローテーブルに置き、自らもソファに座った。
「まず1つ確認を。イジメが行われていることの多い場所は、4階東の女子トイレで間違いないですか?」
そんなところまで突き止めるなんて…
「はい、そうです。」
「はぁー、良かったー!これで外してたらカッコつけた分、赤っ恥でしたよー!」
座間さんが大袈裟に胸をなでおろす。
「では、本題に。
「わ、私が、やるんですか?」
「さすがに部外者の男が、高校の女子トイレに入るわけにはいきませんから。それこそ捕まります。」
「た、確かに…」
「ただ、証拠をバレずにカメラに収めるのは、容易ではありません。なので、これを使ってください。」
座間さんがローテーブルに置いた封筒から、リップと、小さな…少し歪な形の球を取り出した。
「このリップクリーム、実は後ろの部分がカメラになっていて、マイクも入っています。明日の6時間目の途中で、4階東の女子トイレに設置してもらいます。詳しい指示は、これを使って伝えます。」
座間さんが、小さい球を摘み上げる。
「これは通信機です。といっても、こちらの声を届けるだけですが。
「すごい、ですね…」
「我らがエンジニアの自信作です!」
「エンジニアがいらっしゃるんですか?」
「えぇ、まぁ。ともかく、この作戦が成功すれば、お悩み解決です!頑張りましょう!」
次の日の授業は、全く集中できなかった。カバンに入れたカメラと通信機の入った封筒を、休み時間の度にこっそり確認した。
5時間目と6時間目の間に、さりげなくリップを制服のポケットに入れ、通信機を右耳に付ける。座間さんからは、授業が始まって20分経ったらトイレに行くように、事前に指示されていた。
時計を何度も見てしまう。そしてついに、その時間になった。
「せ、先生…」
「どうした?」
「お腹痛くて…トイレに行っても良いですか?」
「あぁ、いいぞ。大丈夫か?」
「はい、すみません…」
教室を出て、大きく息を吐き出す。
『もしもーし、聞こえますかー?』
右耳から座間さんの声がする。
『って言って応えられても、阿部さんの声は聞こえませんけど。では、トイレに向かってください。』
トイレには誰もいなかった。
授業中だから、当たり前だよね。
『一番手前の鏡の前にリップクリームを置いてください。カメラが一番奥の個室を向く感じでお願いします。』
指示通り、リップクリーム型のカメラを置く。
『置いたら教室に戻って良いですよ。通信機は付けたままでお願いします。』
6時間目が終わった。スマホにメールが届いている。座間さんからだ。
『この後は普段通りに過ごしてください。もし何かあれば、僕にメールを送ってください。指示を出します。』
普段通り…
茜へメッセージを送り、学校の裏手へ向かう。いつもはすぐに返信が来るのに、今日はまだ開封すらされていない。
なんだろう。嫌な予感がする…でも、座間さんからは普段通りにと指示されているし…下手に動かない方が良いかな?
10分後、手の中でスマホが震える。茜から──
『たすけて』
「え?…っ!」
すぐさま座間さんにメールを打つ。
『阿部さん、』
通信機から声がする。
『石川さんにどこにいるかを聞いてください。』
茜にメッセージを送る。
『よんかいといれ』
「っ!…茜っ!」
『どこにいるかわかったら、そこに向かってください。』
10分前に来た道を走って戻る。
階段を駆け上がり、4階に急ぐ。
茜から明確に助けを求められたのは、初めてだった。私の前ではいつも笑顔で、辛い様子なんて見せたことがなかった。その茜が…!
東側のトイレの前には、茜をイジメているグループのメンバーの1人が立っていた。私を見てギョッとしている。
『阿部さん、トイレの前で見張ってる人がいたら、』
「
座間さんの指示も半ばで見張りを突き飛ばし、トイレに飛び込む。
「あ、葵…!」
トイレには、茜とイジメの女子グループがいた。茜は首から上が濡れており、両腕を左右で掴まれている。茜の前には、水を張ったバケツがある。
許せない…!茜を!
「…………あれー、お友だちじゃん?ごめんねー、茜ちゃんは私たちと遊んでるからー。」
グループのリーダー格である、千葉さんが近づいてくる。
「それともあんたも一緒に遊ぶ?葵ちゃん?」
千葉さんがポケットから何かを取り出した。カッターだ。
「っ!」
カッターの刃が、押し出される。
『阿部さん、一部始終をカメラで撮っていたことを、彼女に言ってください。』
「…あ、あなたたちがやったことは!全部、あれで撮ってますから!」
全員が、私の指差したリップクリームを見る。私の呼吸だけが、トイレに響く。
「ウソ…………」
静寂を破ったのは、茜だった。
「茜、もう大丈夫…」
ギロッと茜が右にいた女子を睨む。
茜…………?
睨まれた女子は怯えながら立ち上がり、リップを踏みつける。
『そんなんじゃ壊れませんよ?かなり強度をあげてもらいましたから。壊したいなら、もっと強く踏み潰さないと!』
右耳の通信機から聞こえていた座間さんの声が、リップからも聞こえる。
「え…?」
『それに、これで撮った映像は僕の手元に随時送られてくるので、それを壊させてもあんまり意味ないんじゃないですかねー?石川さん?』
茜が目を見開き、小刻みに震える。
「あっ、はははは!あははははははははははははははは!!」
茜は壊れたように笑い、掴まれていた腕を強引に振りほどく。リップを踏んだ女子を突き飛ばし、今度は自分の足で踏みつける。
「この!この!この!この!」
何度も何度も踏みつけ、リップが粉々になる。荒い呼吸を繰り返し、茜がゆらりとこちらを向く。
「っ!」
私は、…私だけじゃない、茜以外の全員が、恐怖に息を飲んだ。
「ねぇ、葵?私を助けてくれたんだよね?」
私は声が出せなかった。
「茜はイジメられてた葵を助けた。今度は茜がイジメられて、葵が助けてくれた。でも、助けたときに葵は怪我をして、茜へのイジメがバレて、イジメてた人は学校を辞めて。病院にお見舞いに行った茜は、葵の手を取って、こう言うの。“助けてくれてありがとう。やっぱり、茜と葵は運命の相手なんだ。”って。…ねぇ?素敵でしょ?」
茜が千葉さんの手に持っていたカッターを奪い取る。
「ねぇ!ねぇ!ねぇ!!」
茜がカッターを振りかざしたとき、背後のトイレのドアが勢いよく開く。そこにいたのは、土井先生だった。
「先生…!」
「やめろ!石川!」
先生は、カッターが握られた茜の右腕を受け流し、勢いを加えて壁に叩きつける。カッターは床に落ち、先生が脚でそれを茜から遠ざける。
「邪魔するなぁあああ!」
茜が吠え、暴れる。壁を正面にして背中から抑えられているにも関わらず、土井先生を押し退ける勢いだ。
他の先生も駆けつけ、私はトイレから連れ出された。出て行くときに見えた茜の血走った目は、私を助けてくれた彼女のそれとは、程遠かった。
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